Archive for 5月, 2019

欲望はメビウスの輪クラインの壺

土曜日, 5月 18th, 2019

ダイエットを意識すると

欲望の相反性を観察することができる。

もっと食べたい:もう食べたくない

欲望の究極は

もっと生きたい:もう死にたい

この欲望を他人に向けると

もっと生かしたい :もう殺したい

この欲望を支える命の構造はまさに

二次元ならメビウスの輪

三次元ならクラインの壺

である。

動と静、生と死、現実と幻・・

相反する姿が無限に繰り返す波のような存在・・

・・表と裏の社会

表と裏の人間の顔の姿のようなものである。

メビウスの輪はお祝いのリボン

クラインの壺は心臓

のようにも見えてくる・・・

これが真実の姿であるというのに

この相反する動と静 生と死 現実と幻 表の裏・・

これらを特に善と悪 神と悪魔 仏と鬼・・のように

切り取って 判断 理解 信心しようと常にしている。

それはまさに無限回労の迷路を彷徨い続ける行為であるというのに!

相反する欲望を断定切り取らず

そのままその真実を認め受け入れてしまう。

それで迷わず自然に楽に生きては死に、また生き返る・・

そんな命の浪間をゆっくり船をこいでいく・・

そこから見える命と自然の美しい景色とハーモニーを眺めながら・・

 

 

原因を探るということ(自然自己治癒)

火曜日, 5月 14th, 2019

一週間も続いたジンマシンの原因を探ろうとしたその翌日の朝

目覚めたら、

スーと湿疹が消えかけており、痒みも少なくなっていた。

午後にアレルギー検査をしにいくころには

湿疹が医者が虫刺されのようだと勘違いするほどになっていた。

 

一体何が起きていたのか?

 

意識を病の症状の醜い湿疹や執拗な痒みという苦痛をバネに

その原因を追究することに向けた時に奇跡のような回復力が出た!

 

アンビリーバブルで、あと一か月の命という癌患者が

前向きに夢に向かって生きていったとき、癌細胞が消えたという放映があった。

癌を克服した人々が集まる「いずみの会」での、医者の死の診断と、抗がん剤や放射線 切り取り手術を信じず、

癌は治せると信じて、食事を中心にした生活改善をして 癌細胞が消えたという報告が何件もある。

 

それらが本当かどうかはさておき、

先のような意識の転換による小さな奇跡から、

前向きな健康回復への強い意識で行動したときに、奇跡のようなことが起きるのは確かなような気がしてきた。

 

ピンチはチャンスのような、ものは考えようで、精神的な苦しみが大きく軽減される経験は何度もあるが、

それが身体的な病にも通じるというのは驚きである。

 

この前向きな健康回復への意識の転換は

その病の症状の苦痛をバネに、その病の原因を探し、取り除こうと動き出したときに起こるようだ。

後ろ向きなのが 原因を探ろうともせず、その症状の苦痛だけを和らげることだけに集中してしまうことである。

これは煙草・酒やギャンブル・麻薬のような依存症の人が陥る苦痛と快楽を繰り返し、依存と病気がさらに悪化していくようなものである。

これは社会的な戦争を大きくしてしまう負の連鎖でもある。

自由と放任は違うように

自然と放置は違う。

自然治癒と放置悪化とは違う。

自然の持つ健康への回復力に向けた前向きな心身の取り組みこそ、自然自己治療といえるものであろう。

問題の核心が命、命の核心が自己意識

火曜日, 5月 14th, 2019

健康平和自然の前旅をしていると

そのテーマ(問題・目的)そのものを僕はすでに今得ていることに気付く。

この状態を維持し、

このまま枯れるように寿命がつきるようにもっていくのが仕事である。

周りや世界を眺めると

健康平和自然をいつものような生活をしていると維持できないハプニングが時々起きている。

私の家族友人をみても、多いのが「自殺と癌」で、日本の死因のトップと同じである。

僕が子供のころは交通事故死が死因のトップだったように記憶している。僕の親の世代では戦争であった。

時と場によって、死因状況が変わってくるのが解る。

(^^♪ ($・・)/~~~ ♪(>_<)♫ ♩(^^)! ♩ ♬”(-“”-)”♩( ^^) _U~~

ふと

一体 自分という意識はいつどこからやってきたのだろうか?

という疑問が沸き起こってきて、いささかびっくりした。

もし、自分という意識がなかったら

問題 命そのものの問題も 何もなくなる。

 

問題の核心にあるのが命そのものであり、

その命の問題のさらなる核心にあるのが自分という自己意識である。

無意識であれ、自己意識のない生命体はいない。

生命体がこの大宇宙で発見されているのは芥子粒のような地球だけである。

 

命は奇跡的な確率でこの宇宙の地球に存在している。

生きとし生ける中で、特に自己意識が強いのが人類である。

それは集団的心理でも、愛国心 民族愛 地域愛 という形での自己意識も強くみられる。

 

特に平和を脅かす戦争や闘争は 強すぎる自己意識から起きてくる。

つまり

ほどよい自己意識が「健康平和自然の命」を守り、また蘇させる。

この程よい自己意識をどう持つか?

これがポイントである。

そもそも自己意識が強くなったり、弱くなったりする原因は何か?

それは他からの刺激や波動からで、しかも、その他の人や内容によって、大きく反応の度合いが違ってくる。

周りの人や環境との相性によって、程よい自己意識が保たれる。

(^^♪ ($・・)/~~~ ♪(>_<)♫ ♩(^^)! ♩ ♬”(-“”-)”♩( ^^) _U~~

ある日突然・・

この自己意識が脅かされるのが・・

健康平和自然に相対する病気戦争破壊がやってきた場合である。

これら大きな病気戦争破壊がやってくる前になんらかの小さな兆候がある。

これは 1つの大事故が起きるずっと前に、300の小さなヒヤリハットが起きるハインリッヒの法則からもいえる。

つまり、

命そのものを脅かす病気戦争破壊が起きる前のヒヤリハットの小さな兆候を見逃し、無関心にならずに、その原因究明と安全対策をしておけばそうした病気災害に巻き込まれなくてすむ。

ちょっとした風邪や湿疹やだるさなど不自然な兆候を放置せず、その原因と再発をしないような対策をしておけば大病を自然にまぬかれる。

 

こうしたほどよい自己意識対策をしておけば

 

今生きているということ

それは

必死に

生き抜きたりて

奇跡起き

 

今死んでいくということ

それは

休みたい

もう十分

ありがとう

 

今産まれるということ

それは

もう一度

やり直したい

声あげる

 

こんな生死再生の

星の瞬くような輝き

その波間を旅し楽しむ

自由で自遊な生き方ができるのではないだろうか?!

 

 

 

自然さとは頑張りも諦めもせず待ち忍ぶということ

土曜日, 5月 11th, 2019

 

自然に目的はない。

欲望に目的がある。

自然と人間を対比させた時

目的がないのが自然であり、

目的をもつのが人間である。

あるがままに受け入れる

頑張るという行為は 

目的や夢に向かって誠心誠意努力するということである。

とても人間的であり、人間のハートをとらえて離さない。

いろいろな障害があっても、目的(夢)を達成するまで

けしてあきらめない! Never give up! である。

目的(夢)を持たない自然は

けして頑張らない、

諦めは頑張りをやめる心であるから

最初から 頑張らない自然はあえて諦めることもない。

いわば

自然は頑張りも諦めもない

慣性の法則みたいなものである。

先に障害がなければそのままずっと進み、

障害があれば、その障害を回り込む。

諦めが肝心、急がば回れ という信条が自然さに近い感情である。

 

健康と平和に自然さを加味したらどうなるだろうか?

自殺も癌も あえて治療せず 自然治癒という道を選択するだろうし、

犯罪も戦争も あえて抑え込まず 自然と平和におさまるのを待つ道を選ぶだろう。

あえて 何もせず

時がすべてを解決するというような待ち忍ぶ行為である。

自然さとは

あえて 人間的な頑張りも諦めもせず

時の流れに身も心もまかせて

健康な体に、平和の心と社会に戻っていくのを

じ~と待ち忍んで暮らす生き方であろう。

自分の心の叫びに正直に生きる

そっと静かに

自分の心の底にある声を聞き取り

その声とともに正直に生き、行動していくことであろう。

寝るもよし、座るもよし、歩くのもよし、踊るのもよし

あなたらしい生活、あなたしかできない生き方をしていくことだろう。

 

幻や

水曜日, 5月 8th, 2019

欲する君

共に来たるは

幻や

二人の男女学生とインドで

自灯明 法灯明

を話し合った。

男学生は

「自分が何をしたいか解らない」

女学生は

「物事を究極のところから観てしまう」

どちらも現状に満足している。

もし二人がストリートチルドレンだったら 別な具体的な答えが返って来るだろう。

欲あるところに

夢 理想 が産まれる。

これら夢 理想は 実現していないので

幻である。

心を病む時

幻聴 幻覚 妄想

に苦しめられる。

心健やかな時

幻聴 幻覚 妄想

を楽しむ。

どっちにしろ

幻通りになる事はほとんどない。

あるとすれば

奇跡的な確率で実現する。

さて

今は 康平自然の旅の第一回

Learn how to love Yourself

がテーマである。

前回の思索から

他者 昔の自分には感謝し

今の自分だけを愛そう!^_^

が結論だった。

更に今回は

今の自分を心から愛するにあたって

健やかで楽しくなれる幻をどこまでも広げてみたらどうだという提案である。

自分の意識で

前向きな楽しい夢にも

後ろ向きな悲しい夢にも

自由自在に

真っ白いキャンバスに

描くことが出来る。

その夢 理想 幻 が実現しようとしまいと

ギャンブルしなくていい。

君は夢を観るだけでいい。

それだけで充分である。

実現出来るかどうかは

世のほとんどは

自分一人では何もできないのだから!

後は人任せ 自然任せである。

その結果古今東西 奇跡的な予想外になるのが常である。

予想も 決めつけも 無意味な徒労で空しきことである。

神仏は人びとが究極的に

求める姿である。

その神仏の本当の姿は

他にはなく

自分自身の心の中心に描かれる

である!

それ故に 真実の神仏は 人々に共通な姿 名も無く

今生きている個々人の心の中心にある

名がつく姿の幻であり 個々人の数だけ存在する。

自分を愛するという事は

この自分の心中心にある

自分だけの神仏を愛するということだ。

その神仏は

恋する人

尊敬する人

の名 姿 であっていい。

自分が望むような愛する幻とともに

語り合い 喜び合って

力強く

今の自分を生きればいい!