やっと理想のどら焼きができた

ほのかに甘い理想のどら焼きできた

最小限の調味料の塩と砂糖だけで餡子を作り、古代小麦粉に卵と少しの蜂蜜と重曹と水で溶いてパンケーキを作った。

BS録画の「餡」という映画、昔らい病今はハンセン氏病のお婆さんがふとサエないどら焼き屋にやってきて、時給200円でいいからアルバイトしたいと申し込み、業務用餡子を買っていたものから、お婆さんが真心込めて作った餡子でどら焼きを作ったら繁盛した。そして・・・・

をみて、私もそれに負けないどら焼きに挑戦してみた。

餡子はゴミ薪コンロの残り火でじっくりと煮込み、最後はトロミをつけるために、片栗粉でしめた。

出来上がったどら焼きはまことにシンプルで、ほのかに甘みのあるどら焼きで、通常の甘みが欲しい場合は、メープルシロップか、生クリームホイップをかけて食べた。

甘みを抑えたダイエットの私にはまことに理想的などら焼きができた。

飲み物は珈琲でよくあった。

シンプル イズ ベスト &美味&ダイエットである。

 

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満足は必要八分遊び二分から成り立っている

シンプル美・味・素食

どら焼き用の餡を小豆を煮て作ろうとして、餡にいろいろな調味料を加えてしまい、

味や食感が複雑すぎて、小豆だけの味を生かす塩と砂糖だけのシンプルが一番美味しいように感じた。

それは余計なものを入れないで、最小限に必要な調味料だけで調理した方がベストな味を出せるということではないだろうか。

この最小限の調味料が小豆本来の味を一番引き出すということは

我々の満足と必要と幸福がシンプルな図形で説明できてくる。

 

足ると知るということ

健康と自然の会の看板を「知足庵」として、「足るを知る家」にした。

「足るを知る」ということは故事ことわざからきており、「満足することを知っているものはたとえ貧しくとも精神的には豊かで幸福である」という意味で使われる。

本当の満足とは何か?

と、探求してみると、精神的な幸福だけでなく、肉体的な快適な幸福にもつながってくることが解ってくる。

例えば食べ物を食べるとき、自分の命を支える最低限必要な栄養を摂取するだけでは何か物足りない感じがする。

もう少し食べて、お腹一杯にしないと満足しない。それはちょうど腹八分の状態で、

満腹感を丸い円で描けば、必要栄養量はその内円に接する五角形(五大元素)で描ける。

さらに満足しようとして、不必要な栄養な腹二分を一杯にしようとするが、

その食べ物が特別美味しい場合などは腹二分を超えても、いっこうに満足できないで、つい食べ過ぎてしまう。

その食べ過ぎの状態はどこまでも満足できない「不満足な状態」であるといえる。

欲望に限界がなくなってしまい、永遠にその欲望を追いかける・・「飽くなき欲望」になってしまう。

それは満足に必要な食物が満足以上先にあるように思い込んでしまうときに陥る不満足状態であるといえる。

その不満が肥満と病気・依存症へと発展してしまうということを理解できてくる。

 

足るを知るということは

必要が満足以下にあり、不満足が満足以上にあるということを知るということである。

 

毎朝五次元瞑想をしていると、必要が五角形に見えてくる。

そして、満足が円に見えて、満足の円の中に

必要な腹八分の五角形があり、

不必要な腹二分が満足円内に遊ぶや余裕として、そこに食文化が生まれてくる。

だが、この満足内の二分の不必要を不満足として勘違いするととんでもない間違いを犯してしまう。

満足するために必要を満足以上の不満足であると誤解してそれを信じ込んでしまう。

 

過ぎたるは及ばざるがごとし

という諺が示すように、

食べ過ぎは不満足を引き起こす

ともいえる。

 

般遊がストレスが起きない健康の秘訣だと前書いたが、

その遊びは満足の中の必要八部があって、不必要二分の中で自由に調整したり、挑戦したりすることである。

けして、般遊が満足以上の不満足な遊び文化にあるのではない。

遊びの中で、多くの人が多様なギャンブルを楽しむが、そのギャンブルは

家計に必要な生活費を確保して、少し余裕があった資金内で

ギャンブル遊びに使えば家計を苦しめたり、ギャンブル依存症になって自分を廃人にしたりはしない。

車のアクセルもブレーキも、少々の余裕の動きをする遊びがあってこそ、スムーズな操作ができるものである。

 

満足という幸福(健康)は

必要八分、遊び二分からなり、

それ以上(以外)はみな不満足という不幸(病気)である。

 

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新貨幣NEEDマネーは五次元循環する

水の変態

地球の水の循環

人の血液の循環

新貨幣・・憲法25条の生存権を保障する貨幣

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

生存に最低必要なお金を NEED MONEY (略して ND)とする

発行当初は 1yen = 1 nd の為替レートで、毎日市場為替レートは変わるとする

 

地球の水が 高い山数千メートルから一番低い海0メートルに流れるように 上から下に流れる一方通行

人体の血液は 心臓を中心に 酸素を多く含んだ血液は左心室から大動脈へ→五臓六腑手足毛細血管→炭酸ガスを多く含む血液となり→大静脈となり→心臓の右心房右心室から左右の肺に向かう肺動脈で肺に→ガス交換をして→肺静脈を通って左心房左心室に戻り→再び大動脈へ 循環する 一方通行であり、逆流を防ぐ弁膜装置がある。

新貨幣 NEED マネー(電子マネー)も 地球の水や人体の血液の流れと同じく、

国家を地球 財務省を心臓として 対応させると

国民のマイナンバーバンクに毎月始め 一定のnd金が満金貯蓄される 大人10万nd 子供5万nd

生存権として与えられたNDで、スーパーやホームセンターなどで生活必需品と交換され、市中銀行に電子マネーとして貯蓄される

市中銀行に入った電子マネーNDマネーはその日の為替レートで、YENマネーに即両替されて入金表示される

その時の為替手数料はどんな貨幣による取引であっても、例えば1%の取引税として財務省に自動徴収される。

この

NDマネーはマイナンバーバンクから個人の市中銀行YEN預金に流れても同じように1%の取引税が徴収され、YENマネーとして預金される。

そして、月末に財務省に自動的に集められたNDマネーはマイナンバーバンクの一定量の再び大人10万ND 子供5万NDになるように、不足分は補充され、その毎月末に与えられるベイシックインカムとは別に

病人や災害給付金などを月初めに特別給付金特別ND金として与えられた分は使った分だけ補充されて、月初めには一定量のNDマネーになるように調整される。

それ以上のマイナンバーバンク超過貯蓄はできない仕組みになっている。

このNDマネーがYENマネーに 両替されるのは実存的にNEEDマネーが財務省に送られ、YENマネーが財務省から送られるのではなく、ただ、文字変換のように、市中銀行で 1nd→1yen に電子マネーを変換するだけでOKである。

また、財務省がベイシックインカムとして、毎月NEEDマネーをマイナンバーバンクに補充する金銭も、実際のYENマネーをNEEDマネー両替して送る必要もなく、ただ、マイナンバーバンクの月初めの貯金額を大人10万ND 子供5万ND 特別3万NDとして、数字変換するだけでOKである。

このNEEDマネーは一定量の発行金額であって、その賃貸証の信用度による増減がないこと、国民から財務省、財務省から国民への一方通行の流れで、貸し借りなどによる逆流がないためである。

NEEDマネーの循環は

水が湖や海から蒸発した水がまた山に流れるようであり、

血液が心臓の拍動ポンプによって、肺で酸素ガス補給され、各身体臓器で ガス交換されて、また肺で酸素ガス補給されるようなものである。

Yenマネーはそれは実質利息付の賃貸証であり、その返済の信用度によって、実質的価値が情緒的に変動するので、それは未来への占いをするような投資ギャンブルせざるをえない性質になる。

Yenを景気のよい循環にするには、財務省は税徴収を国民の義務とか所得税や消費税などの申告に頼るのではなく、電気ガス水道料金などの公共料金の自動引き落とし制にするのである。

今の貨幣は実質的に紙幣やコインではなく、銀行やネットを自由に移動できる電子マネーであるから、どんな売買や取引や為替(両替)も、1%の貨幣取引税として自動徴集することができるものである。

それは単に銀行取引の数値を99%をバンクに、1%数値を財務省に報告し、両者の貯蓄額を変更表示させるだけで、紙幣やコインや賃貸証や株券を移動する必要はない。両者の数値が合えばいいだけである。

そうして市中銀行から集めらえた取引税を、マイナス税として国民のベイシック・インカムまた病人や災害給付金や公共事業の資金として使えばいいだけである。

 

国民の努力や労力を当てにした税徴収は貸した金を返済させるようなもので、それは無理無謀な要求である

 

一体、国民は借金返済のため、また税金を払うために生きているのだろうか?

人間以外の生物は一切、そんな苦労をしたり、強いられることはなく、自由に生きているではないか!

水は上から下に流れ、水平を保つ。血液は一方通行で逆流をすれば病気で死んでしまう。

金銭も天の水と人体の血液のように、流れ、国民全体の毛細血管のように流れてこそ、健康な経済が保つことができる。

心臓は努力して動くだろうか?

心臓は無意識になんの努力も労力もなく動くように、税徴収も、ベイシック・インカムも、そうあってこそ、快適な国民生活ができるのではなかろうか。

 

新貨幣NEEDマネーは五次元のように、無から有、有から無 を創造するような奇跡マジックのような電子マネーである。

すべての国民に毎月天から一定のNEEDマネーが降りてくるようなものであり、

生活に使われたNEEDマネーはまるで食べて無くなってしまうように、毎日消えて、天に召されてしまうからだ。

 

そして、

人が生きるために必要な水や血液やNEEDマネーは常に天を真似た国から与えられていく。

 

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意識は五次元

毎朝 骨間筋シンメトリー宇宙瞑想をしていると意識が五次元であることに気が付かされる。

意識は過去未来の時間も、無限の宇宙空間も、一瞬で飛び越えて想像することができてしまうからである。

1次元・・・点

2次元・・線と面 直線 曲線 平面 凹凸面 平行 交わり

3次元・・立体 質量 軽重 高低 強弱 相対

4次元・・時間 終始 途中 目的

5次元・・空間(点・線・面・立体)と時間(始終)を超えて自由に意識できる世界

意識は4次元のどんな姿をも想像し、絵を描くように、宇宙創造も破壊も自由自在にできてしまう。

しかも、命あるもの同志の意識も共有できたり、できなかったりもでき、繋がることも、離すこともできる。

この世界の5次元の姿を宇宙や人体を理解するのに意識的に使っている。

地水火風空 とか、

人体を五臓とか五感とか・・

人が生まれ、それが宇宙誕生までの、渦巻き状の姿も五角形で表現する

人を産ませる・・性器を中心にした五角形

人が母から栄養をもらって生まれる臍中心にした五角形

人が生活する時の力の中心である丹田を中心にした五角形

この五角形を宇宙の誕生と姿にまでに発展できる

 

この五次元の意識を使って、いろいろな問題を把握して、表現し、解決するのにも無意識的に使われている。

表現する際に、必要な 5W1H の いつ どこで だれが なぜ 何を ・・・・ したかで、物事を正確に言えることに通じる。

問題を全体的に深く解決させていくのにも、この五次元意識を使って真実を探っていくことができるし、新しいアイデアを実現可能な姿に構成させていくことができてくる。

 

 

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ゴミコンロで消し炭がたくさんできた

6個半のブロックのゴミコンロ6本半の消し炭を朝食後作れた

今朝のゴミコンロでは細かい薪がほとんどなく、太い薪ばかりがあったので、

プラスチックごみを燃やす量を増やして、火力をあげ、太い薪をたくさん放り込んだ。

さすが、プラゴミは一種の固形燃料のようで、太い薪を容易に燃やした。

そこで、一日必要なコーヒー用のお湯を沸かし、ポットに入れ、

一昨日作った味噌ラーメン風っ全粒粉すいとんを温め、食べたあと、

火力の勢いがすごいまま、水をかけ、消し炭を作ってとりだした。

すると、細かい薪はほとんどなかったので灰もほとんど出ないで

太い薪だけが6本半もできあがり、鉄板の上に並べ水をかけて冷やし干す

まるでこれぞ、本当の炭火焼って感じで、一人笑ってしまった。

 

こんなに大きな消し炭が調理後たくさんできるなら

 

誰でも炭屋さんができてしまうではないか?

炭は石炭石油に代わる前の重要な燃料であった。

近くの丹波山村は今では限界集落ではあるが、過去炭焼きで栄えた歴史がある。

薪は近くの休耕畑や雑草地のジャングルにあるし、山にいえkば伐採され放置された木々がいくらでも転がっている。

薪は森林や田畑の保護に欠かせない伐採と剪定の際にゴみとして出るし、

都会では木材は産業ゴミとして、大量にでるので、それが良質の薪にもなれる。

薪が大量に出ることは大量の炭が生産できるということである。

 

ゴミを宝にするのが知恵ある人としての仕事

 

火力発電とゴミ発電と一緒にすれば効率化できる

さらに、炭焼きや加えれば、ゴミが新燃料になることだってできる。

 

電気は蓄電するには経費がかかり、その技術もまだ未熟段階だ。

そのため、その時その場で必要な量の電気量を生産できるようにした方が、ロスが少なく、

蓄電技術も、需要に合わせた生産システムと合わせれば、もっと効率化できる。

それは家庭で調理する火力が使い終われば、すぐ燃え盛る薪に水をかけ、消し炭を作ることと同じである。

この時できる消し炭は蓄電と同じ働きをして、火力=電気が必要なときに、すぐ燃やせる。

 

合理化といって、産業や技術が細分化していったが、逆に総合的に効率が悪くなっていったのではないか。

個々の合理化は総合の効率化と合わせて完成させるのが本当の意味の合理化効率化ではないだろうか?

 

海岸に大量のゴミが流れつく。

そのゴミをボランティアが集め清掃に頼らざるをえない現状はまさに不合理である、

その流れ着く大量のゴミは石油のような燃料に変換できるもの、いわばゴミコンロの材料であり、それは電気にも炭にも、細かく砕いて、圧縮した燃料チップにもできる。

それをそれば、海岸のゴミを集め、そのゴミ発電所に持ち込むのはボランティアではなく、金銭が得られる仕事として成立できる。ゴミを宝にするのが知恵ある人としての仕事であろう。

 

 

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