小さな幸せ見つけよう

日本一高い富士山が目標だとすると・・・

目標の富士山への道が三つあったら・・

そもそも人生の目標って何か?

どんな人であれ、いずれ死ぬのだから、

みんなの人生の目標は死ぬことと共通であり、一つでもある。

逆に

この人生がどこから生じたのか?

それはどんな人であれ、死の世界と同じ生まれる前の世界である

それを生死を併せ持つ自然の世界ということもできる。

それは

それぞれ人生の目標というものは・・・

生死を併せ持つ自然の世界にはみな同じ、一つということもできるし、

それらは無いということもできる。

 

人生の目標があるとしたら・・

それは  生まれてから死ぬまでの

生きている間に

望んだ姿が実現することである。

 

その望む姿が大きくも小さくも、変わっているも、

望んだ時に、目標が生まれる。

生きている限り、生きる望むがあるのだから・・

最低限の生きる欲望がある

何か食べたい!

眠りたい!

温まりたい!

哺乳類と同じ望むの他に、人類だけの望みが付け足されたものがある。

そしてまた

人は自我を持っている限り

自由でありたいことと、

自分だけの望みがあるということである。

 

そうした望みがいろいろあるけれど

確かなことはみな小さな望みを叶えることから始まるということだ。

それはまた

人生の目標というものは

その小さな望むを叶えるという小さな幸せを得るところに

すべて集約され、それだけで十分人生全体の目標を満足させられるということだ。

例えば

一生涯健康であることを 人生の目標にしたら・・

ほんの少し食べられる小さな幸せだけで満足

足るを知ったら・・

沢山食べ過ぎる中目標を叶えて、病気したら・・

大きな目標である健康を失うことになる。

小さな幸せをかみしめることは 人生最大の幸せを得る一歩でもあり、

その小さな幸せこそが、人生最高の幸せであるともいえる。

 

モノは大を小を兼ねるというが、

望みは逆で、

欲望の小は大を兼ねる

といえるだろう。

ー^-^--^

昨年の11月7日に雑草化した野沢菜を収穫し、それをキムチ漬けした。

それがあまり発酵しすぎて、途中から冷凍して保存して

少しずつ1人で食べてきた。

今日やっと最後のの野沢菜のキムチを カレーにして、食べ終えた。

野沢菜キムチを沢山づくり半年後やっと全部食べ終えた5.15

うちの雑草化した野沢菜をキムチ漬けして、

半年間食べられたこと

私にとって

小さな幸せをまた一つ見つけた!

 

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小さい幸せ見つけた

小さき幸 どんな苦悩も 癒やされし

古代麦の穂が出てきた

古代麦の穂が草から顔を出してきた 2018.5.14

陸稲もなんとか蕎麦の草の下で頑張っている

陸稲の芽は、麥間ではまだ出ないが、蕎麦下では3センチくらい伸びてきた2018.5.14

蕎麦の花も咲き誇ってきた

2018.5.14傍の花も咲き誇ってきた ちっちゃな花だけど

ふと見上げると

今年5年目になるリンゴの実が初めてなってきた

ちっちゃなリンゴの実がほんのりと赤くなってきた2018.5.14

こんな唄も聞こえてきた

 

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい幸せ ちいさい幸せ ちいさい幸せ みつけた

麦さん、稲さん、蕎麦さん、・・リンゴさん

の花と実・・・見つけた (^^♪

 

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どう生き抜くか?

最後の授業

 

”ボランティア活動から学ぶグローバル社会と地域社会”の授業にどう答えるか?

私が学生に直接伝えることができるのは今回の6月が最後のような気がする。

呼んでくれるO教授が来年3月に大学退職するからだ。

いわば、私にとって、”人生最後の授業”になること大である。

そのつもりで、最後の90分に臨むことにする。

 

生涯学び

 

テーマの”ボランティア活動から学ぶグローバル社会と地域社会”に、私が答えると?

私が今までやってきた活動であり、これからの活動とも同じになる。

「グローバル社会と地域社会」とは、今の現実社会のことであり、

「ボランティア活動から学ぶ」とは、金儲けのために働いてこなかったし、これからも金儲けしたいとも思わない。また、これまでどんなことにも学びをしてきたし、学びをやめたこともないし、死ぬまで学んでいきたいと思っているからだ。

生涯学ぶということは「不悟の悟」「不知の知」「無知の知」ということでもある。

相田みつを の言葉が好きだ。

男のTシャツにするなら

女のTシャツなら

これが我々の課題である!困難なことは解っている!よ! みんな!

 

ガンジーの名言

「毎日 明日死ぬと思って生きなさい」

「永遠に生きると思って学びなさい」

この知と経験に対する決して消えることのない不屈の精神

どんなに馬鹿げていても

どんなにマニアックでも

どんなに扇動的に思われても

この学ぼうとする意欲が

我らがハンガリー人

ロボチェック氏、テスラー氏、バルトーク氏など そして私自身の

そしてここにいる皆さんの

思い描く未来を形作るものです。

Ez a mi munkank; es nem is keves.

これが我々の課題である!困難なことは解っている!

Jo napot,pacak!

よ! みんな!

➡全文

 

 

どう生き抜くか?!

 

聴講する学生は ちょうど18歳~19歳だろう

そのころの私の疑問は

「何のために生きるの?」

だった。

それから 半世紀の間 なんとか生き抜いてきた。

その間、家族友人知人が 自殺したり、ガンで亡くなったりしてきた

そして 68歳になる私の疑問は

「どう生き抜くか?」

である。

 

そして、老人が若者へ 伝えることは

 

「どう生き抜いてきたか?」

 

地域問題は大きく国際問題と関わり合いながら、

お金だけでは何も解決できなかった現実をどう生きてきたか?

それを学生に伝えることが一番最後の授業としては適当だと思える。

 

 

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命は種だけでバトンされるのではない

ブドウの木の下草のキングライ麦が実る前に刈り取られてから 1週間が過ぎた。

刈とられたキングライ麦は1週間すぎてまた芽生えてきた

根が残っていればすぐにまた生えるのは 雑草だけでなく、キングライ麦も同じだった。

それは 栽培していう古代麦でも同じだろう。

だが、雑草も 実って種をつけたあとには枯れていく。枯れた根から、すぐにまた生えるのは僅かだ。

植物の種類によっても、みな違う。

実っても、根が枯れない球根類は株分けして増えていく。もちろん種からもだがまた生える力は根よりも小さい。

ー^-^-^-^-^

命のバトンは種だけではない

 

種以外に根があるし、また

果樹は種よりも枝からの方がよく生える。

挿し木、接ぎ木の方が しっかりと芽がのびる。

 

さつまいもにいたっては

根よりも、葉を土に入れ込んだ方がまた根ができ、そこから目が出てくる。

 

哺乳類の人間は男女・雌雄から 子が産まれ、命がバトンされることが多いが、

今ではアンドロイドとして、その細胞からも子を生み出す技術が生まれてきている。

それは 哺乳類であれ、植物であれ、アメーバーであれ、

命あるものは、その命のバトンが基本的に最小単位の細胞の核分裂においてされる。

となれば、

人の心・精神を 肉体の最小単位の細胞よりもさらに小さい核細胞と考えたら、

男女の生涯にパートナーを35億から選びだすのは その心・精神であるともいえるので、

その人の心が命のバトンにとっては一番の根底力だといえるだろう。

ー^--^--

雑草・キングライ麦・古代麦が

命のバトンをするのに 最も大きな力は

その心 つまり 種の保存力であり、

それは 根 茎 枝 葉 種 のどれにも存在し、

それらのどこからも 伝えられ、再生する。

つまり

人類に当てはめれば

自分の命のバトンは血縁の子だけでなく

その人の心である魂が 血縁を超えても

他のどんな人類においても、

最も大きなバトン力

だということだ。

 

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苦痛は小さな幸せで克服!

ガッテン!「痛みを脳で克服!慢性痛治療革命」の録画を観たら

友人Kがハマっていた「腱引き」「柳生心眼流健康法」の「痛みをとる術」のメカニズムが解った。

これらは、一種の催眠術、偽薬(プラセボ効果)、意識ズラシ、神技洗脳による治療法のように思っていた。

その痛みをとる神技のメカニズムをNHK放送(ガッテン)では見事に科学的に説明している。

いわば、マジックやトリックの種を教えないのが「腱引き」「心眼流」であり、種を教えるのが「ガッテン」である。宗教的痛み解消か、科学的痛み解消かの差でもある。

1.痛みには2種ある

 一つは原因が解る痛み、2つは原因が解らない痛み

原因がわからない痛みを慢性痛と呼び、それも2種あって、

過去の痛みの原因が無くなっても、

(1)その痛みが持続する思い込み慢性痛と

 (2)痛みで活発になる偏桃体が誤作動

である。

2.側坐核が痛みを和らげる物質を出す

この痛みを和らげる側坐核を活発にさせるには

・小さな幸せを得られるような、小さな目標を達成した時、

・ほんの少しの痛みが減っただけでも 大きな喜びを感じる時

であり、その時はまた側坐核から痛み和らげ物質が出るからともいえる。

 

柳生心眼流の無刀取りは相手の注意を逸らして、そのスキに相手の刀を取る神技であるが、

それは相撲の相手の目の前で手を叩く猫騙しも同様だが、いわば意識ズラシである。

今痛い箇所でない別な箇所(近い箇所や左右反対の箇所)を意図的に指で強く圧迫することで、

より痛みを感じさせて、直ぐに指の圧迫を外し痛みを解放すると、その開放感が大きな喜びとなり、

側坐核から痛み和らげ物質が出てきて、元の痛みを和らげるいうメカニズムであると考えられる。

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苦痛は小さな幸せで克服できる

 

肉体的な痛みは、精神的な苦しみと相似しており、

勉強や仕事そして恋愛やダイエットなどにおける苦痛は

脳の中心部にある側坐核を活性化させる小さな達成感をより発展させて

心身共に”小さな幸せ’を感じさせることを

先ずやることで、苦痛を和らげ、ストレスを減らすことで、

それらから逃げることなく、持続して、”より大きな幸せ”を実現する応援力になる。

 

これは「大きな目標も、小さな一歩の目標から」で、

 

ボーリングでストライクを狙うとき、遠いピンのストライクゾーンを狙うのではなく、

そのストライクゾーンの線上にある目の前にある▲印(三角ピン)にボールを落とすだけ

あとは自然に 落としたボールは遠いストライクピンに向かっていき、ストライクが実現するようなものである。

 

また、

仕事や勉強や恋愛でうまくいかなくて自棄になっているときに、

ちょっとしたゲームや遊び、旅なんかして、

意識をズラシ、遊びや旅の小さな楽しみで幸せを感じると

脳の中心の側坐核から たくさんの安らぎホルモンが出て、

仕事や勉強や恋愛の苦痛を癒してくれ、またそれに挑戦し、持続して

”より大きな幸せ”に向かって進むことができるようになるだろう。

 

 

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