平和運動10/若者による六か国会議/モンゴル

ハワイの家族旅行

来年2月のハワイの家族旅行が決まった。

2/10~14日の 一人86800円の格安ツアーをギリギリセーフで予約。

計画当初バリ島だったが、噴火の危険があり変更。

あとは三日間で何を楽しむか? 期日までにじっくり考え、準備している。

(^^♪ ♩ (^^♪ (^^♪ ♩ (^^♪

 

家族旅行と平和運動がつながった

切っ掛けは「健康と自然の会」の徳島の旅、

それから1年後、「モンゴルのグリーンツーリズム」に発展、

目的が「健康と平和」へ拡大した。

 

世界は「北朝鮮の核ミサイル実験から米朝戦争の危機」に陥り、

対話は経済制裁から武力制裁と、平和運動は瀕死寸前、

 

一方、家族バラバラに暮らしているので、

都合を合わせて、平和裏に、海外の旅の計画を進める。

何のために?

何のために?!

++++

あ…(゚д゚)!

*****

家族の対話+学生社会人の対話+海外の生活体験

*+*+米朝対話++六か国会議*+*+

つながったあ…(゚д゚)!

平和運動に!!!

対話も、理解も、楽しみも+++++みんな**

本質的に同じなんだあ!!!!!

政府同志は権力と武力で対等の対話なんかできやしない**

ならば、

そんな面倒な関係も偏見もない、

社会に生まれたままの童心の若者同志が対話すればいい

(^^♪ ♩ (^^♪ (^^♪ ♩ (^^♪

 

若者による若者のための六か国会議をモンゴルで

北朝鮮の核ミサイル開発実験問題の今は遠ざかっている

米韓日中朝露の六か国会議を政治とは関係ない若者たちがやればいい

どの政府からも干渉をうけない国で、しかも連接する国で・・?

++++

あ…(゚д゚)!

*****

モンゴルがあった

モンゴルの草原で、米韓日中朝露六か国の若者が集まり、

「北朝鮮の核ミサイル開発実験問題」についての会議をする。

あの伝統的な家畜と共に移動するゲルで。

ただ対話や会議だけでなく、

地元のボランティア活動やモンゴルの伝統的生活や祭り体験を通じて、

一緒に、働き、遊び、話し、生活する

そう..三週間ぐらい じっくりと・・

そこに、政府関係者も、年長者のリーダーもいない

若者が持ち回りで、その日の仕事や料理そして、会議進行役などをしていく。

どんな結果がでるかわからない

どんな争いや楽しみがあるかわからない

そうした結果が大事なのではない

関係国の若者が集まり、一緒になって仕事と生活をし、

ともに悩み、ともに楽しみ、

そこから、各自が気付いたことをそこで発表したり、

帰国後、政府や国連に報告発表するだけでいい。

若者による六か国会議の合同決議を出す必要はない。

それは関係六か国の平和への道を歩く一歩一歩にすぎない。

長く、それは、中東問題にもつながる平和への道の一歩でもある。

(^^♪ ♩ (^^♪ (^^♪ ♩ (^^♪

 

カテゴリー: 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | 平和運動10/若者による六か国会議/モンゴル はコメントを受け付けていません

老いぼれ親父の平和運動9/武器を持たない方が安全

非核_脱原発_平和を語る吉永小百合さん

もし、攻められたら・・・・甘いと言われるのですけれど

武器を持たないことが積極的平和主義と思うのです!

 

この武器を持たないことが、例え武器で殺されそうになっても、武器を持たないことがより安全で、より平和的に治めることができるという考え方は、日本の長い武士道から培われた伝統文化であり、今の柔道や合気道に伝えられている。

柔道は柔よく剛を制すということであり、柔は「武器を持たないこと」、剛は「武器を持つこと」である。

合気道は、すべて受け身技であって、先制攻撃を一切しない技である。この受け身が「武器を持たないこと」であい、攻め身・先制攻撃が「武器を持つこと」である。

この「武器を持たないこと」が「武器をもって攻めてきた」時に、最も効果的な防御法であり、また、相手を制することができる術であるという意味でもある。

この「自分の身は自分で守る」という方法は、アメリカの憲法と日本の憲法との対照的な考え方がある。

アメリカ合衆国憲法の中の、権利をまとめた権利章典修正第二条の「人民の武装権」

Amendment I

Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the government for a redress of grievances.

修正第1条
(信教・言論・出版・集会の自由、請願権)
合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。

Amendment II

A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed.

修正第2条
(人民の武装権)
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない

日本国憲法特に9条成立において、いろいろな修正がされてきた経緯があり、それは憲法前文と9条と66条はセットとなっている。

日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

憲法9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法66条

内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

********

今の自衛隊が所持する武器が自衛のための武器ならOKだが、戦争のための武器ならばNOである暗黙の了解がそこに示されている。

そして憲法66条に

自衛を口実とした武器保有の軍隊になる可能性があるとして、憲法第66条第2項に大臣は文民であることが設けられた。

そして、武器をもたない自衛隊であったために、

朝鮮戦争勃発によってアメリカから、日本を朝鮮戦争に派兵させるため改憲要求が出されたが、

アメリカの要求に対抗するため総理大臣吉田茂は社会党に再軍備反対運動をするよう要請した。

その結果、自衛隊(前警察予備隊)が朝鮮戦争にも派兵されることもなく、また、米韓朝戦争の軍需特別景気で、戦後の経済復興が加速できた。

一方、アメリカのダグラス・マッカーサーは日本再独立後にこの憲法9条を作った事を戦後の米軍の負担増という点から後悔し、旧軍を最低限度の人数と装備で存続させるべきであったと一生の悔いにしていた。

この事実は

戦争とその武器をもった軍隊を持たないことがいかに他国との戦争に巻き込まれないことであるという証拠でもある。

******

問題は自衛のための武器を持つことが自国を守ることに本当につながるか?ということである。

戦争において、敵味方で、武器殺傷能力差と人数の差があった場合、歴史的にも、戦力的にも、当然強い者が勝つし、強い者が弱い者を支配する結果になる。

だが、世界の今は、原水爆ミサイルまた生物兵器という武器ができ、それを使用すると、人類破滅に陥る危険が増し、戦争は強い者が勝って弱い者を支配する結果にはならなくなり、戦争そのものが敵味方だけでなく、人類全体を滅亡に追いやる結果になる。

また、今までの戦争でも、敵味方の死傷者がでて、両者がルーズルーズになる。それは周辺諸国でも、世界全体でもそうである。

この事実は、戦争における武器の使用による殺し合いは、単なる両者の自爆テロにすぎない結果になるという証拠でもある。

そのため、武器を使用しない戦争によって勝ち負けを決めていくことが人類の常識にならざるをえなくなる。

それは各国の警察の銃が殺傷能力のない、ゴム弾や電子ショックに代わって、単に抑制するだけに代わってきている。

自衛のための武器ならば、なにも敵を殺して守る必要はなく、敵を殺さずに自分を守る殺傷能力のない武器開発と所持をするのが、もっとも戦争を治める方法としてはベストだといえる。

今、北朝鮮が核のバランスで、自国の安全を確保しようとしているが、それがもう通用しない時代に入っており、殺傷能力のない武器の開発と所持へ、転向するように進めることが、世界にとってもよいことになるだろう。

そういう国連演説を首相が、日本が憲法9条から、北朝鮮に、世界に向かって発信したら、日本は被爆国の世界のリーダーとしての位置をもてるようになるだろう。

 

 

カテゴリー: 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | 老いぼれ親父の平和運動9/武器を持たない方が安全 はコメントを受け付けていません

どうしてマルセ太郎が好きだったのか解った!

正月は日本の年初め、クリスマスはキリスト教国の年初め。

私は10月4日の誕生日が私の年初めである。

それから、新年の抱負・方針を語る。

「今年は何をやろうかな?・・」

67歳になったので、余生の抱負になってしまい、

「いつまでに?」

死ぬまでにというわけにはいかず、

「活動できるまでに!」

と、日本人の平均寿命から引き算して算出する。

剣呼応寿命は・・・・
男は71歳、女は74歳

私はあと5年の健康活動いわば終活期間があるとして、実現までの具体的チャートを作成できる。

 

67歳の今までで一番楽しかったこと、一番好きだったこと、一番求めたことが、

なぜか、奇跡的に、一つの具体的表現にまとまってきた。

 

一日一生一表現

 

オランダのワークキャンプ、マルセ太郎、自信を持つこと

 

特に、自分の一生を表現するにはマルセ太郎芸は必須だというのが解ってきた。

マルセ太郎の表現法を真似ると、三つの楽好求の命のバトンがしやすくなる。

この動画にはカットされた部分が裁判所風景である

マルセ太郎のマルセは、日本のパントマイムのマルセル・マルソーのようになりたいとしての芸名をつけたものだ。

言葉があるとないとでは、その伝達力にプラスマイナスがある。それをカバーするのが、ボディランゲージであり、音楽である。マルセ太郎は落語や映画を取り入れたパントマイム的法則を発見する笑いを表現していた。

 

私はそれをさらに問題解決技法に焦点をあてて、演じたい気分になってきた。

そのテーマは

「健康と平和」であり、楽好探のような「知と愛と幸」を加味した、物語を作って、一人で演じたくなってきた。

 

マルセ太郎の芸にはほとんど道具がいらないし、一人芸なので他人への気遣いが必要ない。

私は好きな尺八一つを道具にして、「健康と平和合わせて、我が名の康平」を演じてみたくなった。

その発表会は、動画配信でもいいし、友人のところに遊びにいって演じてもいい。SNSに投稿すればいいので、ひと昔のように、ライブしたり、本を書いたりする必要もないので、金も気苦労も要らない。

 

それは、自宅で、仕事ではなく趣味として、畑仕事を独り楽しむ「自遊」のようなものである。

 

と、考えつつも・・・

物語を考えるのも、描くのも、どうも苦手でそういう根気がない。

私は理屈屋さんの方で、芸術家タイプの小説家や劇作家のようなタイプではない。

だが、人に自分の考え方を解りやすく伝えるためには、

事実が一番ではあるが、そうした事実がうまく提示できない場合は、

科学者のように、実験をするような、その事実を提示せしめるようなものがいい。

だが、そうした実験も、人の生き死にや、人を傷つけるものはできないため、

仏教やキリスト教の例え話をすることで、人の習性や欲望をうまく表現しやすいものになる。

こうした例え話を創作したり、実際の事件や体験を持ってくるというようなもので、意見を組み立てていく。

その例え話と体験ドラマならば、さらりと書けて、演じられそうである。

あとは、写真や動画にの中の自然観察を中心に構成した様々な事実を集めて、それらを総合した現象からある種の法則や知恵を引き出していく。

事実は創作する必要はなく、探し出すだけでいいし、それにいろいろな事実を知るのは楽しいものである。

自分の意見を言うのはかなり大変だが、「こんな事実がある」という提示は、自分の意見でもあるし、自然の意志でもある。

それはつまり、自分の意志とはいろいろな事実の中から一つの事実を選択するということなのかもしれない。

私自身が生きているということ自体、一つの事実であるということからも、そう言えるだろう。

 

 

カテゴリー: 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | どうしてマルセ太郎が好きだったのか解った! はコメントを受け付けていません

世界三大宗教の源流を十字架捧持マニ像から知る10/9迄

虚空蔵菩薩画像(十字架捧持マニ像) 山梨県指定文化財

栖雲寺宝物風入れ展 2017年 10月8日~9日 9時~15時

天目山栖雲寺 伝灯庵( 山梨県甲州市大和村木賊122)

 

栖雲寺の「虚空蔵菩薩画像」は十字架捧持マニ像とも言われ、

通常は 山梨県立博物館に寄託され、保管管理されているが、年に一度の風入れ展には展示される。

この仏画は、

近年の調査で、鎌倉時代。元の時代(13~14世紀)に描かれたものと判明。

仏画でありながら十字架を持ち、マニ教の特徴である衣類(ショール)をまとった、
三つの宗教が融合された、世界でも類を見ない珍しい絵画。

平成22年にはニューヨークのメトロポリタン美術館にも出品・展示された。

 

マニ教は二元論(善と悪/光と闇)で、ペルシャ(現イスラム圏)で産まれ、世界に広がったが、今は中国福建省のマニ教寺院だけになった。

現在の三大宗教である、キリスト教、イスラム教、仏教のルーツはマニ教においては合流している。

それは三大宗教を比較研究し、その共通思想を探すには持ってこいの宗教であるともいえる。

しかも、日本人が伝統文化的に、かけ離れた宗教もみな融合して受け入れられる思想をもっており、

その証拠として、この栖雲寺の「虚空蔵菩薩画像」(十字架捧持マニ像)は語っている。

 

宗教戦争は思想戦争でもある。

考え方が違うことで、殺し合いまでするのが古今東西の悲惨さである。

だが、「みんな考え方が違って、みんな良い平和な世界」への道を開くことができる

そのためには、

「初心に帰る」ことであり、

仏教、キリスト教、イスラム教 それらを信じた初心に帰ることで、

「共通の人類の心」を発見し、そこから、再構成していくと、

宗教戦争は宗教対話となり、自然の一つ一つの事実と照らし合わ(科学的手法)しながら

平和への思想とそれぞれ発展させていけば、

思想も人も、みな違ってみな良いから、語り合いながら、平和の道を切り開けるようになるだろう

そんな切っ掛けを

この「虚空蔵菩薩画像」’十字架捧持マニ像)は与えてくれるかもしれない。

カテゴリー: 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | 世界三大宗教の源流を十字架捧持マニ像から知る10/9迄 はコメントを受け付けていません

老いぼれ親父の平和運動8/戦争か平和か

意志あるところに道は開ける・・・リンカーン大統領

戦争と平和の問題は、戦争か平和か、どちらに意識・眼を向けるかの二者択一の問題である。

意識と眼を戦争に向ければ、戦争の扉は開き、

意識と眼を平和に向ければ、平和の鐘がなる。

武器を持つか?武器をもたないか?

今、NHKスペシャルの人体・神秘の巨大ネットワークをやっている。

人体の内臓も各細胞も、みな意志と感情を持っているという証拠を示している。

人が作る道具である 「お金」も、「武器」も、その「使い道」として「目的=意志→感情」をもっている

江戸幕府がその政権を天皇に返上し、無血開城をして、

新しい明治政府が創られた。その際、最初に行ったのが、武器である刀を持つことを禁止する法律として廃刀令を制定した。人殺し&戦争を禁止するために、それを使う武器を持つことを禁止したのである。

一方、米国は自分の命を守るための銃を持つことを認める法律を制定した。

これは、正当防衛として、もし人が自分を殺そうとしたら、その人を自分は逆に殺してもよいという正義論からきている。

この正当防衛は、「目には目、歯には歯を」という、ハムラビ法典からきており、それはイスラム法にも引き継がれている。だが、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というキリスト教を国教とする米国法とは相矛盾する。

「銃には銃を、核兵器には核兵器を」という自衛の為の正当防衛論は、負の連鎖つまり不安と戦争の拡大を引き起こす。

それが、国民における「銃所持か、銃不所持か」、

国における「核ミサイル保持か、核ミサイル不保持か」

この正当防衛論が、今の北朝鮮と米国の暴言応酬である。

それが日本国内の正当防衛論は憲法9条を改正するか護憲するかにも波及している。

 

憲法9条の、戦争をする一切の軍隊も武器所持も認めない平和憲法を護憲するか?

 

憲法9条を改正し、その例外として、

自衛隊を軍隊として、その武器と核兵器を持つことを、

かつ同盟軍の集団防衛の戦争を行うことを認るか?

憲法改正か、護憲か?

意志あるところに道は開ける

 

人体の細胞のように、

国民の1人1人が、

その意志を戦争か? 平和か? に向けるかどうかで、

身近な社会も、国も、大きな世界も、

平和への道は開かれていくのである。

 

カテゴリー: お金って何だ, 徒然草, 社会問題, 自然に生きる | 老いぼれ親父の平和運動8/戦争か平和か はコメントを受け付けていません