事実と欲望は違う

欲望は幻想を生み、幻想は欲望を生む。

事実は事実しか生まず、事実しか事実は生まれない。

事実とは自然であり、

欲望とは人間である。

科学は事実の積み重ねだというが、

人間が欲望をもって、そのデータを改ざんして、

科学は欲望に、欲望は宗教を生み出す。

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日本における死因のトップはガンである。

事実に基づいて、実験と検証をしながら、医学は進んでいるとしても、

ここ半世紀、ガン患者は増え続け、人口が減っているのにも関わらず、死亡数は増えている。

このデータからすれば、ガンの科学的治療法は事実と異なる結果を招いており、

今まで積み上げてきた科学的治療法は間違っていると判断していいのではないか?

これらのデータは 病院で治療した患者の経緯であるが、

ガンと宣告され、病院に行かなくて、ガンが自然治癒したデータはいっさいない。

事実、ガンが奇跡的に自然治癒した例があるにもかかわらず、その事実がまったく科学的検証され、それが国に報告もされない。それは医学が事実を認めず、事実を元にして、実験、検証、考察していないということではないか。

事実と欲望は違う!

「ガンになった」・・事実

「病院に行けばガンが治る」・・欲望

「ガン宣告を 何も治療しなければ 余命数か月と告知される」・・欲望

「抗がん剤、放射線、手術などの治療を受ける」・・事実

「ガンは消えたが、再発転移」・・事実

「余命1か月と告げられる」・・欲望

「そして1か月後死亡」・・事実

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事実は事実しか生まない

事実だけを列記すれば、

「ガンになった」・・「抗がん剤、放射線、手術などの治療を受ける」

・・「ガンは消えたが、再発転移」・・「そして1か月後死亡」

私の母もこの経緯をたどり、ガンと宣告されてから6か月で亡くなったのも事実である。

母がガンになる数年前に母の姉がガンになった。

老齢なので、一切の病院治療をしなかった。

母の姉は母よりも数年長く生き、ガン宣告を受けてから10年後亡くなった。

これも事実である。

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事実と真実の違いは

事実の総合が真実であり、

真実の一部抜粋が事実である。

真実の一部の事実だけをどんなに演繹(論理展開)しても、それは一部の事実だけしかならなく、

全部の人間に適応されない。それは一部の事実であっても、全体の真実ではない。

事実がより真実に近くなるには

より多くの事実、特に、反対の事実を、また無関係と思われる事実さえも、集めることである。

ガンと告知され、病院にいかず、自然治癒した人や、亡くなった人の経緯の事実データも多く集めることが

より多くの事実データを集めるという、真実を求める科学者・医学者の良心であろう。

また、

科学者は事実の積み重ねであるのだから、

「ガンの告知」という事実を告げても、

「余命何か月」という希望・諦めという欲望を告げてはならない。

もし、患者から相談受けたら、いろいろな事例、治った事例さえも、紹介する方が 事実に基づいた処置というものであろう。

医者の見解にはいろいろあるからで、自分の見解を患者に洗脳したら、マイナス効果しかあるまい。

 

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野沢菜の中でサクランボが成った

野沢菜がサクランボの木より大きく育ってもサクランボはたくさん実った

 

世の中も、自然も、

まさか!!!ということが たまに起こる。

世の中と自然から観れば あたりまえかもしれないが、

物事を「こうだ!」「こうしなければならない!」と、決めつけたり、信じ込んだりしていると、

偶然、たまに、自分が信じ込んだ内容とはまったく逆の現実が生じたときに、

「まさか?!?!?!」

と、絶句する。

最近の世界は、このまさかの現象がたくさん起きている。

それは、世の中や自然が、

「地球人よ、何を思い込んでいるのだ! そう物事を決めつけないで世界を眺めてみたらどうだ?」

この世界は知らないことで満ちている。

人類は人の視点でしか、世界を自然を見ることができない、井の中の蛙である。

それは

自分の考え方にもいえるだろう、

「なぜ 世界を 自然を 自分の狭い考え方で 押し込めようとするのか?

君の中に世界も、自然も 到底入りきるものではない。君が世界と自然の中に入っているのだから」

そう思えば、

もっともっと、自由に物事を考え、なんの制約もなく、思い描いていい。

そして、

世の中のまさか、自然のまさか をそのまま受け入れて、そうした事実と真実を受け止めればそれでいい。

そこに、

それを信じるとか こうでなければならないという強制も、必要がない。

まさかの、世の中と自然に、その心もその身もゆだねて、生活し、考えていけばいい。

昨日も今日も明日も 同じなんてことは 単なる思い込みにすぎない。

まさか、まさかの知らないことが日々起きてくるのが 世の中・自然の姿なのだろうから。

 

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ダイエットから考える

ダイエットするようになると

食べること、運動することなどの意識が大きく変わってくる。

食べることは・・

・食べ物を作る・生産・畑仕事

・調理する・・加工・料理

・食べる・・食事する・飲む

これら生産・加工・消費がそれぞれ別々ではなく、一体となり、三者がリンクしてつながって行動するようになっていく。

 

運動することは・・・

・散歩・体操する・遊ぶ

・日常の朝起きて寝る・テレビをみる・食事をとる・掃除をする・ネットする

・働く・考える・夢想する・会話する

これら遊ぶ・生活する・働くことが別々なことではなく、連関し、根本的ダイエット哲学で規制されていく。

 

ダイエットは今までの生き方とはまったく違った生き方をするということでもある。

今まで、「ああやりたい」「あれを食べたい」「もっと遊びたい」「もっと稼ぎたい」・・というように

自分の欲望のままに、それを実現させるために、がむしゃら頑張ってきた人生であったが、

それをセーブするように、ダイエット人生は「足るを知る」生き方を選択し、それを目標にするのである。

 

散歩中に

キノコ栽培する73歳のおやじさんと話をした。

「お金のある人は悠々自適でいいようなあ・・」

「お金を稼ぐのはやめて 倹約しているだけですよ」

「生活するには働かないと?」

「国民年金と年金基金合わせて月10万円あれば十分ですよ」

「人を使い、借金までして 稼いでいるだから・・」

「おやじさん、働かなくても十分生きられるのでは??」

「・・・・・・」

 

 

73愛のおやじさんが、パートの主婦を雇って近所のスーパーに出荷している

私には73歳のおやじさんが生活に困窮しているのではなく、

何もしないと、つまらないからとしか思えなかった。

暇を弄ぶ老後より、いくらかでも稼いで楽しみながら仕事したいというのが本音のように思える。

 

健康は ちょっと食べて 足るを知る

早起きて 太陽とともに 早寝する

自遊に 自然にまかせ 頑張らず

健康は ちょっと食べて 足るを知る

早起きて 太陽とともに 早寝する

 

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麦は雑草と同じだった

散歩途中、桃やブドウの果樹園を通る時、

それらの果樹を雑草から守るために、いろいろな草が植えられている。

その中で、どうみても 小麦ではないかと思うのがあった。

小麦を刈る前4月30日

4月30日撮影

耕うんして、小麦の種を線撒きして植えている。

この小麦の穂は小さく、食べるものではなく、単なる雑草対策であろう。

そして、

二日後に刈込

穂が付き始めた時に、刈り取ってしまった。

種を収穫するのでもなく、麦種が零れ落ちさえるのでもなく、単に根だけ残している。

私が7年間通る散歩道なので、麦がまた生えるとまた穂が出る前に刈り込むというのを繰り返している。

耕うんして、また小麦の種を撒くなんかしない。

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ネットで、果樹園の下草で調べてみると

果樹の下草としての雑草対策と緑肥を合わせた「キングライ麦」のようだ。

こうした緑肥は一度種をまくと、根が残っている限り、何度も生えてくる。

種を収穫して また撒く必要がない。根だけのこして、刈り取った草は緑肥として使える。

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このキングライ麦のように、小麦を栽培すれば、毎年 耕うんして、種をまき、収穫する必要がなくなると思える。

つまり、

根っこだけ残し、刈り取り、種をとったら、残った麦わらも、脱穀精麦した殻もフスマも、畑に戻せばよい。

また、耕うんして、種をまき、肥料を与えなくても育つのでないか?

また、同じ種類の稲でもそうではないだろうか?

もし、稲作で、水稲・陸稲の両方とも同じであったら、

それは新しい稲作 小麦作 になるのではないだろうか?

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今年7月に 小麦と陸稲とそばの 耕うんしないで、根を残す実験をする。

この三者に根が残っていたら、種をまかずに、本当にまた生えてくるか観察してみよう。

もし、生えてこなかったら、種を撒けばいいだけなのだから。

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どんな雑草でも、人間が作物のように、耕うんし、種をまき、他の草刈りをしなければ育たないなんてことはない。

人類は自然とはかけはなれた徒労の無駄働きをしていないか?

どんな作物も、雑草と同じように扱えば、それこそ、それが自然農法というものではないか?

また、それが持続する農業ではないだろうか?

 

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5月1日は自分造りSelf Madeの日に

月初めは自分の意志造りに最適

4月1日はApril Foolsで、自分を自然にリセット

新しい環境になかなか適応できないで、やる気が出ない五月病を克服するためにも

5月1日はSelf Made 自分造り の日にしよう。

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持続しやすいダイエット習慣へ

 

ダイエットは4年目になるが、ここ冬眠二か月で、10キロリバウンドして72キロになったが、

暖かい4月に2キロリダイエットして、70キロになった。

私は平均的に65キロくらいが腹回りも減って、見栄えも、体の軽さも、栄養バランスも一番良さそうなので

5月末までに5キロリダイエットすることにした。

リバウンドは欲望のままに生きればすぐにそうなるが、

リダイエットは意志のままに努めて生きないとそうならない。

リダイエットの方法はいろいろ試したが、まだリバウンドしにくいダイエット法が見つからないでいる。

今度はリバウンドしにくいリダイエット法に挑戦してみる。

コツは大きな努力をせず、小さな努力をする

大きな幸せより 小さな幸せを望むのが 持続しやすい生活習慣になるからだ。

 

毎月初めの1日だけの断食日を設ける

断食は噛む必要の固形物ではなく流動食であれば食べてもいいという

小さな努力で 一日だけ実現しやすくするユル断食である。

断食は自分の意志を強くする効果がある。

一か月前から、5月1日は 断食の日として自分の意志を鍛える日として計画していた。

急に、断食しようとしても、心と体が準備がないと 大きなストレスがかかり、

持続できない、すぐリバウンドして、逆により太ってしまうマイナス効果になってしまうからだ。

 

自分造りの年間カレンダーを

 

月とともに 自分造り 意志堅め 自信力を

太陽とともに 自然創り 自然治癒 免疫力を

体とともに 腹作り バランス 健康力を

 

自分の意志堅め 断食を月初めに

どんなに辛くても 自然に生きてみよう

あつく 燃える この心で

何度も 挑み続けたい

耐えて 和して 

バランスよく 生き抜こう

(いつ どこまでも)

 

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