目的と手段が入れ替わりやすい矛盾とは

ダイエットを目標にして それを最も優先する行為にしていたが

仕事に夢中になり、仕事をダイエットよりも優先してしまい、リバウンドしてしまった。

ダイエットを最大の目標にした場合、その他の行為はその手段にすぎない。仕事もダイエットのための一つの運動手段にすぎない。

目的と手段を考える時に

平和のための戦争という行為という矛盾がある。

その矛盾のため、この平和目的と戦争手段は入れ替わってしまい、戦争目的と平和手段(偽条約 ただの大儀など)になる歴史の繰り返しをみることができる。

入れ替わりやすい戦争と平和の矛盾は

生きることと死ぬことの目的と手段にも 根本的矛盾が存在している。

誰でもが死んでしまう運命を持っているのだから、どんな人間も目的は死ぬことである。

これが確かな真実であるから、生きることは死ぬための手段であり、

死むまで生きるというような笑い話にもなってしまう。

武士道の極意が「死ぬことと見つけたり」となり、「いかに死ぬか?」それが最も大事になってしまい、

今の「死を待つ家」「デイケアーホーム」の運営につながってくる。

古今東西の宗教においても、この世よりもあの世また来世の方が大事になった信仰があり、この世はあの世のための修行となってしまう。

イスラムの平和社会を実現するための聖戦と信じて 自爆テロを起こす信念もまた、この世よりもあの世 来世の方が目的で大事になっているといってもよい。

この世の経済生活は実質経済と金融経済がはっきりと分かれるが、それも実際の生産と消費とサービスが目的であり、その目的を支える手段が金銭であり、勝ち負けの競争市場である。

手段である金銭が目的である生産消費サービスと逆転してしまうのが マネーゲームに夢中になり、スポーツのように勝つことが目的になってしまうという矛盾に陥りやすい。

こうした目的と手段が入れ替わりやすい矛盾を解決するには「生きること」と「死ぬこと」の根本的問題を解決するしかない。

 

その矛盾解消は先日書いたブログ「死の世界などない」という思想が役立つ。

死は意識が無い状態であるから、意識がある生があって始めて目的と手段が生まれる。

そのため、意識の無い死の世界は目的にも手段にもなりえない。

それは死の世界へと導く殺人や戦争は目的にも手段にもなりえないし、

マネーゲームにおける勝負は実際の経済生活の目的にも手段にもなりえないのである。

戦争やマネーゲームが終わった後に来る空しさは「無いものを有るかのように夢中になってしまう幻想」からくるものである。

 

目的と手段が成り立つ世界は意識が在る「生きている」この世だけである。

この世は生きている世界であり、その目的は「生きること」であるから、それ以外はみな手段となる。

つまり、生きることだけが目的になり、死ぬことは目的にも手段にもならないのだ。

平和に生きることは目的にはなるが、そのための戦争で死ぬことは手段にはならないし、まして目的にもならない。

より強く共存するための競争は手段として成立するが、勝ち負けがより強く共存するための目的にはなりえない。

商売や技術が競い合ってより向上するには勝った者は負けた者を助け、負けた者は勝った者を賞賛することである。戦争のように負けた者が死に勝った者だけが生き残るような行為はこの世の地獄であろう。

この世を天国にするには 生きること 生かすこと を目的もして、 死ぬことや殺すことを目的や手段にもしないことである。

そして、「生きること」「生かすこと」を最優先した行為にして、死ぬことや殺すことを除いたすべての生活行為は手段として扱うことであろう。

仕事の成功失敗 勝負事 善悪 貧富 区別差別 法律などはみな「生きること・生かすことの手段」にすぎなく、けしてそれらを目的にはしてはならない。また「死ぬこと・殺すこと」を目的にも手段にもしてはけしてならないのが この世の平和実現には欠かせない意識であり、それが常識や慣習そして憲法にもなってほしいものである。

 

 

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