Archive for 3月 10th, 2018

シニアフレンド

土曜日, 3月 10th, 2018

二週間のモンゴルの旅で、

私には19歳のヤングフレンドが二人できた。

彼女たちにとって67歳の私はシニアフレンドである。

年齢差 48歳 趣味百姓と大学1年生である。

シニアフレンド&ヤングフレンド

私には精神障害者のような見かけや常識では解らない劣等感のようなトラウマがある。

実際、私の高校3年間は精神病院に入院と通院で通学はほとんどしていない。

担任と校長の恩情で卒業できたが、

19歳といえば、私は日本をヒッチハイクしながら放浪生活していたころである。

そんな19歳のころの自分の幻と 同じ19歳のヤングフレンドをつい重ねて

その時代の苦悩それは”生まれ出する悩み(自立する直前の痛み)”に、共鳴してしまった。

 

生まれ出ずる悩みとは

子が親から旅立つ時の不安や葛藤 親の意向と子の希望が矛盾する時、そのどちらを選択するか?

最終判断を攻められる状態である。

 

私は26歳と24歳の娘がいる。

年齢的にはヤングフレンドは娘とも孫とも言っても可笑しくはない。

しかも、私は娘たちを6歳と3歳の時からシングルファーザーとして育ててきた。

二人は大学卒業し、就職、住まいもアパートを借りて自活したので、自然に自立していった。

最終的に自立させたのは 携帯電話料金を自分で払わせた瞬間から、親の役目は終了し、親の自由も娘の自由もそこから始まったという感慨がある。

 

ヤングフレンドはまだまだ自立・自活できていない。

 

だが、まさか、そんなヤングフレンドの屈託のない赤子のような笑いに

今までずっと抱えてきた精神障害の苦痛から解放させてもらったのである。

67年間の苦労が吹き飛んだような 私にとっては奇跡の開放感である。

 

その瞬間から沸き上がる感情は恋のようなものだが、よくよく分析すると かなり異質の恋心である。

それは 無償の愛のような 片思いのような無償の恋というもので、友愛と表現した方が正確である。

 

モンゴルの旅で、どうしてもひっかかるのが・・

”モンゴルの接待文化” ????????

そのキーワードが、

「(経済的・知識的・文化的など)モンゴルに来たらモンゴル人がすべて引き受け、日本に来たら、日本人がすべて引き受ける」

だが、大橋教授によると、「モンゴルと日本の経済格差が大きすぎるので それを受け入れ難い」として、

実際は「自分たちの分・・モンゴル人の分はモンゴル人で、日本人の分は日本人で それぞれ、個人的に負担していく。いわば、おごりおごられ、ではなく、別々会計になっていく。

しかし、

「モンゴルに来たらモンゴル人がすべて引き受け、日本に来たら、日本人がすべて引き受ける」

は金銭的には通用しないが、ボランティア(労働と知識と文化と楽しみ)でされていた。

例えば、

ゲル生活や馬乗りなどの一泊二日の観光ツアーは一人一万円が相場だが、それがモンゴル留学生のボランティアに前もってその料金を預け、かかった費用を差し引いたら、半分の5000円で足りた。

しかも、料理も観光も、同じ仲間として 楽しめたので、観光ツアーよりも100倍も楽しく実のあるコミュニケーションができた。

また、私にはヤングフレンドができたので、そのまた100倍の一万倍の天上の幸福感があるようなコミュニケーションができた2週間でもあった。

 

ボランティアとは無償の労働である。

その無償の労働とは

つまり

無償の恋友愛にリンクして、通じている。

シニアフレンド&ヤングフレンドは 私が命名したのだが、

この無償の友愛は無償のボランティアに通じていると直感すると・・

この無償の友愛を

国際交流の基本にすると、より深い交流 内容ある交流ができ、次の平和の時代への礎になる感じがする。

 

国際紛争の原因は単なるお互いの理解不足から起きると思える。

相手は敵とか味方とか、いわば心理学における 集団的レッテル化 であり、先入観、偏見、押し付け主義 で、単なる勘違いから そういう悲惨な戦争が引き起こされる。

そういう先入観や勘違いは親子、男女、老若、宗教、国、民族・・の間に蔓延して あらゆる病的問題を引き起こしている。

そうした病的勘違いを健康ならしめるには

無償のボランティア(友愛労働)による、日常の交流生活が最も効果的であると思える。

これから

シニアフレンド&ヤングフレンドの友愛から、

一体 何が学べるか? 実に楽しい研究の始まりである。

 

我が家の梅の花が咲いた

土曜日, 3月 10th, 2018

どんよりした雲間に陽も落ちる

氷点下30度のモンゴルの旅の復習を終えて、

やっと、我が心に 春を迎える気分になった。

畑に梅の花が咲き、昨年漬けた梅干しもまだ残っている。

昨年の陸稲は全滅した。

植え換えた陸稲は育って、稲穂をなったが、種籾の実は空洞で、明日の命のバトンをすることが出来なかった。

その理由は肥料をあげなかったと、コメ農家に教えてもらった。

農協から20キロもの種籾を買い、昨日届いた。

この陸稲との自然農法の格闘はもう7年目を迎える。

今年が一番の蕎麦と陸稲の成長バランス作戦を4月から実施する。

どうして古代小麦は簡単に育つのに

何度もやっても失敗する陸稲にこだわり、挑戦するのか?

それはどうも日本人としての食への遺伝的な希望のようなもののようだ。

海外の旅で気付いたことは その問題の核心に コミュニケーション技術が必要だということだ。

人と人を結ぶのは難しい。

農と農を結ぶのは植物自身がするので、優しいのではないか?

農コミュニケーション!

自然コミュニケーション!

農に自然に、国境も 老若男女も、政治も宗教もない!

大橋教授のいう

グリーン ツーリズム

そこに、

明日の グリーン コミュニケーション

それが次の命のバトンのキーワードになるかもしれない?