半世紀ぶりに尺八を吹き出した

コンドルは飛んで行く

おいらも跳んでいく

♫♫♫ ♫♫ ♫♫

どうも、尺八だけの曲は暗く悲しいものが多い。

民謡・演歌でも、なぜか日本人は哀しい感じがぐっとくるようだ。

高校生のころ、近所に、琴古流尺八の大家、兼安洞童先生がおられたので、

一年習い、病気で数年あけ、また一年習ったが、

どうにも自分に音楽の才能がないという壁に突き当たり、

もちろん、子供の時から音痴であることは十分解ってはいたが、

あの尺八のワビサビのかすれた音が好きで、その門に飛び込んだが、

所詮、尺八は音楽そして芸術である。

悩みに悩んだすえ、

洞童先生に聞いた。

「先生、音楽は才能でしょうか?」

「そりやあ、そうだよ・・」

と何気なく答えてくれたが、私には愕然としてしまった。

どんなに努力しても、尺八は上手くならないし、納得いくような作曲もできないもの、

それは天性の才能であり、どんなに好きであっても、どうにもならないものだと。

 

当時、私はいろいろと物事を深く考えることが好きであり、それは尺八よりも好きだった。

そこで、自分の才能は「考える」ことであって、「音楽」ではないと、決断し、尺八をそれ以降やめてしまった。

当時8万円もした尺八は押し入れの隅っこに隠れて、ふと懐かしく手に取ってみたら、縦半分にぱっくり割れていた。そこで、ボンドをつけて、何本もの結束バンドでくっつけたが、音がどうにもならないので、また数十年間ほったらかしていた。

最近、深呼吸しならの瞑想をいろいろと試していたら、けっこう飽きるのだ。

どうせ、深呼吸するなら、尺八の音出しでもしてみようかと、あの割れて鳴らない尺八を吹いたら、

なんと、いくらか鳴ったのだ。

どうやら深呼吸で、腹式と胸式をゆっくり吐き出す訓練をしていたからかもしれない。

腹式だと低い音がでて、胸式だと高い音がでた。まるで、肺全体が尺八の胴みたいにみえた。

また、

好きな考え事も、一段落してきたので、昔の楽譜を引っ張り出して、好きな曲を吹き出した。

でも、やっぱり、暗い、今の時代感覚に合わない曲想だ。

一番心に響くのは宮城道夫の曲だが、それは琴曲で、尺八の音を活かした曲ではない。

尺八の音を活かす曲は虚無僧が吹くような古い本曲である。

だが、暗い、虚無を表すような曲ばかりなので、どうにも納得暗譜なんかできない。

 

そこで、現代尺八が合うような曲はないものかと探していたら、

アンデスのケーナが音も楽器も尺八に近い、ケーナはどうやら、日本雅楽の笙と合わして吹いている。

コンドルは飛んでいくという曲は実に優雅である。高山に住んで、その風にのって飛翔するコンドルの姿が目に浮かぶ。

その楽譜を見つけたが、なんせ五線譜のドレミである。私はそれが読めない。尺八の楽譜ロツレチリしか読めないので、いちいち、翻訳して、自分で尺八楽譜を描いていくしかない。

音楽の才能があれば、みな耳できいて、それをそのまま尺八でふけるだろうが、

才能のない私はいちいち理論と努力で、楽譜をかき、それをまた吹き込むまで、相当の手間と情熱がいる。

 

だが、

老年になって、明日の予定なんかなにもない暇だけが死ぬまでいくらでもあるので、暇つぶしには絶好かもしれない。要は自分が納得いくまで楽しめればいいだけなので、才能なんか必要もないし、そんなものどうでもいいものだ。

 

才能は人のためにあるもので、努力は自分のためにある。

 

そこで、あの博山さんの「汚な美」を思い出した。文字だって、下手な文字の方が味があるものである。

音痴な自分をそのまま楽しめれば、それが一番幸せなことである

 

それがまた

自信を持つということではないだろうか。

♫ ♫ ♫♫ ♫♫♫ ♫♫♫ ♫♫ ♫♫ ♫

コンドルは飛んでいき、

おいらも跳んでいく・・・

コンドルは優雅に、

おいらは自信をもって・・

コンドルはアンデスを

おいらは山梨を・・飛んでいく

♫ ♫ ♫♫ ♫♫♫ ♫♫♫ ♫♫ ♫♫ ♫

60歳からの手習いと言うではないか。

私は66才からの手習いである。

つまり、定年になって時間と金が自由に使えるようになったからできることである。

ついでに、時間と金の他に、自由に使えるのが自信である。

若いときは、その若さ故、自信が持てないが、

老いどきは、その老いさ故、自信が過剰なほどではないが持てる。

それは長い経験と、恥ずかしさが消え

ほとんどの他人が自分より年下になるからだろう。

 

そこで、66才からの尺八の手習いの流儀を打ち立てることにした。

その名も、

 

尺八音痴流

である。

才能はないばかりか、音痴である馬鹿まで付く。

だが、努力だけは惜しむこともなく、とにかく楽しく使える。

なんせ、音痴馬鹿に、つける薬の「時間と金」はいくらでもあるからだ。

 

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病院が匙を投げたら自宅や田舎で自然療法しよう

入院ストレスは深刻な状況に

入院ストレスが深刻であり、

病気を治す病院が、さらに病気を悪化させているという事実が解ってきた。

西洋医学において、「原因不明」の病気というのは、ほぼ「ストレス」が原因であるともいえそうだ。

ストレスは個人的な心や生活スタイルから生まれるもので、

それは目に見える病気ではないから、西洋医学では病気でも、病気の原因とは言えない。

そのため、入院生活におけるストレスの増加には気に留めない。

これからの病院の経営方針も、患者の「ストレス」をいかに無くすかを最優先する必要になってくるだろう。

 

ストレス緩和する「病院と自宅」のネットと訪問治療システムへ

 

東洋医学では「病は気から」といって、多くの病気の原因が「ストレス」であるという。

参照:西洋治療と東洋治療の違い

直接原因を治療する西洋医学だけでなく病気になる前の患者の生活スタイルや心の在り方まで治療する東洋医学との併用をしないと、根本治療は難しい。

患者のライフスタイル改良や心のケアは自宅でやる法が効果的であろう。

それで、「病院と自宅治療」をセットして、

ネットと訪問介護治療を合わせたシステムを構築していくことが望ましい。

 

私の母は自宅治療で天国へ

 

私の母は、大腸がんになり、新宿の東京医科大学病院に入院して、手術し退院したが、

数か月で肝臓に転移してしまい、手術もできないので再入院できないと断れ、近くの初台にある

私立で、古ぼけた玉井病院に入院させらえたが、医師も看護師も不足して、ただ死を待つ病院であり、その看護と治療をみて、あまりに母が苦しむのを、また、家族が24時間そこで寝泊まりできないので、すぐに自体介護へと切り替えた。

ベットとトイレは渋谷区役所で、無料で提供され、また訪問医師は中野から来てもらい、看護師は近くの幡ヶ谷から来てもらった。

そこで、やっと、私と鎌倉の妹と交代で、24時間ケアできるようになった。

たった一か月の自宅看護ではあったが、亡くなったときはたぶん先に逝った父からの愛の告白に乙女のように赤らめ、幸せのような顔をして去っていったのを、記憶している。

癌の痛みはモルヒネをいくら注入しても、消えないが、

息子や娘が、痛い肝臓を手をさすってあげると、不思議と痛みは和らぎ、

母は「ありがとよ、良くなったよ」と繰り返し、幸せそうな顔をした。

 

自然治癒を中心にした自宅・田舎治療がいい

 

こうした家族による手当はどこの病院でも、いつでもできない。

それは20年も昔であるが、訪問医師と訪問看護士で、十分自宅治療ができた。

死を待つ家のような病院として、ホスピスがあるが、家族も一緒に暮らせることはできないだろう。

また、西洋医療がさじを投げた癌であったならば、

そこから、自宅治療や病院が近い田舎の空き家・借り家で、

東洋医療(自然療法など)を中心にした「自分の病気は自分で、家族で治す」という意気ごみで、

楽しく遊びながら、余生を満喫するのがいい。

ひょっとしたら、ストレスを無くした自然治癒で治る確率が30%はあるとも言われるので、完全治癒することだってあるかもしれない。

あきらめた時が最後で、あきらめなけらばまたの始めりである。

自殺ではなく、天(自然)のお迎えがあるまで、共に楽しく生き抜きたいものである。

 

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パパラギとの出会い

徳島大で話を6月に二度することになって、

いよいよ 若い世代(私の子供も含めて)へ「命のバトン」をする時期が来たと思った。

いわば就活である。

命のバトンには「生き抜く力の資産は子供たち」に、「生き抜く知恵は若い世代」へと繋げたい。

 

私は40才になった時、失恋ばかりする人生に「一生結婚しないでいこう」と決意し、

当時、ベストセラー化した「パパラギ」という本に感銘し、

西洋文化を批判したサモアという国はどういうところだろうか?

という疑問もあって、その西サモアにそれまでの失恋全部の傷心旅行にいった。

 

そして、結婚をあきらめた途端に、18才のサモア人と結婚し、二人の娘を得た。

その娘たち世代への「命のバトン」として、国際結婚という経験を整理していて、

改めて、娘たちを産むきっかけとなった「パパラギ」に出会った。

驚いたことに、それがなんと「著者ドイツ人のフィクション」であることが今解った。

 

私の人生は感銘した多くの本に騙され、失敗してきたが、「パパラギ」にまで騙されたとは唖然とした。

当時に、パパラギがフィクションであると解っていれば、サモアに傷心旅行には行かなかっただろう。

真実をいつ知るかで、大きく人生が変わることは確かだ

 

パパラギがフィクションであれ、その内容は西洋文化の批判としては今も通用する内容なので、まとめてみた、

 

パパラギ

1920年にドイツで画家で作家のエーリッヒ・ショイルマンによって出版された書籍である。ヨーロッパを訪問したサモアの酋長ツイアビが帰国後、島民たちに西洋文明について語って聞かせた演説をまとめたもの。

 

文化人類学者の間では、ツイアビの演説がサモアの話法とは異なっていることなどから、この本は実際にはツイアビの演説をまとめたものではなく、ショイルマンの創作だと考えられてきた。上記の天声人語での評も、ツイアビが実在の人物かどうかは不明というスタンスを取っている。近年の研究により、ツイアビは現地語で「酋長」を意味する言葉であり、本書でツイアビとされている人物はアガエセ(Agaese)という名のドイツ軍の軍属で、ヨーロッパを訪問したこともなかったことなどが分かっている。しかし、ドイツ及び日本での出版時にはフィクションとの断り書きがなかったので、真実だと取り違えている人も多い。

 

パパラギの本当の神はお金だ

おまえたち、明敏なわが兄弟よ、わたしたちはみな貧しい。太陽の下、私たちの国ほど貧しい国はない。

私たちのところには、箱いっぱいの丸い金属もなければ重たい紙もない。

パパラギ(白人)の考えからいえば、私たちはみじめな物乞いなのだ。

だがしかし!おまえたちの目を見、それを金持ちのアリイ(紳士・男)の目と比べるなら、彼らの目はかすみ、しぼみ、疲れているが、おまえたちの目は大いなる光りのように輝いている。

喜びに、力に、いのちに、そして健康にあふれ、輝いている。おまえたちの目は、パパラギの国では子どもだけしか持っていない。

言葉も話せない、それゆえお金のことは、まだ何も知らない子どもだけしか。・・

大いなる心は、私たちをアイツウ(悪魔)から守ることによって、私たちを愛してくださった。

お金がアイツウである。その仕業はすべて悪であり、悪を生む。お金にさわったものは、その魔力のとりことなり、それをほしがるものは、生きているかぎり、その力もすべての喜びもお金のために捧げねばならない。

もてなしをしたからといって何かを要求したり、何かをしてやったからといってアローファ(贈り物・交換品)をほしがるような人間を、私たちは軽蔑する。

という尊いならわしを、私たちは大切にしよう。ひとりの人間が、他の人たちよりずっとたくさんの物を持つとか、ひとりがうんとたくさん持っていて、他の人びとは無一物、というようなことを私たちは許さない。

そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣の兄弟が不幸を嘆いているのに、それでも幸せでほがらかにしていられるあのパパラギのような心にならずにすむ。・・
宣教師は私たちに嘘をつき、私たちをあざむいた。

パパラギが宣教師を買収し、大いなる心の言葉を借りて私たちをだましたのだ。

丸い金属と重たい紙、彼らが「お金」と呼んでいる、これが白人たちの本当の神さまだ。
(中略)
彼は患い、とり憑かれている。だから心は丸い金属と重たい紙に執着し、決して満足せず、できる限りたくさん強奪しようとして飽くことがない。

「私はこの世に来たときと同じように、不平も不正もなく、またこの世から出てゆきたい。大いなる心は私たちを、丸い金属、重たい紙なしに、またこの世に送ってくださったのだから」などとは、彼は考えることができない。

(中略)

そう、おまえは誕生のときにさえお金を払わねばならず、おまえが死ぬときも、ただ死んだというだけで、おまえのアイガ(家族)はお金を払わねばならぬ。

からだを大地に埋めるにも、思い出のためにおまえの墓の上にころがす大きな石にも、お金がかかる。

(中略)

何よりもまず、私たちはお金から身を守ろう。

パパラギは今や、ほしがらせようとして、私たちにあの丸い金属と重たい紙を差し出している。

それが私たちを豊かにし、幸せにすると言う。

すでに私たちの中で、目がくらんで、重たい病気になったものがたくさんいる。

けれども私はおまえたちに語ろう。お金で人は楽しくなったり、幸せになったりすることはない、それどころか、人の心を、人間のすべてを、悪しきいざこざの中へ引き込んでしまうということを。

そしてお金は、ひとりも本当に救うことはできない。ひとりも、楽しく、強く、幸せにすることはできないのだということを。
おまえたちが、おまえたちのつつましい兄弟の言葉を信じ、言うことをわかってくれるなら、おまえたちはあの丸い金属と重たい紙を、もっとも凶悪な敵として憎むことになるだろう。

「丸い金属と重たい紙について」

 

石の箱に住むパパラギ

パパラギは、巻貝のように堅い殻の中に住み、熔岩の割れ目に住むムカデのように、石と石のあいだで暮らしている。頭の上も、足の下も、からだの周りも、すべて石である。

パパラギの小屋は石でできていて、まっすぐな箱のような形をしている。たくさんの引き出しがつき、あちこち穴だらけの箱である。

(中略)

たくさんの人の住む石造りの箱、無数の河野用にあちこちに通じる高い石の割れ目、その中の人波、うるさい音と大騒ぎ、すべてのものに降り注ぐ黒い砂と煙、一本の気もなく、空の青もない、明るい風もなく、雲もないところ、これをパパラギ(白人)は「都市」と呼び、それを創ったことを誇りにする。

たとえそこには一本の木も、森も、広々とした青空を見たこともなく、まだ一度も大いなる心と対面したことのない人間ばかりが住んでいようとも。

(中略)

パパラギは、彼らが集めてきたこの石の山が自慢なのだろうか。私にはわからない。

パパラギは、何か特別な心を持った人間のようだ。意味も無いことをたくさんする。無意味どころか、そのために自分が病気になってしまう。にもかかわらずそれをほめ、自分で美しい歌にして歌う。

(中略)

だから不思議でならないのは、どうして人がこの箱の中で死んでしまわないか、どうして強いあこがれのあまり鳥になり、羽根が生え、舞い上がり、風と光を求めて飛び立ってしまわないか、ということである。

だがパパラギは、石の箱が気に入っており、その害についてはもはや気がつかなくなっている。

(中略)
ここは、まだいくらか美しく、豊かである。私たちの土地と同じように、木々や森や川があり、小さな本当の村もある。

(中略)
これらの村には、町の人間とは違った心の人びとが住んでいる。

この人たちは田舎者と呼ばれる。町の人間より食べ物もたくさん持っているはずなのに、ざらざらの手をし、汚れた腰布をつけている。

彼らの暮らしは、割れ目の人間よりもずっと健康で美しい。

ところが、彼らにはそのことが自分で信じられず、彼らがなまけ者と呼んでいる、大地に触れることもなく、果実を植えて収穫することもない町の人間たちのことをうらやましがっている。

(中略)
だが双方のこの争いは、戦争にまで広がるほどのものではない。

総じてパパラギは、割れ目に住んでいようと田舎で暮らそうと、あるがままに、すべてのことに満足なのである。

(中略)
だが私たち、日と日の光の自由な子である私たちは、大いなる心にいつまでも忠実に、石をもってその心を煩わすことはすまい。

もはや神の手を放してしまい、心迷える病気の人たちだけが、日もなく光もなく風もない石の割れ目で幸せになれるのだ。そんな不確かな幸せでも、パパラギが望むならくれてやろう。

だが、日当たりのいい私たちの海岸に石の箱を建て、石で、割れ目で、塵と埃で、うるさい音で、煙で、砂で、人間の喜びを滅ぼそうとするパパラギのあらゆる企ては打ち砕かねばならぬ。

「石の箱、石の割れ目、石の鳥、そしてその中に何があるかについて」

 

個人主義のパパラギ

パパラギは一種特別な、そして最高にこんがらがった考え方をする。

彼はいつでも、どうしたらあるものが自分の役に立つのか、そしてどうしたらそれが自分の権利になるのかと考える。それもたいてい、ただひとりだけのためであり、みんなのためではない。このひとりというのは、自分自身のことである。(p68)

神からたくさんの物をもらえば、兄弟にも分けてやらねばならない。そうでないと、物は手の中で腐ってしまう。

なぜなら神のたくさんの手は、すべての人間に向かって伸びており、だれかひとりが他のものとは不釣り合いにたくさんの物を持つのは、決して神の心ではない。

さらに、だれかひとりがこう言うのも神の心ではない。「おれは日なたにいる。おまえは日陰に行け」私たちみんなが、日なたに行くべきである。

神が正しいその手の中で、すべてのものを支えておられるかぎり、たたかいもなければ苦しみもない。狡猾なパパラギは、こう言って私たちまでだまそうとする。

「神様のものなんて何もない。おまえが手でつかんだものは、おまえのものだ」――そのような愚かな言葉に耳を貸すまい。正しい知恵に耳かたむけよう。すべては神のものだ。(p75)

パパラギは何でも、貪欲に取り込む。

たとえばどんなに悲しいことでも、健康な人間の理性ならすぐに忘れてしまいたいことでも。

そう、まさにそういうよくないこと、人を悲しませるようなことが、どんないいことよりもずっとくわしく伝えられる。そう、よいことを伝えるより、悪いことを伝えるほうがずっと大切で、うれしいことででもあるかのように、こと細かに。(p102)

パパラギの生き方は、サバイまで舟で行くのに、岸を離れるとすぐ、サバイへ着くのに時間はどのくらいかかるかと考える男に似ていると言えるだろう。彼は考える。

だが、舟旅のあいだじゅう、まわりに広がる美しい景色を見ようとはしない。

やがて左の岸に山の背が迫る。それをちらっと見ただけで、もう止まらない――あの山のうしろにはいったい何があるだろう。おそらく湾があるのだろう。

深いのかな?せまいのかな?こういう考えのためにもう、若者たちといっしょに歌っていた舟唄どころではなくなってしまう。若い娘たちの冗談も聞こえなくなってしまう。(p108)

考えることが重い病気であり、人の値打ちをますます低くしてしまうものであることを、パパラギは身をもって私たちに教えてくれた。(p115)

物がたくさんなければ暮らしていけないのは、貧しいからだ。

大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。

だから物に憑かれている。物なしにはもう生きていけない。

(中略)
少ししか物を持たないパパラギは、自分のことを貧しいと言って悲しがる。

食事の鉢の他は何も持たなくても、私たちならだれでも、歌を歌って笑顔でいられるのに、パパラギの中にそんな人間はひとりもいない。

ヤシの木の方がパパラギよりずっと賢い

おお、兄弟たちよ、こんな人間をどう思うか。
サモアの一つの村なら村びと全部がはいれるほど大きな小屋を持ちながら、旅人にたった一夜の宿も貸さない人。
こんな人間をどう思うか。
手にバナナの房を持ちながら、すぐ目の前の飢えた男に乞われても、ただの一本も分けてやろうとしない人。
私にはおまえたち(白人を指す)の目に怒り、唇には軽蔑の色の浮かぶのが見える。

そうなのだ、これがいつでもパパラギのすることなのだ。
たとえ百枚のむしろを持っていても、持たないものに一枚もやろうとはしない。
それどころか、その人がむしろを持っていない、と言って非難したり、むしろがないのを、持たない人のせいにしたりする。
たとえ小屋のてんじょうのいちばん高いところまで、あふれるほどの食物があり、
彼とアイガ(家族)が一年食べても食べきれないほどでも、食べるに物なく飢えて青ざめた人を探しに行こうとはしない。
しかもたくさんのパパラギが飢えて青ざめて、そこにいるのに。

熟せばヤシは葉も実も落とす

葉も実も落とすから、根元の土はますます肥えまた新しく葉が茂り実が成る
人も年ごとに振り落としていくものがなければ心の土壌は肥沃にならない
でも、パパラギに生き方は未熟なヤシが葉も実もしっかりかけているようなもの

「それはおれのだ!持って行っちゃいけない。食べちゃいけない」

と 人はあんでも抱きかかえて離したがらない。
それじゃどうして新しい実がなる?

ヤシの木の方がパパラギよりもずっと賢い
ヤシは葉も実も落として根元の土を肥沃にし
パパラギはなにもかも抱きかかえて枯れ死していく
ヤシの木のほうがパパラギよりずっとかしこい。

 

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やっかいな迷いから抜け出るにはもっと自由に遊べ

ダンゴ虫の弁証法的習性

ダンゴ虫の障害があった時に左右交互に動く弁証法的習性で、難なく迷路から抜け出ることができた。

だが、その迷路が複雑であった場合は、ダンゴ虫はその弁証法的習性だけでは障害は克服できず、パニックに陥ったり、うつ病のように閉じこもったりする。

ちなみに、

弁証法の正反合の合とは何か?

というと、それは矛盾の解決法であり、その矛とその盾を戦わせ、勝利した方を選ぶということで、正反合の合は「戦い」「確認」「挑戦」「実験」という意味が強い。

 

しかい、正反の内容が事実ではなく、感情・意見・知識・信念・伝統といった場合は、正反の意見が違ったままで和合するというような、「みんな違ってみんな良い」という「結論先送り」「保留」「かっこにくくる」「平和」「和を以て貴しとなす」という意味あいである。

ダンゴ虫はいかに複雑な迷路から抜け出たか?

左右に動く習性では迷いから抜け出られないと知ると、パニックになったり、ふさぎ込んだりする。

だが、気を取り直して、左右に動く習性にこだわらず、左左と続けて動いたり、時には上に這い出すような挑戦をしていく。

つまり、弁証法的習性にこだわらず、自由に、動き回ることで、いつの間にか、迷路から全員抜け出ることができる。

このダンゴ虫が生き残るための弁証法的習性は、時には知恵であったり、時には障害的な思い込みであったりする。「いつもこうだ」「こうなっている」「こうすべきだ」というような、「常識」「習慣」「道徳」「知識」は簡単な迷いからの脱出はできるが、複雑な迷いからの脱出には不向きであり、むしろ、そういう固定観念をはずして「自由」に「挑戦」を「し続ける」ことが生き残れることが解る。

メダカの迷路の脱出法

メダカが生き残る習性は群れである。

だが、この群れるという習性は、迷路からの脱出には邪魔になっていることがわかる。

あるメダカが群れから飛び出て、新しい道を進むが、独りでは不安になり、元の群れの方にすぐもどってしまう。だが、あるメダカは自由に遊びながら、群れから何度も大きく飛び出していく。それを観ていたメダカも同じように遊びだす。そのうち、大きく遊びだしたメダカから迷路から抜け出すことがわかる。

生き残るためには、群れという習性が時にはよいが、時にそれは邪魔になることがある。群れるという習性にこだわらずに、もっと自由に遊ぶことで、自分も、またその群れ全体を救うことができるともいえる。

群れという生き残る習性は、人間ならば、多数決で物事を決めるということである。だが、その多数決されたものが、逆に群れ社会全体を戦争状態のようなパニックを起したという歴史はいくらでもある。

だが、多数決に限らず、独り自由に遊ぶかのように行動することで、自分も社会も救う道が出てくるということもある。

もし、群れ社会が混乱していた時は、その社会の常識にこだわらず、メダカのように、独り自由に遊んでみることが、自分も群れ社会も救える道だともいえよう。

 

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おじさん、何のために生きているのかな?

男はつらいよ 39作目 寅次郎物語1987年

 

甥っ子の光男が寅さんに聞く
「おじさん、人間は何のために生きているのかなあ」

「うんなあ・・難しいこときくなあ。・・・うんなんというかなあ・・
ああ、生まれてきてよかったなあ というときが何べんもあるじゃない、ね、
そのために人間生きているじゃないか?
そのうちおまえにもそういう時がくるよ。まあ頑張れ」
と、光男の肩をたたく。

寅次郎サラダ記念日1988年

大学受験に悩む光男が荒川を二人でながめるおじさんに聞く

「大学にいくのはなんのためかなあ?」
「決まっているでしょう。これは勉強するためです」
「じゃあ、なんのために勉強するのかなあ?」
「人間長い間生きていりゃあ、いろんなことにぶつかるだろう、なあ。
そんな時俺みたいに勉強してないやつは、

このふったサイコロで、出た目で決めるとか、

その時の気分で決めるしかしょうがない。なあ
ところが、勉強したやつは、自分の頭できちんと筋道をたてて、

はて、こういう時はどうしたらいいかなと、考えることができるんだ。

 

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