行列ができる店づくりへ

フリマ笹塚は菓子製造の臨時出店が可能である

毎月出店してくれている 関和屋さんは

団子を焼いて販売する菓子製造業の保健所の許可をとっている

昨年の暮れ

関和屋さんの保健所許可を受けるために

私がキッチンと手洗い 湯沸かし器を設置してOKをもらったものだ。

自分でいろいろな商売をしてきたが

笹塚十号通り商店街で生き残る店としては

菓子製造業が一番可能性があると判断してきたこと

また

毎月出店してくれている関和屋さんが出店なしだと経営は厳しくなると予想したものでもある

今後

笹塚に来てほしい店を営業するなら

この保健所の許可がとれるフリマ笹塚は大きな営業メリットでもある

 

 

 

 

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フリマ笹塚の営業は顧客の創造である

店の大家の消費税8%と更新料で 店のピンチを迎えたが

ここは 本当の商人の出番かもしれない

商いは見切りが大事というが

それは儲からないから すぐ撤退するのが第一というのではない

何がその商売に大事か? とそれを見切ることである

フリマ笹塚だけであったなら 累積赤字が膨大になっていくので 閉店すべきであろう

しかし 私の商売全体において フリマ笹塚が占める割合はほんのわずかだ。

商いはいわば生き方であろう。

何がフリマ笹塚に必要なのか?

それは儲けることではなく 顧客が何を望むかである

笹塚にどんな店があったら 楽しい街になるだろうか?

笹塚住民が呼びたい店を誘店することが大事だ

商いの基本は営業である

顧客にとって 喜ばしいサービスをすることである

零細店も零細企業も同じで 積極的な営業を開始することで

新しい顧客を作り出すことであろう

顧客を待つのではなく 顧客を創ることだ

経営のコツは顧客の創造というではないか

フリマ笹塚に出店してほしい店への営業が 顧客創造の道である

 

 

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フリマ笹塚の存在意義

世の中の流れがもはや

駅前の商店街自体の存在意義がなくなってきた

当フリマ笹塚の経営困難は

日本中の商店街がかかえる問題でもある

今は

大型ショッピングセンターとインターネットショッピングが主流になり

零細な個人商店が生き残る道はなくなってきた

フリマ笹塚を数十年前から地元下町住民の祭りの神栖場として使われ

数年前から笹塚十号通り商店街でも使われている

地元のボランティアやリサイクル団体にも使われたこともある

そうした意味で

フリマ笹塚の存在意義は地元の活性化には欠かせないものといえる

もしフリマ笹塚を閉店したら

地元の灯が消えたようになってしまう

それは60年間も続けた老舗の店が次々と閉店していくようなものになり

伝統を守る仕事が消えるようなものだ

今後もフリマ笹塚を経営するには

毎月相当な赤字を覚悟し ボランティアでやる気持ちでないと無理である

それを支えるには希望が必要だ

いつしかフリマ笹塚が地元にはなくてはならない存在になるという信念が必要だろう。

 

 

 

 

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たとえ明日世が滅びても私はリンゴの木を今日植える

宗教改革をしたマルチン・ルターの言葉でゲオルギウが紹介した言葉である

たとえ世界の終末が明日であっても、自分は今日リンゴの木を植える

Wenn morgen die Welt unterginge, würde ich heute ein Apfelbäumchen pflanzen

マルチン・ルターは他でも

悲しむ理由よりもっと多く、喜ぶ理由が私たちはある。なぜなら神に望みをおいているのだから

神は希望の光の象徴であり、現実の悲惨さに対する自分が信じて生きる道筋でもある。

今朝起きる前に

たとえ明日世が滅びようと私はリンゴの木を今日植える

と浮かんだ言葉で 誰が最初に言ったのかネットで探してみたのだ

小麦を手で刈って足踏み脱穀 手もみ 風選して 一粒の種をもみだす自分の姿を

大型機械車で それを一瞬でやってしまう中国の小麦畑の風景と比較して浮かんだ言葉だ

私が今やっていることは

陸稲の畑植え ダイエット リフォーム 店経営も

世界にとってはなんの意味もないことだ まさに無駄な作業ばかりである

でも、私はそれに自分の希望をかけている

明日自分が死ぬということが解っても たぶん私は今やっていることをするだろう

たとえ それをやりきることができなくても 今日できることだけをするだろう

夜明け前に鳥が騒ぐ

自分も同じような心境で 今日目覚める

鳥だって明日世が終わろうと今日えさを求めて歌うだろう

鳥も人も 自然に合わせて生きることが一番楽しいことなのだろう

 

 

 

 

 

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早寝早起きで人生二倍楽しめる

東京の板橋の玄米によるペットボトル栽培をして

2週間外に放置したら ペットボトルの底に穴を開けなかったせいか

雨水があふれ 水稲玄米はほとんど腐ってしまった。

数百分の1で伸びた一本があったが馬鹿苗病みたいで 廃棄した。

 

山梨でも穴のないバケツで 陸稲苗を栽培しようとした

東京で2週間たち 梅雨入りしたかのうような雨が続いたので

一年に一度しか 米の栽培のチャンスがないので

バケツ苗床に穴を開けようと 山梨に帰宅しようとした。

まだ夜明け前の3時半だというのに起きて

帰宅の準備をした。2時間半くらいで準備して

朝5時45分調布の中央高速に向かった。

いつもなら 混雑していて動かないが 早朝のため道路が空いている

8時回ったときには 山梨の自宅に着いた。

 

以前の生活は 朝10時ごろに起きていた。仕事はいつも昼の1時過ぎだった。

いつもならまだ寝ている時間に 私は東京から山梨に移動している。

今までの生活がいかに損していたか!

早起きすると 人生を二倍に生きられることを知った。

それに気づいた時は もうあの世にかなり近づいた時だから皮肉である。

帰って すぐバケツ苗をみたら

なんと 水はなく 苗が乾いた土を押し上げていたからびっくりだ。

あんなに青かった麦は2週間で見事に黄色く実っていた

二週間がこんなに麦や稲を変貌させるものかとびっくりした

バケツ穴なし陸稲苗

 

 

 

 

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