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今はもう昔

日曜日, 8月 1st, 2010

こんな新聞記事をネットで見つけた。

 

 この事件は私の大家さんである。

 隣のそば屋さんから、今になって教えてもらい、びっくり仰天してしまった。

 6月15日に、家賃の支払いをお婆さんの名義から、養子さんの名義に送金変更する依頼が届いた。

 どうして、養子さんの名義なの? 娘さんの名義ではないの? 

 ここの大家さんとは、もう亡くなった私の両親とも深い関係だった。

 大家さんの家族は両親と娘姉妹の4人だった。妹さんは私と同級生だった。色白で言葉少なく、中学3年の頃、肺炎で亡くなった。その娘を溺愛していたお父さんは後を追うようにして、つまづいた怪我にばい菌が入って、亡くなってしまった。

 このお父さんは地元では大地主であり、うちの両親は大家さんの物置を1日3000円で借りておもちゃ雑貨屋を開いていた。そこの物置を借りることができたのは、その前で長く私の父が露天商をしていたからだ。気の弱い父と気の大きい大家とはえらく馬があったようで、朝から晩まで、大家さんは店を離れなくて、父母が困っていた。

 ただ話すだけなら、まだしも、大家さんは金持ちなので、うちのお客が商品を買わないと、「この貧乏野郎!」とののしるほどだったからだ。

  それから、およそ20数年たって、同級生の姉だった大家の娘さんが養子をもらった。40過ぎだったようで、お子さんは生まれなかった。

 商店街の入り口から路地まで大家さんの土地と家だったが、そこに14階建てのマンションと商店街の3階建ての商業ビルを建てる予定になった。3階建ての商業ビルを建てるときに、一番問題になったのは、そこの角地の一等地にあった寿司屋さんだった。立ち退きに、1億円を要求したのだ。そのため、この案は没になり、大家はくつした屋さんの地上権と奥の土地を交換して、そこに木造2階建ての自宅をつくり、14階建てのマンションだけを作った。

 それから10年くらいたって、問題の寿司屋さんは急遽亡くなってしまい、一銭もとれずに出て行った。しかし、大家さんはめんどうな事は嫌で誰にも貸さず、そのままだったが、やり手の不動産屋さんが、借りることに成功した。

 大家さんは80過ぎのお婆さんであったが、若い頃は非常に愛そうがよかったが、旦那さんが亡くなってから、ほとんど家の外にでなかった。実質は長女がしきっていた。けっこう神経質で、うちの内装も柱一本もいじってはならなかった。ウチノ店が四角ではなく、一部へこんでいるのは、そこは昔大家の風呂場があったところである。

 改装をするときに、その部分を広げて良いかきいたら、「柱の一本もいじってはならない」というので、そのままになってしまったのだ。これは寿司屋あとの、不動産屋さんの改装もそうで、柱だけはそのまま残して、それを補強して新しい柱を立てて、まるで新築の家を造ったのである。

 それからまた数年の月日がたった。

今年の5月始めに、お婆さんがもう高齢で亡くなった。

 莫大な資産のすべてを引き継いだのは娘1人である。この重圧はすざまじかったのだろう。気が変になってしまったのだ。

 そして、5月27日のこの事件である。

 これは想像するに娘さんが自分で自分の家と最上階の自分のマンションを放火して、自殺したと思われる。火事はそれほど大事にならなかったのは、発作的にやってしまったためだろう。

  大家さんの血筋を引く一家4人はすべて消え去ってしまった。しかも、父は娘次女を追うようにして亡くなったように、母を追うように娘長女も亡くなった。

 それは資産家の重圧がそんな悲劇を生んだように思われてならない。

 放火したのも、きっと

「家も金もみんないらない!」

 という自由な立場になりたかったのだろう。

自殺もまた、資産の重圧に苦しむ自分自身からの開放だったのではないだろうか?

 資産の重圧ではなく、もっと前向きに大きな遺産をとらえた家族もいる。

地元の最も大きな資産家が笹塚駅前に30階高層駅ビル「笹塚ランドマークタワー」を企画している。先月だったか、そのオーナーであり、あの笹塚交差点でタンクローリー事故の被害者でもあったお婆さんが亡くなった。その遺産相続は大変なものだろう。

その娘さんもまた私と同級生である。その一族は経営には秀でていて、孫の代までいろいろな事業をすることをこよなく愛している。

 先の不幸な出来事は、もし、大家さんに子供や孫がいたとしたら、起きなかったのではなかろうか。子供や孫は遺産の重圧なんか、足らないくらい押し返す力があるように思えるからだ。

 遺産より子孫

 って感じがした大きな事件であった。