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みんな神様道 1

月曜日, 3月 11th, 2013

 一章  神様って何?

 「みんな神様道」は、「みんな」「神様」「道」の三つの柱で成り立っている。

 三本柱にしたのは、大体、物事を決めたりするのは最低三人必要であり、知恵だって、三人集まれば文殊の知恵というではないか。

 この中でもっとも目立つのが神様という言葉なので、それから始めてみよう。

 十代の頃、神様が何か死ぬほど悩んだことがあった。死ぬほど? というと、大げさのようだけど、当時「なんのために生きるのか?」と悩み抜き、あげくのはてに、精神病院まで入院したことがあった。

 それは「生きる理由がわからないと、生きられなくなる」という時期がある。そして、若くして自殺に走ることだってあるのだ。

 人間は肉体と精神(心)を持っており、肉体の病気のように、精神も「生きられない悩み」も生じる。最近はうつ病が注目されている、うつ病はいわば自分で自分を生きられないような精神的状況においやってしまうものだ。逆にそう病はまわりの人に対して生きにくくしてしまうものである。

 ウイルスのような病原菌は人にうつる場合と、うつらない場合があるように、精神もまた自分だけおかす病と、他人をもおかす病がある。その他人にうつらない代表がそううつ病であろう。

 生き死にを分けるとき、英語では「OH MY GOD」であり、「あー、神様助けてください」と世界共通の叫びであり、祈りである。

 もし、その人が無神論者だったら、神様の代わりに、「お母さん、助けて」もしくは「お父さん助けて」になるだろう。

 自分の命を授けてくれた存在は親であり、神様であるからだ。

 自分の命を授けてくれた存在を次元を大きくしていくと、神様の具体的姿が見えてくる。

 血筋をたどると、

1,自分を生んでくれた母親 2.自分を生んでくれた父親 3.父母の先祖

 生みの親より育ての親というように、
 育てをたどると

1,自分を育ててくれた人 2.自分を育ててくれた組織や社会 3,国、民族、世界、人類、地球、宇宙

 というようにどんどん大きくなってくる。

 一番大きな宇宙の存在になると、「天地創造する存在」を神様と呼ぶことになり、もっとも位の高い存在・・つまり、もっとも大きな視点が位になってくる。

 私達が上下の位を競争することが好きである。スポーツやギャンブルでは勝負に勝った方が位が上になるからだ。

 人は本能的に一番上を目指すようにできているようだ。この一番という位を一つの視点としてみると、それは一つの意識であるともいえる。

 我々が生きているかどうかの判断は「意識があるかないか」でさえる。それが自己意識でなくても、植物人間であっても、反射機能のような意識があれば、生きていると判断される。眼にライトをあてて、その瞳が動くかどうかで反応があるかないかが生死の判断になる。

 そのような意識を視点として物事を判断してくと、人は神様のような意識を持つことができる。それは、人は真っ白なキャンパスに自由に絵が描けるように、人は自由自在に想像することができるということだ。

 「想像できることは実現できる」ことだとも言われる。

 これは「夢は必ず叶う」とも信じられている。その理由は「もしそれが不可能であったり、存在しないのであれば、けして想像さえもできないはずである」ということがあるからだ。

 さて、ここで問題なのが、「すべての想像」と、「すべての存在」と、「すべての実現」とはまったくイコールではないことだ。

 「夢は叶うこともあるし、叶わないこともある」というのが現実である。それは神様という存在にもいえて、「神様はいるときもあるし、いないときもある」というのが世の中である。

 さて、神様とはなんぞやである。

 そこで、私は思うのだが、「神様とは一つの大きな意識であり、一つの大きな視点であり、一つの大きな想像力である」と。

 つまり、神様は夢と同じで、実現することも、しないこともあるが、少なくとも、我々の問題を解決してくれる最も頼れる存在であり、視点であり、知恵であり、そして、想像力であると思うのだ。

 この意識と視点は「もし自分が神様だったら、この世界をどうするか? どう想像するか?」になり、そこから、始めてみようと思うのだ。

 もちろん、そこからの想像が実現するかしないかはわからないが、少なくともその空想は充分楽しめるものであり、自分が自由自在に宇宙や人類を操れる想像主になれるものだ。

 人はファンタジーのような空想が大好きで、まるでありえない話が大好きである。それは人は本能的に自分が神様のような意識をもつことができるからだろう。

  いわば、みんな神様道というのはファンタジーな神様物語を描くようなものなのである。

 

みんな神様道 0 

月曜日, 3月 11th, 2013

 序章

 残り少ない人生で考えるとしたら、生きている間に自分ができること、いや、自分しかできないことは何かである。

 自分しかできないことというのは、今まで自分が悩みながらも発見したことを後世に伝えることではないだろうか。

 十代のとき、死ぬほど苦しかった過去の自分と、その苦しみを乗り越えてのんびり生かされている今の自分と比べてみると、明日の自分は何をすべきかが解ってくる。

 自分の子どもの苦しみを観察すると、当時自分が苦しんだ内容と同じもの、違うものがある。違うとすれば、その時代時代がみんなで解決した内容であったり、逆に昔はそんな問題はなかった内容である。

 でも、百年たっても、同じ問題を抱えている内容もある。いわばそれは永遠のテーマであり、人間の生と死に集約することができる。

 永い経験で、どんな問題もその次元を大きくしていくと解決できてしまう。逆に、どんな問題もその次元を小さくしていくと、どんどん問題が大きくなってしまい、にっちもさっちもいかなくなる。

 最近、ユーザー車検でブレーキランプが切れてスムーズに通らなかったときだ。そんな小さな問題にくよくよしたり、はらはらしてあせってしまう自分に驚くことがあった。まるで生きるか死ぬかのようなドキドキしたのだから、あきれてしまった。歳のせいか? 歳にしてはとりすぎている。はて? 猿も木から落ちるということか? いやいや年寄りはほんの小さな段差でもつまづくというではないか、やはり老化が原因ではないのか?

 とまあ、悩むのはいくつになっても同じのようだ。

 生と死は時代も年代も超えて、悩むテーマである。そこで、生と死の問題において、これから自分しかできないような発想をして、後世に伝えたいと思う。

 その視点を「みんな神様道」と名付けてみた。