Archive for 9月, 2010

メロンが勝手にできた

月曜日, 9月 6th, 2010

 雑草の中からカボチャが勝手にはえてきた。そのカボチャが実って大きくなってきたので、一番大きいやつをとって料理しようと思った。

 切って、びっくり仰天!

 なんと、メロンだった。

 私が畑を志して、始めて収穫したのが、このメロンだった。

 まだ熟していないので、ほんのりと甘いだけだったが、メロンの味がしっかりしている。おいしいまではいかないが、熟れていないアボガドをたべた感じである。

 自分の記憶をたどっても、メロンなど栽培した記憶がまったくない。記憶がないが、予想ができた。

 生ゴミのうちの種を土にまぜこんで、それが成長しないので、雑草の中に捨てたように思う。生ゴミからとったメロンの種は別に苗から栽培しているが、ほとんど成長がとまったままでいる。

 当初、カボチャとばかり思いこんでいたのは、葉っぱが同じで、蔓状にのびていたからだ。水もあげずに、ただ雑草とともに生えて、雑草の上に大きくはってきたものだった。近くに、前の住人が植えて、それが育ち、収穫したあとに、また、そのキヌサヤが二 三本育っていた。たぶん、収穫の際こぼれおちたものかもしれない。

 このカボチャとばかりと思っていたメロンの実ができたころ、あわてて、水をあげた。でも、葉っぱが枯れてきたのはどういうことだろうか?

 メロンといえば高級品だ。ほとんど世話なしに雑草とともにできるメロンだとはびっくり仰天だった。

楽しさの3要素

日曜日, 9月 5th, 2010

 最近、ニュージーランドのサモア人の親戚とスカイプで、家族の話をしている。テレビ電話で無料で海外の友人と会話できる時代だ。

 昔、サモア人の元妻が、実家の家族に国際電話するので、毎月20万円くらいの電話料金がかかったことがある。これを防止しないと、生活が破綻するので必死だったことを覚えている。そんな時代にあって、いくらでも、無料でテレビ電話できる時代とはまさに夢の時代だ。

 24歳のころ、オランダのワーキングキャンプに出かけたことがある。そこで、15カ国20人くらいの友達になった。そのころの友達に会いたくなり、ひょっとしたら、FACE BOOK で探し、SKYPEで、話が気軽にできるかもしれない。

 こうした話が気軽にできるようになると、世界各国の友人ができ、その間でホームステイしあうような友達グループが可能になる。ただ、住まいがせまいと海外の友人をたくさん世話できないので、近くの安ホテルを利用できるようにしたらいいように思える。私がヨーロッパに自転車で旅したときには、1日500円くらいの宿泊料で、ユースホステルを利用した。とくに、ドイツのライン川沿いにある古城全部がユースホステルだったので、すごく感激したことがある。

 ユースホステルではそこの旅の情報がかなりえられ、また、そこで知り合った人と友達になり、長くパリで、ホームステイしたことがある。こうしたユースホステルとfacebookとskypeを合わせれば、個々で深く国際交流できる場が可能になる。

 いろいろな平和や協力運動があるが、各個人でできる世界の平和や協力活動としては大きな力になるように思える。もちろん、政治や団体の活動は一番の近道かもしれないが、自分たちができ、しかも楽しく、心の通い合いはこうした1人1人のつきあいから生まれるように思えるのである。

 私は今年で定年の60歳になるが、スカイプで、ニュージーランドのいとことテレビ電話したら、なんと、私が21歳に見えると言われて、びっくり仰天した。自分が21歳のころと、比べてみると、精神的にはほとんど変わりがない。一つだけ違ったと思うのは迷いがある21歳と、迷いがない60歳である。

 この21歳の迷いというのは、「いかに生きるべきか?」であり、60歳の迷いがないというのは、「いかに死ぬべきか?」との差である。迷いというのは、「先が見えるかどうか」が決定的な要素である。「先が見えないのが迷い」であり、「先が見えるのが迷いがない」ということだからだ。 自分の先がどんな姿の生き様は不明なので迷い、自分の先が必ず死の姿になることは明確なので迷いがないということである。

 私が60歳まで生きてきて、本当に救われた・幸せになったということが3つある。

1,禁煙 2.禁パチンコ が10数年前にできたこと。そして、3つ目は、禁宗教 である。

 禁煙は体の健康を維持することが幸せにつながり、禁パチンコは経済のゆとりと、生活時間のゆとりが確保できた喜びである。

 禁宗教は、もっとも困難なことだった。高校生のときに、「生きるってj何だ?」に悩み続け、ヨガに入信した。それから、他の宗教のキリスト教や仏教やヒンズー教にこり、新興宗教である、サイババやありがとうおじさんに凝った。それで、自分の魂が腑抜けになり、教祖だけの魂になってしまうようなまことに狂信状態になったが、教祖の失態からその洗脳か抜け出られたことはまことにラッキーだった。

 人生の答えは信じるものではなく、求め続けるものである。

というような信心生活から抜け出られて、安心できたように思う。安心を求めて入信するのだが、実際は逆で、宗教から脱却することが安心につながった。

 これら禁煙・禁パチンコ・禁宗教の根本にあるものは似ており、麻薬のような安心するための依存症である。依存症とはそれが無いと生きられないことであるが、それが無くても生きられるような生活が自立した安泰だといえる。

 次に、今まででもっとも楽しかったことは何か? 先の3つから脱却できたこと以外に、2つある。

1つは、24歳のときの、オランダのワーキングキャンプで、世界各国の人と一緒に働き、一緒に暮らしたことである。寝るところに、男女は自由に一緒になれたことだ。その3週間は今も鮮明に思い出すことができる。

2つは、やはり結婚生活と家族をもったときであろう。

 ともに働き、ともに生活することの幸せはそこから離れてみると、よくわかることである。

こういうことを振り返ってまとめてみると、

楽しさとは3つの要素があるということだろう。

1,自立すること 2,一緒に働くこと 3.一緒に暮らすこと

 そして、その輪が大きければ大きいほど幸せも大きくなる。

クールライフ方発見

水曜日, 9月 1st, 2010

 クーラーの設置が9月14日なので、それまでなんとか、夏ばてしないように、工夫していた。

一番は水風呂に入る方法だと、出て1時間くらいは涼しいが、また暑くなる。それを繰り返すのは着替えたり、ふいたりして、実に面倒である。

 扇風機の前にヌレタオルをおいて、部屋を冷やそうとしたが、大してかわりがない。

 そこで、裸になって、ヌレタオルを体にまいて寝っ転がったら、実に涼しい。

 しかし、仕事をするには困る。そこで、長ズボンに長シャツのタイツを着て、そのまま水シャワーをさっと浴びた。

 少々かけすぎて、床にぽたぽた水が落ちるので、床や椅子にタオルをおいて、水がしたたり落ちてもいいようにした。

 これを防止するなら、先にタイツを濡らしてよく絞って、水がしたたり落ちないようにすればいいだろう。

  これだと、クールで動きながら仕事ができる。

  日本の冬にはコタツは欠かせないが、日本の夏にはクーラーこたつがあってもいいではないか。

  コタツの中だけ冷やすので、車のクーラーで充分である。家の外にある室外機で作られた冷たい空気をホースでコタツの中に入れるだけでいい。コタツ布団は今はやりのクールタオルの生地でいいではないか。

 さらに、一般化するなら、堀コタツのように、床の下からクールの風がコタツに入り込むようにしたら、きっと売れると思うのだがどうだろうか?

 部屋全体を冷やすよりも、必要な空間だけを冷やすコタツ方式がほしいものである。

タイツの涼しさは洗濯物が乾くまで涼しいので、けっこう機動的である。ぜひ試してみてください。

 これってブームになるかもしれませんよ。