生死がさざ波に観じる

友人の事故で、自分もいつ死んでもいいように準備しだした。

自分の葬式、墓場、資産を娘二人に遺言状として書き留めてみた。

すると、意外なことに気付いた。

「死ぬとは生まれる以前の世界に帰ることだ」

時は河の流れ

生死はその川のさざ波

さざ波の浮きて光るのが生きている

さざ波が沈んで暗くなるのが死んでいる

そして、

いろいろ苦労してやっていることが

ほとんど死後残らないことに気が付き、

残らないようなものはみな生前に処分しておいた方がすっきりする。

娘二人が引き継ぎそうなものは残す。

引き継ぎそうにないものはみな生前に整理する。

それ以外に二人にどうしても伝えたいことは解りやすく整理して残しておく。

それは今生で気が付いたことを書き残し、娘たちが困ったときに役立つようなことである。

そんな作業をしだしたとき、

ドナウ河のさざ波で浅田真央が氷上に舞う姿がちょうど残された人生とリンクしてきた。

死ぬのが恐怖にはならずに、一時の眠りのようにさえ感じる。

そして、いろいろな不安が消えて、平安な気持ちが沸き起こってきた。

不安から妄想が

平安から自然が

拡がっていく

喜怒哀楽がいろいろなさざ波模様にみえて、時は永遠に流れていく。

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仏跡巡り

自然と健康の会のフィナーレは「仏跡巡り」

2019年3月9日(土)~20日(水)の12日間の旅

コルカタ(CCU)の格安往復チケットを1月11日に同時購入で始まる

O教授の詳細な旅程表はないが・・自分が企画したらという予想で予習する

大パリニッバーナ経 18節「病に臥す」

「アーナンダよ。
私が亡き後でも、信仰心のある修行僧は4つの場所に赴くことがあるだろう。
その4つとは、

私が生まれた場所(生誕の地_ルンビニ)

悟りを開いた場所(成道の地_ブッダガヤ)

最初に教えを説いた場所(初転法輪の地_サルナート)

寂滅した場所(入滅の地_クシナガル)

である。
これら4つの場所を人々は巡拝するだろう。

修行僧も、そうでない人々も。男性も女性も。
だからそこでまた旧知の友と出会うことができる」

仏陀の4大聖地
仏陀の四大聖地

ルンビニがネパールにあるので、インドからネパールに入るビザが必要だと思われるか?

必要があった場合・・顔写真4,5×3.5㎝、3000円

インドビザは オンラインで申請

O教授からの滞在ホテルが決まっってからインドビザ申請

病は気から?!

悟った仏陀が病気で亡くなった。

「やがて一向はパーヴァーに到着すると、鍛冶工を営むチュンダの林にとどまることにした。
林の所有者であるチュンダは、ブッダらがやってきて自分の林にとどまっているという話を耳にすると、さっそくブッダのもとを訪ねた。

チュンダはブッダのもとへやってくると礼をして、坐した。
そこでブッダはチュンダに法を説いて聞かせた。
するとブッダの話を聞いたチュンダは大いに感激し喜び、そしてブッダにこんな提案を申し出た。
「尊い方よ。すばらしい説法をありがとうございました。
そこでお願いがあるのですが、どうか私にあなた方の供養をさせてください。
明日の朝、どうか私の家で修行僧たちとともに食事を召し上がっていただきたいのです

ブッダはその申し出を了承した。
チュンダは喜び、座を立つと、ブッダに礼をして食事の準備をするために家に帰っていった。
チュンダはそれから夜中かけて食事の準備を進めた。
美味なる食べ物。柔らかい食べ物。キノコ料理
チュンダはブッダらをもてなすために、多くのご馳走を用意した。

明くる朝、ブッダらはチュンダの家を訪れた。そして用意された座席に腰を下ろした。
ブッダも席についたのだが、座ってまもなく、チュンダに声をかけた。
「チュンダよ。そこに盛り付けてあるキノコ料理だが、それは私に給仕しておくれ
修行僧たちには他の美味なる食べ物を給仕してやってほしい」
「かしこまりました」
チュンダは返事をすると、キノコ料理をブッダへ、その他の料理を修行僧たちへ給仕した。

キノコ料理を用意してもらうと、ブッダはチュンダにまた声をかけた。
「チュンダよ。余ったキノコ料理は土に穴を掘ってそこに埋めなさい。
他の誰にもそれを食べさせてはいけない

チュンダは言われたとおり、余ったキノコ料理を外に持っていき穴を掘って埋めた。
そして戻ってくると自らも腰をおろした。
そこでブッダはしばらく法を説き聞かせ、話が終わるとチュンダは満足して座から立ち上がり出て行った。

チュンダが去ってからブッダは食事をはじめた。
しかしキノコ料理を食べてまもなく、ブッダは激しい苦痛に見舞われることになった
激しい下痢を起こし、そこには血が混じってもいた。
ブッダは気を落ち着けることに専念し、痛みに苦しみながらも心を整え、激しい苦痛を耐え忍んた。
そしてアーナンダにこう告げた。
「さあ、旅を続け法を伝えよう。次はクシナーラーの地だ」

アーナンダはブッダの容態を心配しつつも、ブッダの言葉に従った。
しかし、クシナーラーに向かって歩き始めてしばらくすると、ブッダは路を外れて一本の木に近づいていった。
「アーナンダよ。すまないが少し休みたい。とても疲れてしまった」
ブッダは歩くことがままならない様子であった
アーナンダは急いで衣を折り畳んで敷物の代わりにし、ブッダをその上に坐らせた。

腰を下ろすと、ブッダはまたアーナンダに話しかけた。
「アーナンダよ。水をもってきてくれないだろうか。喉が渇いてしまった。私は水を飲みたい」
「ブッダ。ちょうど近くに小川がありますが、たった今多くの車が渡ったところで、土がかき乱されて濁ってしまっています。
すこし離れたところにカクッター河があり、あそこの水は清らかに澄んでいるはずです。そちらの水にしましょう」

アーナンダはそう提案をしたが、ブッダは頷かなかった。
ただ「水が飲みたい」と繰り返すだけだった。
仕方なくアーナンダは近くの小川で水を汲んでくることにして、鉢を持って急いで出掛けた。

ー^-^-^-^-(省略)

ブッダはアーナンダに告げた。
「私の死に関し、誰かが鍛冶工のチュンダを責め、彼に後悔の念を起こさせるような言葉を発するかもしれない
『ブッダはお前の食事を受けて亡くなったのだから、お前には利益も功徳もない』と。
もしもそのような事態が起こったら、アーナンダよ、次のように言ってチュンダの後悔の念を取り除いてあげなさい。

『友よ。ブッダは人生最後の供物をあなたからいただいたのだから、あなたには大きな利益と功徳がある。
私はブッダから聞いた。人生にはすばらしい食べ物の供養が2つあるということを。
1つは、食べ物をいただいて、無上の悟りを開いた時の供養
そしてもう1つが、人生の最後にいただいた食べ物の供養だ。この供養の後、ブッダは煩悩が完全に滅却した涅槃に入ったのだから、この食べ物を施した功徳ははかり知れない。

だからチュンダの施した供養は大きな功徳がある
すぐれた果報があるのだ』と。
そう言ってチュンダの後悔の念を取り除いてやってほしい。
よいな、アーナンダよ」

そこまで話すと、ブッダはつぶやくように感興の言葉を述べた。
施す者の功徳はすぐれたる
心を整えれば怨みはない
善き人は悪事から離れ
欲を滅して煩悩から放たれた

ー^-^-^-^-

鍛冶工のチュンダは誤って仏陀に毒キノコを食べさせてしまった。

仏陀は怒ることなく、また弟子にもチュンダを許すように言ったが

仏陀が早く亡くなったのは毒キノコを食したからであることは確かだろう。

病は気からも起こるが・・

病は食するものからも起こる!

とも言えよう。それはどんなに悟った人(身体)も食からきた病には勝てないともいえる。

聖人であったイエスキリスト(身体)も、武力には勝てないことも歴史が証明している。

仏陀もイエスも、その身体は病気や武力には勝てないが

その精神・魂においてはどんな病気や武力でも克てるということも歴史が証明している。

自然と健康の会は身体的な苦痛から、精神的苦痛を取り除く方向へとジャンプしたようだ。

鍛冶工のチュンダのうっかりミスを罰することなく、

そのうっかりミスを逆に仏陀への祝福へと転じさせることで、

被害を仏陀の死期を少々早めただけで食い止め、鍛冶工のチュンダとその家族の命とその心さえも救いだす慈愛(慈悲)を弟子や後世の人々への教え(仏法)に拡げている。

今後の自然と健康の会は

時代と国を超えて、精神的な自然と健康は何か? 

それは人と人の触れ合いから起こる”慈しみ”から出発する

この仏跡巡りは、次の自然と健康の会には最後で最初の学びの旅にふさわしい。

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小さな花

今朝、また77歳バンドの二人にあった。

小さな花をまた演奏しだした。よほど好きなのだろう。

帰宅して、MUSICSCOREで検索し、それをSHAKUSCOREにEXPORTした。

1尺6寸尺八へ移調(Shakuhatiscoreで設定のパートでできる)したら、演奏しやすくなった。

小さな花Petite fleur」は、アメリカのソプラノ・サックスおよびクラリネットの奏者であるシドニー・ベシェSidney Bechet が1952年に妻のために作曲したものですが、

パリを中心としたヨーロッパで人気を博し、フランス語の歌詞が付けられてシャンソンとして歌われました。

日本ではザ・ピーナッツが「可愛い花」というタイトルでヒットさせました。

デビュー曲シャンソンで、昭和37年というから、77歳にはまさに青春だったのだろう。

先日も

”君といつまでも”を演奏していた。

二人は青春時代の楽しさを思い出し、

その回想の日々を楽しんでいたのだろう。

一世代上の70~80歳代は青春の回想が楽しみに対して、

また60歳代の私には何かじれったく、今苦労して生きている若者たちへの応援歌の方がぐっとくる。

負けないで!

がいい、

勝って!

ではない、

意識は相手ではなく、自分にあるからだ。

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ジュピター/自信を持て♪

無料のドレミ楽譜尺八譜をダウンロードすると

最新曲も尺八譜にできるというのでやってみた。

museのクラリネットのジュピター音がヒット

それを尺八譜にExportして、画像ソフトで編集した。

吹いてみたら、同じメロディーを三回繰り返せばいいだけだが・・

いつもと違う流れなので覚えにくいが・・気持ちがいいメロディーである。

ジュピターの元の曲を知りたくなった。

この作曲者のホルストも知りたくなった。

そして

改めて平原綾香のジュピターを聞いてみる。

ジュピター 平原綾香

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながってる
果てしない時を 越えて輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙(そら)の御胸(みむね)に抱かれて

私のこの両手で 何ができるの?
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じて あげられないこと

愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂(しじま)に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されてる
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために

この歌詞もいい。

夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じて あげられないこと

私の命のバトンは‴自信を持て”ということと共通している。

唄のメロディーに酔いしれて、

大事なメッセージを聞き流してしまいそうだ。

ここ1か月間、進化について考察してきた。

その進化もまた、

‴自信を持て”

に尽きるのである。

どんな障害であれ、どんな生物であれ、どんな人間であれ、

与えられた自分の命を燃やし尽きることが

自信を持つということだから。

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命は一つ、多様性が進化

生物は共通祖先から進化し、多様化してきた

人とサルの共通祖先

人と類人猿の共通祖先

進化の定義

進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象である]。また、その背景にある遺伝的変化を重視し、個体群内の遺伝子頻度の変化として定義されることもある。この定義により、成長や変態のような個体の発生上の変化は進化に含まれない。

また狭義に、種以上のレベルでの変化のみを進化とみなすこともあるが、一般的ではない。逆に、文化的伝達による累積的変化や生物群集の変化をも広く進化と呼ぶこともある。日常表現としては単なる「変化」の同義語として使われることも多く、恒星や政治体制が「進化」するということもあるが、これは生物学でいう進化とは異なる。

進化過程である器官が単純化したり、縮小したりすることを退化というが、これもあくまで進化の一つである。退化は進化の対義語ではない。

自然選択の模式図

図中では色の濃い個体ほど有利とされている。突然変異がさまざまな形質をもたらすが、そのうち生存に好ましくない変異が消滅し、残った個体が次世代に子孫を残す。この繰り返しによって、個体群が進化していく。

 

2005年のある研究によると、いま生きている動物の中で最もヒトに近いチンパンジーは、遺伝子的に96%ヒトと類似している。

 

命が一つというのは「共通の祖先」であるということ

命が無数というのは「個体(DNAの組み合わせ)が無限」だということ

 

個体の進化は時間と同じく進むだけであり

時間が戻ることはないように、個体の退化はない。

 

個体の変態や成長は変化変革であって進化進歩とは判別する。

 

人間の自我は人類の個体の意味で、無限にあり

生物多様性と同じく、一個の自我が他の自我を支配しようとしたら、

命そのものの進化を否定することになり、自滅する。

 

ナンバーワンを目指す生き方は命の多様性としての進化を止めるもので、

オンリーワンを目指す生き方が命の多様性と進化を進めるもので、

命の自然の摂理に合う

 

それぞれの生物が

それぞれの人々が

オンリーワンを目指して生きるのが命あり進化する自然である。

 

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