Archive for 7月 19th, 2012

智恵が満ちあふれている

木曜日, 7月 19th, 2012

 「愛が世界に満ちている」とはいうが、それは自分が恋しているときに、世界が愛に満ちあふれているように感じることだ。

 しかし、「智恵が世界に満ちあふれている」と観じられた時は、どんな事象をみても、それが自然の営みであり、それがすべての解決策を表していると知った時である。

 智恵とは何か苦しみぬいて、その中から生まれてきたような・・・そう泥沼の中から咲く蓮の花のようなものに思われているが、その蓮の花が咲くだけの事象ではなく、どんな事象にも智恵が表されているということだ。

 それは智恵とは産み出されるものではなく、そこに存在するものだということである。欲望を押さえるのは智恵であるといわれるが、欲望を促すのも智恵である。生きとし生けるものの欲望はまさに自然の営みであって、その欲望の発生と後退もまた自然の営みであり、その自然の営みそのものが智恵だといえるものなのである。

 また、悟りといって、まるで最高の智恵のようなことをいうが、智恵に最高も最上もあるというのがそもそもおかしなことである。人間が月に行くことができる技術というのはそもそも慣性や重力の法則を元にしたもので、そうした法則は自然の営みの一つにすぎないのだから、自然の営みを知っただけで、その自然の営みの通りに動いたら、そうできたにすぎない。

 智恵が人間の産物ではないのだ。ただ人は自然を観察しただけにすぎないのである。智恵が何かといえば、それは自然そのものであり、自然が何かといえば何もかも自然である。 
 つまり、自然なるものはすべて智恵である。だから、智恵は世界に満ちていると観じるのだが、むしろ、自然と智恵が同じならば、智恵が世界そのもの、自然そのものであると言っていいのである。

 知欲といって、智恵は求められるもののように思われているが、それは幸福の青い鳥を求めるようなもので、知を求めると、知はすでにそこにあるということだ。知は先にも以前にもそこにあるのだ。

 最近、エジプト人という映画をBSで観たが、キリスト以前の1500年前にも、民族や貴賓の差なく、人は平等であるという思想家もいたという。こうした人は平等であるという智恵は最近に生まれたものではなく、3500年前の人間にもあったともいえる。

 人が平等というのは、人以外の生物の視点から人間を観察すれば明らかな智恵であるから、平等の智恵は人類が誕生し、死滅する時にも、またそれ以前にもそれ以降にも存在する智恵である。

 また、その逆の智恵もあるが、それはこういうことだろう。一つ一つの事象がそのまま智恵であるということであろう。

 では馬鹿って何だろう? それはたぶん、「わかっちゃいるけど、やめられない」ってことだろう。とはいえ、その馬鹿につける薬も智恵である。馬鹿を観察する眼も智恵である。いわば、馬鹿とは智恵の演技のようなものにすぎないってことだ。

 

食と人間

木曜日, 7月 19th, 2012

 もし食料がわずかだったら、人間はその食料を奪い合うだろう。
 もし食料が適度にあったら、人間はその食料を分け合うだろう。
 もし食料が有り余るほどあったら、人間は食料を別な目的のために奪い合うだろう。

 東京のアパートの住民だった家財荷物を整理が終わり、やっとリフォームすることができる状態になった。それまで、畑仕事で、麦の後の稲作に苦労していた。雑草と稲との交替を夢みていたが、稲は水田の方が、その特性を発揮しやすく、栽培には適しているようだ。畑作には陸稲の種でないと、成育が進まない。

 陸稲はとにかく雑草に負けないようにしないと成育ができない。稲が苗の状態だと、雑草との区分けが難しく、しかも、雑草の種のが圧倒的に多く、しかも成育が稲の数倍も早い。そのため、麦の後の種まきでは遅すぎたため、雑草負けになり、失敗した。

 結局、雑草負けしない大豆栽培に変更し。大豆の周りは雑草が生い茂る状態になり、雑草に下にわずかの10㎝ほど苗が生き残っている。

 雑草を採ることを毎日やっていたが、とても追いつかない。そして、ふと「どうして雑草を採るのだろうか?」と問うてみた。

 「稲の苗を生かすため」とすぐに答えた。「では、このまま雑草を採り続けていけば、稲は育つのか?」と問われると、「雑草の種類も、量も半端な量ではなく、大豆の成育を守るのが精一杯だ」  「だったら、稲作をあきらめて、今しなければならないリフォームでもしろよ」と言い換えされてしまう。

 雑草を採るというのは、雑草を殺すということである。これは虫を殺すことと同じで、畑で刺される蚊やブヨを殺し続けても、けして全部の蚊やブヨを殺すことはできない。殺しても殺しても蚊やブヨはどんどん発生してくるように、雑草をいくら採っても採っても生えてくるものである。

 そのため、蚊やブヨを殺さずに、刺されないように網の帽子と服を付ければいいだけである。また、蚊が多く発生しないように、水たまりをなくすようにしてしまえばいい。

 虫を殺すのではなく、虫が生まれるのを止めればいい。雑草も同じで、雑草の種がまかれないようにすれば、雑草は生えてこない。

 人は最終手段として、戦争のように「殺す」決断をするが、それはヒットラーのようにユダヤ人を抹殺しようとしても、無理であり、逆に復讐されて、自分が殺されてしまうだろう。

 殺すのではなく、発生を抑えることが、目的にかなう。

 発生を抑えるようなことは、予防であり、生まれるまえに、物事を処理することである。食料生産もまた、人が必要とするだけの生産だけをすれば悲惨な殺し合いは避けられるのである。