畑見~つけた

 最近、お金の研究を休んで、実際に食べものを作ってみたくなった。

 自分ができる範囲では、お金の理論を推し進めることだけで、それを実際に実践することはできない。実践できるのは政治家や地域通貨のボランティアたちだからだ。

 理論というのは実践との相互作用でないとうまく発展させにくい。そのため、自分ができることの実践は小さな家庭菜園のような命の生産活動ではないかと思えた。

 ここ半年近く生ゴミを土で堆肥にしてきたが、気温が低くなると生ゴミの分解が遅くなってきた。もっと早く生ゴミを堆肥にできないか調べたら、ミミズをそこに入れればいいとわかった。

 ミミズを探しに川辺であちらこちら掘り返してみたら、草の根あたりにいた。下記のこんなところにいた。

 ここは河川敷内なので、勝手に畑を作ろうと 茅やゴミやつるを取り払ってきれいにしていたら、近くの畑の住人が、もっといい場所があると教えてくれた。

 そこは河川敷でも、先ほどのミミズがいる場所よりも、砂な土が高く、川が増水しても水浸しにならないところだ。しかも、以前、近くの住人が畑と作っていたというので石やゴミが少なく好都合である。

 その両サイドにはやはり近くの住人が畑を耕していた。

実にきれいに畑を作っている。

そこを教えてくれたのはこの真向かいの土地で大きく畑や果樹園をしている人だった。

もし、河川敷で畑が成功したら、どこか畑を借りてやってみたいといったら、その人がいくらでも空いている畑を貸してくれるといった。

それにはうれしいやら、こんなに近くで畑ができるとは思ってもなかったからだ。でも、私はお金の研究でもそうだが、すべて最初から、自分の何もない知識や経験からスタートしたいと思ったので、やはり誰でもが無料でできる河川敷の畑をやることにした。

 荒地を畑にすること自体がかなり楽しみになるからだ。

 それにしても、かなりの大きさの畑を開墾できそうだ。うちで作った半年がかりの生ゴミの堆肥だけではとても足りない。

 まったくの畑の知識がないところからスタートすることになった。農林大学でも通学しようとも考えてはいたが、それはあまりに固定観念が最初にあるので、おもしろみが少ない。

 私の勉強方法はいつも最初に自分でやってみる、考えてみるからスタートする。そうすることで独自の楽しみ方ができるからだ。

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どう生きたか!これが最も価値が高い

生きているということ

それは
 死んでいくということ
 また生きるということ

一粒の種がたくさんの出会いを経て多くの種を作り出して消えていく。
鮭は生まれた故郷にもどり、卵を産むとその一生を終える

 人もまた子を一生育み、死んでいく

 自己の命は遺伝子にバトンされて、永遠につながっていく。

 人はその肉体だけでなく、人が行った成果である知恵や培った信念である心もまた一粒の種のように、たくさんの種を生み出し、未来の人々に伝えられていく。

 何が人にとって最も大事なのかというと、これらの遺伝子・知恵・心のバトンだと言えよう。

 そこで、私はすでに人生のUターンに入っているので、自分がやってきたことを未来の子供たちに伝えることがもっとも優先されるように思える。

 遺言書は遺産を家族に残すことだが、それよりももっと大事なのは自分たちがそれまでにやってきたことの成果である知恵や心を、どんな形にしろ未来の子供たちへ伝えることであろう。

 つまり、

 この世でもっとも価値があるのは与えられた人生をどう生きたか!ということである。

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壁脱却方

 昨年、ダイエットして、8キロやせたが、それ以上やせることができなくなり、いわば、停滞期に入ったのだ。半年が過ぎて、リバウンドした。1ヶ月ばかりで、2キロリバウンドすると、子どもから攻められた。

 そこで、当初のごはん半分にして、8キロやせた方法ではこの停滞期・リバウンドを脱却できないので、思いっきり、次の方針をもった。

 「食べないで、運動する」

 いわば、絶食して、運動ばかりすれば必ずやせることは確かである。理論上は正しいのだが、実際には無理である。でも、やれるだけのことはやるようにした。

 その結果、一日の摂取カロリーを運動カロリーを引いて、1200に押さえた、ダイエット料理になった。ごはんや麺類や甘い菓子類はカロリーが高いので、それらの摂取を少なくしていったら、1ヶ月で、3キロやせた。結局、停滞期を脱出して、さらに、1キロやせたことになった。

 この経験から、目の前の大きな壁があったとき、それをぶち壊すには、一点集中し、無理だと思えることにも挑戦してみることで、可能になることがわかった。

 ここ1年ばかりお金の研究をしているが、それも、ダイエット経済の方向で、自分のダイエット体験と合わせて、試行錯誤している。

 例えば、国の予算だ。収入財源の中でやりくりするのが、ダイエット経済になる。そのため、国債をする必要も、来年度の収入にあわせた、必要最小限の事業だけをすればいいのである。そのため、無駄な事業をどんどん廃止するのはあたりまえである。

 ダイエットには一日の最低必要カロリーだけを摂取するように方針をすることで、贅肉がなくなってくる。税金の無駄使いはこの贅肉と同じである。

 来年度の予想財源に合わせて、無駄な事業や無駄な軽費をどんどん落として、本当に必要最小限事業を必要最小限の経費で行うようにすれば、スリムで快適な行動力を発揮する政府になれるような気がする。

 そのためには、思い切ったダイエット政策を実行する。

1,一切国債は発行しない

2,一切増税しない

3,予想財源だけで必要最小限の事業だけをする

 こうすれば、無駄を省いて、必要な公共事業を必要最小限の経費で行う慣習ができてくる。

 大きな壁を打開するには、そこにすべての力を投入して、無理とわかっていても、できるだけのことをすることだろう。

 すると、その無理な方針が、道理にかなう方針に変わってくる。

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ゼロ円札とJoker札

 地域通貨がはやりだしたとき、その説明が無料のボランティアで助け合いをすることよりも、擬似通貨で助け合いした方がもっと助け合いが確かになるということだった。

 それから数十年たったが、地域通貨はほとんど使われることはない。理由はいろいろあると思うのだが、私はその理由は2つあると思う。

1,全国誰でも使える法定通貨ではない

2,数字が書いてある

 ボランティアが地域通貨よりも一般的であるのは、それが無料だということだと思える。しかし、ボランティアしても、何も残らないのは何かとても寂しい気がするものである。

 そこで、私は国がボランティア運動をさらに進めるために、「ゼロ円札」を発行したらどうかと思う。

 ゼロ円というのは、「お金でははかれない」「心だよ」という意味なのである。

 「もったいない」という意味は「モノではない」という意味で、「物や金ではない・・・心」である」ということである。

 お金に愛や感謝の心を入れ込むと、「お金ではない心」になる。それをしっかりと忘れない・・記憶・・・記録が、ゼロ円札で表現することで、もっと人の交流が豊かになると思われる。

 そうした心のお金を国が発行するということで、愛と感謝の日本国であるというモットーにもなりえるものである。 

 歴史上、インドにおける「0(ゼロ)」の発見で、数学が飛躍的に発展したことは、この通貨にもいえるだろうと思える。0円や0ドルがあると、もっと通貨が心のこもった通貨になり、もっと豊かな経済生活が発展していくだろうと空想する。

 人の心とは単に「物ではないゼロ」という意味だけではない。そこに、相手の心に合わせて、共感する作用もある。これは、人を理解するときには、先入観をもたずに、相手の心をそのまんま受け入れることから始めるとうまくいく。

 それを心の通貨にも応用したら、きっと「joker札」になるだろう。そんなお金がないとき、足りないお金があったら、その数字と同じになれるトランプのJOKERだったら、どれほど、人は楽しく、また心がさらに豊かになることだろう。

 子供が親からお小遣いの100円をもらい、駄菓子屋さんで、欲しいものを見つけた。

「これください?」

「280円!」

「・・・・・

 100円しかないので、あとはjokerでいいですか?」

「いいよ」

というような感じでjoker札はどんなお金にも変身できるものとして通用したら、いいだろう。

 お金そのものが成立したのは、人が助け合うための補助手段である。人と人のつながりでもっとも価値があるのは心である。

その心を補助するのが貨幣である。

 だったら、

ゼロ円札とJOKER札の発行があってこそ、本来の心の通貨が発展するだろう。

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所有権が悪さをする

 仏教を勉強すると、社会的問題の根本的原因が「我の執着」にあることを知らされる。そのため、すべての苦しみから解放されて、極楽に至るためには、「無我」を目標に修行する。

 でも、我をすべて取り去ることは死を意味するので、それは不可能だが、我の執着をどんどん削り取って、最小限の我を認め、それを悟りともいう。

 経済も同じく考えると、我とは所有権に当たる。

 戦争や飢餓の根本的原因はこの所有権にあることが解る。国の違いはその国の所有権であり、飢餓があるのは食べ物の所有権があるためである。宗教や科学の争いも知的所有権から起きる。

 経済の元になっているのは貨幣である。

 そのため、すべてのモノの所有権を主張させる原因は貨幣の所有権を認めるからである。

 仏教と同じく、経済における悟りにいたるためには、貨幣の最小限の所有権を認めることである。

 仏教における「無我」とは「真我」ともいわれ、それを「仏」ともいう

そのため、経済における最小限の所有権とは「仏心」や「仏性」に当たり、「一寸の虫にも五分の魂」とか、「一切衆生ことごとく仏性有り」というように、「命」のことを言う。

 貨幣における最小限の所有権とは「命を維持する権利」つまり「生存権」のことである。そのため、経済生活の極楽を実現させるためには、人類65億人の生存権を保証する貨幣システムが必要である。

 つまり、人類すべてのベーシック・インカムを実現するような貨幣システムが極楽経済にいたる道である。その具体的提案が前々回の基軸通貨の条件である。

 所有権とは何か?

 これを追求することが、戦争から平和への第一歩になる。

例えば、土地の所有権について考察すると。

 私の住む裏山の40000坪を4000万円で売っている。でも、売りに出てから40年間も売れていない。

 この土地の所有権とは何であろうか? 出入り禁止の立て看板があっても、登山者が勝手に何台も駐車している。この所有者は東京の不動産屋さんで、毎年固定資産税を国に支払っているが、土地は放置したままである。たぶん、投資のための値上がりを待っているだけであろう。

 この土地を本当も持っていれば、どうして国に固定資産税を払わされているのだろうか? この固定資産税とは国からその土地を借りている料金ということができる。そのため、土地の所有権などなく、貸借権があるだけということができる。

 減価する貨幣の考案者であるゲゼルは自由土地として、土地の所有権は国だけにして、国民はその貸借権だけを持てるようにする提案をしている。

 我々が思いこんでいる所有権とは貸借権や使用権のことだと悟ったら、経済システムは大きく変わることになる。

 先の40000坪の土地を投資して金儲けする手段としての所有権を許可しなくなり、その土地を有効に使う人が年に数万円で国に借りることができるようになるだろう。

 それに必要な資金に4000万円はいらない。数万円あればその40000坪を自然のキャンプ場にでも開発できることで、経済は活発になる。

 所有権から使用権にすることで投資ギャンブル経済から実の命の経済への移行が簡単になる。

 

 

 

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