自然さとは頑張りも諦めもせず待ち忍ぶということ

 

自然に目的はない。

欲望に目的がある。

自然と人間を対比させた時

目的がないのが自然であり、

目的をもつのが人間である。

あるがままに受け入れる

頑張るという行為は 

目的や夢に向かって誠心誠意努力するということである。

とても人間的であり、人間のハートをとらえて離さない。

いろいろな障害があっても、目的(夢)を達成するまで

けしてあきらめない! Never give up! である。

目的(夢)を持たない自然は

けして頑張らない、

諦めは頑張りをやめる心であるから

最初から 頑張らない自然はあえて諦めることもない。

いわば

自然は頑張りも諦めもない

慣性の法則みたいなものである。

先に障害がなければそのままずっと進み、

障害があれば、その障害を回り込む。

諦めが肝心、急がば回れ という信条が自然さに近い感情である。

 

健康と平和に自然さを加味したらどうなるだろうか?

自殺も癌も あえて治療せず 自然治癒という道を選択するだろうし、

犯罪も戦争も あえて抑え込まず 自然と平和におさまるのを待つ道を選ぶだろう。

あえて 何もせず

時がすべてを解決するというような待ち忍ぶ行為である。

自然さとは

あえて 人間的な頑張りも諦めもせず

時の流れに身も心もまかせて

健康な体に、平和の心と社会に戻っていくのを

じ~と待ち忍んで暮らす生き方であろう。

自分の心の叫びに正直に生きる

そっと静かに

自分の心の底にある声を聞き取り

その声とともに正直に生き、行動していくことであろう。

寝るもよし、座るもよし、歩くのもよし、踊るのもよし

あなたらしい生活、あなたしかできない生き方をしていくことだろう。

 

カテゴリー: 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | 自然さとは頑張りも諦めもせず待ち忍ぶということ はコメントを受け付けていません

幻や

欲する君

共に来たるは

幻や

二人の男女学生とインドで

自灯明 法灯明

を話し合った。

男学生は

「自分が何をしたいか解らない」

女学生は

「物事を究極のところから観てしまう」

どちらも現状に満足している。

もし二人がストリートチルドレンだったら 別な具体的な答えが返って来るだろう。

欲あるところに

夢 理想 が産まれる。

これら夢 理想は 実現していないので

幻である。

心を病む時

幻聴 幻覚 妄想

に苦しめられる。

心健やかな時

幻聴 幻覚 妄想

を楽しむ。

どっちにしろ

幻通りになる事はほとんどない。

あるとすれば

奇跡的な確率で実現する。

さて

今は 康平自然の旅の第一回

Learn how to love Yourself

がテーマである。

前回の思索から

他者 昔の自分には感謝し

今の自分だけを愛そう!^_^

が結論だった。

更に今回は

今の自分を心から愛するにあたって

健やかで楽しくなれる幻をどこまでも広げてみたらどうだという提案である。

自分の意識で

前向きな楽しい夢にも

後ろ向きな悲しい夢にも

自由自在に

真っ白いキャンバスに

描くことが出来る。

その夢 理想 幻 が実現しようとしまいと

ギャンブルしなくていい。

君は夢を観るだけでいい。

それだけで充分である。

実現出来るかどうかは

世のほとんどは

自分一人では何もできないのだから!

後は人任せ 自然任せである。

その結果古今東西 奇跡的な予想外になるのが常である。

予想も 決めつけも 無意味な徒労で空しきことである。

神仏は人びとが究極的に

求める姿である。

その神仏の本当の姿は

他にはなく

自分自身の心の中心に描かれる

である!

それ故に 真実の神仏は 人々に共通な姿 名も無く

今生きている個々人の心の中心にある

名がつく姿の幻であり 個々人の数だけ存在する。

自分を愛するという事は

この自分の心中心にある

自分だけの神仏を愛するということだ。

その神仏は

恋する人

尊敬する人

の名 姿 であっていい。

自分が望むような愛する幻とともに

語り合い 喜び合って

力強く

今の自分を生きればいい!

カテゴリー: 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | 幻や はコメントを受け付けていません

他謝に自愛を

他者に慈愛を

とも漢字で書けるが意味は逆に近い

Learn how to love myself

を考えると

まず

特に増愛する他人

過去の自分

が浮かび出す。

そして最後に

今の自分が確認される。

愛と感謝は似ても非なるもので

むしろ相反するものである。

愛は相手も自分も縛り上げるもので

感謝は相手を赦し自由にさせるものである。

つまり

愛は相手を縛り

感謝は相手を解放する。

束縛と自由という意味で相反する。

問題は

過去の自分を

愛するか?

感謝するか?

である。

その選択によって

今の自分を愛せるかどうかが決まる。

過去の自分は細胞の新陳代謝のように

古い細胞であり 実際には

新しい細胞のように今の自分しか存在しない。

つまり

過去の自分は死んでしまった人々のような

空虚に描かれた幻だ。

幻故に過去の神仏のように

如何様にも解釈可能で善くも悪くも描くことが可能である。

幻故に実際の力は無い

実際に力があるのは今の自分だけである。

だが

過去の自分が今の自分を築きあげたことは

ハッキリとしている。

過去の自分と今の自分との

この矛盾をどう理解したらいいのか?

「出逢い」

と同じと そう理解すれば良い。

特に運命的な男女の出逢いのように

そこから全く自分の人生が変わってしまうような

大きく発展する未来を築き上げる。

それは刺激 キッカケ である。

他が自分を直接動かした訳ではない。

自分を動かしたのは刺激を受けた今の自分である。

過去の自分を他者と同じような刺激する幻のように捉えれば良い。

つまり

過去の自分へは感謝で応じて

今の自分への愛に変換し 未来の自分への行動力にする。

山は虚をもって受け

水は実をもって流る


他山は感謝をもって受け

自泉は愛実をもって流る

過去の自分もまた他山なり

こんな感じで

他人や過去の自分に感謝しながら

今の自分を愛していくのが自然かなあ!

カテゴリー: 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | 他謝に自愛を はコメントを受け付けていません

自然さということ

雑草のように作物が生えてきたのは

古代小麦

蕎麦

小松菜

長ネギ

ジャガイモ

小豆

8年も挑戦して

水あげや雑草採りなどの手間暇かけて

失敗成功を繰り返しているのが

陸稲

納豆小粒

この二種は品種改良されたもの

私の畑は水はけがよく

水田には不向きな土地である。

水あげもしないで雨水だけで

また雑草とも共存できる作物だけ栽培する。

それに対して

品種改良 機械導入 水あげ 雑草対策 病虫害対策などのような人為的に無理に開発生産し 主に金儲けできる作物を作ることに夢中になる。

自然さとは前者のスタイルである。

子育て 教育 研修 も作物栽培と似ており

畑に当たるのが家族環境である。

作物の種類は産まれながらの子供の才能である。

親や教師が子や生徒に対する接し方が

自然さ

作為的

の二種ある。

健康平和自然の旅でまず掲げたのが

FLY

First Love Yourself

先ず自分を愛することから始めよ

これが

自分らしく生きることであり

自然な生き方であり

自由な環境を創り上げることである。

無理なしつけや教育をしないで

他と共存できるその個性を思う存分発揮できる自由環境がこれから求められる時代がやってきたようだ。

カテゴリー: 徒然草 | 自然さということ はコメントを受け付けていません

ご自愛を!Learn how to love yourself

第一回の健康平和自然の旅のテーマがまさか

Learn how to love yourself

になって、びっくり仰天している。

日本人の死因のトップが自殺と癌である

自殺は精神的に自分を愛さないこと

癌は肉体的に細胞自身が、自分の身体・命を愛さないこ

と言い切ることができる。

一個人の力で、世界平和も自然保護も無理なことである。

一個人で唯一できることは自分の健康を維持することである。

ダイエットが難しいように、自分の健康を維持するのは難しいものである。

難しいとはいえ、自分の健康を守るために自分ができることを精一杯やることが生きることであるし、生きているという証でもある。

昔 お見舞いの際の挨拶の言葉で

「ご自愛を!」

という。

この「ご自愛を!」こそ、病気を克服して健康をとりもどす最も大きな力になる。

自分の心が自分を愛せば自殺はしない

自分の細胞が自分を愛せば癌にはならない

脳と細胞が神経などでつながっているのだから、

どんな病も、「ご自愛する」ことが先決であろう。

恋の病で、その恋が叶わず自殺するなんてことも、「ご自愛」したら、そんな選択肢はなく、健康に生きられる。

食事や運動の生活リズムを壊してまでも、会社や社会のために働き、癌になり死なざるをえないことも 「ご自愛」し、他より自分の健康を優先したら なくなるだろう。

神や仏を深く信仰し、

スラム戦士のような自爆テロ

イエスのような殉教

苦行僧侶のような人たちが

神仏や他人よりも、自分の「ご自愛」を先決して実行したら、戦争は拡がらす

平和はより近くなるだろう

ところが

世間はもっとも大事な生きる力である「ご自愛」を

「自己中」とか「エゴ丸出し」とかいって、

自分よりも他人や社会を優先する生き方をさも偉いことのように賞賛する。

軍隊では

「戦って死ね」というのが軍人としての一番すばらしい生き方としている。

だが、

こういう、自分よりも他人、社会、国、神仏を優先するところに

人が人を支配する構造と洗脳が生まれている

自分の命を守ろうとしたら、敵を殺さないことだ。

自分の命を守るために正当防衛として敵をころす行為は

逆に、敵も同じ正当防衛で自分を先に殺そうとするのは自然の流れであろう。

まず、「ご自愛」を優先したら、他人の愛は次に起きてくる。

敵が自分を殺そうとしたら、逃げるか、殺そうとする心や道具を制することで自分の命を守りやすくなるが、敵を殺してまでも自分の命を守ろうとするし、逆に防衛心を強くして、自分の命をより危険にしてしまうからだ。

世界中の軍隊や宗教団体や国の政治を

「ご自愛=ご自由」を他人、組織、社会、神仏などよりも優先したら、

自分の健康・社会の平和を自然に維持しやすくなるだろう。

他人を攻撃したり、制約したりする行為には

「ご自愛=自由」よりも、他人、社会、国、神仏優先という

支配者・教職者から洗脳された従属心が存在する

煙草依存症は自分の健康を害してよろこび、

ギャンブル依存症は自分の自由を束縛して、金に隷属することをよろこぶ

それは「ご自愛」を一時の快楽や金銭よりも、優先していないからである。

いかに

ご自愛」「ご自由」が健康・平和・自然にとってまず必要であることを意識していきたいものである。

カテゴリー: 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | ご自愛を!Learn how to love yourself はコメントを受け付けていません