東京籠もり

 青年の時、山奥に籠もって。座禅をくみ、悟りを開きたかったことがあった。今老年になって、籠もり場所は都会のど真ん中東京で壊れたボロアパートになった。

 青年の目的は悟りだったが、老年の目的はリフォームである。悟るために、動かないこと、食べないこと、眠らないことであるが、リフォームするためには動くこと、食べること、起きることである。

 さて、両者の目的である「悟りとリフォーム」にどんな関係があるのだろうか?

 それはどうやら、「動かないで得られるもの」「動いて得られるもの」の違いになるだろう。

 ならば、悟りは老年に合い、リフォームは青年に合うことになる。どうして、現実は逆になってしまうのだろう。

 それが現実は矛盾の毎日って感じになるのかもしれない。ともあれ、現実が逆であっても、老年の私にとっては、悟りよりリフォームの方が大事である。

 なぜなら、悟りには終わりがなく、結果がでないからである。悟りに結果があるとしたら、小さな悟りであり、それが結果が出る悟りで、いわば。1+1=2 でありことを学ぶような一つ一つの具体的なものである。

  となれば、老年の具体的な悟りはリフォーム完成ってことになる。それが東京籠もりである。

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実質経済の景気対策はこれだ

 アベノミクスで。日銀がこの国債を買うということで。株価が上がり、円安になって、投資家のみに好景気をもたらしたが、投資なんかできない生活困窮者にとっては、円安でガソリン・電気ガス・輸入小麦が上がり不景気になった。

 日銀で円を印刷するのはグッドアイデアだが、その増刷した金を生活困窮者に回さないと実質経済は景気よくならない。

 現実に国に1000兆円の借金をどうにかしないと、国が破綻する場合だってありえる。そこで、国が持っている外国への貸し金や資産と国債を交換してもらう。日本が海外に保有している資産662兆円をそれにすればいい・

 でも、国債の利子が少なく、外国債の利子が多ければ、その差額で国債の返済をしていくことも可能になるので、国債が償還できなければ外国債と交換するというように投資家と交渉すればいいことになる。

実質経済を好景気にするには生活困窮者に優先的に日銀が円を増刷して回すことである。増刷した円は増税して回収しないと、円は滞り、ハイパワーインフレになる。今の貨幣は借りた金を利子を付けて帰すという経済力で成り立っているように、社会保障と増税はセットになって始めて貨幣が循環して好景気にすることができる。

 そこで、日銀が社会保障分の貨幣を増刷して、増税するためには、それは紙幣印刷ではなく、電子マネーで発行と回収をすると、脱税を防止するだけでなく、税徴収も自動的にできる。

 例えば、生活保護者に日銀が電子マネーを与える場合、生活保護者が持つ銀行預金に電子マネーを紙幣とは違うことをはっきりさせ。金額の前に、電子のeをつけて、毎月20万円ならば、e200,000円として振り込めばよい。

 それはATMで現金紙幣とは交換できないで、常にクレジットカードのように、専用の日銀クレジットカードで、買い物や支払いができるようにする。生活保護者が家賃として6万円を家主に払ったならば、家主の銀行預金にはe60,000円と記入預金される。その場合、売買税を1%(600円)を両者から差し引かれるようにする。

 そのため、生活保護者の預金口座は–e6000-600=-60.600円になり、家主はe60.000-e600=e59.400円になり、両者の日銀返済税合計e1200円を銀行が日銀に送金することで、社会保障と増税による循環景気が可能になる。

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今生きているということ

今 生きているということ

それは
いつか死ぬということ

それは
今ある命を愛する人に与えるということ

その愛は
無償の愛であるということ

桜の花が散るように美しく
鮭が河を登り産卵して命がつきるように優しく
一つの出来事が知る人に涙を流すように幸せに

振る舞うということ

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骨を墓に残すな、生き様をサーバーに残せ

 「骨を残すな生き様を残せ」と昔から言われていたと思って、ネット検索したら、自分の言葉がトップに出てきて、どうやらこれは昔からの自分の言葉のような気がしてきた。

 調べてみたら、この意味のことを最初に言ったのは内村鑑三であると思われる。

「・・・それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。」

 後世への最大遺物 青空文庫

 この文章を端的にいうと 
「われわれは何をこの世に遺して逝こうか。金か?事業か?思想か?…何人にも遺し得る最大遺物―それは高尚なる生涯である」
地域活性化の礎は個々人の生き様 スタイルジャパン研究所

 この序文で、
「天地始終無く、人生生死有り」の頼山陽の詩をあげている。つかの間の人生において、天地自然のように永遠に残せるものは何だろうか? それが「勇ましい高尚な生涯」とした。

 しかし、私は内村鑑三が、金が使い道で善悪あり、事業・思想にも善悪あるが、利益ばかりあって害のない遺物として「 勇ましい高尚なる生涯」として、生涯にも善悪があることのようにしたことが矛盾していると思える。

「人生善悪有り 天地善悪無し」であろうから、天地のような永遠なる生涯となれば、それは「善悪無しの生涯」である。それは親鸞が伝える、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)からもいえる。

 そのため、
「誰にも遺すことのできる遺産ーそれは生き様である」
 歴史において、悪名で有名な生涯も残されている。それは反面教師の意味でも、未来の人は反省することができる遺産である。これは負の遺産であり、永遠に残るものである。

 しかも、生き様を残すことは今のIT時代では誰でも、「自伝」をサーバーやカードやDVDに残せる。

 それは骨を納める墓所ではなく、サーバーに自伝を掲載したサイトでもいいし、自分で自伝をホームページやDVDなどに残せば それが最大の遺産になる。

「骨を墓に残すな、生き様をサーバーに残せ」

 すると、TEDで発表された「After your final status update」(死後のデジタルライフ)
も実現でき、死後も後世の人とのつながりができて、死んでも生きているかのような世界が生まれる。

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やればできるもんだ

 水稲の畑作が雑草に追われて全滅したので、耕耘しなおし、食品スーパーで買ったあんこにする食品用小豆を蒔いた。それから10日くらいで芽が出てきた。 猛暑ではあったが、その時期たまたま雨が降ったのが幸いしたのだろう。

 ものは試しにやってみるものだ。

 陸稲の雑草が花を咲かせ実がなっては来年困るので、稲の上に出ている雑草の穂をビニールコードを回転させる草刈り機で刈ったが、やはり、雑草は採っても、1週間でまた雑草が稲よりも多くなったのが気になった。

 ふと、草刈り機を横から縦にしてみて、陸稲の隙間に生えている雑草を刈ってみたら、意外に採れることに気が付いた。手で抜くよりはるかに楽である。実は私の右手は雑草を抜くと、中指がつったようにくっついて痛くなり、困っていたからだ。

 ものは試しに工夫してみるものだ。

 娘がもうすぐメキシコ留学をするので、私は東京のリフォームを集中的にできそうだ。ここは「ものは試しにやってみた」ことが多くて、それが完了するまで、もう1年半もかかっている。なんとか、来年娘が帰国するまでには終わりたいものだ。

 ものは試しでも、大がかりなことはじっくり考えてから行動した方が無難だ。

 リフォームは二人でやった方が楽であるが、自分の道楽まで他人につきあわせることは気が引けるものだ。そこで、これから挑戦することは「自分一人でもできる」ことだけにしたいと思う。

 ものは試しにやるのはいいが、自分一人でできるものだけに絞ってやるもんだ。

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