愛と自由

愛と自由

身体の健康、心の平和、意識の自由を人間は

みな求めているのは確かである。

そんな人たちが出会い、生まれる感情に愛がある。

愛とは

  • 自由は自分を解放し、愛は自分を束縛する。
    愛と自由は正反対で矛盾する感情である。
  • 数億の異性からたった一人を特別に選び出す感情行為である。
    自由に近い博愛では結婚も家族も出来にくい。
  • 愛には性愛、片思い、プラトニックラブ、恋、同情、哀れみ、慈悲などいろいろある。
  • 矛盾しあう「自由と愛」が平行線でなく、結びあう道はどこにあるのだろうか?

 

相愛が真実の愛

  • お互いの自由を認め合う愛だけが、矛盾する自由と愛が結ぶ道である。
  • 自由は身体の健康と心の平和が必要である故、お互いの身体の健康と心の平和を求めあう間柄が真に愛することである。
  • 束縛しあい、自己犠牲、支配欲、虐待があるような愛は虚偽の愛であり、真の愛に見せかけた詐欺、幻想、執着、エゴでもある。
  • 自他と平等の関係でしか真の「自由と愛」は築かれない。

真実の愛の結び

オスメス管の接着剤は双方につけるとしっかりつくが、片方だけだと一時的に着くが水漏れしてしまうように、

片思いや一方的なエゴ愛は長続きしないものとなる。

また、ハンダ付けの要領のように、

ハンダは愛の行為であり、ハンダこては愛の感情としてとらえることができる。

ハンダ付けのコツのように、相愛と結び方にあり、双方同時に愛を芽生えないときは、それぞれの愛が熟成するのを待ち、

両者が熟成した時期に、相愛を確認しながら、行為を優先し、感情をゆっくりともやし続け、最後に冷静な愛の心にすることである。

平等の愛とは

小学生の鶴亀算の解き方から真実の答え(愛)を見出す方法を探ってみよう。

例えば、

鶴と亀が合わせて20匹います。足の数の合計は64本です。
鶴と亀はそれぞれ何匹ずついるでしょうか?

という鶴亀算を解く場合、

一つ一つ数を代入したり、中学で習うXYの二次方程式を使わなくても、もっと簡単に解ける方法がある。

鶴と亀の個体の命の存在は平等であり、特に違うのは鶴は足が2本、亀は足が4本であるというだけである。

人間は個体の命の存在は平等で、鶴亀のようにほとんど差がない。

しかし、その人の才能や環境には生まれながらにしても差ができてしまうが、

その差だけを見て、愛するというのは偽愛であり、策略や支配やエゴや経済が優先してしまう。

そうした差を克服して真の愛に近づくためには、

まず、

「もし、自分が相手の立場だったら」と想定することから始まる。

病気して初めて、健康の大事さを知ることができるように、

その差をしっかりと受け止め、取り払ってこそ、真実の平等の愛を知ることができる。


鶴亀算から推測してみよう・・

  • 1.もしみな亀だったら(双方とも自分だったら)と仮定し想像してみる
  • 2.現実64足と亀想定80足の差(不平等・違い)が16本多くなることを把握する
  • 3.その差16足の持ち主(相手の現実にお才能・環境の姿)は2足の鶴であり、その数(自分と同じ命の存在)は8匹(平等の命の存在)である。

  • 4.鶴亀合わせて20匹(平等の命の姿)だから、鶴の8匹を引いた数の12匹(真の愛の自分の姿)が亀であると解る。

    双方のハンデ(才能・環境)を除いて共に平等であることを確認し、そのハンデを共に克服しようとする行為と心が真に愛するということである。

    真の愛には平等の愛と、「もし自分が相手だったら」という想定した理解が必要であることが欠かせない

なぜ愛するのか?

  • 基本は男女の愛にあり、それがあらゆる人間関係に発展する

  • 人間の結びつきはお互いに足りないもの(メスねじ)と足りるものと(オスねじ)のマッチング(固い絆)である

  • 個人の命の健康と平和と自由の領域の拡大である

  • 男女が結婚し子が産まれ、子が産まれなくても養子をとり育てて、一回生の命を次の命につないでいく。命の存続には欠かせないのが愛する心と行為である

  • 個人の健康・平和・自由の障害を他人との協力で乗り越える心と行為も愛することである。

真の愛で繋がる社会は地球型になる

テンセグリティ(tensegrity)とは、Tension(張力)とIntegrity(統合)の造語であり、

バックミンスター・フラーが一般建築とは違った、哲学的思想の具体的な表現手段として採用したものである。

社会は建材のような固定した個人で形成されるのではなく、「健康・平和・自由」を求める個々人の生きた身体のような集まりである。

みながみな「健康・平和・自由」を求め、その真の愛で繋がった社会はこのテンセグリティ(tensegrity)のような構造になり、誰かがトップとか支配者にならなくても、「健全・平和・自由」な社会が創れるという証拠モデルでもある。

真の愛でつながった社会構造が生きている地球にようになることを演繹想像できる。

テンセグリティ(tensegrity)のような社会構造は人間の身体のような骨(堅固)と筋肉(伸縮柔軟で自由)でつながり、まるで生きているかのような姿を見せる。

そんな真の愛でつながった社会をテンセグリティ(tensegrity)でモデル化すると・・・

 

  • 真の愛は骨と骨をつなぐ伸縮する筋肉(ゴム状)の様である

  • 固い骨だけで繋がる社会は上下関係があるプラミッド型になる

  • 固い骨と柔らかい筋肉で繋がる社会は弾力ある生きているかのような地球型になる

  • 真実の愛は平等と自由のある柔軟な生きている地球構造社会を形成する
  • もしその社会が軍隊や宗教・政治界のようなピラミッド型の支配構造になり、強制で統一されていたら、それは偽の愛であるエゴ・支配・忠義、強要であり、それは正悪で固定化した病的社会秩序であり、創造維持破壊が繰り返され、平和は長続きしない

こんな「健全・平和・自由」の真の愛でつながった未来社会が見えてくる

 

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自由と健康

真実と幻想

心身が真実であり、感覚と理想は幻想である

自由とは無意識化の自分の体の健康と心の平和であり、意識化の誇張する感覚と心身を制約する理性は不自由な自分を創り出す

自由な意識とは無意識化の心身の自由(健康と平和)を補助して、心身の病状を健康と平和へ導く先導役である

この世で確かなるもの

身体・心・意識 であり、健康・平和・自由へと向かう

 この世で不確かなるもの

神・仏・魂 であり、主に著名人の言葉によって想像され、信じられた幻想である。

それ故に、神・仏・魂は人の解釈によってみな違う姿を演出する。

人々の心を支配し、統治するために利用されてきている。

個人と社会

個人の集まりが社会であり、その実体は個人であり、社会という実体はない。

それ故に、社会はリーダー・代表・象徴という個人を祭り上げる。

個人の心身意識が真実であり、その能力を過剰化し、欲望・理想の幻想であり、その幻想究極が全能の神仏である。

自由に生きるには

自他の健康と平和を求め、互いの自由と平等を認めあうことから始まる

社会においても、個々人の心身意識が

真実実体である。

それ故、人の自他においても

平等であり、

健康と平和を求める自由権がある。

この個々人の自由と健康と平和を認めることから、社会のルールや方針が

決められていくと健全な社会が

形成されてくる。

個々人の病気や苦悩を

自分の意識だけで治癒できない場合だけ

他が補助し、健康と平和へと

導ける社会も健全といえる。

幻想に惑わされず真実に生きるには

 喝を入れ、幻魔を追い払う

 九字護身法を改良してみた

 病魔退散

 活法 養灯 波風 躍節 運

 (喝のように、一文字で気合が入る9文字)

 忍術の刀で横縦横縦で切り、

 運で刀を納め、祈る

 真実康平(真実健康平和の略)

 迷いを払って心身の健康平和の道を選ぶ)

 何のために生きるのか?

生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならぬ
                       ーソクラテスー

人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。(マタイによる福音書4・4

 イエスは神であり、ソクラテスは命である。

 命は確かめられる真実だが、神は確かめられない幻想である。

 生きる目的はどんな命あるものも生きることそのことが目的である。

 食べること、着ること、住むこと、快楽、理想は二の次であって、心身が健康で平和であることが第一に優先することである

 人は病気をしたときに健康を 戦争したときに平和が最も大事であることを認知することができる。

 心身の健康と平和に終わりはない。

 その維持と病気や戦争の予防努力が常に必要である。

 だが、すでの健康で平和だと思い込み、二の次の理想や快楽や仕事や金儲けを第一の健康平和を犠牲にしてしまうと本末転倒となり、病気と戦争が巣くってしまう。

 自由は健康と平和があってこそ得られ、健康と平和を求めるのが自由であるともいえる。

 

 

 

 

 

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鳥の歌/El Cant dels Ocells

この動画から

「連歌・鳥の歌」は名チェリストであり人道主義者でもあったパブロ・カザルスが世界に歌いかけたカタルーニャ民謡を、様々表現方法を持つ音楽家たちが俳諧連歌のように歌い交わし合うプロジェクトを知った。

一体、この民謡はどんな歌なのか?

連歌 鳥の歌に尺八バージョンもあった

今生きているということ

この谷川俊太郎の詩が連詩のようにたくさんの人が続けた

私も入って、出版の一ページに掲載された。

まさか、

鳥の歌が連歌となって、いろいろな楽器や国で歌い繋がり、

平和を希う運動になるとは、その力に感動した。

歌はシンプルである。

そこで、

鳥の歌の連歌 と「今生きているということ」の連詩 を合わせて

替え歌を作ってみた

今生きているということ
鳥が舞い歌う
今生きているということ
草木から芽が出る
今生きているということ
人は愛し平和を望む
今生きているということ
それはけして死なないということ
人は夢を見、叶える

Being alive now
Birds dance and sing
Being alive now
Buds sprout from vegetation
Being alive now
People love and desire peace
Being alive now
That it never dies
People dream and come true

 

 

 

 

 

 

 

 

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意識/Consciousness

無意識の反対だが・・

The opposite of the unconscious

意識とは

What is consciousness?

  • 国語辞典では知覚・自覚。仏語では、対象を五感総括して判断し分別する心の働き(いわば、自分の関心対象を知覚し、そして鏡を見るごとく自覚する)
  • 無意識とは知覚自覚なしに勝手に心身の生命維持活動である
  • 氷山を自分の心身脳の生命に譬えれば、同じ水からなる自然から自分の命は生まれ、自然に帰っていく自分の姿に観えてくる
  • 社会は氷山のような自我をもった人の群れと言えそうだ

• Perception / awareness in some dictionary. In Buddhism, the work of the mind to judge and discriminate objects by summarizing the five senses (so to speak, perceive the object of interest and realize it as if looking in the mirror)
• Unconsciousness is a life-supporting activity of mind and body without perceptual awareness.
• If you think of an iceberg as the life of your mind, body, and brain, you can see your life coming from nature, which is made up of the same water, and returning to nature.
• Society seems to be a group of people with an ego like an iceberg

主観と客観

Subjective and objective

  • 意識対象を観るときの自分自身が主観
  • 意識対象から自分を観る想像が客観
  • 無意識とは対象と自分が同一で分化していない状態
  • 意識対象とのコミュニケーション・観察で自覚形成される

• Being subjective when looking at the conscious object
• The imagination of seeing yourself from the conscious object is objective
• Unconscious is a state in which the subject and oneself are the same and not differentiated.
• Awareness is formed by communication and observation with the conscious object

世界と自分

The world and myself

  • 意識対象が世界・社会になると変わっていく自覚
  • 自分の経験・学習・知識で世界・社会が変わって観えてくる
  • 無意識下では世界と自分は同一で分化していなく、命の生死の世界の流れだけがある
  • Awareness that changes when the object of consciousness becomes the world or society
  • You can see the world and society change with your own experience, learning, and knowledge.
  • Under the unconscious, the world and myself are the same and not differentiated, only the flow of the world of life and death

意識と量子

Consciousness and quantum

  • 命より意識・無意識が生まれる
  • 命は自然(宇宙・地球・原子)から生まれる
  • ならば、自然の最小単位量子が命の最小単位意識だとしたら
  • 意識を光の波として生と死と生死の情報で世界を無限に描くことができる
  • Consciousness and unconsciousness are born from life
  • Life is born from nature (universe, earth, atoms)
  • Then, if the smallest unit quantum of nature is the smallest unit consciousness of life
  • With consciousness as a wave of light, the world can be drawn infinitely with information on life, death, and life and death.

我々の意識の有り様で世界と自分をどんな姿にも創造できる

We can create the world and ourselves in any way with our consciousness

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出来ることをやる

一一つとせ 広き視野もちゃあ 自分が見え 自分が見え

     狭き視野もちゃあ 迷える子羊 迷えるにゃあ

二つとせ 不確か世をば 確かは自分 確かは自分

     不悟なる 自分を 求めたり 求めたり

三つとせ 耳を澄まして 静かさ聴けば 静かさ聴けば

     自分の心音 響きたり 響きたり

四つのせ 世の姿みな 自分の意識 自分の意識

     真実姿じゃ なかりし なかりし

五つとせ 一魂一生 一日自分 一日自分

     一日一生 一魂 一魂

六つとせ 難し無理さけ 優しき自分 優しき自分

     シンプルベストの 生き方よ 生き方

七つとせ 無いモノ探しに 自分なし 自分なし

    足るを知るときに 自分在り 自分在り

八つとせ やってこそ解る 自分の力 自分の力

     できることを やり続け ありがたや

九つとせ 転んでは起きる 達磨な自分 くじけぬ自分

     生死の波を くぐりぬけ くぐりぬけ

十 とせ 蕩蕩と生きるぜ 自分の道を 自分の道を

     人それぞれの 道生きる 道生きる

 

 

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