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働くことと稼ぐこととは全く違う

金曜日, 7月 6th, 2012

 どうやら今年も稲作は失敗したかもしれない。種籾はすぐには発芽しないで、1ヶ月以上かかるようだ。そのため、種籾をばらまくと、ハトや雀にその種を全部食べられてしまう。それを防ぐために、不織布で覆う。それで鳥害を防げても、次は稲の生長が雑草の生長よりもかなり遅いため、不織布をとってみると、ほとんどが雑草で覆われており、稲はその雑草の下で、ほとんど発芽がとまるか、朽ち果ててしまう。

 雑草だけを刈り取ろうとしても、稲とイネ科の雑草があまりにも似ていて、その区別がつかない。しかも、雑草100に対して稲が1の割合で発芽している。

 こうなってしまうと、稲作をあきらめて、大豆を中心にした畑作に切り替える必要がでてきた。大豆は稲作が失敗したときのための、方策であったからだ。

 ただ、皮肉なことに、種を蒔いて、不織布を覆うことができないために、麦わらをそのかわりに敷き詰めたところは、稲の発芽だけがみられたのである。それは、稲は上にまっすぐに発芽して、その茎は堅いが、他の稲科の雑草は横に広がるものが多く、また茎も柔らかいので、麦わらの上にはのびてこないのである。

 まっすぐに伸びてくるイネ科以外の雑草の場合、区別がしやすいので、すぐに除草できる。

  しかし、麦わらをかなり敷き詰めていないと、そうはならないで、上は鳥に、下は雑草にやられて、発芽していないのだ。

 つまり、種をばらまいたら、麦わらをいっぱいに敷き詰め、さらに、不織布で覆う。そして、1ヶ月たったら、不織布をはずして、雑草を除草する。

 これで完璧ではない。まず、麦わらの数がそうないのだ。それに、土をよく耕し、種を土で覆わないと、発芽しないものが多いのである。

 土を耕さないと、土が堅く、稲の種は発芽しにくく、他の稲科の雑草にはもってこいの条件になってしまう。

 私は耕さない自然農をめざしていたが、稲にはそれは不向きであるようだ。何故稲は水田なのか、また、苗から育てるのかは、こうした鳥と雑草対策には水田がもってこいのためであろう。

 陸稲の場合は、雑草対策として、他の野菜のように、畑をビニールシートで覆い、そこに穴をあけて、そこに種を蒔くというような方法がとられるようだ。

 水田にしろ、ビニールシートにしろ、自然農とはかなり離れている。同じ方法では私の研究は無意味である。まったく新しい自然に合わせた農法を目指しているので、できるかぎり、別な方法をとりたいものである。

 というのは、私の目的は稲を食べたり、売ったりすることが目的ではない。自然農の稲作の研究が目的であるからだ。

 娘が保育園に勤めているが、上司との関係がうまくいかず悩んでいる。そこで相談され、私は就職と就社の違うことをいい、「栄養士としての就職にはこだわり、その保育園にはこだわるな」とアドバイスした。

 一体働くとはどういうことなのだろうか?

 給与をもらうのはその会社からである。だが、栄養士として働くことはその給与と関係あるだろうか? 会社が支払うお金は娘の評価であって、栄養士としての評価ではない。実際問題として、栄養士の仕事をさせられておらず、上司の言われるままに皿洗いをしたりして働くお手伝いさんである。それはまだ栄養士の資格があっても、その仕事ができないからである。

 私が稲作に挑戦したのは、お金を得るためではない。そのため、他人には労働とは思われないであろう。ただの趣味道楽と同じである。世間一般ではお金を稼ぐことができないことは労働ともプロともいえないのである。

 しかし、私自身にとって、お金を稼ぐことができないばかりか、お金を費やすことばかりで、失敗ばかりする稲作を労働であると思っている。

 他人からみれば、お金を稼がないでどうして暮らせるのだといわれるが、それは稲作でも、店の経営でもなく、アパートや駐車場の経営からである。金を稼ぐのは労働力ではないのだ。金が金を稼ぐ時代だからである。

 株や通貨売買で、キーをクリックするだけで、数億もの金を稼げる時代であり、それがこの世界を動かしている。けして労働ではないのだ。金と労働とは無縁である時代が今の時代である。

 金持ちはほとんどが不労所得であろう。私が便利屋の社長であったとき、自分の仕事はまさにアルバイトの労働のピンハネ業だった。私の労働ではなく、他人の労働で金を稼ぐのが社長業であることがわかった。

 銀行が企業に金を貸し、その利息を儲けている。それはまさに他人の労働で金を得る不労所得である。この不労所得は金で金を稼げる法律から成立しているのである。

 先日、消費増税法案が成立したが、この消費税のほとんどは借金返済の利息にとってかわる。消費税が社会事業になるなんていうのは名目上である。国公債の利息のための税金である。それは金が余った国民のために、金で困る人が働いて返済するための消費税増税である。

 つまり、今の時代は金で働く国民になっている。昔は貴族のような家系に、そして、武力に、今は金に遣われている。

 人にために、自分のために働くのではなく、金もために働くのを最上とする時代である。こうした金の時代は貴族の時代から武士の時代が終わったように、金の商人の時代はいつか終焉を迎えるだろう。そして、人の労働の時代がやってくると思える。

 金で金が稼げる時代はもう終わりが近づいているのだ。金で使われず、人のために動く時代、労働の時代がやってくるだろう。