何故原発即ゼロがベストなのか?

 原発即ゼロか? 段階的に原発度縮小化? という議論にわかれている。

 議論が分かれるのは現在未来において、原発なしに電気が充分できるか? という点だけである。

 しかし、もっと大事なことは 原発の放射性廃棄物と福島事故処理の理解であろう。電気が無くても人は生活できるが、放射性廃棄物があるところでは生活できないからである。

 原発再稼働なしで9月から2ヶ月たっても不自由しないで生活できている。しかし、福島原発周辺地域の住民は2年以上たっても、帰還もできずにそこで生活できないばかりか、事故処理は被爆の危険が増えるばかりである。

 ウラン原石は触っても大丈夫だが、使用済み燃料は近寄っただけで死ぬ。それは原発を稼働させることは触っても安全なものを近寄ったら即死する燃料に変えることである。石炭石油ガスを燃やしても、出てくるのはCO2がほとんどで、生命の危険はないだけでなく、そのCO2を植物の光合成に利用させれば、温暖化による危険は回避できる。しかし、その量は有限だから、再生可能な自然エネルギーにどんどん変えていく必要があるだけだ。

 こうした原発と事故の現状からいくと、原発即ゼロで、再稼働永久停止することが一番である。二番目は何が必要かというと、それは除染や廃炉ではない。現状以上の被爆から防ぐ行動である。放射性生成物は元にもどるまで10万年もかかり、その期間を短くする技術はまだないからであり、除染はできないので、近くに移染するか、遠くに避難するかである。廃炉もまたたとえ原子炉を分解しても、それを廃棄する場がないから、そこに置きっぱなしして保管するしかない。だったら、解体しないで、そのまま稼働永久停止した装置内に保管した方が手間もかからず安全である。

 ただ、福島原発事故で拡散してしまった放射性生成物は安全に保管できるように、移動整理しないと、被爆がどんどん広がる。安全なプールに燃料を移動すること、汚染水を海に流さないよう、敷地内で冷却水を循環させて、これ以上汚染水を増やさないことと、漏れを防ぐことである。

 除染については、さほどひどく汚染させていない地域のみ、移染して、汚染のひどい期間困難地域にもっていき、汚染地域を縮小し、安全保管することであろう。

 原発停止と事故により仕事と生活を失うことがないように、電力会社は軌道に乗るまで国営化し、全国の原発地は太陽光発電事業、その海上に風力発電事業を中心した、国家事業をし、事故処理や放射性廃棄物の安全保管の仕事と合わせて、国家公務員としての仕事と生活保障をしていくことが必要であると思える。

 こうした転換の発想は、経済問題を倫理化して解決策を導き出すようなもので、民営化は経済活力を引き起こし、国営化は倫理化を引き起こすことができると思えるからである。

 原発輸出ほど、倫理観の欠けた行為はなかろう。まして、国のトップがえげつない金儲けの営業マンになるというのは言語道断である。自国の不幸を他国に押しつけるようなものである。もし、首相に倫理観があったら、原発を輸出するのではなく、太陽光や風力地熱発電そして、環境ビジネスを売り込むことが大事であろう。

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自由貿易相手は世界全体でないと無意味

 TPPは環太平洋諸国の間で自由貿易協定を結ぶことだが。それを倫理的な視点で考えると 経済戦争における軍事同盟のようにみえる。それは中国やEUに対抗した経済同盟であり、動物の世界でいえば最強の米の縄張りせかいである。

 そもそも自由貿易するなら、世界全体を相手にしてこそ可能なことで、わざわざ狭い地域の米ボスの従属になるのが自由貿易と錯覚していることになる。

 TPP参加国は自国益を優先するのであるから、烏合の衆と同じでまとまらない。まとまるには強い者にまかれて、妥協せざるをえなくなる。結局それは不自由貿易にならざるをえなくなる。

 倫理観とは人と人、国と国が平等に付き合う姿である。ならば、国際連合で自由貿易をすればいいかっというと、国際連合組織そのものが戦勝国が支配し、各国の平等を土台にしていないため、望めない。そのため、面倒なようだけれど、二国間の自由貿易協定をして、それを全世界の国に広げた時に始めて自由貿易協定が実現できたといえる。

人は一対一の付き合いから始まるように、 国も代表を一人にするのだから、国も一対一で一つ一つ自由貿易を積み重ねていくことが必要であろう。

 

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経済問題は倫理観で解決できる

NHKスペシャルの中国激動 “さまよえる”人民のこころで、拝金主義で不幸になった人民が、宗教的な道徳とか、倫理を求めている姿を放送していた。

原発推進から大事故を起こしてしまった日本国民が脱原発を求めて立ち上がった姿と重なってみえた。

退治に病気が見つかると堕胎する人も増えてきて、医療技術と倫理観がぶつかる問題も増えてきている。

これらの問題は倫理観なしに、金儲けも、技術も、意味がないものになるということだ。

私は少年の頃から 宗教的なものを求め続けてきて、経済的なものを無視してきて、その限界を知り、それらを捨てた人間だった。十年前から 経済的なことを大事にするようになり、それらを研究したが、私とは逆に多くの人が経済的なものから 倫理的なものを求めていること、また、経済的な問題を解決するには 倫理的問題の解決策を用いれば可能になることを発見した。

例えば 核爆発は人を殺す放射性物質を作るので、倫理的にが悪である。核融合は放射性物質を出さないで電気を作れるから 倫理的には善である。しかし、核融合は核爆発なくして作れないので セットとして扱われる。善と悪はコインの裏表というのが道教にある。

自然には善も悪もない、悪を設定するから善があり、善を決めるから悪がはびこるという教えになる。この倫理観を原発に応用すると、原発は核融合であっても必要ないという結論になる。自然界に存在しない放射性廃棄物を作り、元にもどせないことをすると 人類そのものを絶滅させるという考えも 自然なる神に逆らって生きることはできないし、それは破滅につながると言える。

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自分にできることをするのが一番

福島原発事故から、自分の人生が一変した。脱原発に進む人生が一番だとは思うのだが、そうした運動をしても、自分の力では効果的なことができずに、その空虚感に苛まれて、挫折感に追われる。

そこで、今までやってきたことを、脱原発に遠く間接的なことでも、意識するだけでもいいと思うだけでなく、それが一番効果的な前向きのことであるように思えてきて、挫折感のない充実感をもてるようになった。

自分にはできないことを、他の適任者がやってくれることを信じて、影ながら応援するのが社会生活だろう。

大豆から麦へ交代大豆から麦へ

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過ぎたるは及ばざるがごとし(丁度よいのがいい)

美し過ぎる というのは、美しくないということではないか!

その証拠に 美し過ぎる政治家やスパイが美人コンテストに優勝するどころか、参加さえもできないではないか!

諺にも 過ぎたるは及ばざるがごとし というように 丁度いい のが一番だということだ!

そこで 食べ過ぎる ということにも それは通用するだろう。

美味いと食べ過ぎてしまう、食べ過ぎると美味いものも不味くなるー つまり、丁度良く食べられるものが美味い ってことだ!

お腹いっぱいだと 美味しいものもたべたくなくなるし、美味しいものも不味く感じるー つまり、ハングリー感なしには 美味しさはやってこない、美味しさにはハングリーが必要不可欠 ってことだ!

このハングリー感だが 、夜食して腹一杯にして寝ると 胃液がで過ぎて 胃酸を飲まないと眠れないことがあり、寝る前に胃袋をハングリーにしておくと 朝起きた時は腹がグーグー鳴って さらにハングリーになっているので、朝食が美味いし、その後は快便でスッキリとし、一日活動が快適になる。

美味いと食べ過ぎる問題だが、甘いものは別腹といって 胃袋が大きくなり、つい食べ過ぎて 後で苦しむことになる。分かっちゃいるけどやめられない ー これは、煙草や酒そしてパチンコと同じで 刺激を求めて 必要以上に摂取する病を引き起こす依存症である。特に辛い、酸っぱい、苦い、塩っぱい、甘すぎるような刺激過多は習慣性をもたらし、その習慣故に 食べ、美味いと 感じるように、自分に嘘をつくような味覚を持ってしまう。

ある有名人も 世間の評判という刺激に調子付いて 転落人生を歩むのもおなじことである。

食べる量も 刺激も ハングリー度も 満腹度も 金の持ち分も 美しさも 丁度よいのが一番だ!

ー仏様のことばー
…丁度よい …

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も 
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 
息子の嫁もその孫も 
それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 
悪くもなければ良くもない 
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと 
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく 
卑下する要もない
上もなければ下もない 
死ぬ日月さえも丁度よい
仏さまと二人連れの人生 
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時 
憶念の信が生まれます         
南無阿弥陀仏

ー真宗大谷派常讃寺坊守、藤場美津路ー

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