自然に生きる」カテゴリーアーカイブ

人が考えられることはあり得るが・・

4月初めに麦間に陸稲の蕎麦の種を播き、 7月に麦を収穫せずに、 陸稲と蕎麦が芽を出し、 雑草のように自然交代することを理想として試みた。 だが、麦間には雑草だけが生えたので、それを一度は抜き、 陸稲と蕎麦の芽が出ることを … 続きを読む

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多数決という集団暴力

多数決で決められないことがある。 それは命に関することである。 人の命を人が決めることはできない。 その人が自己であれ、他人であれ、 人が創った国であれ、国連であれ、 法であれ、神であれ、人の命を決められない。 命の問題 … 続きを読む

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縄文の多様性が現代人をうならせる

松形恭知陶工から 日展トークインで話していた縄文早期の土器の写真を送ってきた。 彼曰く 「縄文土器というとすぐに火焔土器を思い浮かべますが、 実際には一口に縄文土器と言っても、本当に多様なものではないかと感じます。 縄文 … 続きを読む

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稲思考から自他共存生活に

陸稲栽培を8年模索してきたが、 蕎麦と陸稲による実験を契機に諦めた。 5年目には水稲と同じように苗を育て、マルチシートで雑草対策をして、植えるときには水をたっぷり与え、梅雨時に植え付けを完了させて成功した。 だが、苗作り … 続きを読む

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縄文人が師匠

新宿高校のクラスの友人の松形恭知陶工の縄文の見識が私と同じであることをハガキで教えてもらった。 彼が1万年前の縄文土器を友人に見せたとき、 「随分作風がモダンになったな」と言われたそうで、そこから、縄文の工芸が少しも進化 … 続きを読む

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