アリとアブラムシと梨の木

アリと梨の木

うちの梨(豊水)の木にやたら大アリがたかるので、根本に唐辛子を撒いたりして、木に登らないようにした。

5日ばかりたつと、

梨の木が黒く変色し、葉も黒い斑点になり、新芽も縮れてきた。

その黒いモノを触ってみると、蜜のような粘々していて、

唐辛子を撒いたので、梨が汗をかいて、樹液を分泌したかと思ったが、

よくよく黒い蜜を観ると、小さな虫が動いた。

そこで、これはアブラムシだ! と気が付いた。

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アブラムシとブロッコリー

 

7年前にこの家と畑を買ったとき、ビニールハウスにブロッコリーの花が一面に咲き誇っていた。

私は家の改装で忙しく、ブロッコリーをそのままにしていたら、売り主が血相を変えてやってきて、

 

「ブロッコリーにアブラムシがたくさん発生している」

 

当時、アブラムシというのう虫を知らないで、どうしてそんなに慌てているのか、よくわからなかったが、

どうやら、売り主の畑にそのアブラムシが伝染して、広がってしまうことを懸念したようだ。

そのアブラムシは黒くなく、白っぽかったような気がする。そして、白い粉のように舞っており、ビニールハウス中に蔓延していた。

売り主に、どうして私に売る前に収穫しなかったのか? 聞いたら、花ブロッコリーとして、それは高く売れ、数十万円になるといった。つまり、花ブロッコリーとして売れる前の段階で、しかも、アブラムシがついたら、売れなくなるというものだった。

そこで、黄色い綺麗な花の咲いたブロッコリーだったが、全部根ごとひきぬき廃棄した。

どうして、そんなにブロッコリーにアブラムシがついたのかはビニールハウスの中の栽培で、私がまったく水揚げしなかったため、アブラムシが水で流されることがなく、つきやすくしたのだろう。それに、蔓延したのは、ビニールハウス内では風がなく、アブラムシが風で降り飛ばされないためでもあったのだろうと思えた。

当時、どうしてビニールハウスでブロッコリーを育てるのか? 水揚げやら、虫害対策の手間が大変だろうと思ったものである。

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アリとアブラムシ

 

アリ対策をしたから、アブラムシがたかったのか?

アリはアブラムシを食べる益虫ってことなのか!

梨の木にとって、どの虫が益虫で害虫なのか ??????になってきた。

そもそも 虫そのものに、益虫害虫なんか 人間が勝手につけたもので、そんな虫は存在しないのでないか?

ともあれ、

アブラムシが梨の葉を縮ませ、実がならないようにしているように見えたので、それを駆除することにした。

家にあった、お酢、油汚れを落とマジックリン、ゴミ倉庫処分した時のたくさんの芳香殺菌剤、漂白剤などをかたっぱしから、噴霧してみた。

アブラムシが飛んで逃げる姿に最も効果的だったのは、芳香剤だった。

虫は香の強い植物を嫌うというのは本当のように思えた。

翌日、まだ黒い粘々のアブラムシがひっついていたので、マジックリンを水で薄め、油汚れを落とすように、タワシで、幹や葉をゴシゴシ洗い落とした。

そして、最後に、水シャワーで その洗剤も洗い落とした。

幹や枝から黒い蜜は消えたが、葉の斑点は消えなかったが、そこにアブラムシはついていなかったので、そのままにしておいた。

 

アブラムシ対策

ネットで、木の下の土にアルミホイルを置けばいいというが、置きにくいので、木の下の幹にアルミホイルを巻いておいた。

 

アリとアブラムシの関係

この両者の関係は相利共生的な(mutualistic)関係か、敵対的な(antagonistic)関係か?

また、樹木とアブラムシ、樹木とアリの関係も、共生的また、敵対的関係か??

資料

1、アリと植物の相互利用

2.アリとアブラムシの関係

3、共生アブラムシによるアリへの化学擬態

 

この3つの資料から言えることは

アリとアブラムシの関係は共生的関係にも、敵対的関係にもなるということだ。

特に、おもしろいのは、

アリはアブラムシが甘い液を出すと、テントウムシなどの天敵から守るが、甘い液を出さないと食べてしまうというものだ。

アブラムシもアリに食べらえたくなくて、自分は甘い液を実際は出さないが、出すと偽薬で覆い、アリを騙すというものだ

 

こういう、アリとアブラムシと植物の関係は人間関係でも、国際関係でもある。

ともあれ、

みんな生き死にをかけて、必死に生きぬいていることは確かだ。

 

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金一族体制では非核化も統一も無理だから

南北共同宣言で 朝鮮半島の非核化目標が宣言されたが

北朝鮮のうらぎりの繰り返しとのとれる。

 

1992年南北非核化共同宣言、六か国会議でも、
その代わりに経済援助を受けてきたが、
そのお金で核開発をし、核とミサイルをもってしまった。

また、
南北統一へ向かうかのような雰囲気でたが、

 

 

それは金日成の時代にも
「高麗民主連邦共和国」構想が北側からでたが、
それぞれの体制を維持したままでは
統一はできないことが解る。

今の金一族支配の北朝鮮はすでに核とミサイルを持っているのだから、
たとえ、完全なる核放棄、核廃棄しても、
核とミサイルを作る技術はすでにあるのだから
現、金一族体制ではまた核もミサイルも作ることができる。
まして、経済援助も核放棄とともにされるのだから
すぐにでも作ることができる。

南北統一と非核化を実現するには
金一族体制を崩壊して、
北朝鮮を選挙制度のある韓国の民主主義体制に移行させるしか
道がない。

金正恩体制を維持しての非核化も統一も、現実的には不可能である。

非核化と統一は別々にはできなく、同時にしか実現できないため、
その実現には米朝トップ二人のどちらかの意志で決まる。

1.金正恩が韓国に体制を委譲する

2.トランプが軍事経済制裁で強制的に金体制を崩壊させ、

  韓国に統治させる

これ以外の選択は
過去の失敗の繰り返しであり、核戦争の危機は今以上に大きくなる。
核保有国北朝鮮が韓国を軍事攻撃し、支配することも可能になる。

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自分しかできないことをやればいい・その9

早速、自分しかできない、

99%採用され、発表できるあてのない、

ボルネオ学会のスタディーサークル用の10分間のプレゼンを準備することにした。

 

古代小麦を作っている私にとって、

実にけしからんタイトルの本「小麦は食べるな」がある。

そのサブタイトルが・・・

もちろん、そんな本を読むつもりがないが・・

なんで そんな数千年食べ続けた人類の食物を否定するのか?

そのレビューを・・えらく長く10ページもあった。

その5ページのレビューにこんなことが書かれていた。

 

「5.0全米とカナダで130万部突破のベストセラー!

投稿者シュタインバッハベスト2013年11月29日

著者のデイビスは、米国における循環器疾患予防の権威で、患者2000人に小麦抜きの食生活を実践させたところ、心臓疾患をはじめ、
糖尿病、脳疾患、関節痛、高血圧症などの様々な疾患が快癒したという。

著者はすべての小麦が悪だと言っているわけではない。

小麦の進化上の先祖にあたるヒトツブコムギやフタツブコムギといった古代の小麦は
現代の小麦のように身体に悪さはしないようだと言っている。

ただ、そうした古代の小麦を現在において入手することはきわめて困難なので、
実際にはやはり現代の小麦は食べない方が身体に悪い影響が出ないということになる。

小麦の増産のために行われた「品種改良」がいかに危険性をはらみ、
その「品種改良」された品種が人体への安全確認もなされずに市場に投入されたことの危うさをデイビスは記している。」

 

なんと、古代小麦を食べろ!

 ってことではないか!

 

実は、古代小麦を食べても 小麦アレルギーの2000人の85%は 小麦アレルギーを発症しないという

実験データをずっと探していた。

古代小麦の科学論文にはどうしても必要なデータ出どころである。

ただの噂や製粉会社の宣伝文句では信用にかけるからである。

 

どうやら、この著者と訳者が出典先であり、

ウイリアム・デイビス医博はアメリカの著名な循環器専門医

著者は、2,000人の患者に小麦粉食品の摂取を止めさせたところ、以前の健康状態を取り戻した。

その成果をもとに、国民的な肥満病蔓延は小麦が最大原因であるとし、大きな話題となった。

白澤卓二 順天堂大学大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。千葉大学医学部卒業、同大大学院医学研究科修了。医学博士。東京都老人総合研究所研究員、老化ゲノムバイオマーカー研究チームリーダーなどをへて現職。

この本を出典先としてリンクすれば、

古代小麦が小麦アレルギーを発症させないという科学的論文も書けることになる。

その科学的論文のタイトルは

現代小麦は食べるな!

古代小麦を食べよ!

 

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自分しかできないことをやればいい・その8

徳島の知足庵の健康と自然の会に参加してから1年半たつ。

おかげで、余生の楽しみを何十倍も面白くしてもらった。

ただ、

気がかりなのは参加者が先細りになっている。

それに、先導役のO教授が来年の3月で大学を定年退職する。

その時点で、メインの学生と留学生の参加は難しくなる。

すると、地元の社会人だけの参加が中心になる。

その社会人の参加がほとんど少なくなり、

O教授は著名な人をボランティアで呼ぶことで盛り上げようとしている。

だが、そういうボランティアで参加してくれる著名人は少なく、

聴講する社会人も少ない。たとえ、一日だけその関係者がきても、次につながることはない。

先月、O教授が、山梨の博山先生を また徳島の知足庵に呼ぼうとしたが、

まったく興味がなく、ボルネオ学会の話をしたら、参加する意向をみせた。

博山先生は東南アジアを縄文の土器の源流をたどって旅してきた。

唯一、ボルネオだけ行っていなかったので、そこでも 縄文文化の形跡を探ろうとして参加しようとしただけで、

ボルネオの持続する農業学会にはまったく興味がない、だから、二日間の学会以外の予定に、自分の調査したいところに独自に行こうとしている。

それは知足庵が目指す「健康と自然の会」目的とはかなりずれている。

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知足庵に参加するまたしてきた人たちは

「健康と自然の会」の目的のために、参加する人はほとんどいなく、

それぞれ独自の目的のために、参加する。

そのため、参加者が集まっても、みな独自の行動をしてしまうために、

バラバラになって、本来の「健康と自然」追求ができなくなる。
また、先導役のO教授の目的が「健康と自然」だとは言いにくい。

むしろ、大学教授らしく、学生と留学生のための授業の一つという意味合いが大きい。

知足庵を買ったK医師の目的も、「健康と自然」目的であっても、

実際は、足の骨間筋の治療だけに特化しており、それに興味のない社会人や学生はついていけない。

つまり、

先導役、女房役もみな自分自身の目的のための知足庵であり、参加者もそうなのだから、

当然バラバラになってしまうのは当然のことである。

当初はそうでなかった。健康と自然にかんするいろいろな分野の人が集まって、それぞれが先生となり、学生となって、アカデミックなおもしろさをていしていた。

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こうバラバラになってしまった知足庵だが、

私にとって、実に刺激のあるおもしろく、毎回参加していて、人生の醍醐味のような奇跡の出逢いとか、まったく新しい考え方を知る上で、新鮮であった。

今の古代麦・蕎麦・陸稲またごみコンロ、しかも、モンゴルの旅だってそうで、私の余生の生活基盤となっている。

それが先細り、分解してしまうことは、私の余生基盤がなくなるようなものだ。

なんとか、

参加者の一人として、せめてO教授が退職するまで、

もっと欲言えば、O教授が退職後も、NGO団体として 海外交流と理解を進めるようなものを作って、

そこを知足庵や滋賀の古民家、できたら、私の山梨の家まで使ってもらって、その活動の応援をしたいと思っている。

自分しかできない応援を お世話になった知足庵にしたい。

そのためには、

まず、目標を明文化することだろう。

それは国造りでも まず憲法を制定して、それにのっとって、政治をしていくようなものである。

そうすれば、

その目標に賛同するものが自然に集まってくるし、その目標を自分自身の目標として生活することもできる。

 

知足庵の目標は

O教授が大学退職してもやりたいことにすべてあるように思える。

だが、本人にいくら聞いても、本人自身がはっきりとしていないので、なかなか明文化できない。

そこで、

私がある程度予測して、こうした方針でやれば、NGO団体 知足庵になれる気がするというのを提案したいと思う、

モデルは O教授が企画運営した 「モンゴルのスタディーツアー」である。

大学退職したら、全国の大学の交換留学生を対象に、社会人をまぜての スタディーツアーを請け負うNGO団体を作ればいい。

今回 スカイプによる 海外の小学校との対話も それに取り入れればよいし、

今回計画があったが、ズームによる、海外の大学との討論会も 実現させればよい。

 

目的は健康と自然とするのではなく、

いろいろな大学があるのだから、単に大学の交換留学生のためのスタディーツアー、またバーチャル討論でもいい。

同じ分野同士の大学交流を通じて、互いの理解と研究をすすめればよいだろう。

次回のボルネオ学会でも、科学者のための学会とは別に、モンゴルのスタディーツアーのように、

お互いの学生や社会人が英語による10分間の発表をテーマに合わせてやることをメインにした二日間を別に設けたらいいだろう。

 

そこで、こんどは 日本とマレーシアの大学同士のスカイプやズームでもいいから、討論を英語でやればいいだろう。

それ以外は近くのジャングル体験と観光をすればいいだろうと思う。

知足庵でも

その参加者が前もって、英語による発表と、また、討論する練習というか、リハーサルをしておけばいいだろう。

 

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自分しかできないことをやればいい・その7

南北首脳会談

国境には何もない

そこにあるのはただ人の心の壁だけである

人の心で、戦争も、平和も 生まれる。

人の心で 人生の喜怒哀楽が生まれる

 

昨年まで、海外なんか行く気がしなかった。

近所を散歩するだけで十分満足だったが、

中国とモンゴルに行く機会ができ、そこから

モンゴルやフランスの友人、ヤングフレンドができたことで

海外の旅がこれほどの楽しさが広がることを改めて知った。

 

畑の植物と会話しているだけで十分満足していたのだが、

人との会話、とくに、年齢差、国の差、男女差を超えての会話に

植物とは異質の面白さ、楽しさがある。

 

人の死というのは、個人の死ということである。

いわば、氏名も、出身も、性格も、才能などが変わるだけで、人そのものが無くなるわけではない。

人の肉体だって、名前がなければ誰が誰だがわからなくなるようなものである。

南北の長の二人だって、その肩書が無くなれば、ただの青年とおやじに過ぎない、

人の違いも、人の生死も、人の心が生み出すと思っていいだろう。

 

散歩途中、

ブドウや桃の木に 厚ガッパ着て 農薬散布したり、

果樹にかからないように、周辺の雑草に除草剤を撒いていたりしているのをみる。

自然農法を勉強していると、

それらが金と時間の無駄で そんなことをしないでも同じ結果だと思えるようになってきた。

病虫害にならないように農薬を撒くのだけれど、うちのブドウも桃も、何もしなくても実る。

樹木の雑草だって、そのままにしても、また回りの麦を植えてても、ほとんど樹木の栄養を害さない。

農薬はただの取り越し苦労の産物としか思えないのである。

 

それは北朝鮮が核ミサイルを持つようなものだ。

核ミサイルを持たなくても、十分他国に侵略される危険はないし、同格に渡り合える。

それはいわば北朝鮮の取越し苦労という心である。

 

無い国境を有ると思い込むのは

無い神仏を有ると信じ込むのと同じで、

人は現実にない国境や神仏を有ると思って、取り越し苦労する。

 

無いものを有ると思い込むことは

有るものを無いと信じ込むことと同じである。

 

人の心を平和と平安にするには

無いものを無いと、

有るものを有ると、

その事実を認めるだけで得られる。

その事実は信じようと信じまいと、変わらぬものである。

だから、人は事実を共有できる。

共有しにくいのは人の心である。

性質が大きく違う男女・民族・国・宗教なんかは特に難しいものである。

 

人はその事実を共有したときに、経験が生まれる。

そのため、同じ経験をした人同士はその心を共有しやすくなる。

 

はたして南北の長は 国境なんか無いという事実を

今回経験しただろうか?

その事実を認めれば平和と平安は近い!

 

日本のパスポートで唯一北朝鮮だけは外交がないと記されている。

その除外が無くなる日が 今日で一歩近くなった気がする。

そうなれば

北朝鮮を旅したい気持ちがすぐに沸いてくるだろう!

 

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