世界中のお金をどのくらい発行したらいいのか・・

 また、どのように配布し、回収したらいいのだろうか?

最近、すっかりお金の思索から遠ざかり、生ゴミから畑作りに夢中になっていたら、メイサイアさんのコメントがかなり詳細に入ったので、また、思索研究したくなった。それは、思索も研究も一人では馬力が出ないということなのだろう。

ごんテレビの第3回の物価についての話をメイサイアさんがまとめてくれたので、その中の世界のお金の発行と配布と回収の循環をどのようにしたらいいのか、その理論を進めてみたいと思った。

 世界のお金の発行額と環境問題とは切っても切れない関係にある。

そう思わせてくれたのが、ノールウエーのサバ漁の番組である。その内容は「お金って何だ」に書いたが

ノールウエーの漁業は船長は年収2000万円で、そこで働く20代の若者のは年収1600万円である。しかも、4週間働いて、4週間休むシステムである。今の日本はどうだろう。老人で若手がいなくて年収はるかに低い。 でも、昔のノールウエーは今の日本の漁業と同じだった。それを変えたとは何か?

  それまでの「オリンピック方式(競争して漁獲量が多かった者が金持ちになる)」から、「割り当て方式(漁船の大きさによって、その漁獲量が割り当てられた。割り当て以上の漁獲を禁止した)」だけである。

 そのため、漁獲量で競争することはなくなり、単価が高い魚を捕る競争になった。さばは大きなものだけをとり、小さばはけしてとらない。

 さらに、驚くのはとったサバはノールウエーでは食べられない。あるのは缶詰だけだ。その90%は日本に輸出されている。日本でとれるサバは小さいサバが多くしかも、安く海外に輸出されている。そのため、日本のサバはほとんどがノールウエー産である」

もし、あなたが、世界のすべてのお金を全人類のために発行するとしたら、きっと、一番の問題は下記の3つになると思える。

1.お金をいくら発行したらいいのか?

2.お金をどのように配布したらいいのか?

3.お金をどのように回収また循環させたらいいのか?

 あなたが、お金を発行するのだから、もちろん、各国のように金持ちに借金するようにその財源を考える必要がない、必要なのは人類の一人一人がみな幸せになってほしいと願う心だけである。

 それは、アイヌ民族が自分たちが生きていけるだけの狩猟をし、それ以上の狩猟をしないで、未来の子供たちが食料に困らないようにする気持ちのように、今世界の一番大きな環境整備につながってくる。ノールウエーのサバ漁のような知恵がお金の発行・流通・循環に必要になってくる。そのためには、

1,世界中の魚が絶滅しないように、漁獲量の制限をする

       →→世界の自然環境が維持できるようにお金の発行総額を制限する

2,自由競争をして、その漁獲量をあげることをやめ、漁船の大きさによって割り当てをし、それ以上の漁獲を禁止する

    →→金儲けの自由競争をやめ、各国のお金の発行額を割り当てし、それ以上のお金の発行を禁止する。

   →→各国は割り当てられたお金の中で、自由競争し、それ以上は金儲けしないようにする。

 お金の損得は「誰かが得をすれば、その分誰かが損をしている」という原理で、試合の勝負のように、「誰かが勝てば誰か必ず負けている」という原理と同じである。

  この二つのお金の基本となる仕組みは、

1.将来にわたって環境維持できる生産量を決めるお金の発行額を決める。

2,基本的人権を保障するお金を人類すべてに配布する

 これは、自由競争によって、一人が最高に得られる金額を制限することのセットになる。

3,各国の事情や技術や人口などに合わせたお金の配分をする。

 この原則をもって、もし具体的に世界が10人の村だったらどのようにお金を発行し、配布し、循環させることができるだろうか?

まず、最低の生活費を10万円とし、最高の生活費を100万円と計算し、その平均額を月50万円として、10人分のお金の必要額を月500万円にする。この500万円が地球環境の維持できる範囲であるとするなら、

1,世界のお金の発行額は月500万円である(債権はこの発行額を超えてはならない・信用貨幣の発行の禁止)

2,各10人の事情に合わせて500万円分のお金を割り当てる。(例えば、子供は月10万円、起業家は月100万円のように)

3,毎月基本的人権10万円の10人分の100万円を毎月回収し、配布するために、すべてのお金500万円を月末には20%減価するようにする。

 翌月のお金は先月の20%の減価分の税金として払うと、スタンプが押され、翌月もそのお金を使用できるようにする。

(先月の10万円を翌月を使う場合は20%の2万円を国に、100万円ならば20万円を国に払えばそのお金が使えるようにする。また、お金の保有額が100万円以上の分はすべて国が没収する)

 また、スタンプが一杯になれば、新しい月のお金と交換する。

 この具体案は月ごとにしたが、実際は年ごとにすればもっと実用的であろう。

 このように、基本的人権と地球環境を維持するためには、お金の総発行額の制限と、各個人へのお金の保有額の最低と最高を制限し、その中で自由競争をする必要がある。そして、お金の循環には、減価する貨幣を自然循環する原理として採用し、それに合わせた税制の政策を実行することが必要であろう。

 

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税金が強制か自由かで世界は一変する

イスラム教諸国の力は大きく、それに対してキリスト教諸国が戦争をしかける情勢が続いている。
 日本にとっては、イスラム教はなじみがないし、それは理解されにくいものであるため、その寺院は日本にはわずかである。

 宗教はジョンレノンのイマジンで主張されているように、ない方がより平和に近くなる

 しかし、宗教を1つの考え方、その国のモラルや道徳として、とらえていくと、信教の自由がもっとも文化的にも、社会的にも意義があり、平和になりえる。

 税金でいえば、強制的に徴収する社会は強制的宗教社会と同じであり、それを自主的に集める社会はより平和で自由な文化的愛の社会になる。

 税金がない世界は宗教のない社会と同じで、科学的社会になれば可能である。

 しかし、それまでになるまで、税金が強制から自主性になるような社会を作っておくと、より平和と愛の社会になりやすい。

 イスラム教ですぐれた道徳がいくつかある。

1.自分の収入の何バーセントは社会のために差し出す(税金になるだろう)

2.お金の利子はとらない
(金儲けに走らないようになるだろう)

3.年に一度は絶食する
(ダイエットして衣食住のありがたみを感じるようにする)

つまり、宗教ではなく、人々の健康と助け合いを進める慣習としてとらえたら、もっと国際社会は温かい血液をもつことができるだろう。

 ついでに、

 税金を強制や自由ではなく、科学的に処理する方法がある。これが、自然環境を維持するお金のシステムであるゲゼルの減価する貨幣と基本的人権を実施したベーシック・インカム政策である。

 これを簡単にいえば、

 自分の財産(固定流通資産のすべて)の数パーセントを自動的に公共のお金(税金)として集められ、集められたお金の総合計を全国民の数で割ったお金が全国民の口座に毎月支払われるシステムである。

 これはお金そのものがもともと国民が助け合えるように考案されたシステムだから、それを忠実に自動的に実施するだけのことである。そこに強制・自由とか一切の精神的なものの介入をさせないことである。水が蒸発して雨となって山に降り、それが川となって海に再び流れるようなものである。

 人が構築した知恵がうまく活動するには単に自然を模倣すればいいだけのことだからだ。

 このゲゼルとBI(ベーシック・インカム)の科学的税金システム以外は、すべて、自主的に進められる社会になるのがもっとも理想な国際社会になりえるだろう。

 そうなれば、社会に依存する(強制)国民生活から、社会を支えようとする(自由)国民生活に一変することができるだろう。

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時は存在なり

今日は12月31日年末だ。この年末の日があるから、2009年も2010年も把握=存在できる。

「時間と存在」との関係はどうなっているのだろうか?

「ジン」というTBSのドラマで、過去にもどって活躍する医者の物語であるが、そのテーマは過去を消すと今も未来も消えるかどうか?ということである。

しかし、このドラマの設定そのものが、人は実際に過去にもどることはできないという事実を否定してしまっているので、答えは過去を想像し、今の姿を見直すという空想になってしまう。

もし、突然記憶喪失になったら、自分が誰かどうかも不明になる。これは過去が消えると自分という存在も消えることになるということだ。

では、未来が消えたらどうなるだろうか?

この場合、鬱病や自身喪失・自暴自棄・生きる気力喪失に陥ってしまい、自殺他殺志願者になってしまう。つまり、自分の存在を消える、また消すのである。

「今に生きる」という言葉があるが、これはそれ文字通りの意味では無理な生き方である。この今に生きるという意味は、過去と未来を両方しっかりと把握して、今をしっかりとつかみ取って生きるという意味である。

つまり、過去現在未来の時間を把握して生きることは自分自身の存在をしっかりと認識することである。

時間は存在なり

存在もまた時間なり

今日は年末である。時間の節目である今である。今までの自分、これからの自分の姿をしっかりと把握し、今日の日を迎える日である。

私は明日は還暦を迎える老人の域に入る。気分はまったく二十歳ではあるが、その事実とその精神の差が大きいものである。この事実と精神もまた、時間と存在のような関係に思えるのだ。

今まで何をしてきたか、これから何をするのか?

そこから今の自分の存在をつかみとるのだろう。

よいお年をお迎えください!

 

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必要以上のお金を稼がない

 河川敷の草刈りをすると、意外なものが出現した。

 なんと、

1,物置 2,排水孔 3.ゴミ袋 4.河川敷の立て看板

排水孔から水は流れてなく、ときどき川に流れ込むくらいのようだ。

つまり、ここは、台風などで増水すると、作った畑はすぐに流されてしまう運命である。

でも、長年台風などで増水してなく、生き残った感がある。誰かの畑であったことは確実だったが、それがその人の所有の土地ではないことも確かなことだった。

私自身、ここに長く住む予定はないので、いっときの散歩のように小さな畑を作るには好都合な場所である。畑をするには、今の12月は植える苗がタマネギや枝豆くらいしかないようだ。1つの苗が100円くらいするので、たくさん植えたらお金がかかる。それに、まだ土壌づくりに時間がかかりそうで、来年の春までに、土壌を作っておくことに専念した方がよさそうである。

 河川敷の畑づくりで考えたことだが、命の循環とお金の循環は基本的に同じであるということだ。

北海道のアイヌ民族では、「今必要以上の動物の狩りをしない」ことが、動物と人間が共存し、永続できる原理である。

環境を維持するもっとも大事なことは、必要以上のものを生産しないことである。それはお金にもいえることではないだろうか!

「必要以上のお金を稼がない」ということが、お金と命の循環には最も大事な基本ではないだろうか。

 そうしないと、地球と人間は共存できなくなってしまう。また、必要以上のお金を稼ごうとしたら、その分だけ誰かがお金に困窮することになり、最後は自分も他人もみなお金に困窮してしまうからである。

 お金はあればあるほどいいのではない、必要以上のお金を持たないことが、お金と命の循環にはもっとも大切なことではないだろうか!

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公共ボランティアスポーツ

 河川敷で、三日ばかりどんどん草刈りしていったら、もっときれいにしたくなって、欲がでてきた。今日は堤防の路傍の草刈りまでした。

 汗はびっしょりかいて、まるでスポーツをしているみたいだった。その時間はいつもは散歩をしていたが、いまでは草刈りの時間になった。

 そこで、ふと今までの散歩が自分の健康のためだったが、こうして、公共の場の草刈りをしていると、その方が自分にも、他人にももっと有効な健康スポーツに思えてきた。

 海岸に流れ着くゴミを一人黙々と掃除を続けていた人がいたが、その人の気持ちがやっとわかってきた。この一人黙々とする散歩や体操やスポーツを、このような公共の場をもっと美しく、また有効利用できるようにボランティアするスポーツにしてもいいのではないか。

 というのは、草刈りはかなりの肉体作業で、その運動量は半端ではない。おかげでかなりのダイエットができた。それで、公共の場をみなが使える農地や花園や公園に作り替えるスポーツがあったらいいのではないか。

 これを公共ボランティアスポーツと名付けて、全国で、どんな公園や路傍ができたかその採点を争うスポーツがあっていいのではないだろうか。

 お金を研究すると、お金は本来は公共通貨ともいうべきもので、みんなで必要なものを使えるようにする道具だということがわかってくる。それはまさに、公共の場をいかにみんなでもっとうまく使えるようにするシステムに思える。

 公務員は国民から選任され、公共の場の管理をまかされるわけだが、それがもし国民自ら公共の場の管理をすることの方がもっとよい国づくりができそうに思える。

 確かに、それは難しいかもしれないが、そういう意識が多くなれば、公共団体にまかすのではなく、住民自ら動き出して、その地域をボランティア運動するようになっていくように思える。

 税金のように払いたくないものを払うというのではなく、自分の収入や持っている財産の何割を公共のために使おうとする意識が慣習になってくるのではないだろうか。

 国や公共団体が強制的な税金で運営されるのではなく、寄付やボランティアで運営されたら、もっと社会はよくなると思える。それをうながすことができるのが、自然循環する新通貨システムであろう。

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