徒然草」カテゴリーアーカイブ

神は生きる目的としての象徴という姿が似合っている

 昔、神を必死に求めたことがある。その時、神は私のすべてであり、生きる目的であった。しかし、神であると思っていた存在が単なる人であると知ったときから、本当の神とは何かを考えるようになった。  その結果、神とは生きる目的で … 続きを読む

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空し除草と除染

 水稲の畑作をして、何度も雑草をとったが、水稲は成長が進まず、雑草の下に隠れて枯れる運命だ。それでも、ひょっとしたら、雑草さえ除けば水稲は生き返るかもしれないと、雑草をとっている。  そんな作業はまるで福島の原発事故によ … 続きを読む

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水稲の畑作の限界

 台風がきて、雨が降って水揚げをしなくてすんだが、雑草をとってから一週間もすると、もう水稲は雑草の10分の1くらいになり、ほとんど負けてしまった。水稲自身が大きくならないで、成長しなくなった。もう水稲の畑作の限界がきてい … 続きを読む

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個性と環境を稲から学ぶ

 私は動画編集ができないので、10分の舞台のように撮影している。  昨日、ツイッターで、突然変異は99%の努力と、1%の運によって起こると書いた。これは稲が生きようとする力が努力であり、自然の力が運であるという意味である … 続きを読む

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無償の愛があってこそ命のバトンができる

 今日は麦の収穫とその後に昨年育てた大豆の種を蒔いた。大地を麦と大豆は共有して、それぞれの命のバトンをする。その中で、私という人間が麦と大豆の一部を食べて、命をつないでいる。  そうした命のバトンを想像すると、永遠の命を … 続きを読む

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