自然と健康の会のフィナーレは「仏跡巡り」
2019年3月9日(土)~20日(水)の12日間の旅
コルカタ(CCU)の格安往復チケットを1月11日に同時購入で始まる
O教授の詳細な旅程表はないが・・自分が企画したらという予想で予習する
大パリニッバーナ経 18節「病に臥す」
「アーナンダよ。
私が亡き後でも、信仰心のある修行僧は4つの場所に赴くことがあるだろう。
その4つとは、
私が生まれた場所(生誕の地_ルンビニ)
悟りを開いた場所(成道の地_ブッダガヤ)
最初に教えを説いた場所(初転法輪の地_サルナート)
寂滅した場所(入滅の地_クシナガル)
である。
これら4つの場所を人々は巡拝するだろう。
修行僧も、そうでない人々も。男性も女性も。
だからそこでまた旧知の友と出会うことができる」
ルンビニがネパールにあるので、インドからネパールに入るビザが必要だと思われるか?
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病は気から?!
悟った仏陀が病気で亡くなった。
「やがて一向はパーヴァーに到着すると、鍛冶工を営むチュンダの林にとどまることにした。
林の所有者であるチュンダは、ブッダらがやってきて自分の林にとどまっているという話を耳にすると、さっそくブッダのもとを訪ねた。
チュンダはブッダのもとへやってくると礼をして、坐した。
そこでブッダはチュンダに法を説いて聞かせた。
するとブッダの話を聞いたチュンダは大いに感激し喜び、そしてブッダにこんな提案を申し出た。
「尊い方よ。すばらしい説法をありがとうございました。
そこでお願いがあるのですが、どうか私にあなた方の供養をさせてください。
明日の朝、どうか私の家で修行僧たちとともに食事を召し上がっていただきたいのです」
ブッダはその申し出を了承した。
チュンダは喜び、座を立つと、ブッダに礼をして食事の準備をするために家に帰っていった。
チュンダはそれから夜中かけて食事の準備を進めた。
美味なる食べ物。柔らかい食べ物。キノコ料理。
チュンダはブッダらをもてなすために、多くのご馳走を用意した。
明くる朝、ブッダらはチュンダの家を訪れた。そして用意された座席に腰を下ろした。
ブッダも席についたのだが、座ってまもなく、チュンダに声をかけた。
「チュンダよ。そこに盛り付けてあるキノコ料理だが、それは私に給仕しておくれ。
修行僧たちには他の美味なる食べ物を給仕してやってほしい」
「かしこまりました」
チュンダは返事をすると、キノコ料理をブッダへ、その他の料理を修行僧たちへ給仕した。
キノコ料理を用意してもらうと、ブッダはチュンダにまた声をかけた。
「チュンダよ。余ったキノコ料理は土に穴を掘ってそこに埋めなさい。
他の誰にもそれを食べさせてはいけない」
チュンダは言われたとおり、余ったキノコ料理を外に持っていき穴を掘って埋めた。
そして戻ってくると自らも腰をおろした。
そこでブッダはしばらく法を説き聞かせ、話が終わるとチュンダは満足して座から立ち上がり出て行った。
チュンダが去ってからブッダは食事をはじめた。
しかしキノコ料理を食べてまもなく、ブッダは激しい苦痛に見舞われることになった。
激しい下痢を起こし、そこには血が混じってもいた。
ブッダは気を落ち着けることに専念し、痛みに苦しみながらも心を整え、激しい苦痛を耐え忍んた。
そしてアーナンダにこう告げた。
「さあ、旅を続け法を伝えよう。次はクシナーラーの地だ」
アーナンダはブッダの容態を心配しつつも、ブッダの言葉に従った。
しかし、クシナーラーに向かって歩き始めてしばらくすると、ブッダは路を外れて一本の木に近づいていった。
「アーナンダよ。すまないが少し休みたい。とても疲れてしまった」
ブッダは歩くことがままならない様子であった。
アーナンダは急いで衣を折り畳んで敷物の代わりにし、ブッダをその上に坐らせた。
腰を下ろすと、ブッダはまたアーナンダに話しかけた。
「アーナンダよ。水をもってきてくれないだろうか。喉が渇いてしまった。私は水を飲みたい」
「ブッダ。ちょうど近くに小川がありますが、たった今多くの車が渡ったところで、土がかき乱されて濁ってしまっています。
すこし離れたところにカクッター河があり、あそこの水は清らかに澄んでいるはずです。そちらの水にしましょう」
アーナンダはそう提案をしたが、ブッダは頷かなかった。
ただ「水が飲みたい」と繰り返すだけだった。
仕方なくアーナンダは近くの小川で水を汲んでくることにして、鉢を持って急いで出掛けた。
ー^-^-^-^-(省略)
「
ブッダはアーナンダに告げた。
「私の死に関し、誰かが鍛冶工のチュンダを責め、彼に後悔の念を起こさせるような言葉を発するかもしれない。
『ブッダはお前の食事を受けて亡くなったのだから、お前には利益も功徳もない』と。
もしもそのような事態が起こったら、アーナンダよ、次のように言ってチュンダの後悔の念を取り除いてあげなさい。
『友よ。ブッダは人生最後の供物をあなたからいただいたのだから、あなたには大きな利益と功徳がある。
私はブッダから聞いた。人生にはすばらしい食べ物の供養が2つあるということを。
1つは、食べ物をいただいて、無上の悟りを開いた時の供養。
そしてもう1つが、人生の最後にいただいた食べ物の供養だ。この供養の後、ブッダは煩悩が完全に滅却した涅槃に入ったのだから、この食べ物を施した功徳ははかり知れない。
だからチュンダの施した供養は大きな功徳がある。
すぐれた果報があるのだ』と。
そう言ってチュンダの後悔の念を取り除いてやってほしい。
よいな、アーナンダよ」
そこまで話すと、ブッダはつぶやくように感興の言葉を述べた。
「施す者の功徳はすぐれたる。
心を整えれば怨みはない。
善き人は悪事から離れ、
欲を滅して煩悩から放たれた」
ー^-^-^-^-
鍛冶工のチュンダは誤って仏陀に毒キノコを食べさせてしまった。
仏陀は怒ることなく、また弟子にもチュンダを許すように言ったが
仏陀が早く亡くなったのは毒キノコを食したからであることは確かだろう。
病は気からも起こるが・・
病は食するものからも起こる!
とも言えよう。それはどんなに悟った人(身体)も食からきた病には勝てないともいえる。
聖人であったイエスキリスト(身体)も、武力には勝てないことも歴史が証明している。
♬
仏陀もイエスも、その身体は病気や武力には勝てないが
その精神・魂においてはどんな病気や武力でも克てるということも歴史が証明している。
♫
自然と健康の会は身体的な苦痛から、精神的苦痛を取り除く方向へとジャンプしたようだ。
鍛冶工のチュンダのうっかりミスを罰することなく、
そのうっかりミスを逆に仏陀への祝福へと転じさせることで、
被害を仏陀の死期を少々早めただけで食い止め、鍛冶工のチュンダとその家族の命とその心さえも救いだす慈愛(慈悲)を弟子や後世の人々への教え(仏法)に拡げている。
今後の自然と健康の会は
時代と国を超えて、精神的な自然と健康は何か?
それは人と人の触れ合いから起こる”慈しみ”から出発する
この仏跡巡りは、次の自然と健康の会には最後で最初の学びの旅にふさわしい。