その思い込みが明日と今の自分を創る
大谷翔平が高校生の時、自分に言った言葉がある
「先入観が可能を不可能にする」
その先入観こそが 思い込み である。
思い込みは ほとんど親や教育と学習によって 植えこまれる。
その思い込みが真実か、真実でないかによって、
その後の人生が大きく変わっていく。
その思い込みが真実か?真実でないか?はまさにギャンブルのようなもので、
それが真実であれば、勝利の天才や奇跡を生み出すが、真実でない場合、敗者の逆の馬鹿げた奇行を生み出す、
すぐ人の言うことを信じる人は 思い込みやすい性格であり、物事をまず信じて行動する宗教家タイプである。
すぐ人の言うことを鵜呑みにせず、疑ってかかる人は 思い込みにくい性格であり、物事をまず疑ってかかる哲学者タイプである。
すぐ人の言うことを確かめる人は 思い込みが真実かどうか確かめるまで保留する性格であり、物事をまず判断せず保留して、ゆっくりと確かめる科学者タイプである。
私は1のすぐ信じ込みやすい性格であり、そのために、新興宗教的また思想的なものをすぐに信じ込んでしまい、何十年という歳月をそうした信仰生活に心身とも没入し、それが真実でないと確認できるまで、多くの喜怒哀楽とともに失敗しつづけた経緯がある。
信心は結婚離婚と同じで、信じるは易し、抜け出すは難し である。
最近医者や大学教授と知り合う機会が多くなり、
医学界や教育界もまた宗教界と同じような 「真実からはほど遠い思い込み」の世界であることが解ってきた。
政治界は昔から宗教界と同じ「真実からは程遠い思い込み」世界であることは今も変わっていない。
科学者の集まりである医学界もまた宗教集団のような思い込みの教団だというから、それには無経験な私にはびっくりさせれた想念であった。
だが、著名な科学者のデータねつ造がはびこる現代、また、科学的事実という確かめられたはずの知識がひっくり返ることが数年おきにやってくることからも、医学界もまた 科学的確かさよりも、現実的な損得で経営されているとした方がより真実に近い気もする。
宗教界は主に心の生き死にを扱うが、医学界は身体そのものの生き死にを扱うために、失敗や中途半端なことは許されず、患者の命を救う神様のように振る舞う医者教祖でなくてはならなくなる。それは患者に屁理屈をつけて洗脳せざるをえない立場は、宗教教祖よりも重い役目をになった洗脳者であるといえるだろう。
また、教育者である先生や教授は 知らないことも知っているかのように振る舞わなくては学生はついてこないため、それも、立場上 宗教の教祖的ななんでも知っているように見せかけざるをえない実情からくるのだろう。
こうした立場上真実の自分を隠さざるをえない人たちは その仕事に振り回され、ストレス、過労死、精神疾患、自殺に追い込まれやすくなる。
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思い込みによる弊害
その思い込みが真実や自然と合っていない場合、
自他に対して、「こうあらねばならない」「そうしなければだめだ」「あれはこうあるべきである」
と、強制的な言行に走るものである。
自分に対しては ストレスによる病気 精神疾患 過労死 自殺・・・
他人に対しては ストレス発散による パワーハラスメント セックスハラスメント 暴行犯罪 狂気的素行 殺人 無差別テロ・・・
自他の個人ばかりでなく、団体や国もまた おかしな法律(思い込み)などを作ったりして、そういう自滅また戦争などをおこしたりする。
こういう社会の思い込みの弊害は特に過労死やいじめや猟奇的犯罪や無差別テロに顕れやすい。
昭和29年度 過労死等防止対策白書
をみると、
認定された人の職種は、「輸送・機械運転従事者」の「自動車運転従事者」が34.2%、「管理的職業従事者」の「法人・団体管理職員」が8.5%、「サービス職業従事者」の「飲食物調理従事者」が5.4%でした。
輸送事業に従事するトラックなどの運転手が、飛び抜けて多いことが分かります。
「精神障害」は医療/福祉従事者が多い
認定された人の職種は、「医療/福祉」の「社会保険・社会福祉・介護事業」が9.2%、「医療/福祉」の「医療業」が6.4%、「建設業」の「総合工事業」が5.4%でした。
1位と2位は、医療/福祉事業の従業員です。
【67業種中(正規職員)の過労死予備軍ワースト業種10】
■宗教家 ……15.87%
■医師 ……14.47%
■法務従事者…… 9.00%
■飲食物調理従事者…… 5.48%
■漁業従事者 ……5.45%
■接客・給仕職業従事者…… 4.09%
■自動車運転従事者 ……3.77%
■著述家、記者、編集者…… 3.41%
■生活衛生サービス職業従事者 ……3.15%
■教員 ……3.11%
「思い込み」を仕事にせざるをえない
宗教家、医師が圧倒的に多く、
「・・・ねばならない」という正義心が強いものが 「思い込みの弊害」が起こりやすいことがわかる。
私の友人のお坊さんも数年前自殺した。
私がこうして67歳まで生きられているのは
こうした「思い込み」からの脱却を 禁煙するような苦労をしながら、何度も挑戦してやってきたからだ。
「こうあらねばならぬ」という先入観をまず捨ててかかること。
それが、思い込みや洗脳やいじめからの脱却につながり、自遊に生きられるようになってくる。
そこから、いろいろな奇跡的な可能性がどんどん広がっていく。
苦悩からの脱却とは 自分の思い込みからの脱却のことであり、
それが克己というものであり、自分自身に勝つということであろう。