聞くということ

学ぶということ

それは

聞くということから始まる

 

教えるということが

聞くということから始まるように

 

共に生きる

共に旅する

その始めは

相手を知ることから始まる

知ることの始まりは

聞くことからだ!

 

 

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結果なんかどうでもいい

君が何を求めるかってことが

重要なんだ!

結果は君が決められるかい?

結果は未来^_^

未来は誰にも決められないし

解るはずもないように

結果も誰も決められないし

解るはずもないんだ!

まして

君が決めるなんて!?

それは雲をつかむようなもので

徒労にきす無駄あがきだ!

それは

消えた過去をいつまでも

捕えて話さない

執着の裏返しみたいなものだ!

 

 

 

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欲望はメビウスの輪クラインの壺

ダイエットを意識すると

欲望の相反性を観察することができる。

もっと食べたい:もう食べたくない

欲望の究極は

もっと生きたい:もう死にたい

この欲望を他人に向けると

もっと生かしたい :もう殺したい

この欲望を支える命の構造はまさに

二次元ならメビウスの輪

三次元ならクラインの壺

である。

動と静、生と死、現実と幻・・

相反する姿が無限に繰り返す波のような存在・・

・・表と裏の社会

表と裏の人間の顔の姿のようなものである。

メビウスの輪はお祝いのリボン

クラインの壺は心臓

のようにも見えてくる・・・

これが真実の姿であるというのに

この相反する動と静 生と死 現実と幻 表の裏・・

これらを特に善と悪 神と悪魔 仏と鬼・・のように

切り取って 判断 理解 信心しようと常にしている。

それはまさに無限回労の迷路を彷徨い続ける行為であるというのに!

相反する欲望を断定切り取らず

そのままその真実を認め受け入れてしまう。

それで迷わず自然に楽に生きては死に、また生き返る・・

そんな命の浪間をゆっくり船をこいでいく・・

そこから見える命と自然の美しい景色とハーモニーを眺めながら・・

 

 

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原因を探るということ(自然自己治癒)

一週間も続いたジンマシンの原因を探ろうとしたその翌日の朝

目覚めたら、

スーと湿疹が消えかけており、痒みも少なくなっていた。

午後にアレルギー検査をしにいくころには

湿疹が医者が虫刺されのようだと勘違いするほどになっていた。

 

一体何が起きていたのか?

 

意識を病の症状の醜い湿疹や執拗な痒みという苦痛をバネに

その原因を追究することに向けた時に奇跡のような回復力が出た!

 

アンビリーバブルで、あと一か月の命という癌患者が

前向きに夢に向かって生きていったとき、癌細胞が消えたという放映があった。

癌を克服した人々が集まる「いずみの会」での、医者の死の診断と、抗がん剤や放射線 切り取り手術を信じず、

癌は治せると信じて、食事を中心にした生活改善をして 癌細胞が消えたという報告が何件もある。

 

それらが本当かどうかはさておき、

先のような意識の転換による小さな奇跡から、

前向きな健康回復への強い意識で行動したときに、奇跡のようなことが起きるのは確かなような気がしてきた。

 

ピンチはチャンスのような、ものは考えようで、精神的な苦しみが大きく軽減される経験は何度もあるが、

それが身体的な病にも通じるというのは驚きである。

 

この前向きな健康回復への意識の転換は

その病の症状の苦痛をバネに、その病の原因を探し、取り除こうと動き出したときに起こるようだ。

後ろ向きなのが 原因を探ろうともせず、その症状の苦痛だけを和らげることだけに集中してしまうことである。

これは煙草・酒やギャンブル・麻薬のような依存症の人が陥る苦痛と快楽を繰り返し、依存と病気がさらに悪化していくようなものである。

これは社会的な戦争を大きくしてしまう負の連鎖でもある。

自由と放任は違うように

自然と放置は違う。

自然治癒と放置悪化とは違う。

自然の持つ健康への回復力に向けた前向きな心身の取り組みこそ、自然自己治療といえるものであろう。

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問題の核心が命、命の核心が自己意識

健康平和自然の前旅をしていると

そのテーマ(問題・目的)そのものを僕はすでに今得ていることに気付く。

この状態を維持し、

このまま枯れるように寿命がつきるようにもっていくのが仕事である。

周りや世界を眺めると

健康平和自然をいつものような生活をしていると維持できないハプニングが時々起きている。

私の家族友人をみても、多いのが「自殺と癌」で、日本の死因のトップと同じである。

僕が子供のころは交通事故死が死因のトップだったように記憶している。僕の親の世代では戦争であった。

時と場によって、死因状況が変わってくるのが解る。

(^^♪ ($・・)/~~~ ♪(>_<)♫ ♩(^^)! ♩ ♬”(-“”-)”♩( ^^) _U~~

ふと

一体 自分という意識はいつどこからやってきたのだろうか?

という疑問が沸き起こってきて、いささかびっくりした。

もし、自分という意識がなかったら

問題 命そのものの問題も 何もなくなる。

 

問題の核心にあるのが命そのものであり、

その命の問題のさらなる核心にあるのが自分という自己意識である。

無意識であれ、自己意識のない生命体はいない。

生命体がこの大宇宙で発見されているのは芥子粒のような地球だけである。

 

命は奇跡的な確率でこの宇宙の地球に存在している。

生きとし生ける中で、特に自己意識が強いのが人類である。

それは集団的心理でも、愛国心 民族愛 地域愛 という形での自己意識も強くみられる。

 

特に平和を脅かす戦争や闘争は 強すぎる自己意識から起きてくる。

つまり

ほどよい自己意識が「健康平和自然の命」を守り、また蘇させる。

この程よい自己意識をどう持つか?

これがポイントである。

そもそも自己意識が強くなったり、弱くなったりする原因は何か?

それは他からの刺激や波動からで、しかも、その他の人や内容によって、大きく反応の度合いが違ってくる。

周りの人や環境との相性によって、程よい自己意識が保たれる。

(^^♪ ($・・)/~~~ ♪(>_<)♫ ♩(^^)! ♩ ♬”(-“”-)”♩( ^^) _U~~

ある日突然・・

この自己意識が脅かされるのが・・

健康平和自然に相対する病気戦争破壊がやってきた場合である。

これら大きな病気戦争破壊がやってくる前になんらかの小さな兆候がある。

これは 1つの大事故が起きるずっと前に、300の小さなヒヤリハットが起きるハインリッヒの法則からもいえる。

つまり、

命そのものを脅かす病気戦争破壊が起きる前のヒヤリハットの小さな兆候を見逃し、無関心にならずに、その原因究明と安全対策をしておけばそうした病気災害に巻き込まれなくてすむ。

ちょっとした風邪や湿疹やだるさなど不自然な兆候を放置せず、その原因と再発をしないような対策をしておけば大病を自然にまぬかれる。

 

こうしたほどよい自己意識対策をしておけば

 

今生きているということ

それは

必死に

生き抜きたりて

奇跡起き

 

今死んでいくということ

それは

休みたい

もう十分

ありがとう

 

今産まれるということ

それは

もう一度

やり直したい

声あげる

 

こんな生死再生の

星の瞬くような輝き

その波間を旅し楽しむ

自由で自遊な生き方ができるのではないだろうか?!

 

 

 

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