自分しかできないことをやればいい・その1

命のバトンとして

自信をもって生きるということ

それを50年ぶりに尺八を再開した例をとり

才能より好きであることを優先することが自信を持つと説明した。

実際、尺八を散歩がてらやっていると

この自信をもって生きることが 具体性に一歩欠けることに気づいた。

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私は音痴であるが、尺八は好きである。

その練習は既成曲を何曲も吹けるようになることだったが、

その練習がつまらなくなってきた。

いくら何曲も尺八で吹けたからといって、

才能のある人間にはとうていかなうはずもないし、ただの真似事でしかない。

音痴は音痴なりに、できることがあるのではないか?

そこで 大きく方向転換した。

自分なりの尺八曲を作ること、一生に一曲でもいい、

自分が納得できる尺八曲を

自分しかできない尺八曲を作って演奏できることを目標にしよう。

自分しかできないことをやればいい

それが自信を持つことの基盤になる

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オンリーワンの生き方には

才能の競争がなく、自分は常にナンバーワンであり、ブービーワンでもある。

他と同じ生き方や練習。勉強したって、それは競争し、その差でストレスがたまるだけである。

 

自信をもって生きる

それは

自分しかできないことをやるということ

それは

オンリーワンの生き方

才能の競争なんかない

MY WAY & True to Oneself

常にナンバーワン

常にブービーワン

 

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時空を超えて今僕はここに居る・その12

その思い込みが明日と今の自分を創る

大谷翔平が高校生の時、自分に言った言葉がある

「先入観が可能を不可能にする」

 

その先入観こそが 思い込み である。

思い込みは ほとんど親や教育と学習によって 植えこまれる。

その思い込みが真実か、真実でないかによって、

その後の人生が大きく変わっていく。

その思い込みが真実か?真実でないか?はまさにギャンブルのようなもので、

それが真実であれば、勝利の天才や奇跡を生み出すが、真実でない場合、敗者の逆の馬鹿げた奇行を生み出す、

 

すぐ人の言うことを信じる人は 思い込みやすい性格であり、物事をまず信じて行動する宗教家タイプである。

すぐ人の言うことを鵜呑みにせず、疑ってかかる人は 思い込みにくい性格であり、物事をまず疑ってかかる哲学者タイプである。

すぐ人の言うことを確かめる人は 思い込みが真実かどうか確かめるまで保留する性格であり、物事をまず判断せず保留して、ゆっくりと確かめる科学者タイプである。

 

私は1のすぐ信じ込みやすい性格であり、そのために、新興宗教的また思想的なものをすぐに信じ込んでしまい、何十年という歳月をそうした信仰生活に心身とも没入し、それが真実でないと確認できるまで、多くの喜怒哀楽とともに失敗しつづけた経緯がある。

信心は結婚離婚と同じで、信じるは易し、抜け出すは難し である。

最近医者や大学教授と知り合う機会が多くなり、

医学界や教育界もまた宗教界と同じような 「真実からはほど遠い思い込み」の世界であることが解ってきた。

政治界は昔から宗教界と同じ「真実からは程遠い思い込み」世界であることは今も変わっていない。

 

科学者の集まりである医学界もまた宗教集団のような思い込みの教団だというから、それには無経験な私にはびっくりさせれた想念であった。

だが、著名な科学者のデータねつ造がはびこる現代、また、科学的事実という確かめられたはずの知識がひっくり返ることが数年おきにやってくることからも、医学界もまた 科学的確かさよりも、現実的な損得で経営されているとした方がより真実に近い気もする。

 

宗教界は主に心の生き死にを扱うが、医学界は身体そのものの生き死にを扱うために、失敗や中途半端なことは許されず、患者の命を救う神様のように振る舞う医者教祖でなくてはならなくなる。それは患者に屁理屈をつけて洗脳せざるをえない立場は、宗教教祖よりも重い役目をになった洗脳者であるといえるだろう。

 

また、教育者である先生や教授は 知らないことも知っているかのように振る舞わなくては学生はついてこないため、それも、立場上 宗教の教祖的ななんでも知っているように見せかけざるをえない実情からくるのだろう。

 

こうした立場上真実の自分を隠さざるをえない人たちは その仕事に振り回され、ストレス、過労死、精神疾患、自殺に追い込まれやすくなる。

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思い込みによる弊害

 

その思い込みが真実や自然と合っていない場合、

自他に対して、「こうあらねばならない」「そうしなければだめだ」「あれはこうあるべきである」

と、強制的な言行に走るものである。

自分に対しては ストレスによる病気 精神疾患 過労死 自殺・・・

他人に対しては ストレス発散による パワーハラスメント セックスハラスメント 暴行犯罪 狂気的素行 殺人 無差別テロ・・・

自他の個人ばかりでなく、団体や国もまた おかしな法律(思い込み)などを作ったりして、そういう自滅また戦争などをおこしたりする。

こういう社会の思い込みの弊害は特に過労死やいじめや猟奇的犯罪や無差別テロに顕れやすい。

 

昭和29年度 過労死等防止対策白書

 

をみると、

「脳・心臓疾患」は自動車の運転手に多い

認定された人の職種は、「輸送・機械運転従事者」の「自動車運転従事者」が34.2%、「管理的職業従事者」の「法人・団体管理職員」が8.5%、「サービス職業従事者」の「飲食物調理従事者」が5.4%でした。

輸送事業に従事するトラックなどの運転手が、飛び抜けて多いことが分かります。

「精神障害」は医療/福祉従事者が多い

認定された人の職種は、「医療/福祉」の「社会保険・社会福祉・介護事業」が9.2%、「医療/福祉」の「医療業」が6.4%、「建設業」の「総合工事業」が5.4%でした。

1位と2位は、医療/福祉事業の従業員です。

■67業種中の過労死予備軍ワースト業種10

【67業種中(正規職員)の過労死予備軍ワースト業種10】
■宗教家 ……15.87%
■医師 ……14.47%
■法務従事者…… 9.00%
■飲食物調理従事者…… 5.48%
■漁業従事者 ……5.45%
■接客・給仕職業従事者…… 4.09%
■自動車運転従事者 ……3.77%
■著述家、記者、編集者…… 3.41%
■生活衛生サービス職業従事者 ……3.15%
■教員 ……3.11%

「思い込み」を仕事にせざるをえない

宗教家、医師が圧倒的に多く、

「・・・ねばならない」という正義心が強いものが 「思い込みの弊害」が起こりやすいことがわかる。

私の友人のお坊さんも数年前自殺した。

私がこうして67歳まで生きられているのは

こうした「思い込み」からの脱却を 禁煙するような苦労をしながら、何度も挑戦してやってきたからだ。

「こうあらねばならぬ」という先入観をまず捨ててかかること。

それが、思い込みや洗脳やいじめからの脱却につながり、自遊に生きられるようになってくる。

そこから、いろいろな奇跡的な可能性がどんどん広がっていく。

苦悩からの脱却とは 自分の思い込みからの脱却のことであり、

それが克己というものであり、自分自身に勝つということであろう。

 

 

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時空を超えて今僕はここに居る・その11

古代麦・蕎麦。陸稲の雑草化作戦の準備が終わり

作物交代する6月まで 自分の仕事がなくなってしまった。

自分のことだけだと、時間とお金と情熱は余るものである。

自分で編み出した「5:5の瓦理論」だが、それは結構真実のようで、

自分のこと10だけだと、バランスがとれない。

他人のことを半分の5考えないと、どうにもバランスがとれない。

それは恋愛でもそうで、

「愛する」のを10にすると、それは「エゴ」になって バランスがとれない

「愛される」つまり「感謝」を半分の5にすると、それは「友愛」になって、バランスがとれる。

ちなみに、「愛される・感謝」を10にすると、それは「依存関係」になって、自立できないアンバランスになる。

自他の他の場合、他は一人でも、数人でも、しいては 世界人類の70億人でもいいわけで、

それら他の思案の為所が半分の5が丁度いいバランスである。

 

なぜモンゴルの旅が今までで一番楽しかったのか?

一人暮らしの場合、自分の問題だけで十分楽しいのだが、

海外の旅に数人で行ったり、相手の国と人との交流があった場合、

否が応でも他人の問題を解決せざるをえない状況になる。

他人が困ることを見て見ざるフリができなくなる。

そんな時、その問題が自分の経験と知識で解決できると判断した場合、ついお節介して解決させてしまう。

逆に、その問題が、自分の経験と知識と才能で、解決できないことを押し付けられた場合、私は傷つき、孤独になりたくなる。

そうした自分の苦境を他人に助けられることもあった。

 

この自他の助けあいで、苦悩と歓楽が相互にやってきて、

それが 自分の50年前のトラウマまで解消させてくれたことにつながったので、これまでの人生で一番楽しい旅だったと思えたようだ。

 

相反し、矛盾する自他があってこその自分と他人であるから、

他人あっての自分であり、

自分あっての他人でもある。

両者はどうあがいても5:5のバランスを保って思案したり、共存できるようにした方が自然。平和・極楽である。

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他人の問題で今一番大きな問題なのはシリア紛争であろう。

【シリア情勢】米英仏、シリアの化学兵器施設を空爆

 

 

この問題は自分の経験と知識に照らし合わせると、即解決できる問題である。

シリアのバッシャール・アル=アサド大統領が平和への意志持ち、そのために

1、一切の武力による解決を禁止

2.信教・思想の自由

3.国民の武器携帯の禁止

の三方針を法律制定してから実施すれば可能であろう。

これは日本の憲法を応用すればいいだけである。

だが、どうしてその日本の平和憲法を持つ現安倍首相が 米英仏の武力解決を容認する発言をするのだろうか?

私が首相だったら、

「日本憲法に倣いて、一切の武力による紛争解決の禁止、信教の自由、国民の武器所有の禁止をシリアのアサド大統領に進言したいと思います」

という、発言だけで十分である。

とんちんかんな発言をしてばかりいると・・・

他人に対しても思案5は

みな、大同小異あるが、みなリンクしている。

国内での犯罪も、 武力で解決しようとするから起きる。

日常生活においても、言動においても、武力的な解決法を取らないことが問題がこじれたり、大きくしたりしなくてすむ。それは多くの人々が経験することだろう。

そうした日常問題を 外国のシリア問題に リンクして応用すれば 即解決できるものである。

 

赤信号 みんなで渡れば 怖くない

こうした集団心理が負の連鎖、負のリンクを生み出す。

 

赤信号 一人でも安全確かめれば 怖くない

 

武力闘争 一人でも平和求めれば 怖くない

 

その一人はシリアのアサド大統領でもある。

 

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時空を超えて今僕はここに居る・その10

終活も雑草化作戦に

穀物・・・古代小麦&蕎麦&陸稲・・・の三者の雑草化作戦は

11月に古代小麦の芽が伸び、4月に蕎麦の芽が伸び、6月の梅雨時に陸稲の芽が伸びる

この三世代が交代で、毎年 自然に、人が何も手を加えずに、花を咲かせ、実がなるように計画した。

まず第一の畑に

 

第二の畑に

第三の畑に

第4の畑に

その他 通路に

昨年の11月、古代小麦の種を撒くときに、

その麦わらが大量に余っていたので、畑の畝の凹みに敷き詰めた。

それを三角鍬で、掘り起こし、蕎麦種をばらまき、陸稲の種を線撒きした。

そして、足で麦わらを元にもどし、まずは5月に蕎麦の芽が、6月に陸稲の芽がでることを期待して、

古代小麦が実り、枯れていくと同時に、蕎麦が伸び、7月には蕎麦より高く陸稲が伸びるような図を描いた。

そうなれば、理想的であるが、現実はいろいろと予想外のことが起きるので、

失敗したときのために、

蕎麦と陸稲の種を古代麦が枯れ始めたときに、撒けるように残しておいた。

今までは7月に古代麦の収穫と陸稲の種まきを集中してやっていたが、

今年からは、古代麦の収穫も、耕うんして、陸稲の種まきもしないで、そのまま自然状態に放置して観察することにした。

毎年雑草は二交代、三交代して、同じ草が繁茂する。

その雑草の周期に合わせて、古代麦と蕎麦と陸稲を雑草化させる作戦を実行した。

自分がその日に食べる分は、穂の種だけ手積みして、料理 食べるように計画した。

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しきりに こんな言葉が頭に浮かぶ

 

求めよ さらば 与えられん

 

求めよとは欲望を持てということだ。

その欲望は自分から湧き出たものであろうか?

いや、それは欲望の本質からいって、違う。

まず欲望の対象がなくては、どんな欲望も起きない。

つまり、

欲望の対象が 自分の欲望を引き起こす。

夢が叶うのではなく、夢そのもの(対象)が、欲望を引き起こし、叶えさせるのである。

登山家

「なぜ山に登るのか?」

「そこに山が在るから!」

求めよ さらば 与えられん

ではなく、

それは与えられるから求める

のである。

与えられん 故に 求めよ

なのである。

 

穀物雑草化作戦といっても、

すでに どんな雑草も、毎年 三交代二交代して、育っている、

穀物だってもともと雑草である。

そういう事実対象があるから、穀物だって同じに育つだろうという欲望が起きたのであろう。

 

人は何か 自分から苦労を背負って生きたがっている感じがする。

本来の目的とは別に お金という魔物にとりつかれてしまい、そのお金が目的になってしまうために、

それなしでは生きらえないような お金依存症にかかっている。

農業経営とか、持続する農業とか、農業機械化とか、農薬とか・・

それらはみな農業が目的ではなく、お金経済が目的になってしまうための徒労なことで、

本来の穀物も野菜も、雑草も、同じように彼らが自然に 人間とともに 生きられるようになっている。

その本来の生物共存を目的にすれば、それがもともと自然の姿なので、実現可能であるし、人が何もしないでも、そうなっていく。

そう考え、実行した方が 楽な生き方だろう。

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雑草も穀物も一年が命だろう。

人の命も 平均j寿命80年 として、80年毎に生まれ変わると いうのも、納得がいく自然な出来事である。

どんな雑草も、毎年似たり寄ったりの顔をして生まれ変わるように、人間の顔を80年毎に似たり寄ったりとして生まれ変わると想定しても 自然であろう。

私の残りの13年の就活は

13年後に生まれ変わる準備をするようなものである。

次の若者は老人の魂の親となっていく。親子交代もまた その主従も、生まれ変わりも、命のバトンとして、生命の波のように繰り返され、時に大きく、時に小さく 時に変革的に 打ち寄せては 去っていく。

 

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時空を超えて今僕はここに居る・その9

金か命か?

24歳の末娘が100円ショップのトイレで、カバンを盗まれた。

その中には、財布(クレジットカード キャッシュカード 免許証 ナンバーカード 保険証 現金など)

携帯は個人用と会社用、営業用のタブレット 書類 印鑑(実印・銀行印)

と、生きていくために必要な貴重品と、仕事用のすべてが一瞬で失ってしまった。

こういう時、警察は実に頼りになるものである。

移動に必要なお金は警察の電話で会社の近くにいる同僚を呼び出して、貸してもらい。

また、クレジットカード キャッシュカード など 暗証番号や印鑑もすべて再発行するようにした。

会社にもどって、新しい携帯を貸してもらい、それで親の私にも連絡がきた。

その時には、泣けるだけ泣いて、12時間も経っていた。

会社で怒られるかと思ったら、みな優しい対応をしてくれたというので、ホットしたそうだ。

私も怒るとかあきれるとかいうよりも、とにかく 命が無事であったことの方がはるかにうれしかった。

親の私も、子の災難で、気が付かされたことがある。

命以外のあらゆる貴重品というものはみな再発行できるということだ。

お金だって、再発行のためのお金が少々失うが、貯金がすべて失われることはない。

考えてみれば、世界中のお金もみな 無から発行されたものだから、再発行できるし、発行されたお金はただ持ち主が変わるだけである。

命以外の今貴重とされているものはみな再発行できるもので、それを失おうと、盗まれようと、そう大した問題ではない。

娘が、まず必要だったのはすべてを再発行するには身分証明書が必要だったことだ。

そのため、身分証明のための免許証を再発行するには時間がかかる。

そこで、はたと気が付いたのはナンバーカードの発行なら、区役所にいけば暗証番号を覚えているのでそれが可能だ。

キャッシュカードの再発行には身分証明と通帳と新しい印鑑が必要で、娘の通帳は私が持っているので、速達書留で送ることにした。

また、娘と話して気づいたのが、身分証明ならパスポートがあるので、それで十分だということになった。

 

あなたは本当の自分ですか?

 

再発行できない命の次に再発行できるもので一番大事なものは何か?

それは身分証明するものだ。

 

「あなたは本当のあなたですか? それを証明できますか?」

 

自分には偽りの自分と本当の自分がいる。

他人にも、自分になりすまし、偽りの自分で、人を騙し犯罪を犯す。

自分の中の偽りの自分が、本当の自分を騙して、しいては自殺までおいこむ犯罪さえ犯す。

 

再発行できる命の次に必要なのは本当の自分である。

本当の自分とは自分の魂である。本当の自分の魂さえあれば、自分は再発行できる。

自分の魂とは、自分の経験・知識・才能・性格を総合していて、例えば、ゴーストライターだってことは実際に作品や作曲を次々にすれば解り、新しい自分を再発行できる。

 

また

本当の自分、自分の魂は、命のバトンとして、新しい他の命にも引き継がれるので、それは再発行というより魂のバトンであろう。

会社の創業者の精神(魂)も引き継がれるし、いろいろな宗教や思想や知識も引きつかれることができる。

 

命は再発行できないが、魂は再発行のような命のバトンができる。

ちなみに、

ナンバーカードよりも、本当の肉体の自分を証明するのは、DNA登録の方がはるかに証明率が高い。

指紋認証よりもはるかにすぐれているだろう。

今後、DNAカードというのが一番の身分証明書になってくるかもしれない。

 

娘の災難で、改めて気が付かされたのは

 

一番大事なのが再発行できない「命」で、

次に大事なのが再発行できる「本当の自分(魂)」だ!

 

ってことだ。

 

 

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