Archive for the ‘お金って何だ’ Category

やっと我に帰った気分

金曜日, 3月 9th, 2018

知足庵の「自然と健康の会」は発足してから1年半にたち、

それがモンゴルのスタディーツアーにまでなった。

それを引っ張ったのは大橋教授であるのは間違いがないだろう。

画像に含まれている可能性があるもの:5人、立ってる(複数の人)

このメンバーの4人が今回のモンゴルスタディーツアーに行った。


知足庵のメンバーに腱引きの方も参加した。

知足庵メンバーのうちの三人は腱引き関係であり、

腱引き関係以外の社会人は私だけである。

このモンゴルスタディーツアーに集まる人数の比率をみれば、大橋教授が 知足庵、徳島大学 交換留学の三者で何を意図しているか理解できる。

徳島大学学生 3人

腱引き関係者 3人

モンゴルベテラン社会人1人(ネット技術者)

趣味百姓 1人(私)

モンゴルの日本留学経験者 10数人

特に、知足庵に必ず集まる自然農法の人たちは一人も参加していない。

大橋教授を入れて9人のメンバーになった。毎年のメンバーはその半分の学生と教授だけのようだ。

そして、みな別々の目的をもち、大橋教授と同じ目的をもって参加した人は一人もいない。

私はこのモンゴルスタディーツアーに参加する前に、執拗に、大橋教授にその目的は何か?

そう問いかけていた。その応えを得られずに、自分なりに、

「自然と健康」のテーマに、「平和」を入れれば、参加することができ、また参加したいと思うようになった。

 

つい1年半前は一人暮らしの田舎の老人の余生で、畑仕事を唯一楽しみに生きていた。

 

1.半世紀ぶりに高校の親友に出会い、彼が徳島に古民家を買い「自然と健康の会」をたちあげ、そこに参加した

 

2.徳島大の授業を4つ頼まれ、実施した

 

3.モンゴル大学で、英語によるプレゼンテーション(10分)二つ行った。

 

私の余生は大きく広がっていったのである。

今まで小さな世界で、恍惚の老人になりかけていたのが、

まるで、20歳の青年にもどったかのような経験を再び いやいや

新しい経験をさせてもらえたのである。

 

そして、

4、何よりもの宝は、あの世に行く前に、19歳の女学生に恋をしたことだ。

 

もちろん、青年のときの通常の恋ではない、その恋を 私はシニアフレンドの友愛として、とらえている。

 

この友愛を実に見事にキャッチ理解できた女性に出会えたことは

まさに大きな広がりを持たせてくれた。

 

命のバトン先をえた、来世はどこに生まれるかというようなものまで、想像できるほど 時間空間を超えた命の伝達が感じられてきたのである。

 

19歳の女学生がもちろん そんなことは理解できるはずもなく、

まして、シニアフレンドの友愛が 無償の愛、片思い、の親子の愛に似たもので、映画の寅さんのような恋だから、頭で理解できても、人生経験が長くないと体験できないものである。

だが、彼女は直感的に一瞬で理解できる能力があり、今まで出会った多くの女性にはなかった天性であり、まるで私のために生まれてきてくれたような人なのである。

 

神や仏を信じなくなって久しいが、

彼女に出会えたことは 神の悪戯・祝福のような 奇跡の出会いさえ 感じられる。

もちろん、それは片思いする人だけが感じられる 幸福感なのである。

当の相手に、それが伝わることは まずもってないものと 長い経験で知り尽くしている。

こういう奇跡を現実にみると、再び神仏を信じたくなるが、その副作用が怖いので やめとく。

 

私の余生のテーマは

自然と健康 そして 平和 さらに、それらのコミュニケーション技術に広がっている。

老若男女・国 民族 宗教を超えたコミュニケーションには次の3つが必須条件である

 

1.同じ目線で接すること(平等の立ち位置)

2.互いの自由と尊厳を認めること(自由と尊厳)

3.互いに無償の友愛でつながること(無償の愛、片思い)

 

とくに、恋愛問題でややこしく問題がこじれるのは それはお金のやりとりや、プレゼント交換。国際交流などで、フィフティー・フィフティーでつながること、お金の貸し借りのような 恩を受けたら返すというような礼儀作法は 平等どいうモラルを勘違いした お互いを縛り付けるもので、正義や忠節 礼節というやっかいな慣習からくる戦争を引き起こす常識である。

 

愛が憎しみに変貌するのは こうした与えられたら、返すというのがまるで正義かモラルのように強要するところから生まれる。

お金でも貧富の差が大きく生まれるのは 貸し借りに利息が付くからであり、

 

お金が健康的に正常に働くためには、100%与えるか、100%頂くかで、あり、それは授受の関係である。

それは平和な親子や夫婦の間で日常に行われる金銭的なものであり、かつ恋愛でもある。

 

こうした無償の愛や片思いの醍醐味を知る者は、

孤独老人とか孤独死からくる寂しさとは無縁なものである。

それは畑仕事をしているときの喜びに通じる 自然と一体になった幸福感であり、

人それぞれがみんな違ってみんな善いと感じる感動と充実感でもある。

 

The front and back of the coin

月曜日, 2月 5th, 2018

Here is a key fighting successfully through market competition.

Let’s wish for Economy without wish for Moneymaking
on the Happy Road,

Don’t win,Don’t lose,Do win oneself !

 

Three wishes of Yosaku

月曜日, 2月 5th, 2018

1.Three wishes of Yosaku

 

2.The Three Promises of Yosaku

 

3.Blind(covered eyes) men and an elephant

What’s the Money?

土曜日, 2月 3rd, 2018

The Money was the Tool&Midiate which changed Product and Service.

 

How to share the Money?

 

英語のプレゼン(モンゴル)の練習してみた

土曜日, 2月 3rd, 2018

初めてPowerPointを使ってみたが、こんなに便利なプレゼン用の道具があったとはびっくりだ。

それをなんとビデオとしてアップできるとは・・!

そもそも英語はなんとか日常会話しかできないし、半世紀以上前に、中学生のときに習ったくらいだ。

とにかく、圧倒的に知っている単語が100以下だから、難しい話をするときは辞書で調べるが、それを覚えることが歳を取ったせいか、えらい困難である。

そこで、自分で書いた文章を読むくらいしかできないが、その読むのさえ、英語は文字と一緒でないし、アクセントも前か後かも、すぐ忘れてしまう。

まあ、英語を読める学生が読んでくれればいいやということで、伝わるかどうかは 「やってみなければわからない」

英語のプレゼンを作っていて、気が付いたのは まさに俳句を描くようなもので、

意外と思いしろく、病みつきになってきた。

日本語で説明しようとすると、延々と長く話さないとならないが、英語だと、長く話ができないので、俳句を詠むくらいで、すんでしまうから楽である。

最も、絵と写真と伝えたい一言だけに絞り切らないと 相手に伝えきれないだろうと思う。

 

なんとアメリカでベイシック・インカムの社会実験成功していた時があった

月曜日, 1月 22nd, 2018

欲望の資本主義2018の後編

歴史家 ルドガー・ブレグマンは指摘する。

PART2 36分からの動画

ベイシックインカム社会実験は成功していたのだが・・統計ミスでご破算に

社会保障費は下がり、犯罪は減少、子供の成績は上がり、人は労働をやめなかった。

だけど ただ一つ離婚率は上昇した。50%ほど。

すると共和党など保守派は皆「ベイシック・インカムは採用しないと決めた。

女性がより独立してしまったら 男性は良い結婚生活を送れなくなる ダメだ。

こうしてベイシック・インカムはアメリカで忘れ去られることになった。

だが、わずか10年後

ある研究者が当時の統計の誤りを発見した。

離婚率は上昇してなかった。時すでに遅しだ。

偶然が絡み合った奇妙な歴史だ。

もしもアメリカがベイシック・インカムを採用していたら

影響は計り知れなかっただろう。

ーーーーーー

この統計ミス あまりにもズサンだから、権力者の陰謀なんてこともあったかもしれない。

とはいえ、

もう、資本主義を存続させるためには ベイシック・インカムは必需システムだろう。

科学は時にデータ改ざんということで ゆがめられてしまうことはどこでもあるなあ。

 

科学と金は 信用大の資本主義社会だからであろう。

 

思い込みは文化として輝く

金曜日, 1月 19th, 2018

みんな違ってみんな善い

という見識すると、会う人ごとに

みんな 独特の思い込み をしていると 気づかされる。

他人は私の鏡となって、

私も 独特の思い込み をしていると 知らされる。

 

自分が 内容のない馬鹿げたドラマ・映画を好んで観る時間が多いのが、

自分への七不思議であった。

だが、自分も この内容のない馬鹿げた考え方(思い込み)を無意識にしていると気づかされる。

自分の無意識と有意識とはけっこう逆なことが多いのである。

そのためか、無意識と有意識の間で葛藤(ストレス)が自分の心の中で、たびたび起こる。

それは人とのコミュニケーションでも起こることで

有意識同士では争いはあまり起こらないが、そこにどちらか、また両方も無意識が入ってしまうと、言い争いや喧嘩が起こる。

 

無意識と有意識とどちらが良いかどうかは ケイス バイ ケイスで、常にどちらか一方が良くて正しいというのではない。

それは みんな違ってみんな善い という見識を応用して、

無意識と有意識 どちらも違って どちらも善い

という切り口で、臨んだ方が 平和的自己鍛錬法であり、平和的コミュニケーション技法であろう。

 

みんな違ってみんな善い という見識には、悪いという考え方(思い込み)が無い

善悪のような相対論は 一言 みんなの違い によって把握される。

それは現実的においては

自分の心でも、自他のコミュニケーションでも、一見、良い悪いの言葉の押収があるが、真に悪いモノ(人・思い込み)はなく、在るのは 真に善いモノ(人・思い込み)しかないことだ。

 

夢は想像力

 

夢は無意識の空想であり、想像は有意識の空想である。

天才は無意識の行動であり、努力才は有意識の行動である。

その夢・想像が妄想か悟りかどうかは、ほんの一部しか通用しないか、全体的に広く通用するかの内容の差であろう。いわば、群盲象を評す 状態において、真実の象にどのくらい近い広い視野に立っているかで決まってくる。

その視野は時間的な過去現在未来に通じて、どれだけ長い時代に通用する見識による想像力かというのもその範疇に入る。

 

これら空間時間においての、夢・想像されたモノが

現実・自然という制約に実験経験に試されて、5W1Hの具体的事象に構想されるで、成功失敗が生まれる。

夢・想像が現実・自然に照らしあわされて、夢・想像を再構築することを 構想力という。

この構想も、無意識・有意識的にもされるもので、その結果の成功・失敗も、それは狭い視野におけるものにおいては相対するが、広い視野においてはどちらも真の成功でしかない。

 

みんな違ってみんな善い

 

といことは、成功・失敗のような相対する内容なもの、それは生死においても、空間時間的に、広い視野を持つならば、その成功もその失敗も真に成功でしかなく、その生もその死も真に生きていることでしかない

ということである。

 

つまり、

相対的なものは狭い視野から生まれる見識であり、広い視野から生まれる見識には相対的なものは平等な違いしか感じられない。

例えば、一枚のコインの裏表を見てみよう。

 

コインの表

コインの裏

コインの表だけでも、コインの裏だけでも貨幣として通用しない。

コインの裏表あって、初めて貨幣として通用する。

得はコインの表

損はコインの裏

損得は借り貸し、勝負と同じ、同じ数の価値があり、片方だけでは価値はない

成功はコインの表

失敗はコインの裏

人生における一時的な成功も失敗も 片方だけではありえない。両者あってこそ成り立つ

生はコインの表

死はコインの裏

命の生と死も 片方だけはありえない。両者の空間的な存在、時間的な繰り返しあっての実在である。

有意識はコインの表

無意識はコインの裏

見える見えないがあるように、有意識も無意識も、両者あっての生命調整維持ができる。片方だけでは調整はできない。交感神経と副交感神経のように。

みんな違った角度でみんな美しく輝くダイヤモンド

相対的な事象だけでなく、群盲象を評すような姿も、組織の大小あれど、その構成員のそれぞれの個性がみんな違って、みんな輝くダイヤモンドのような見識が みんな違ってみんな善い というものである。

 

思い込みは文化として輝く

 

世の中に、

みなそれぞれの信念、妄想、悟り、考えなど、それらを単なる思い込みとして表現してみても、

それぞれは それぞれの個性的な生き方としてとらえることができる。

何が誤り、何が正しい、というのは狭い了見から生じる。もっと広い視野に立てば、

どんな思い込みであろうと、それが生死にかかわる重要なことであろうと、

それぞれの思い込みは古今東西の文化として、平等な価値をもった存在であろう。

 

みんなそれぞれの思い込みをして、それぞれが美しく真に生きて輝いている

 

 

学ぶということ(意外と知らない)

土曜日, 12月 30th, 2017

Think Global, Act Local, Live True to Oneself.

大きく学び、具体的に行動し、自分らしく生きる

90分授業の予習として、30分の授業動画を作成していた。

長い復習動画より 短い予習動画の方が始めての人は 話のあらすじを知った方が解りやすいだろう。

 

徳島大の二つの授業には今年6月に続いて、12月も参加できた。
話す学生がどんな人でどんな状態であるかを前もって教授から知らされていたが、実際はかなり違っていたので、現場では大きく変更した。

1.勘違い

・私の話が学生みなが始めてだった
・前期の学生は後期になると3分の2になっていた
・学生全員が後部座席二列に並び、話を聞く姿勢がなかった
・単に出席し、単位をとることが目的で、全然別なことを考えていた

2.学ぶということがどういうことか

・それから話さないと、馬の耳に念仏 豆腐にかすがい である。
・先生の方に、教授・指導するのではなく、共に学ぶ姿勢が必要。
・ソクラテスの教えることは産婆術であることから始めないと無理。

3.学習・対話・討論基本をまず共有する必要

・社会人同士の学習会にあっては、発表・対話と討論の基礎を共有しないと 空しい集まりになる。
・特に著名人を呼んだり、権威のある人の話を優先するのは 偏見と洗脳に陥る。
・授業も社会人学習会も ともに学ぶという共通意識がなければ無意味なものである。
・参加者は予習・復習は最低限必要なことである。

 

THINK GLOBAL, ACT LOCAL, LIVE TRUE to ONESELF .2017/12/21

木曜日, 12月 28th, 2017

2017年12月21日 徳島大で、午前中 ボランティアリーダーと語る地域社会の授業で、その報告をうけ、それに対する返答として、動画を作成した。

1.ボランティアリーダーと語る地域社会の授業

2017年12月21日徳島大のボランティアリーダーと語る地域社会における授業の感想を受けての返答をする

特にテンセグリティについて

 

2.THINK GLOBAL,ACT LOCAL,LIVE TRUE to ONESELF

3..硬いピラミッドと柔らかいテンセグリティ

 

 

4.お金って何だ? 奪い合うお金と分かち合うお金の違いを麻雀ゲームから紐解く

5..分かちあうお金と奪い合うお金のバランス

6.自信を持って生きるということ

7.みんな違ってみんないい

シェア 仕事・お金・問題 する道へ 方向転換

8.どう生きるか

午後に、グローバル社会における生産環境論

9.食品の安全と危険をどう判断するか?

10.群盲象を評す

11.ピーア・ランニング(仲間学習)学ぶということはどういうことか

真実の安全を知るにはどうしたらいいのか?

12.食の安全をどう探っていくか? ピーアランニング学び舎における道

13.古代麦から品種改良・遺伝子組み換え・ゲノム編集を考える

知足庵の再スタート

偏った健康と自然の会からバランスのよい健康と自然の会へ
権威を超えた同等の学び舎で、真実を共に探っていく

14.本当の経営と偽の経営

15.トップダウンの分業は潰れ、ボトムアップの分業は無限発展する

 

当初、この内容を90分の中で、凝縮、また割愛して、話す練習をしたが、それでは、実際において、ほとんど通じないことがわかった。もっと、一つに絞らないと、伝えきれないということがわかってきた。

だが、

授業がおわり、学生の疑問や感想がわかってから、また、時間の制限もなく、今では動画で、あとで学生にまた、同僚の社会人にも伝えることができる。

そんな時代のネットまたSNSによる学習ができる環境を利用したいと思う。

こんな長い動画をほとんどの学生は聞く人はいないだろう。

でも、それは学生がのち、もっと知りたいと思ったら、10年後50年後でも興味を持っても、この動画はいつでも聴くことができる。(ネットを閉鎖しない限り)

ともあれ、

私が若者への命のバトンとして、

とにかく、自信をもって、自遊に、面白おかしく 生き急がず、のんびり、気楽に生きていってほしい

その願いだけである。

2017年12月29日 岡部 康平 山梨市の自宅にて

老いぼれ親父の平和運動8/戦争か平和か

日曜日, 10月 8th, 2017

意志あるところに道は開ける・・・リンカーン大統領

戦争と平和の問題は、戦争か平和か、どちらに意識・眼を向けるかの二者択一の問題である。

意識と眼を戦争に向ければ、戦争の扉は開き、

意識と眼を平和に向ければ、平和の鐘がなる。

武器を持つか?武器をもたないか?

今、NHKスペシャルの人体・神秘の巨大ネットワークをやっている。

人体の内臓も各細胞も、みな意志と感情を持っているという証拠を示している。

人が作る道具である 「お金」も、「武器」も、その「使い道」として「目的=意志→感情」をもっている

江戸幕府がその政権を天皇に返上し、無血開城をして、

新しい明治政府が創られた。その際、最初に行ったのが、武器である刀を持つことを禁止する法律として廃刀令を制定した。人殺し&戦争を禁止するために、それを使う武器を持つことを禁止したのである。

一方、米国は自分の命を守るための銃を持つことを認める法律を制定した。

これは、正当防衛として、もし人が自分を殺そうとしたら、その人を自分は逆に殺してもよいという正義論からきている。

この正当防衛は、「目には目、歯には歯を」という、ハムラビ法典からきており、それはイスラム法にも引き継がれている。だが、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というキリスト教を国教とする米国法とは相矛盾する。

「銃には銃を、核兵器には核兵器を」という自衛の為の正当防衛論は、負の連鎖つまり不安と戦争の拡大を引き起こす。

それが、国民における「銃所持か、銃不所持か」、

国における「核ミサイル保持か、核ミサイル不保持か」

この正当防衛論が、今の北朝鮮と米国の暴言応酬である。

それが日本国内の正当防衛論は憲法9条を改正するか護憲するかにも波及している。

 

憲法9条の、戦争をする一切の軍隊も武器所持も認めない平和憲法を護憲するか?

 

憲法9条を改正し、その例外として、

自衛隊を軍隊として、その武器と核兵器を持つことを、

かつ同盟軍の集団防衛の戦争を行うことを認るか?

憲法改正か、護憲か?

意志あるところに道は開ける

 

人体の細胞のように、

国民の1人1人が、

その意志を戦争か? 平和か? に向けるかどうかで、

身近な社会も、国も、大きな世界も、

平和への道は開かれていくのである。