Archive for 1月 10th, 2017

改めて金銭考察

火曜日, 1月 10th, 2017

金銭が世界のモノとサービスを分配するシステムであるという定義から、改めて考察してみると、

将来予想される金銭を分配することは予言を信じて行動するようなもので、信じてはならないシステムである。

そもそもモノ・サービスと交換する基準となる数値が毎日、毎分違ってしまうのは、狂っている秤でモノサービスを交換するようなものであって、健全なシステムではない。

こうした狂った金銭システムの元凶は金銭を貸し借りできるものであるとしたことである。

共に生きて行くために食べ物を分かち合うためのシステム法が金銭であるから、食べ物は与え貰うしかできず、貸し借りなんかはできない。

将来生産できる食べ物を前もって分配する約束をしてしまうことは分配されない人は飢え、分配される人は肥満になる。世界のモノサービスを数十人が72億人の命を支配する格差社会が現実になってしまうのは当然の理である。

現在あるモノサービスだけを分配する金銭システムにしたら、金銭の発行金額もそれに合わせたものになり、モノサービスの価格は現在のモノサービスの需要と供給で決まり、将来予想した投資金額の需要と供給では決められなくなる。

今生きているということが重要で、この先の不安や幸福が重要ではない。先は常に未知であり、それが命が奇跡の贈り物であるということでもある。

明日を人は決めつけてはならない。明日は自然の新しき命のプレゼントであるからだ。我々の個々の細胞は常に新陳代謝して生まれ変わっているではないか!

海を渡る天の橋立には、井戸があり、それは海水と混じることはない真水が飲める。こんなことを予想出来ただろうか? たまたま掘ってみたら真水が出てきたということであろう。

 

何を信じればいいのか

火曜日, 1月 10th, 2017

健康と自然の集まりの中で

栄養学の大学院生が そこに集まっている人達の大学で学んだ知識とは真逆の考え方が多いことに戸惑い、彼が講義する時に、

「一体 貴方達は何を信じて生きていますか?」

と、問いかけから始まった。

古老の多くは 経験と言ったが、彼はそれでは納得せず、他に直感ともいう人が出て来たが、声高に

「科学的に実証されたことを信ずるべき」

と言ったが、その実証もあてにはならないのが、科学の歴史ではないかと論議は進んでしまい、討論だけの討論になってしまった。

この健康と自然の集まりに参加してくるのは、大学や世間の常識に対して可笑しいと思っている人が多く、自分の考えを強く押し出す人も多く、それに対抗できる自分の考えに自信がないと 、そうかもしれないと思い込まされてしまう。

こうした討論ができる場があることが、そもそも素晴らしいことで、他ではまったく、常識に流されるか、特殊な思想に洗脳されるかで、疑問同士が ぶつかり合えない。

そのため、ここで話される内容においては、自分で実験、また論理展開して、自分自身が納得できないと、それらを信じることはできないとなる。

また、彼らを納得させるには、実際にその場で、実証してみせる必要もでてくる。

ここでは、権威で信じさせることはできない、ムードがあり、参加者全員が講師であり、学生であるというような基本姿勢があるので、そこで何が飛び出すか、分からないのが魅力にもなっている。

神や人を信じるな! 自分自身を信じよ!

ということは、自分で実際に行動し、思索し、納得できたことを信じていくということが自信を持つということで、最初から自信なんかあるわけでも、できるわけではなく、たゆまぬ思考錯誤と、多くの挑戦とその成功と失敗から、積み上げてきた経験が信じられる根拠になってくる。

自信は一生かかって積み重ねられた経験によって築かれる。

科学的実験も 人の経験ではなく、自分の経験であることが、必要も不可欠であるともいえる。

科学におけるデータの改ざんもよくある犯罪であるから、即信用していいとは限らないだろう。

邪馬台国が奈良にあったというその住居跡をみたが、実際にみると余りにも小さいので、その話は信用できなくなった。これも自分の目で確かめなかったら単なる知識それを信じてしまっただろう。