Archive for the ‘お金って何だ’ Category

食べる農業か?金儲けの農業か?

火曜日, 7月 3rd, 2018

隣の桃栽培農家が、銀色の桃落下シートを敷き詰め、先日、収穫が終わり、落下シートも撤収し終わっていた。

収穫後の畑の下には大量の腐った、傷んだ、小さすぎる桃が捨て去られていた。

また、売れそうもないイビツまた、傷んだ、小さすぎる桃はそのまま収穫されないでそのままになっていた。

こういう売れないものは廃棄する行為はどの農家でも同じことをしている。

捨てられていた4本の桃ノ木の下にあるものをみな集めてみた。

4本の桃ノ木から売れないので、捨てられた桃

腐った部分は手で乗り除き、桃のジュースにした。

でも、95%はそのまま冷蔵庫に入れ、傷んだ箇所をとりのぞきながら、美味しく毎日食べることができた。

この量は畑に捨てられた桃だけで、収穫されなかった桃はそのままに残しておいた。

収穫後の桃ノ木4本、捨てられた桃だけ拾ってきた

桃の実が育つ頃、一つ一つの桃を大きく育てて売れるようにするため、間引く作業をする。

間引かれる桃の数は3分の2はあるだろう。

そうした間引かれた桃も拾ってきて、梅とそっくりなので、梅干しと同じ要領で、桃干しを作ってみた。そうでなくても、焼酎につければ桃酒ができるし、砂糖にまぶしても、お菓子ができるだろう。

食べる農業ならば、無駄に捨てるものはないが。

売る(金儲け)ための農業ならば、無駄な捨てるものがたくさんできる。

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時々ニュースになることで、

キャベツができすぎて、値段の暴落することを恐れ、みな廃棄してしまう生産調整もそうである。

緊急需給調整により全国で9,700tのキャベツが産地廃棄されtた。これによる交付金は27円/㌔、2億6千万円

緊急需給調整により全国で9,700t、うち愛知県では8,500tのキャベツが産地廃棄されることとなりました。需給ギャップによる大幅な値下がりを緊急的に調整するためです。これによる交付金は27円/㌔、2億6千万円となります。

1980年この制度が始まって以来、1994年を除いて毎年全国のどこかで野菜の産地廃棄がおこなわれているそうです。消費者の立場にたてば「捨てるのはもったいない。」とか「高いときはなかなか安くなる措置をしないのに。」などいいたいことはいっぱいありますが、市場経済に委ねこのまま価格下落をそのままにしておけば箱代もでなくなってしまいます。「高いときは大儲けするからいいんじゃないの。」という意見もあって複雑ですが、それよりも生産者の無念をおもえば毎食キャベツをたべて少しでも需給ギャップの解消に協力しようと思ってます。

こうした売るための農業と食べるための農業の矛盾は・・問屋小売り、スーパー・コンビニでも起きています。

毎日起きているのがコンビニの売れ残り弁当廃棄である。

世界で13億トン、日本で1700万トンも出ている食品廃棄物

食品廃棄物は生産される量の3分の1

 

生産される食料の3分の1に相当する量が捨てられる。

こうした、食べ物が「売るための農業」が主流になってくると、

飢餓と大食いグルメの矛盾の二極が現実化する

 

 

ボルネオの住民の姿

ボルネオのダヤク族の生活は困窮し、オラウータンは絶滅に追いやられる一方、

熱帯雨林をみなアブラヤシ農園にし、それを海外に輸出して金儲けする構図が生まれる。

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食べる農業は食べ物の分かちあいに進むが、

売る農業は食べ物の奪い合いに発展する。

ここで、思い出すのが、

 

奪い合えば足らぬ・分け合えば余る

「食べる農業」5対「売る農業」5にした、

バランスがいい農業が期待される。

その場合、農業と金儲けを分けて、農業は食べる農業へ、金儲けは金融経済へという方向性でいったらどうかなと思う。

 

知足庵号のいよいよ船出/ボルネオの熱帯雨林から

土曜日, 6月 30th, 2018

いつもは知足庵参加の復習で忙しいのだが・・・

「6月の自然と健康の会」は4月で 各自目的がバラバラで、その姿のように会もバラバラに解散するような様相を呈した。

私も最後の大学講義として今までの人生すべてをかけて臨んだ。

その後だ! 船長の大橋教授が「66年間の生涯での悟り」を得て、大いに語りだしたのである。

その悟りで、沈みかけた知足庵号が浮かびだし、大きく世界の海原に走り出した。

自然に生きるとは?

健康とは?

その大いなるコミュニケーションが英語でまるで浪間のように洋々淡々と打ち寄せては離れるかのように表出してきた。

今回のコミュニケーションは「癌とは何か?」というのに尽きるが、

9月中旬のマレーシアのボルネオ島における「持続可能な農業」学会におけるプレゼンが、なんと日本語と、ドイツ人デンマーク人中国人6人の18歳の若者も迎えて英語でも行わわれた。

持続可能な農業と癌は「自然と健康」という具体的対象としてみれば、根本でつながっており、両者は左右の足が振り子のように振れながら歩くような対話でその真実への道へと向かっていく。

私もその流れにどっぷりとつかりたくなった。

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まずは

学会(サバ州)が開かれるボルネオの熱帯林の問題点である。

マレーシア領ボルネオで熱帯雨林の80%が伐採

 

2009年時点のマレーシア領ボルネオ(サバ州・サラワク州)の森林の状況

マレーシアのサバ州・サラワク州に伐採や皆伐の手が及んでいない熱帯雨林はほとんどなく、そのかなりの部分が1990年以降に行われたものだ

古い巨木が多数あったかつての熱帯雨林は、炭素を貯蔵し多様な生態系を支えていた。それが今や油ヤシ農園や材木林に転換され、伐採により空洞化している。

アブラヤシ

アブラヤシは果実から得られる油脂を目的として栽培が行われている。

単位面積当たり得られる油脂の量は植物中屈指[1]である。今日産業的に大規模栽培されたアブラヤシから収穫された果実は、石鹸や食用植物油の生産に使われている。

果実のうちの果肉からはパーム油が、また、中心部の種子からはパーム核油が得られる。パーム油とパーム核油の品質は異なっており、パーム油は調理用、パーム核油は加工食品用としての用途が多い。

また、アブラヤシの油はバイオディーゼル燃料としての利用も考えられている。

換金性の高いアブラヤシはコプラ原料となったココヤシを駆逐して急速にその栽培面積を増加させつつあり、パーム油の世界生産量は植物油中1位である。

マレーシアのギニアアブラヤシ

アブラヤシの幹と果実

マレーシアサバ州タワウでのプランテーション

日本で健康的な洗剤として輸入され、それが日本の環境保全と熱帯雨林の環境破壊とが矛盾するとおおいに話題となったものである。

 

持続可能な農業には地球規模の環境保全という視点で考える必要がある。

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チョコレートと児童労働

 

環境と経済はシーソーのように、

環境を優先すれば、経済が衰え、

経済を優先すれば、環境が劣化する。

仕事と生活のように、どちらかを優先すれば、まるでギャンブルの勝負事のように、どちらかが劣化する。

持続可能な農業において、環境と経済の矛盾バランスは公私の最もよい5対5のバランスが適応できそうである。

自5対他5のバランスが一番安定する

持続可能な農業とは、自国でも自給自足のような食べるための農業と、他国との持ちつ持たれつの輸出入して分かちあう農業のバランスが5対5であることだろう。

ボルネオ農園では輸出するアブラヤシばかり生産するのではなく、

自国で生活するための食事に必要な食べ物を地産地消として半分半分生産し、

かつ、人間と他の生物(植物・動物)との共存共栄も視野に、

ボルネオ農園は原生林5対農園5の割合で、環境と人間が調和して生きられるようにすることが必要だろう。

 

ボランティアで学ぶ現代社会/プレゼン

土曜日, 6月 16th, 2018

この68年間の生涯はまさにボランティアから学び、生き抜いてきた現代社会だった。

中学3年の国語の教科書に、ロマンローランのベートーベンのような長編小説「ジャンクリストフ」の一小節に、叔父とゴッドフリートと幼き歌作りを目指すジャンクリストフとのライン川の河原での会話に、私の一生が決まった。

「なんのために勉強するのか?」

「なんのために生きるのか?」

その疑問を老年になった今も問い続けている。

小学1年生の時から、三歳上の兄の暴力と暴言のイジメに苦しめられ、高校2年生までの10年間の家族(社会の最小単位)との葛藤、そこから抜け出す道を柔道の

「柔よく剛を制す」

という精神で、極真空手の兄と柔道の私の喧嘩は高二になったとき、兄の空手をかわし、投げて、抑え込んだ時、家族のボスは弟の私になった。

現代社会、家族の問題解決をするには、自然をよく観察することで、その糸口を見出すことができる。

庭先のいるダンゴ虫は目の前に障害物があったときに、左と右 交互に回りこんで 乗り越える。

どんな迷路であっても、左と右と 回り込んで、それがうまくいかなくなったとき、ダンゴ虫は悩み、自閉症やパニック障害に陥るが、それでも、けしてその迷路から抜け出る挑戦をあきらめないでいると、どんなダンゴ虫でも、いつかはその迷路から抜け出ることができる。

人間でいえば、正 反 合 を繰り返しながら問答していく弁証法のような知恵力である。

 

弱肉強食というが、それが本当なら、この自然界には強い生物だけが生き残っていることになるが、この地球の歴史を見る限り、地球の強くて大きい恐竜は絶滅しているので、それは違う一面だけのことだといえる。

むしろ、自然は強いものと弱いもののバランスで共存しあっているといえるだろう。

柔よく剛を制すことも、剛よく柔を制すことも、どちらもあり、常にどちらが勝つということはなく、バランスよく、剛柔をくりかえしながら、平和共存しているのだろう。

中三の時の疑問、「何のために勉強するのか?」「何のために生きるのか?」は、私の高校生活を否定し、その答えを追及した結果、その答えを「神仏になるために」という宗教的なものと信じ込んでしまったため、私は精神病院生活を高二高三と送ることになった。

精神病は妄想・幻聴・幻覚の三つが伴い、さらに、その薬の副作用の眠気としびれに苦しまられ、それらの原因である「なんのために生きるのか?」という疑問、また、「神仏を求めること」また、精神病の薬を封印し、逆に普通の社会生活ができる考え方とアルバイトをすることで、病気を克服しようとした。

その闘いは、放浪生活(旅とアルバイト)として、最後に万博で働くことで一区切りを持った。

家出して放浪してアルバイトしていた万博に、両親が心配して会いにきたこともあり、帰宅した。

その後すぐに免許とるため、近くの自動車教習所に整備工として勤めたが、何気なく大学受験してみたら、受かってしまい、「今しかできないこと」で判断し、仕事をやめ大学に入った。

大学はちょうど学園闘争の時代であったが、私は西洋哲学の勉強をしようとした。

だが、一年は基礎勉強で高校の延長、二年は哲学を学ぶための語学が中心の授業にあきあきした。

ちょうど3年になって、授業料が二年分延滞したこともあり、支払った分だけの一年中退にした。

しかし、

私は大学の卒論として、「労働と職業論」の完成と、海外の旅の資金38万円を国会図書館で、アルバイトすることで得た。

封印した「何のために生きるのか?」という疑問は、「働くって何だ?」となり、WHY から WHAT またより具体的な問いかけになっていった。

中退せずに大学卒業にあわせた二年後、ロンドンに旅立った。そして、パリで 映画でみたソレックスという38ccのエンジンがついた自転車を8万円で購入し、そして、ドイツのライン川を下りながら、オランダのワークキャンプに着いた。

14か国、26人の男女が集まり、仕事はオランダのサイクリングロード工事で、20代前後の若者がともに働き、ともに遊び、ともに食べ、ともに住み、ともに生活した。日本人は私一人であったが、英語もできない東欧の人も一緒だったが、その二週間は老年のなるまでで一番楽しかったのである。

それはきっと文化も言葉もちがう人たちが理解しあうことのすばらしさだったのではないだろうかと思う。

そして、ソレックスで、フランスの中央のリンゴ園で2週間のアルバイトをした。

そこも、各国からあつまる青年たちだったが、目的がお金目的であるため、美味しいフランス昼食も労働者談義で、中止になるなど、楽しい気分も、また友達もできなかった。

ボランティアとお金目的で集まるその違いに、「楽しみ」と「つまらなさ」を実感した。

帰国後、「労働と職業論」を実践すべく、自分の好きなジャーナリストになりたくて、10人規模の科学新聞社に就社した。希望の記者の仕事をさせてもらったが、その記者のつまらなさを感じ、むしろ、雑務を改革する与えられた総務の仕事の方が魅力を感じた。

好きな道が自分に適しているとは限らない

やってみて、初めて、その職業が自分に合っているかわかり、また、好きになれるかがわかる

それを体験した。

会社改革に限界を感じ、退社して、両親の店を継ごうとしたが、そこに将来性も生活費もでないことを知り、自分で事業を起こすことにした。

「俺たちの旅」というテレビドラマがああり、学生たちが、「なんでもやります」と自転車にのぼりの旗をあげて、近所を回るという発想をそのまま実行した。

当時便利屋という職業はなく、手探りで、「なんでもや」として、一年ほど活動していたが、ほとんど仕事がこなく、テレビばかりみていた時に、「アメリカの珍商売・・ゴリラメッセンジャー」というのが出てきた。それはおもしろいとして、それを東京新聞の三行広告(3000円)に出したら、仕事はこないで、アサヒグラフという雑誌の記者が取材にやってきた。

一面に大きく記事がのったが、仕事はこないが、他のマスコミが次々取材にきた。

そういうこともあり、便利屋とゴリラメッセンジャーの仕事は入りだし、またアルバイトする学生も集まってきた。

私が働く目的は 一緒に働く人たちが自由に楽しく生きることだった。

便利屋はお客から時給3000円とり、そのアルバイトに時給2000円出すという方式である。

ゴリラの恰好をして結婚式や誕生会にプレゼントとメッセージカードを届ける仕事は8000円をお客からもらい、4000円アルバイトに渡すというシステムにした。

だから、アルバイト料が払えなくて困ることはなく、自宅を事務所にしていたせいか、経費もわずかなので、お金に困ることはなかった。事務所は若者の大学の部室みたいで、そこに寝泊まりや、宴会や議論のたまりばだったのである。

仕事はみな一回性であり、やる人もみな違うという、そういうおもしろさもあった。

私はみなが自由に働く環境を作るために、「フリー社長制度」を作った。その中で、唯一学生時代にアルバイトにきて、卒業後もゴリラ便で働いてくれたOさんがほとんど社長をやってくれ、私は自由に別なことができるようになった。

仕事は自由になったが、恋愛は下手で、つねに片思いで終わってしまい、どうせ「結婚できない」人生ならば、「一生涯結婚はしない」と決心した人生のがいいと思い、40歳で「結婚できない感傷旅行」として、西サモアを旅した。

バスがなくなり泊めてもらった家の18歳の娘さんを冗談で母親に「嫁に欲しい」といったら、「いいよ」とあっさりOkになり、それが現実になった。サモアでは親が娘の結婚を決めることを知らなかったせいである。

日本に連れてきて、二人の現在27歳と25歳の娘も得ることができたが、6年後、国際結婚のその文化と経済環境で、離婚することになり、私一人で育てた。

高校卒業時に封印していた「神仏とは何か?」という疑問を、うちの働き手が持っていた「理性のゆらぎ」という本をつい読んでしまい、22年後にその封印を解いてしまった。

その本はインドの聖人サイババのことが書いてあり、そのサイババの言葉の

「神より家族を大事にしなさい!」

ということで、これは本物に違いないとして、再び「神仏とは何か?」を探求し、すぐにインドのサイババのところにとんだ。

10年も、サイババにすっかり信奉していて、それをメインに活動していたが、「裸のサイババ」という暴露本が出版され、サイババの児童の性的虐待とトリックの神技を知って、調査実験して、それが真実であるとして、サイババの「宗教は一つ、それは愛の宗教」という考え方さえも否定した。

そして、日本の滋賀県に「ありがとうおじさん」が「ありがとうございます」という感謝の心が神だという宗教に鞍替えした。しかし、その教祖ありがとうおじさんもまた、数年後スキャンダル(信徒と性的交わりと、ボランティア信徒が指を怪我したとき、赤チンをつけて「ありがとうございます」を唱えていれば治るというのを実践したが、化膿し、指を落とさざるをえなかった事件があり、彼の「感謝の神」を捨てた。

そして、神仏そのものを捨て去り、自然に生きる道を新たに歩みだした。

長年の宗教生活においてはみなボランティアであり、そこからの収益はないが、生活費は親の遺産相続が、4人兄弟で、次男の私だけにすべて与えられたため、その遺産のアパート収入で、子育てしながら生活できた。

便利屋ゴリラ便からの収益は一度も入ったことはなかったからである。

ひとり親の子育てと私の田舎暮らし希望で、山梨の丹波山村に山村留学をした。

東京の家は壊し、そこを倉庫付き駐車場にし、アパートは自分でリホームして、つくりかえ、モダンなアパートにして、収益をあげた。

「お金はお金で生み出す」

「労働ではお金を生み出すことは難しい」

それが私の一番自然な人間的行為になっていった。

両親が一生涯営んでいた生地屋も、また商店街がシャッター通りになる時代である。

その収益は家賃の10万円を出すだけのための、生活費はまったくでない店になっていた。

ゴリラ便の若手のスタッフに、その店をリサイクルショップとして経営させても、やはり、自分の生活費がでず、ただ店の借り料を払うためのボランティア以下の道楽として自分の貯金をくずして生活せざるをえないので、閉店させた。

そこで、

ネットで経営すること、また、店でモノを売らずに、そこの売り場を貸し出す「フリーマーケット」の店にすることにした。月で借りて、日で貸すという日貸し店舗にした「フリマ笹塚」という店にし、元ゴリラ便スタッフをその店のスタッフにして、しかも、売り上げに準じて、払うゴリラ便方式に切り替えた。一日1万円の貸し料が入れば、3000円の管理料を払う方式である。

もちろん、社長の私はまったく店からの収益はなく、ボランティアとして経営している。

山梨に300坪で900万円の畑付き家を買い、そこで、古代小麦と陸稲と蕎麦と野沢菜を中心に自然農法を研究する道楽を楽しみ、生活費はアパートと倉庫付き駐車場と、国民年金とその基金で、ひとりぐらしには十分な生活をしている。

多くの迷いは、自分とその周りの社会の間で、自由に生きるにはどうしたらいいかという挑戦から生まれる。

こうした迷路のような社会に対して、自由に働き、楽しみ、生きていくには、自然をよく観察することである。

このメダカの迷路もまた、個人(自分)と社会(家族・学校・会社・団体・国・国際・地球)とかかわりあいの中から、自由な世界へと飛び出すにはどうしたいいかを教えてくれる。

集団の中で、勇気を出して、その集団から飛び出る。飛び出ても、「一人じゃいきられない」と不安になるかもしれない、だが、どんな社会も完璧な社会なんかではなく、常に新しい改革が要求されている。そうした中で、集団の中で一人また一人と冒険していくと、いつのまにか、その社会全体の構成員がその後に続いて、自由な世界へと飛び立つことができることを このメダカの迷路は教えてくれる。

 

持続可能な農業のプレゼン

月曜日, 6月 4th, 2018

6月22日の健康と自然の会で

「持続可能な農業」のプレゼンを頼ました。

9月15日~23日のボルネオのスタディツアーに

なんと徳大の新一年生6人が参加予定というのでびっくりだ。

あの難しい国際学会をメインにせず、学生を中心にしたプレゼンや討論を入れたためだろう。

いわば、モンゴルのように その日程計画を見る限り、

お互いの学生を中心に5分間の英語のプレゼンをしようというものだと想像する。

どうやら

そのための前哨戦みたいなもので、

「持続可能な農業」に関しての意見としてのプレゼンを5分間して、

参加する1学生たちが英語でプレゼンできるように、その見本を示したい感じにみえた。

その想像が正しいかどうかはどうでもよく・・

私が心から望んでいた形式なので、その準備をすることにした。

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池上彰さんは実にいいポイントをついてくる。

 

チェルノブイリ事故の32年後の今、その放射能汚染地区の立ち入り禁止に、

野生動物の数が増え、そこが彼らの楽園になっているという報告をしている。

その最有力原因説は

「人間による狩猟がなくなり野生動物が増えた」

というものだ。

 

人類が核戦争や原発事故で絶滅すれば、その他の野生動物の楽園になり、

人類が何もしなければ自然環境は蘇ってくる意味もあるということだ。

この一事実から

「持続可能な農業」とは「人間が何もしない自然な農業」ではないかと学ぶことができる。

また、

人間が野生動物と共存して生きていけば、

たとえそこが放射能汚染地球であっても、人類も野生動物とともに生きられる楽園になるということだ。

私が40年前に科学新聞社に勤めたころ、

そこで発行した科学新聞記事に「プラスチックを食べる微生物が発見される」という記事が掲載されていた。

だが、未だにプラスチックの海洋汚染ゴミの処理が問題なっている。

また、

福島原発事故から2年たって、

「微生物が放射能汚染を除去する」という事実(データ)が発見されても、

その研究はいっこうに進められていないばかりか、さらに原発稼働と輸出して放射能汚染を広げている。

人類が欲張って贅沢な生活を研究努力すればするほど、温暖化のように、自然破壊をし、自滅化している。

 

人類同士が信じる神を讃えて自爆テロをするような野生動物がいるだろうか?

 

このことから

「持続可能な農業」とは「雑草に学び、

雑草を敵視せず共存する自然農業」を提案したいと思う。

それは端的に言えば

「作物の雑草化作戦」だ!

 

金儲けから人助けに代わる時代の幕開け

土曜日, 5月 26th, 2018

数十年ぶりの友人がやってきた

一昨日、数十年ぶりに同年齢の今年68歳になる友人のIさんが山梨に車でやってきた。

ヤフーオークションのやり方を教えてほしいとの電話だったが、実際にきたのは別な理由であり、2時間くらい話し込んで帰っていった。

それはどうやら会った40年前と同じように、私への期待を猛烈に話し始めた。

先ずは

私がゴリラ便・・それは便利屋とゴリラの恰好をしてプレゼントを届ける会社・・を讃えることではなく、

ゴリラ便という誰でもが気軽に集まれ、泊まれ、時には徹夜で話し込んだり、一緒に飯を作り食べたりすることを無料でやってきて、そういうお寺がやるべきことを 私がずっとやってきたことを讃えることから始まった。

彼はそういう精神的な癒しの居場所を提供していたことのすばらしさを私自身は気付いていないが、そうした居場所は世界のどこにもなく、貴重な場だったということから始まった。

そして、

Iさんは 自身を IT難民と呼び、そういうIT難民は 団塊の世代から上の老人たちが多いと、彼の周りの具体的環境を説明した。

そして、私みたいに、IT( information technology・・インターネットなどの通信とコンピュータとを駆使する情報技術)が使いこなせば、老人はもっと楽になる。

それをSNSなどのネットで配信するのではなく、昔のような小冊子を配布することで、老人たちの生活を楽にしてほしいというのだ。

私はそれは難しいと答えた。

どんな役立つ情報も、聞く耳を持たなければ ゴミになってしまう。

馬の耳に念仏である。たとえ、役立つ小冊子があったとしても、読むだけの好奇心がなければそのまま山積みされ、いつしかゴミとなって消えてしまうだろう。

それはSNSであっても、マスコミであっても、知人の話であっても、

老人に限らず、若者であっても、その本人にとって興味がわかないものはその存在の意味すらもない。

さらに、

ベイシックインカムの重要性を延々と述べるので、それは十分承知していることで話を止めた。

彼が帰ってから考えた。

自分と彼の視点が明らかに違っていたのは 彼は老人に対してのボランティアであるが、私は若者への命のバトンとしての活動である。

どうしてか?

はたと、彼には子供がいないことが若者への視点がなく、同じ老人への視点になった気がした。

だが、彼の私へのメッセージはもっと別なもっと大きな視点を持つことを教えてくれた。

キーワードは

1.ベイシックインカム

2.ボランティア

3.ゴリラ便のような居場所

の3つである。

 

もしベイシックインカムが実現したら、

人は生きるためにガツガツ働くこともなく、金儲けやギャンブルや犯罪にのめり込む危険性が減り、

人はお金を得るためでなく、人に役立つことをお金を出してまでボランティアでやることを望む社会がくる。

すると、

周りの困った人のために、海外の困った人のために

ボランティアで働きたい人が増えてくるだろう。

そのボランティアを具体的にどうしたらいいか

語り合い、イベントしたり、組織化していくだろう。

そうしたボランティア組織はNPOまたNGO団体として、個々のベイシックインカムとは別に

国などの公共団体からの公共ベイシックインカムとしての最小限の活動費が入ってくるようになるだろう。

そういう

NPOまたNGO団体が

古民家で無料で憩い、ともに語り合い、ともに食べ ともに寝れる ゴリラ便のような誰でもが気楽に止まることができる居場所になってくるだろう。

すると、

今活動に参加している 「健康と自然の会」の知足庵は

まさにそうした将来NGO団体になるだろう活動の拠点になっていく気がする。

そうした

NPO・NGO ボランティアの会がそれぞれの個性ある活動を通じて行うような会社が

今の株式会社(株式という資本金で集まる組織)に代わって主流になる時代への転換期に来たともいえる。

中央銀行紙幣で動く中央集権世界から

電子マネーとブロックチェーンで動く民主自遊世界へと転換期もまた

連動して革新的に起きてきている。

ひょっとすると

「健康と自然の会」の知足庵は

「ボランティア」と「ベイシックインカム」と「楽しく語ることができる居場所」

それが実現する新しい時代への最初の着火剤になるかもしれない。

電子マネーの今の仮想通貨の弱点は巨額な金が簡単に盗難されやすいことだ。

ブロックチェーンは誰でもがそのお金の流れを知ることができることが特徴で、

いわばガラス張りの会計帳簿みたいなものである。

上記の仮想通貨ウオーズで指摘するように、

「盗まれた仮想通貨の流れは把握できるが、盗んだ犯人を捜すことができない」

というのが問題である。

だが、

この仮想通貨とベイシックインカムと合わせることで、

その売買・交換はみな日本ではマイナンバー、アメリカでは社会保障ナンバーで、

その本人と確認されなければ、売買もベイシックインカムもできないとすれば、

盗んだ犯人はすぐにわかることになる。

いわば、今の仮想通貨は中途半端な公開性と民主主義なのだ。

本音で語りあうように、お金も、実名と本心で、分かちあうことで、

盗み気力さえもなくなってしまい、意識はお金を儲けることではなく、

いかに困っている人を助けるか? そういう意識へと代わってくるだろう。

仮想通貨の投資は金儲けではなく、人助けになってくるだろう。

 

人の意識が

金儲けから 人助けに代わる時代が

今始まろうとしている!

 

ダイエットから考える

木曜日, 5月 3rd, 2018

ダイエットするようになると

食べること、運動することなどの意識が大きく変わってくる。

食べることは・・

・食べ物を作る・生産・畑仕事

・調理する・・加工・料理

・食べる・・食事する・飲む

これら生産・加工・消費がそれぞれ別々ではなく、一体となり、三者がリンクしてつながって行動するようになっていく。

 

運動することは・・・

・散歩・体操する・遊ぶ

・日常の朝起きて寝る・テレビをみる・食事をとる・掃除をする・ネットする

・働く・考える・夢想する・会話する

これら遊ぶ・生活する・働くことが別々なことではなく、連関し、根本的ダイエット哲学で規制されていく。

 

ダイエットは今までの生き方とはまったく違った生き方をするということでもある。

今まで、「ああやりたい」「あれを食べたい」「もっと遊びたい」「もっと稼ぎたい」・・というように

自分の欲望のままに、それを実現させるために、がむしゃら頑張ってきた人生であったが、

それをセーブするように、ダイエット人生は「足るを知る」生き方を選択し、それを目標にするのである。

 

散歩中に

キノコ栽培する73歳のおやじさんと話をした。

「お金のある人は悠々自適でいいようなあ・・」

「お金を稼ぐのはやめて 倹約しているだけですよ」

「生活するには働かないと?」

「国民年金と年金基金合わせて月10万円あれば十分ですよ」

「人を使い、借金までして 稼いでいるだから・・」

「おやじさん、働かなくても十分生きられるのでは??」

「・・・・・・」

 

 

73愛のおやじさんが、パートの主婦を雇って近所のスーパーに出荷している

私には73歳のおやじさんが生活に困窮しているのではなく、

何もしないと、つまらないからとしか思えなかった。

暇を弄ぶ老後より、いくらかでも稼いで楽しみながら仕事したいというのが本音のように思える。

 

健康は ちょっと食べて 足るを知る

早起きて 太陽とともに 早寝する

自遊に 自然にまかせ 頑張らず

健康は ちょっと食べて 足るを知る

早起きて 太陽とともに 早寝する

 

麦は雑草と同じだった

水曜日, 5月 2nd, 2018

散歩途中、桃やブドウの果樹園を通る時、

それらの果樹を雑草から守るために、いろいろな草が植えられている。

その中で、どうみても 小麦ではないかと思うのがあった。

小麦を刈る前4月30日

4月30日撮影

耕うんして、小麦の種を線撒きして植えている。

この小麦の穂は小さく、食べるものではなく、単なる雑草対策であろう。

そして、

二日後に刈込

穂が付き始めた時に、刈り取ってしまった。

種を収穫するのでもなく、麦種が零れ落ちさえるのでもなく、単に根だけ残している。

私が7年間通る散歩道なので、麦がまた生えるとまた穂が出る前に刈り込むというのを繰り返している。

耕うんして、また小麦の種を撒くなんかしない。

ー^-^--^

ネットで、果樹園の下草で調べてみると

果樹の下草としての雑草対策と緑肥を合わせた「キングライ麦」のようだ。

こうした緑肥は一度種をまくと、根が残っている限り、何度も生えてくる。

種を収穫して また撒く必要がない。根だけのこして、刈り取った草は緑肥として使える。

ー^-^--^--^

このキングライ麦のように、小麦を栽培すれば、毎年 耕うんして、種をまき、収穫する必要がなくなると思える。

つまり、

根っこだけ残し、刈り取り、種をとったら、残った麦わらも、脱穀精麦した殻もフスマも、畑に戻せばよい。

また、耕うんして、種をまき、肥料を与えなくても育つのでないか?

また、同じ種類の稲でもそうではないだろうか?

もし、稲作で、水稲・陸稲の両方とも同じであったら、

それは新しい稲作 小麦作 になるのではないだろうか?

ー^-^-^--^^

今年7月に 小麦と陸稲とそばの 耕うんしないで、根を残す実験をする。

この三者に根が残っていたら、種をまかずに、本当にまた生えてくるか観察してみよう。

もし、生えてこなかったら、種を撒けばいいだけなのだから。

ー^-^-^-^-^

どんな雑草でも、人間が作物のように、耕うんし、種をまき、他の草刈りをしなければ育たないなんてことはない。

人類は自然とはかけはなれた徒労の無駄働きをしていないか?

どんな作物も、雑草と同じように扱えば、それこそ、それが自然農法というものではないか?

また、それが持続する農業ではないだろうか?

 

自分しかできないことをやればいい・その5

水曜日, 4月 25th, 2018

ようやく畑に雨が降り、作物たちが歓喜の歌声で合唱しているようです。

「自分しかできないことをやればいい」

では

誰でもできることは???

物事は弁証法の相反合で考えていくと団子虫のように迷路から抜け出られます。

「誰でもできることはやらなきゃいい!」

「それは自然にまかせて放っておけばいい」

キリスト教の呪縛からの解放を歌うルネサンスに咲いた

科学技術の力はどこからくるのでしょうか?

科学技術の力は自然の力であり、人類はその自然の力を応用したにすぎません。

人類は地球上で人類しかできないことをやっているにすぎません。

蒸気機関車が動くのは、水を熱して蒸気を作り、密封したエンジンを回すからです。

人類はただその蒸気機関車という構造を作っただけです。

その蒸気機関車を動かすのは地球の資源である石炭、火力、水、鉄の自然の力です。

人力車であったならば、それは人間の力で、自然の力ではありません。

科学技術の力というのは自然力であり、

それは

「誰がなにもやらなくてもそうなっていく」

「何もしない方がうまくいく」

「誰もできることは誰がやらなくてもできてしまう」

機械力=自然力というのは

「誰でもできることを誰もやらなくても、自然の力でそうなってしまう」

というものです。

機械が故障して、それを修理したり、新たに機械を作ることは

人間でしかできません。それが人間がやることであり、人類の個性というものです。

ただ、今人類は

「それができてもやってはいけない」誘惑にとりつかれています。

原爆原発、遺伝子組み換え、細菌兵器など

人間には自殺願望もあるのです。それは聖戦として自爆テロのような願望です。

地球生物には絶滅種というものがたくさんあります。

その絶滅種の原因は人類の傲慢な殺傷願望にあります。人類だけが地球を謳歌し、他の生物がその犠牲になったら、それは地球の砂漠化を生み出し、人類も絶滅させた種と同じような絶滅種になるというのも、自然力です。

なぜ

「原爆原発、遺伝子組み換え、細菌兵器などはできてもやってはいけない」のでしょうか?

それは人類が絶滅種となるような自殺願望だからです。

一個の人間が自殺しても、他の70億の人間が生きていますが、

「原爆原発、遺伝子組み換え、細菌兵器などは、人類70億人全体の自殺行為につながる」からです。

人類もまた諸行無常であり、永遠に生き続けられる存在ではありません。

一歩間違えれば、人類滅亡になる誘惑は現代たくさんあります。

今の北朝鮮の核戦争の挑発はまさにその兆候です。

自然にとって、人類が滅亡しても、なんら困ることはありません。人類に代わって他の生物が地球を謳歌させるでしょう。それは過去恐竜の時代が繁栄し、絶滅したように、繰り返されるだけです。

 

自分しかできないことをやってはいけないことは

ただ一つ

自分を殺してはいけないこと

だけ、それだけ

それ以外は大いに

自分だけしかできないことをやりましょう

誰でもできることは自然にまかせて

大いにやりましょう

 

 

自分しかできないことをやればいい・その3

火曜日, 4月 24th, 2018

 

 

板橋のアパートを3年がかりでリフォームしてから、2年経った。

一階と二階を同じ仲介者アパマンで、同じ条件で賃貸した。
敷金、礼金、更新料なしで、但し、保証協会に入り、毎月の家賃は自動引き落としの私の口座にするというものだった。

二階はなんの問題もなく、借主の名前で毎月きちんと振り込まれている。

二年の更新料は要らないといったのに、二年たったら、アパマンが契約では1か月5万円の更新料になっているというので、そんな契約はした覚えはないので、家主の私は更新料を要らないとしたら、半分の更新手数料25000円を仲介者のアパマンに払い、その更新契約書が送られてきた。

問題が起こったのは一階である。

アパマンから、一階の借主が更新料の25000円振り込まないし、書類も送られてこないというので、三度ばかり、当方に電話してきた。

「こちらは自動更新と思っていますし、更新料は要らないのでなんの問題もありません」

と答えたが、何か変なので、二階と一階の契約書類を今見直してみた。

そして、びっくりしたのは、同じ条件で同じ仲介者のアパマンなのに、その担当者が違うと、別な契約に借主がさせられていた。

昨年に、当方と契約していたアパマンの上板橋支店は閉店し、赤羽南口店に合同移転した。

条件通りの二階の仲介者の上板橋支店の担当者は問題がまったくなかった。

だが、

条件通りの一階の仲介者であった十条店の担当者に契約の問題点があった。

勝手に、家主の条件をアパマンの担当者の都合のいいように変えて契約していた。

二年前、当方は同じ上板橋の店だとばかり思い、契約もまったく同じだと思いこんでいたので、契約書を確認しなかったのだ。

契約する文面はまったく同じだが、

契約内容が2つ違っていた。

1、契約時の一か月分(アパマン手数料)は家主が負担する

2、連帯保証人が保証協会ではなく、無名だった

二年前、アパマンから

借主が、賃料の5万円を保証会社と家主に両方に送金したので、返金してほしいといった。

そこで、借主に5万円返送金した。

次回からは、当方に家主からでなく、保証会社からの名前で送金してきた。また、毎月、送金した内容がアパマンから送られてきたが、二階とは違うので、変だなと思っていた。それに毎月送られてくる書類も無駄な作業だと思えたので、必要ないと連絡しようと思っていたが・・そのままになっていた。

そして、更新料不払いで書類が滞るという問題が起きたのだ。

一階の更新料不払いで、三度電話してきたアパマンはどうやら仲介者は十条店で、問題のない二階の仲介者は上板橋の移転先赤羽南口店であると、契約書を見直してはじめてわかった。

そして、

どうして一階の借主が更新契約をしぶった理由がはっきり解った。

契約書にははっきりと、振込先を家主の銀行口座にしてあるのに、その契約書と違って、保証会社に振り込むようにしていたのだろう。

それは、保証協会がなかった、昔の不動産屋が賃料の一割をとって、きっと55000円振り込ませたのだろう。

5000円の二年間で、12万円であるから、通常の保証会社に比べてかなり割高である。

問題のなかった二階の保証会社の条件をみると、

初回保証委託料 50% 25000円

保証委託料(1年毎)10000円

ーーーーーーーーーーーー

2年間の合計の保証料は 35000円で、一階の12万円との差は85000円

家主の当初負担金 50000円(仲介手数料)を差し引くと、

一階は35000円に年間で損をしている。

こうした問題は

仲介者であるアパマン(株式会社アップル)が大手であり、それぞれの支店の連絡に不備があり、家主の意向がまったく違ってとらえられえて契約されていたことが。

契約者が、担当者違いというより、支店違いによる問題が生じたものである。

また、一階の借主の意向も、二階と同じであったのに、支店の担当者の思惑で、貸主、借主双方に迷惑がかかったことになる。

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電話かかってきたアパマンの着信履歴を調べてみると、

やはり二階と違う㈱アップル十条店であった。

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翌日、すぐに調査連絡してみたら・・

なんと、私の勘違いが原因だった!

 

1.まず、再三借主の携帯に電話またメールをしたが、返信は一度もなし。

その勤務先に電話したが、二年前に退社。

 

2.保証会社に電話して、借主の契約内容をきくと、

初年度登録料25000円と更新の年10000円は同じ。

違うのは、毎月の家賃代行料としての送金料324円があるだけ。

直接、家主に送金すると、家賃を保証できなくなってしまうということ、

また、連帯保証人に名前を書かないのは、保証会社とのスタンスが違い、通常の連帯保証人とは違う家賃保証だけということだったところが、他の保証会社と違うところ。

 

3.次にアパマンの不動産やさんと連絡。

二階は敷金として1か月分とっていて、それが不動産やの手数料になったが、

一階は敷金をとらなかったので、不動産やの手数料として一か月分家主から引かれたということのようだ。

本人の携帯に一度だけ連絡がとれたが、その時は支払うと約束したが、それ以降、一度も連絡がとれないでいる。

勤め先にも電話したが、退社したと同じ答え。

一度、家にお伺いしようかと考えたところだという。

そこで、

家主としては、自動更新ということで、新しい更新契約書はいらない。

また、火災保険は家主が入っているが、本人の家財保証は本人の負担なので、払わなかったら、それは本人の責任であると、意見した。

家賃の更新は、銀行の自動引き落としなので、更新料も、そうなので、なんの問題もなく、家主も困ることはない。

結局、

新しい二年ごとの更新の書類はなくても、当初の契約内容と同じならば、自動更新されるし、家賃もきちんと振り込まれていれば問題がないので、

アパマンの不動産やさんも、無理して、更新の書類を作成することはしないでいいといったら、「そうですか、と安心していた」

なお、

一階も二階も、契約書をよくみたら、

更新料は1か月と明記されていた。それは私の確認ミスであった。

ただ単に、問題が発生したのは、単に更新料の不動産への手数料25000円を振り込まれないので、書類作成ができなかったというだけである。

つまり、

借主の更新料の遅れだけが問題だっただけである。

ついでに

私の勘違いもまた問題を大きくしてしまったが、すぐに調査して、その勘違いを訂正したので、問題はなくなった。

無事平穏な日常にもどった。

 

 

自分しかできないことをやる

 

同じ条件との契約を同じ仲介会社に頼んでも、その担当者また支店また保証会社で、まったく違う内容になってしまう。

キリスト教とイスラム教は同じ一つの神なのに、まったく違う宗教になり、

同じ宗教なのに、解釈が違うことで、まったく違う多様な派教になってしまう。

それは同じ1つの神が人類70億通りの解釈がされて、ちがったとられ方になるということ。

 

前回のコメントでも話したように、

「・・作曲は難しいが、作詞の替え歌なら・・宮沢賢治みたいに得意みたいだ。

それが自分しかできないことをやるってことだと思う。

同じ曲でも、詩のメッセージが違うと、蛍の光のように 日本では悲しく、西洋では明るく楽しく感じられる。

葬式でも、その考え方が違うと それは生まれた日、結婚した日、第三の生まれ代わりの日のお祝い事になる。

女性の能面だってそうだ。笑っているのか? 泣いているのか? それは観る人の心境による。

つまり、ものは考えよう、気持ちの持ちようで、どうにでもなる。

その事件をよくとらえるか、悪くとらえるか、それを受け取る人自身が決める。。

金正恩が本当に平和を望んでいるか? 言行の本音をとらえれば、次の対策もとれるということにも応用できる。

これからは本音で何事も勝負したいものだ・・」

 

こうした一人の家主の一つの意向が、借主・仲介者の受け取り用で変わってくるのが問題なので、それを納めるのは家主一人であるということでもある。

借主と仲介者に電話して、二階と同じ契約にするよう指示すれば双方ともに問題がなくなる。

それは家主の自分しかできないことである。

北朝鮮問題だって、

たった一人の将軍とされる金正恩自身だけが、関係諸国また世界問題を解決することができる。

そこに的をしぼれば、

金正恩しかできないことをやらせる

そのことが平和への最善策なのである。

0-^0-^0-^0-^0-^0-^

それにしても、

大事な借主のためと思い、

余計なお節介をしてしまったようだ。

私はけっこう相手によかれと思い、

余計なお節介をすることがけっこうある。

それが、今回もそうなったのだが・・・

その結果が自分の勘違いが原因だと解った途端、

今までの自分のよかれと思ったお節介を反省してみた。

すると、

お節介した良きものが悪者で、悪者と勘違いしたものが善者だったことが多い。

これは今後こう注意すべきだろう。

 

良かれと思いお節介したくなる時は注意すべし。

関係者を善悪で判断しないように

勝手な想像で、善悪を決めつけないように

そして、

単に、不明な点の事実関係を調査することに専念するように

 

特に噂やゴシップには注意し、

それを想像で善悪を判断せず、

善悪なしにそれらの事実関係を明らかにすることが先決である。

 

自分しかできないことの中で、

最初に必要なことは、その事実関係を詳細に調べることである。

 

時空を超えて今僕はここに居る・その10

土曜日, 4月 14th, 2018

終活も雑草化作戦に

穀物・・・古代小麦&蕎麦&陸稲・・・の三者の雑草化作戦は

11月に古代小麦の芽が伸び、4月に蕎麦の芽が伸び、6月の梅雨時に陸稲の芽が伸びる

この三世代が交代で、毎年 自然に、人が何も手を加えずに、花を咲かせ、実がなるように計画した。

まず第一の畑に

 

第二の畑に

第三の畑に

第4の畑に

その他 通路に

昨年の11月、古代小麦の種を撒くときに、

その麦わらが大量に余っていたので、畑の畝の凹みに敷き詰めた。

それを三角鍬で、掘り起こし、蕎麦種をばらまき、陸稲の種を線撒きした。

そして、足で麦わらを元にもどし、まずは5月に蕎麦の芽が、6月に陸稲の芽がでることを期待して、

古代小麦が実り、枯れていくと同時に、蕎麦が伸び、7月には蕎麦より高く陸稲が伸びるような図を描いた。

そうなれば、理想的であるが、現実はいろいろと予想外のことが起きるので、

失敗したときのために、

蕎麦と陸稲の種を古代麦が枯れ始めたときに、撒けるように残しておいた。

今までは7月に古代麦の収穫と陸稲の種まきを集中してやっていたが、

今年からは、古代麦の収穫も、耕うんして、陸稲の種まきもしないで、そのまま自然状態に放置して観察することにした。

毎年雑草は二交代、三交代して、同じ草が繁茂する。

その雑草の周期に合わせて、古代麦と蕎麦と陸稲を雑草化させる作戦を実行した。

自分がその日に食べる分は、穂の種だけ手積みして、料理 食べるように計画した。

ー^-^-^-^-^-

しきりに こんな言葉が頭に浮かぶ

 

求めよ さらば 与えられん

 

求めよとは欲望を持てということだ。

その欲望は自分から湧き出たものであろうか?

いや、それは欲望の本質からいって、違う。

まず欲望の対象がなくては、どんな欲望も起きない。

つまり、

欲望の対象が 自分の欲望を引き起こす。

夢が叶うのではなく、夢そのもの(対象)が、欲望を引き起こし、叶えさせるのである。

登山家

「なぜ山に登るのか?」

「そこに山が在るから!」

求めよ さらば 与えられん

ではなく、

それは与えられるから求める

のである。

与えられん 故に 求めよ

なのである。

 

穀物雑草化作戦といっても、

すでに どんな雑草も、毎年 三交代二交代して、育っている、

穀物だってもともと雑草である。

そういう事実対象があるから、穀物だって同じに育つだろうという欲望が起きたのであろう。

 

人は何か 自分から苦労を背負って生きたがっている感じがする。

本来の目的とは別に お金という魔物にとりつかれてしまい、そのお金が目的になってしまうために、

それなしでは生きらえないような お金依存症にかかっている。

農業経営とか、持続する農業とか、農業機械化とか、農薬とか・・

それらはみな農業が目的ではなく、お金経済が目的になってしまうための徒労なことで、

本来の穀物も野菜も、雑草も、同じように彼らが自然に 人間とともに 生きられるようになっている。

その本来の生物共存を目的にすれば、それがもともと自然の姿なので、実現可能であるし、人が何もしないでも、そうなっていく。

そう考え、実行した方が 楽な生き方だろう。

ー^-^-^-^--^

雑草も穀物も一年が命だろう。

人の命も 平均j寿命80年 として、80年毎に生まれ変わると いうのも、納得がいく自然な出来事である。

どんな雑草も、毎年似たり寄ったりの顔をして生まれ変わるように、人間の顔を80年毎に似たり寄ったりとして生まれ変わると想定しても 自然であろう。

私の残りの13年の就活は

13年後に生まれ変わる準備をするようなものである。

次の若者は老人の魂の親となっていく。親子交代もまた その主従も、生まれ変わりも、命のバトンとして、生命の波のように繰り返され、時に大きく、時に小さく 時に変革的に 打ち寄せては 去っていく。