持続可能な農業5/土地争いから共存へ

池上彰がエルサレムの町の売り子に聞いた

「宗教が悪いのではない、政治が悪いんだ」

すかさず、池上は「土地争いを宗教で解決できるのではないか?」と指摘する。

そもそも、

戦争と平和の違いは何だろうか?

それはイスラエルの20歳の女性兵士が安息日に帰宅する姿に観られる。

日本とイスラエルの20歳の女性の違いをみると解る。

徴兵制があるか? 自動小銃を持って歩くか?

共通は

ジュースとスマホを持って歩く。

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野生動物の間でも、

その縄張り争いは命がけの戦いがあるし、

畑の植物の間でも

その縄張り争いはやはり命がけである。

持続可能な農業は植物同士がいかに殺し合いせず、平和的に共存していくかにかかっている。

特に、雑草と作物の間において、いかに戦わず、共存関係に持っているかである。

 

雑草だけでなく作物同士であっても、

共存できる相性ある植物関係を見出すことが、

除草剤で雑草を強制的に殺したり、雑草や作物と区分したりせず、

それぞれの植物の特性と相性を活かした組み合わせをして共存を探っていくことが

持続可能な農業の基本的な考え方になると思える。

 

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持続可能な農業4/健康の科学的根拠evidence

最近リバウンドしたためリダイエットして

二か月間ほとんど買い物にいかず、冷蔵庫も、乾物も、ほぼ食べ切った。

しかし、問題が起きたのは

残り物を食べて、二度も極度のアレルギーで体中に湿疹ができ、その痒さに苦しめられている。

アレルギーの原因が、どうも健康商品として加工されたものを食したためのような気がして、それらはみな捨て去ったし、燃やしてしまった。

また、賞味期限切れの何年も古いものも、原因とみられ、みな廃棄処分にした。

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アレルギーと闘って、感じたことは

あまり化学物質を使わないこと

あまり加工しないこと

あまり古いものは食べないこと

あまり調味料を使わないこと

つまり

自然でシンプルなものを少量好むような体質にもっていくのがアレルギーに悩まされないコツのようだ。

数年前、原因がわからぬ蕁麻疹で数か月医者に通ったが、その薬が大部余っていたので、それを飲んでもほとんど効果がなかった。

当時も、その薬がほとんど効果がなかったが、「飲めば痒さがおさまる」と、信じて飲んでいたのだが・・

そこで、

薬や医者に頼らずに、自分でこのアレルギーの闘おうとした。

とにかく、痒さを抑える方法さえみいだしたかった。

1、つめで掻くのは自分の皮膚を血だらけにし、ばい菌がはいり化膿してしまい、一週間で消えるものも、一生消えない傷口が死にいたってしまう。

2、服かタオルの上から掻くか、背中は孫の手で服の上から掻く。とにかく、痛みがでないように、血がでないように掻けばよい

3、服は脱ぎ、裸になって、やさしく手当するように、自分の痒いところをさすると意外とそれが一番すぐに効果がでる。

4.湿疹はいわば怪我して血が噴き出るようなもので、またやけどして、水がたまり、それがかたまり膿が出てくるようなものでもある。

そうした場所が数か所だったら、殺菌消毒する薬を塗ったら効果あるかもしれないが、全身なので、水シャワーが一番効果的のように思える。痒さとともに、それが熱を帯びてくるのを下げると同時に、ばい菌を洗い流して、皮膚を清潔に保つ働きがある感じがする。

5、薬はなるべく使わず、体のリセットして、自然治癒にもっていくには、人間に必要な生命の要素、水、空気、太陽の三種が、もっとも効果的な自然の薬のように思える。

 

持続可能な農業とは持続可能な食物であり、持続可能な健康生活へと続くことであろう。

農業が美味しさ、経済優先、見た目優先して、そのための行き過ぎた加工、添加、徒労、機械化などで、それらの目的が病気を多く創り出してしまう副作用がでたら、本来の健康な身体を楽しむことを忘れてしまう。

農業が売れる食品づくりではなく、健康に生きられる食品づくりへと向かうことが、持続可能な農業であろうと思える。

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ネットで

ガン患者の8割が、抗がん剤などの副作用死と判明

を読んだが、その出どころを調べてみたら・・

評論家の船津俊介の著書からきていた。

彼の新医学研究会ホームページにも、

「病気治療に関しての問合せには、薬事法に触れるためお答え出来ません」

とあり、再現性と普遍性を求める科学的根拠Evidenceはない。

 

あの「小麦は食べるな」のウイルアムス デイビスも、科学的根拠evidenceはない。

それらは

とんでもないことをいって、注目を集め、その本が売れればよしとするような金儲け主義のように思える。

だが、

癌治療の保険適用される

「抗がん剤」「放射線」「手術」に、科学的根拠evidenceがあるといえるかどうかは怪しい。

それで治る再現性、普遍性があるかと問えば、あきらかにおかしい数字と現実がでてくる。

 

現世は安穏になり、大難が小難、小難が無難に転じ・・

という祈祷があるが・・

これを健康に言い換えると

 

この世の幸せは 大病が小病、小病が健康に転じていくこと

 

平和に置き換えると

平和は大事故が小事故、小事故が平和安穏に転じていくこと

 

今回の私の小病アレルギーを健康に転じられらば・・

その経験を学んで、大病ガンも小病アレルギーに転じられるような

科学的根拠evidenceが見いだせるかもしれない

 

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持続可能な農業3ロイテリー菌

ロイテリー菌の特集をやっていた。

私はこのロイテリー菌を牛乳3本くらい作って食べていたが、

特に美味しいだけだったが、まさか、こんなに好影響があるとは知らなかった。

腸内フローラが口内フローラと連携していているとはびっくりだ。

以前から、

腸内フローラは畑フローラとそっくりだなと思っていた。

ロイテリー菌が

悪玉菌を抑え、善玉菌を増やすという調整役をするという。

これは

私の雑草との共存自然農法と似ている。

悪玉菌は雑草で、善玉菌は作物であり、ロイテリー菌は農夫に当たる。

このロイテリー菌は

化学物質や抗生物質に慣れている人には少なく、自然環境の中で育った人には多い。

それは

アンデスの自然の中で育った母親の母乳に多く含まれていたということからも推測されている。

最近、

ダイエットで、できるだけ小食を実験していて、ここ二か月ばかり食料を買わずに、家のあるものだけで過ごしてきた。

すると、残った食品だけで過ごすと、最後に残ったものには化学調味長とかサプリメントとか、普段食べないものを食してしまうことが多い。

すると、すぐにアレルギー反応ができて、それも注意しながら二回も起こり、治りかけたと思ったら、また元のアレルギー反応が起きた。その物質は違うものだが、残り物の加工品に入っている調味料をつかったせいである。

小食なので、少しの化学物質がいれこんでしまうと、すぐに反応がおきる。

賞味期限が古いものも食べてしまったことも、アレルギーがひどくおきて、私の体はブツブツだらけで、毎日痒さとの格闘である。

アレルギーは免疫細胞の暴走が原因であるといわれるが、

それは過度の潔癖すぎで、過剰なきれいすぎのような、過剰な防衛反応のような気がする。

免疫力も柔道のように、

優しく悪玉を受け止めて、てなずけて、ロイテリー菌のように善玉菌を誘導していくのがいいのだろう。

これからの畑フローラを腸内、口内フローラとのトリプル連携で、整えていきたいと思う。

 

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持続可能な農業2/稲と雑草に共存に挑戦

山梨も梅雨入りした感じがする。

例年なら、小麦のニシノアカリの収穫と陸稲の種まきで忙しい年で一番忙しい一月なのだが、

今年から、持続可能な農業つまり私のとっては作物雑草化自然農法で挑戦する。

昨年の11月に撒いた古代麦は6月初めの今満開だ。

その麦間に、蕎麦と陸島の種を4月初めに撒いたが両方ともほとんど芽が出ていない。

それは麦が枯れ始めて、雑草・陸稲・蕎麦の芽が一斉に競い合いながら芽を出してくると予想している。

梅雨入りか?雨の中の古代麦・蕎麦・野沢菜2018.6.6

古代麦のない畑には4月初め陸稲を線撒き、蕎麦をばら撒きしたが、

蕎麦は1mも背が伸び満開の花が咲いている。陸稲の芽がその蕎麦の草のしたから、3センチほど芽が出ている。

夏の雑草もまた芽が出ている。

それは蕎麦がもうすぐ枯れることを知っているいるかのように雑草も陸稲も芽を出してくるようだ。

古代麦間は暗く、蕎麦間は明るいので、その日照の差によって、雑草と陸稲の蕎麦の芽が出る時期が違ってくるようだ。

麦間に4が初陸稲蕎麦撒いたが2018.6.6

4月初陸稲線撒き蕎麦ばら撒き2018.6.6状況

一方、

野沢菜は実がなり、すっかり枯れて種もスズメなどが食べたり、下にこぼれ落ちた。

種がたくさん取れたので、それを別な雑草地にまいた。

それは、

その雑草地への野沢菜の種を毎年撒き続け、先に雑草も根から取り続けると。7年くらいして、雑草地が野沢菜ばかりになるからだ。

野沢菜は枯れ、長ネギは種をつけ、雑草が芽を出す2018.6.6

長ネギは花が咲き種をつけるころは、葉は固くなり、食べられなくなる。

ここの雑草地は

石と土が半々で、傾斜地である。畑か毎年石ころをとっては、そこに捨てていた場所だった。

そこは抜いた雑草の放置場でもあり、また、実験的にいろいろな種を撒いたところである。

7年で生き残ったのは野沢菜と長ネギだけだった。

でも、まだ試してないのがあり、そこに大豆・小豆・陸稲を夏の雑草と競争させるために5月下旬に撒いたが、それらは芽がでていない。雑草だけが芽をだしてきた。

 

梅雨に入り、

古代麦間に、4月初めに撒いた陸稲の芽がでるのが心配なので、

予備の陸稲の種を花咲く古代麦の上から、ばら撒いた。

古代麦が枯れる7月には梅雨明けしてしまい、雨水がなく、日射も強いので、その時期撒いても、育たない。

育っても、昨年のように空実で、種籾ができなかった。

空実ができるのは、肥料をあげなかったのではなく、水分と日射と種まき時期また苗の植え替えのためだったと思える。

夏の雑草の競争は激しく、

より早く、より高く、より広くその畑を制した雑草・作物が優先して生き残り、それにまけたものは芽がでても、消えていく。

そのため、人間は弱い陸稲の芽を守るために、毎日雑草を抜かなければならない。

または、マルチシートで畑を覆い、穴を開けたところに陸翔の苗を梅雨入りしたときに植えるか、種をそこに撒くかである。

マルチシートを使う場合は麦を収穫し、そいて耕うんしてからでないと、それができない。

古代麦の枯れるのは梅雨明けくらいなので、時期的に無理であり、梅雨明けに苗を植えても、それは枯れるか、育っても実がつかない。

古代麦と陸稲の二毛作はそうした伝統農法では難しく、それをいかに雑草との生存競争に勝つかというより、いかに雑草と共存するかという視点で、チャレンジする必要がありそうだ。

 

雑草の生存競争が強いのは、その種と根の多さである。

そこで、

古代麦が枯れて雑草の出る前に、古代麦が枯れた根の回りに、陸稲をばら撒くことで、

雑草が芽生えるより早く、より多く、作物の陸稲を根映えさせる実験をしてみた。

 

イネが雑草との生存競争にも負けず、共存への道を歩めるかが

持続可能な農業への第一歩だと思う。

 

 

 

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持続可能な農業のプレゼン

6月22日の健康と自然の会で

「持続可能な農業」のプレゼンを頼ました。

9月15日~23日のボルネオのスタディツアーに

なんと徳大の新一年生6人が参加予定というのでびっくりだ。

あの難しい国際学会をメインにせず、学生を中心にしたプレゼンや討論を入れたためだろう。

いわば、モンゴルのように その日程計画を見る限り、

お互いの学生を中心に5分間の英語のプレゼンをしようというものだと想像する。

どうやら

そのための前哨戦みたいなもので、

「持続可能な農業」に関しての意見としてのプレゼンを5分間して、

参加する1学生たちが英語でプレゼンできるように、その見本を示したい感じにみえた。

その想像が正しいかどうかはどうでもよく・・

私が心から望んでいた形式なので、その準備をすることにした。

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池上彰さんは実にいいポイントをついてくる。

 

チェルノブイリ事故の32年後の今、その放射能汚染地区の立ち入り禁止に、

野生動物の数が増え、そこが彼らの楽園になっているという報告をしている。

その最有力原因説は

「人間による狩猟がなくなり野生動物が増えた」

というものだ。

 

人類が核戦争や原発事故で絶滅すれば、その他の野生動物の楽園になり、

人類が何もしなければ自然環境は蘇ってくる意味もあるということだ。

この一事実から

「持続可能な農業」とは「人間が何もしない自然な農業」ではないかと学ぶことができる。

また、

人間が野生動物と共存して生きていけば、

たとえそこが放射能汚染地球であっても、人類も野生動物とともに生きられる楽園になるということだ。

私が40年前に科学新聞社に勤めたころ、

そこで発行した科学新聞記事に「プラスチックを食べる微生物が発見される」という記事が掲載されていた。

だが、未だにプラスチックの海洋汚染ゴミの処理が問題なっている。

また、

福島原発事故から2年たって、

「微生物が放射能汚染を除去する」という事実(データ)が発見されても、

その研究はいっこうに進められていないばかりか、さらに原発稼働と輸出して放射能汚染を広げている。

人類が欲張って贅沢な生活を研究努力すればするほど、温暖化のように、自然破壊をし、自滅化している。

 

人類同士が信じる神を讃えて自爆テロをするような野生動物がいるだろうか?

 

このことから

「持続可能な農業」とは「雑草に学び、

雑草を敵視せず共存する自然農業」を提案したいと思う。

それは端的に言えば

「作物の雑草化作戦」だ!

 

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