一日一夜食ダイエット

昨年4月からダイエットを始めて 8月までは順調に痩せていったが

9月秋になり 寒い冬も今年2月を迎えても 体重が上がり下がりして

苦労多くして 効果なしである。

暮れから正月にかけての1か月で4キロもリバウンドしたが

ダイエットの挑戦を止めたわけでもなく、挑戦すればするほど負け続け 激しいリバウンドしたのだ。

当初三食をダイエット食で腹八分目にして ひと月6キロは痩せらえたが

20.5キロ減量目標を一日だけ達成してからは その苦労ができなくなってしまい

もがけばもがくほどリバウンドして肥っていった。体重計に乗るのが怖いくらいだった。

現在日本の生活は夜型で テレビや録画を長時間見てしまい

その時どうしてもお腹が空いて美味しいものを食べてしまう

その誘惑にはなかなか勝てないものだ。

4キロリバウンドした1月下旬に 常識破りのダイエットを決行した

どうしても夜食が我慢できなければ その夜食目一杯食べてすぐ寝ればいい

そして朝昼夕食の三食をぬけばいい

10日断食の経験から 腹八分目で我慢するより 一日断食の方が楽であると知っていたからだ

それを実行すること1週間で見事4キロ減量して 目標体重を達成した。

だが、続けて一日一夜食をしているつもりが 一日一夕夜食になり 1週間で3キロリバウンドしてしまった

これは8時間ダイエットのマウス実験の記事を読んで 夕夜食8時間でも痩せると思い込んでしまったようだ。

一日一夜食の初心に戻り カレーと干し柿のメニューで再挑戦したら 同じように痩せていった。

今後それがどうなるかは予測できない

ダイエットは実に奥深く その技術はこれっていう完璧な答えは出ない

それは学問や芸術と同じで 最終目標がなく 常に挑戦し追及しなければならない宿命みたいなものである

それにダイエット方は個人差が大きく 人の数ほどダイエット方の数があるようなものだ。

常識や新技術が誰でも通用するというものではなく、どうやらみな自分なりの努力をしていかないとリバウンドしてしまう。

6トンゴミを毎日少しずつ処理しているが それが自分の脂肪処理に感じてくるから笑える。

きっとダイエットは自分自身の一生のライフスタイルの形成なのだろう。

自分らしい生き方があるように 自分らしいダイエット習慣があるのだろう。

 

 

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ダイエット元年の幕開け

昨年末で期限を切り

倉庫付駐車場二か所をゴミ倉庫にして滞納5か月している賃貸者に対して解約と即撤去通告した

正月開けてすぐに二トンのアルミバンのレンタカーで 山梨と東京の往復を24時間ギリギリセーフで

3回し、ネズミが10数匹の巣窟になっていた倉庫のゴミを自宅の周りの庭に背丈ほど積み上げた。

友人と二人で24時間不眠不休でやりあげた。

そのキツサで三日間ただ眠って食べるだけの生活を余儀なくされた。

6トンのゴミを移送

この仕事が2015年の幕開けとなった。

このゴミ倉庫と滞納の問題はここ2年間 その賃貸者との連絡がまったくつかず 支払も払ったり、払わなかったりで

どうにも解決できすに悩みの種だった。

約100万円の損害を被ったが その悩みから解放されて

すがすがしい年明けを迎えることができた。

 

ゴミ屋敷やゴミ倉庫の問題は現代日本が抱える原発再稼働問題の縮図になっている。

原発は税金投入なしでは存続できないし、再稼働も廃炉もできない。

原発ゴミは捨てられないゴミであるが、それも賃貸者がゴミを捨てられない病気ともリンクしてくる。

原発はゴミ倉庫とリンクし、その維持に賃貸料として税金を投入せざるをえない。

収益を伴わないで延々とお金を捨て続ける状況はいずれ破たんが来るものである。

 

日本の負債は約1000兆円で、一年間の歳入は約100兆円だから、毎年の収入の10倍の負債があることになり、

ゴミ倉庫の賃料月10万円の延滞料10か月分100万円負債ある状況と同じであり、もう返済できない状況であるだけでなく

さらに借金は増え続け 破産することは十分予想できることである。

ゴミ倉庫を即解約撤去するように 国も原発再稼働せず廃炉とすでにある原発ゴミ処理を即実行しなければ日本は破産荒廃するだろう。

 

ゴミ撤去で一番びっくりしたのは最後のゴミ100キロを撤去しようとしたとき、ネズミが10数匹飛び出してきたことだ。

倉庫はネズミの糞尿で臭く、その量はまるで雨漏りしてみたいにゴミ全体が尿で湿っていた。

そうしたゴミがネズミの巣になったゴミの保管に賃貸者は毎月10万円を支払続けるように

原発事故で放射性廃棄物が拡散し、すでに作られた原発ゴミの保管に毎年10兆円の税金を投入している日本国民の姿とリンクしてくる。

 

昨年の4月からダイエットにチャレンジしているが、

ゴミ倉庫の解約撤去は無駄な贅肉を落とすダイエットのようなものであり、

そのダイエット技術は経済優先した原発再稼働政策をいさめる市民デモにも通じるものである。

無駄な原発維持に底なしの金を使わず、その廃炉と原発ゴミと事故処理に金を使う健全策でもある。

その期待をこめた意味で2015年の幕開けを 「ダイエット元年」と名付けることにする。

 

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神仏が何かではなく神仏を何にするかだ

ずいぶんと長く神仏を求め、最後は捨て去ったが

そういう信仰生活がなつかしく、その経験を利用できないか 考えてみた。

神仏を信仰すると 神仏はもっとも大事なモノになり、自分の命よりも大事になってくるが

その神仏とは何か?となると、実に抽象的になってしまい 解釈しだいで悪魔妄想にもなってしまう。

そこで

神仏が何か?ではなく、自分の最も大事なモノとしての神仏を何にするか?

そしてそれが抽象的なモノではなく、はっきりとした明確な姿をもった具体的なモノにして 求め実現しやすくすると

私が今最も大切だと思っているのは 「健康な心身」であるから、具体的神仏を健康な心身にすることで

健康な生活が実現しやすくできると思える。

 

健康な身体は病気や怪我がない快適な状態として明確であるが

健康な心となると 心自体がけっこう抽象的でとらえにくいが

その心が快適なもので まわりを笑顔にするようであるとすると健康な身体に似た心として捕らえることができる。

例えば

愛とか感謝の心はあたたかく感動的に受け入れやすい

前向きな心は勇気がでて快晴のような気持ちになる

静かな心は平和で安心していられる

それは言葉の内容だけでなく、話し方だったり、行為だったりする。

その人の言動と行為からにじみでてくる心がなんとも快適であたたかく 受け入れやすいというようなモノを健康な心といえるだろう。

 

健康な身体は食運動リズムの三柱が必要で

少食 散歩 早寝早起きを習慣化させ

健康な心は言葉 話し方 行為の三柱が必要で

静かな愛 すべてに感謝 前向きな考えを習慣化していく

こうした独自の方法で健康生活を実現したいと思っている。

 

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明けて愛でたし のんびり生こう

正月は一年の大きな節目

竹の幹は中が空洞で節々はしっかりと詰まって 幹の強さを支えている。

その節芽から枝がのび葉が茂り、太陽の光のめぐみを一身に受ける。

人も季節や時間の節目で 過去を反省し、未来に大志を抱く そうして強く人生を生き抜いている。

 

大木の幹だって 年輪を重ねて強く 何千年も生き続けられる。

こうした植物に学ぶことが多く、

ダイエットに関しても

必要以上の肥料が多くても 必要以下の肥料が少なくても その植物は育たないように

人も必要なだけの食物をとることで一番の健康が保てると学べる

 

昨年から貸していた倉庫付き駐車場二台分の延滞料が半年になっている

その倉庫はゴミ屋敷のようにゴミで天上まで詰まっているので処分する手間と費用だけでも大変

作年末 最後解約処分通告したが 連絡も支払いもなく 実行せざるをえなくなった。

どうしてゴミをわざわざ倉庫に積み込んで 毎月10万円の賃貸料を支払うのか理解しがたかったが、

いつかこうした問題になると思っていて、今そうなってしまった。

 

ゴミ屋敷やゴミ倉庫の問題は今の原発ゴミの問題とリンクしてくる。

原発ゴミの維持のため 毎年莫大な税金が投入されている。

通常ゴミなら捨てることができるので カネをつぎこめばなんとか解決できるが

原発ゴミは捨てることができないので どんなにカネをつぎ込んでも解決はできないばかりか

原発を再稼働していけばいくほどゴミは増えていくばかりで 税金を数十万年も捨て続けざるをえなくなる

それは不可能なので いつしか日本は亡国となり 原発ゴミのない国に移住せざるをえなくなる予感がする

今安倍政権が大量にカネを印刷して景気よくしようとしているが

そのカネは今まで作った原発ゴミと原発事故処理と再稼働ゴミに限りなく捨てざるをえなくなるので

円そのものが紙くずになる日も来るだろう。

 

国民が再稼働を進める安倍政権を支持する限り 亡国への道は止めることはできないだろう。

 

人生でもっとも価値があるのは健康な心身であり、それを支えるのは分解しない危険ゴミのない国土である。

どんなに大きなカネと権力をもってしても 健康と安全な国土は手に入れることはできないように

 

カネや権力に振り回されないで

しっかりと健康と安全な国土を意識して 今年の節目を生きていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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to do or not to do, when by? that is the problem.

ハムレットが父の敵を取るか、取らないかを迷う時

to be or not to be, that is the question

多様な変化をする存在am are is の実存be動詞を使っている

その名和訳が

生きるべきか 死ぬべきか それが問題だ

ハムレットは自己葛藤を自分の心の中で行っているにもかかわらず

I も me も私という主語も目的語も使わない。英語において主語を使わないなんて実に珍しいが

私という意識や存在がないこと自体 人生の本質を表しているのかもしれない。

to be 存在は三次元空間的な視点で 時間を考慮していない

私という自己存在は身体的存在であり、

私が生きる=存在する

私が死ぬ=存在しない

ということである。

私という存在は生きるか?死ぬか?の二者択一の問題の中に存在するのである。

もし そこに時間意識を考慮したら

私が生まれる以前 また 死んでい世界 は私どころか他すべてが無い世界である

地球誕生45億年の中の私の一瞬の100年の生存など 比較したら あってなきもの というより 全く無き者だろう。

だったら私という存在より 地球の存在自体を論じた方がよさそうだが、

地球だって 宇宙の大きさと時間と比較したら あってなきもの というより 全く無きモノ」だろう。

一日一生と言われるように

時間はどこで区切るかがで 時間存在そのものが有るか無いかである

一日は地球が一回転 ひと月は月が地球を一回転 一年は地球が太陽を一回転することだ。

私という時間は生まれ死ぬという一生一回転という時間の区切りで実存するかしないかである

無限という空間も時間も あってなきもの というより 全く無いモノといってよいだろう。

時間も空間も区切って有限にすることから始まり そして終わる。

to be or not to be, that is the question

に時間的区切り意識を考慮したら

to do or not to do, that is the problem

それを為すべきか 為さざるべきか それが問題だ。

どんなにハムレットが悩もうと結論は 為すか? 為さざるか? の二者択一しかない。

結論は父の敵を討たない!とそれを為さないという行為である。

為さないといいう行為は投票と一緒で 棄権ということであり、

いわば二者択一白黒つけないその他の行為であり、灰色50%の行為ともいえるもので、

二者択一ではなく三択また多選択であり、二者択一問題そのものの否定でもある。

忠臣蔵のように父の敵を討つ日付をいつまでにするかで、その答えは逆転する問題でもある。

つまり もっと正確に自己葛藤し悩むならば

to do or not to do, when by?  that is the problem

無限が無きモノと同じように

期限なき約束は無き約束と同じである、遺言書のように。

私という生存が do という行為により存在するならば

その行為には具体的5W1Hがあって初めて意味を成すのである。

when where who what why の5Wと同じように how の1Hが同格なのは

平和のための戦争howは 無限があってなきもののように あり得るようでないもの つまり全く意味なきものである

それは長い人類の歴史からも証明されるであろう。

what生きるって何か?の問いと同格な問いが howいかに生きるべきか?なのである。

平和は健康のように

いかに実現維持していくか それが問題であり、病気戦争して健康平和を実現するものではない。

ダイエットのように病気戦争にならないよう予防する行為 日常生活なのである。

 

ダイエットでも平和でも 相田みつをが言うように

アノネ

(ダイエットでも 平和 脱原発だって

ソウ)
がんばんなくてもいいからさ
具体的に動くことだね
ともかく
具体的に動くことだね。
いま、ここ、を、具体的に動く――
それしかないね。
具体的に動けば
具体的な答が出るから。
自分の期待通りの答が
出るかどうか
それは別として
具体的に動けば
必ず具体的な答が出るよ。
そして――
動くのは自分

(ソウ考え行動すればさ 悩む必要も葛藤も戦争も必要ないんだよ)

アノネ

ハムレット

復讐するかしないか?

to be or not to be, that is the question

と悩む必要なんてないんだよ

when? where?who?what?why?how?

to do or not to do, that is the problem

と具体的に動けば

自分の期待通りの答が出るかどうかは 別として

具体的に動けば 必ず具体的な答が出るよ!

 

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