悪法もまた法なり

ソクラテスが国家を乱す思想の罪として死刑されることを受け入れた時に発した

「悪法もまた法なり」

が、2000年後には、諺にもなった程、大きな思想の力になった。

キリストも当時ローマが信奉する神に対する不敬罪で、磔になることを受け入れた。

だが、キリストの思想も教義も、のち2000年以上も道徳指針になっている。

ソクラテスもキリストも、弟子の力で、逃げ出すこともできたし、裁判で、自分の思想とは真逆の嘘を言うこともできたであろう。

だが、逃げ出すことも、嘘を言うこともしなかったのは、当時二人とも著名でその思想は数千年も通用する程の力があり、その社会的運命的責任があったために、どこにも逃げ場がなかったし、嘘を言ったらそれまでも話してきた言葉は嘘となってしまうからであろう。それは当時の、国家反乱罪、神不敬罪で死刑されることで、ソクラテスキリストの思想は生き続けることになった。

それは数十年の肉体の命よりも数千年も生きる思想(魂)を優先したためであろう。

無名で社会的重責もない私だったら、さっさと逃げるか、嘘をいくらでもついて命乞いをするだろう。むしろ、そういう思想や信仰よりも、今の肉体の命を優先する方がこれからの時代を生き抜く適応力になるように思える。

 

大麻が麻薬と同じだと誤解されている法律と世間的道徳に対して、武田邦彦が呟いている。

どうやら、大麻取締法は「悪法もまた法なり」と言えそうである。

私は何かと依存荘になりやすい性格で、1日3箱のヘビースモーカーで、長年なかなか禁煙できずに苦しんだ経緯があるため、大麻を吸うことを禁じる法律は大歓迎であるし、ありがたいものである。でも、社会にとって、煙草も大麻も同じ草の扱いにしないと科学的につじつまが合わなくなるだろう。

通行人クレイマー突如出現

最近、フリマ笹塚の店に、警察と区役所の人を連れてきた3.40代の通行人が、シャッター代わりにしている格子戸を取り壊すよう指示してきた。1世紀もやっているが、こんな出来事は始めてだった。

毎年、道路にはみでる日除けテント使用料として、警察と区役所に5.6千円払っているが、その下にある看板や戸板、机などは許可使用料には入っていないということが今回判明した。

だが、1世紀もの日除けテント下に、いろいろ展示案内できており、それが暗黙の許可となっている。

この道路使用に関する法律は「悪法もまた法なり」とまでもいかないが、「タテマエ法」と言えるのではないだろうか。40キロ制限の道路交通法に、40キロで走り続けるパトカーがいた時は、その後はずっと渋滞が起きることは事実であり、パトカーが横に曲がると、その後続車は一斉に60キロで走りだし、渋滞は解除される。

この最高速度40キロ道路というにも、「タテマエ法」である。時たま、安全運転期間と称して、スピード違反をとりしまる際でも、40キロ制限のところで、30キロオーバーの70キロを出している車が見せしめのために、つかまり、罰金、免許停止される。つまり、「守らねばならない法」ではなく、「注意法」である。

警察も区役所も、道路にはみ出た格子戸を壊せというのは「タテマエ」であって、格子戸を赦すというのが「ホンネ」である。それをクレイジーな通行人に解るように、口で「壊せ」といい、クレイジー通行人には解らないように、目で「そのままでいい」というような目くばせをしてくれる。

みんな違ってみんな良い

これをどう生活で表現していくかが、意外とコツがいる。

その一つのコツが、

「悪法もまた法なり」という処世術をつかい、「タテマエ口」と「ホンネ行動」をうまくバランスをとっていく生活術である。

武田さんが、サンマさんに、「どうして批判されても平気なの?」と問われて、

「私の考え方が間違っているからでしょう」

と答えた。

これも、「タテマエ口」であり、彼は自分の考え方が正しいと思って行動する「ホンネ行動」である。

「みんな違ってみんな良い」は、「どんな思想もどんな法律もみんな良い」という受け入れであり、悪法も善法も同じく受け入れるということであり、両者は矛盾しているが、そうした矛盾も受け入れるという現実的な受け入れ方が「和をもって尊きとなし」に繋がってくる。

 

「彼方を立てれば此方が立たず」

「It is hard to please all parties.(全ての人を喜ばせるのは難しい)」

「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」

・・「草枕」夏目漱石著

 

「言行一致」は「悪道徳もまた道徳なり」と言えそうである

 

よく、「自分で言ったことはきちんとやりなさい」とか、「いま、わかったって言ったじゃないか、どうしてそういないのか」と怒り、縛り付けようとする。

考えることを言うのもままならぬ、まして、言うことを行うのもさらにままならぬ、そんな人の性(さが)、言行一致という道徳振りかざしても、やはりままならぬ世の中、

考えも、言葉も、行為も、それらの特性を生かして自由に羽をのばして生きようではないか、

ダンゴ虫のように、正反合すれば、

「智に働かざれば角が立たず。情に棹(さお)ささねば流されず。意地を通さねば自由だ。兎角に人の世は住みやすい 」・・ダンゴ虫より

かくて、みんな違ってみんな良いは、自然にまかり通っていく(^^♪

 

 

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学びコミュニティへの参加に向けて

どうやら二回体験談を話すことになった。

6月21日(水)水曜学舎 16:20~17:50

6月22日(木)ボランティアの授業 12:50~14:20

6月23日(金)自然と健康の会 10:00~18:00

それに

柳生心眼流の伝承者 島津先生の送迎ともども、一泊二日かけて行う。

8月1日(火)午前9時町田宅へ 途中、温泉があるところで一泊

8月2日(水)温泉と夕食後 知足庵到着

8月3日(木)ボランティアの授業(島津先生)

8月4日(金)キャンプファイヤー

8月5日(土)健康講座(島津先生)

午後、淡路島 砲術研究の旅 後東京へ 途中一泊

8月6日(日)東京町田宅 着

社会人講義先輩のドクターKから、一切何も準備しない方がいいと怒られるように言われたが、その時何を話すかは決めるとして、一応、どんな場所でどんな授業なのかを知っておかないと、落ち着かない。

大橋教授が目指しているのは何か? 教えてもらえなかったので、独自に調べることにした。

徳島大学 学びラウンジ を主催していて、国際交流を、双方の留学生同志が日本で、海外で ともに体験し語り合い、生活するという方法で、実践している

水曜学舎・・学生と社会人が共同して学びあう会を立ち上げました!その名も『水曜学舎』。毎回テーマを設定して、参加者全員で議論をしています。時に真剣に、時に笑顔ありの中身の濃い会となっています。豊かな人生を目指して、みんなで知恵を出し合いませんか?

総合科学特別講義

総合科学=諸科学を総合して地域課題の解明を目指す地域科学の意義や方法について考察します.授業の後半は、地域社会人との議論が中心になります。また、英語で授業を行う事があり、この授業では英語での意見表明が必要になります。英会話を用いる課外活動への自主的な参加を含めて、外国語の基本的運用能力を身につけながら国際感覚の醸成をはかります.また、体験・参加型学習の形式で課題についての探究と問題解決のための方策を思考できる能力の育成を目指します.

  1. 持続可能な社会を考える
  2. 自然環境保全(石田・大橋・佐藤)
  3. 地域活性化(石田・大橋・佐藤)
  4. 地域文化(石田・大橋・佐藤)
  5. 世代間格差(団塊の世代)(石田・大橋・佐藤)
  6. グローバル化とは(石田・大橋・佐藤)
  7. 歴史を学ぶことの意義(大橋・佐藤)
  8. 大学教育と生涯学習(大橋・佐藤)
  9. 原発問題をどう考える(大橋・佐藤)
  10. 国際交流と国際協力(大橋・佐藤)
  11. 幸福な国を築くには・・(大橋・佐藤)
  12. 哲学をもつことの意義(大橋・佐藤)
  13. 大学教育の課題(大橋・佐藤)
  14. 教養を学ぶ意義(大橋・佐藤)
  15. 総括 総合科学の必要性(大橋・佐藤)

それで私がなぜ呼ばれたかはどうやら社会人ボランティアとしてのようだ。

徳島大学は,「人間性に富む人格の形成を促す教育を行い,優れた専門能力と自立した未来社会の諸問題に立ち向かう,進取の気風を身につけた人材の育成に努める」ことを教育理念

この取り組みにおいては、地域社会の様々な分野で活躍し,大学教育・教養教育に造詣の深い地域社会人をボランティアとして広く迎え入れ,学生・社会人・教員の三者で互いに学び合う場としての「学びのコミュニティー」を授業内あるいは授業外で構成します。

知の循環型社会を構築するための一環のようだ。

どうやら、ドクターKが 主体は学生であって、テーマも、流れも、彼らに任すというもので、社会人ボランティアは提出された内容に対しての経験談を話して、議論を活発化させる役目、まさに、ソクラテスの産婆さんの役割だというのが解る。

そこで話すことは前もって決めないで、学生の質問から、始めるというのが、最も相応しい産婆術であろう。

ともあれ、そうした場合の質問予想に対しては自分なりに整理しておきたいし、質問がなくても、自分自身を整理するにも、よい学びの機会になるだろう。

私が大学生だった時に、こんな授業があったら、どんなことを聞きたいか?

また、現代の大学生が一番問題視しているのは何か? ということを調べてみることも必要だろう。

 

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ユーザー車検メモ

何度かユーザー車検をやっているが、つい忘れてしまうのでメモしておく。

1.まず車検を予約する・・軽自動車検査予約システム(普通車は自動車検査予約システム)予約番号をメモ

2.二年と1か月間、メールアドレスとパスワードが保存されているので それでログイン

3.軽自動車税納税証明書・・毎年市役所から6月13日に送付される。(軽自動車税納税通知書は5月2日の送付されるが使えない)

4.ユーザー車検の方法・やり方を参考にする

5.定期点検整備記録簿(その一枚を切って、それにチェック記入する)

6.特に電気系統 ランプの切れがないかチェックする

7.自動車の下回りをホースで汚れをとる(車検者が見やすいように)

8.車検場ではタイヤのホールカバーははずしておく(ネジの締め付けをチェックしやすくするため)

9.もし、車検に落ちたら、近くにテスター屋さんがあるので、そこで、ライトの上下などを調整してくれるし、ランプの替えもできる。また、自分でランプを交換する場合は、プラスのドライバーが必要なので用意しておくとよい。

山梨事務所

山梨事務所 〒406-0034 山梨県笛吹市石和町唐柏792番地1 050-3816-3121

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日御子(卑弥呼)を追いかけて

混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)は1402年に李氏朝鮮で作られた地図で、その時の日本は室町幕府の時代であり、その首都は京都であった。その地図から見ると奈良にも京都にも見える。そのため邪馬台国が奈良にあったとするのは間違いだった。

九州説の動画が最も分かりやすく、それを元に追いかけてみた。

実際に朝倉市の平塚川添い遺跡公園に行ってみたが、その弥生式集落の規模が少なく、もっと大きい吉野ケ里遺跡でも、小さく、それ以上にもっと大きな連合村落であったように思えた。

 

魏志倭人伝の世界というwebでは

卑弥呼が天照大御神であったとすると、神話や伝説がスッキリとまとまってくる。

卑弥呼の遺骨はたぶん八女市の古墳に納められたのだろう

その後継者が阿蘇山の南の高千穂の天岩戸に卑弥呼を天照大御神として神化し、その岩に魂が宿るかのように、神話化し、そこに神社を建造して、祀り、そこに遷都して、天孫降臨の伝説が作られたと思われる。

弥生時代の埋葬は甕棺(かめかん)であり、その甕棺を自然の岩として埋葬したとしてもおかしくない。

高千穂の前の都はたぶん山の要塞があるような太宰府天満宮であり、高千穂に遷都したのは南を征服するためと、自然の要塞として山に都を作ったのであろう。

八女市を邪馬台国があったとすると、そこは高千穂から新宮から東征へと神武天皇のルートに重なる。

天皇は死後神として古墳に祀られてきた。弥生の甕棺から古墳になったのは朝鮮の古墳を取り入れたものであろう。百済の王が日本に亡命して亡くなった時にはやはり神として古墳が作られ、神門神社も作られた。

邪馬台国がどこにあったかは重要ではなく、その時の最高の権力者が神として祀られてきたということが重要である。日本全体を治めた卑弥呼や天皇はその遺骨は古墳に、その霊魂は神社や神宮に、庶民の神棚に祀られ、日本人の心を一つに治め、平和な国として安定させようとしたと思われる。

日本を治めるためには、最初は武力であったが、その武力をさらに治めるのは心である。武力を心で治めるためには、洗脳が必要であり、その一役をになったのが神格化であり、それは武士道にも発展している。勝負事のスポーツが平和の祭典ともいわれるのは「平和の心」を最高の神のような精神にしたためであろう。

二つ目に重要だったことは、日本全体を治めるためには、男王ではなく、女王でなくてはならなかったことである。日本の神を奉る最高神が女の天照大御神であったことは、弥生以前は縄文時代が15000年も続いたことに関係がある。

弥生、古墳、現代歴史を合わせても2000年であり、その弥生文化はみな中国朝鮮から伝わり、現代文化はインドヨーロッパから伝わり、発展したものである。

15000年も続いた縄文文明は日本独自のもので、そこに日本全体を統一しようとする武力闘争もなかったし、最も強い権力者を神とする精神もなかった。

縄文の日本人が最も大切にした精神は縄文土器や土偶にみられ、その中心は妊婦姿である。南アルプスのふるさと伝承館には妊婦の土偶が中心におかれ、その妊婦は鈴のように一部穴が開けられ、鳴るようにできている。

その館長さんに話を聞いたら、縄文のキーワードは「再生」であると言う。「再生」は「出産」であり、破壊や闘争ではなく、「平和」と「創造」でもある。

それが女性であり、しかも妊婦であり、新たに生まれる赤子の鳴き声(鈴)である。

そうした15000年も続いた女性と妊婦を最も大事にした、日本独自の縄文文明があったからこそ、日本の武力闘争を治めたのは女王の卑弥呼=日御子であったし、男王ではできなかったといえるだろう。

今世界は3000年くらい戦争の歴史を繰り返している。神様同志が戦争するようになってしまった感がある。そうした武力闘争を治めて平和な世界を築くのは縄文の妊婦を最も崇める心をもって、平和な世界を再生する心は日本独自の縄文の心にあるように思える。

 

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「みんな違ってみんな良い」をどう実現するか

私も含めて、友人たちの家族の多くはバラバラになっていて、老人の孤独死が自然のような家族環境になってきている。

邪馬台国をなぜか求めてきて、そこがどこにあったかはどうでもいいことだが、なぜ、その歴史ロマンに引き込まれるか? 不思議であった。

吉野ケ里遺跡に二日間車中泊して、どうやら、「日本人の心のルーツが大和国という家にあり、そこに八百万の神々が集まり、和して団らんしている」そうした中心に天照大御神=日御子があり、現天皇に象徴的に一つにまとまっていて、安定している。

「みんな違ってみんな良い」を初めて日御子が大和国として、統一実現させた。それは武力ではなく、国民みんなを神々として尊重・尊敬する敬愛の心で統一実現したのだろう。

すぐ武力で制圧しようとする男の特質は破壊に通じ、命を生み出す女の特質は平和に通じるので、敬愛を持つ女王日御子が勇猛をほこる男どもから担がれたのだろう。

世界は今、東洋と西洋の中間にあるシリアにおいて、武力による殺戮と破壊がとどまることなく進んでいる。それを平和にする術がなく、困り果てている。こうした状況は弥生時代の後期に似ている。イスラム国のように首狩りが当たり前の状況であったことも、その甕(カメ)カンに埋葬された遺骨からも解る。

もし、日御子のような敬愛を持つようなリーダー(もしくな法や精神)が世界で選出されたならば、どんな宗教も、どんな人種も、72億の神々として敬愛し、平和に統一されていくだろう。

日本は日御子の時代から二千年にわたって、引き継がれた敬愛の心をもっているのだから、そうしたリーダー役にはもってこいであろう。それはなんの因果か解らないが、唯一の被爆国であり、非戦国としての平和憲法を持っている国として、それを果たすべき日が来たように思える。

 

身長は150センチ、獰猛な戦士をなだめ、敬愛をもって、大和国を平和に治めた

前に、真実は一つだが、真理は一つではない。

としたが、通常、コナンでもそうだが、人の心情や意志を真実の中に入れてしまうので、誤解されやすい。

それで、

事実は一つ、真理は人間の数だけある。

と言い換えることにした。

それは、「みんな違ってみんな良い」を実現するのは敬愛と思えたが、そうした心情は一つになりにくいので、「事実は一つ」を応用して、「事実を共に共有すれば和する」と言えるだろうし、正反合の弁証法の合も、事実の共有で、合するとも言えるだろう。

シリアの問題も、

「共に生きるか?共に死ぬか? どっちが事実であり、どちらの事実を受け入れれば和する?」

という事実の共有で和解できるだろう。

 

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