偶像崇拝が崩れるとき

 今のお金に対する信頼はまさに偶像崇拝のように思える。

その偶像は神や仏ではなく、本当は単なる石や金属や木であり、本当の神や仏は、その偶像の中にはいないで、人の心の中にあることを知った衝撃と同じように、お金が単なる紙切れであり、本当のお金が人の心(欲望)の中にあったと知る衝撃が今起こり始めている。

 世界は1つの資本主義というお金の偶像の力を信じる社会から成り立っている。ところが、世界の貨幣の神々の中心的貨幣だと認められているドル神の偶像が長い年月で崩れかかってきている。そこで、新しく修理して威厳がある神の姿にもどす必要がでてきた。

 しかし、ドル神を再び世界の最高神にするには、神々の信頼がかけてきたのである。数十年前は金が最高神であったが、今のドル神がそれを破壊して、自分が最高神になって君臨した。しかし、新しく最高神になろうとする中国などが進出してきた。

 そのため、最高神である基軸通貨もまた選挙や議論で決めようとする動きが国連で生まれてきた。

一方、世界ではお金そのものが神であることの疑問があちらこちらでわき起こってきている。しかも、お金が神ではなく単なる紙であることを証明できる絶好の機会として2度目の金融恐慌がやってきた。

 1回目に起きた金融危機で、新しいお金の概念が生まれたが、それは忘れ去られ、そして、再び、その概念がよみがえってきたのである。その中心がゲゼルの減価する貨幣論であり、ダグラスの社会信用論である。この両者の思想は地域通貨・ベーシック・インカムとして、2回目の金融恐慌でよみがえってきた。

 しかし、この新しい流れを、新しいドル発行を基軸通貨にしようとする動きで、本来のお金の姿がうやむやにされようとしている。しかし、貨幣制度の流れは確実に、ゲゼルとダグラスの理論が証明されるように、歴史が動いている。

 戦後、新円の発行があったように、ドルもまた新ドルの発行で、貨幣が期限循環せざるをえなくなるゲゼル理論を証明しているし、資本主義社会は福祉社会への変貌せざるをえなくなるのは、ダグラスの所得保障の理論の正しさを証明しているように思える。

 しかも、古今東西からあった、金利がゼロにする必要があることもまた、金融危機の歴史が証明してきた。

 科学が事実を組み合わせて発展するように、経済も、歴史的事象を基礎にして発展していくように思える。どんな流れも、世界の真実の姿を現すようになっており、人がいろいろ苦労しなくても、自然と真実の姿が浮かび出てくるように思える。

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商品と金

 最近、土地を買うかどうか迷っていると、土地はまさに事業と同じで、失敗すると、大損失になり、成功すると、大もうけできるように思えた。今土地が売れなくて、その価格が下がっているので、損失する可能性が高い。そうしたリスクをさけるには土地を借りた方が安全な事業だろう。

 不動産や株や債権や外貨の預金が金融商品になる理由がだんだんわかってきた。

 お金と金融商品とは明らかに違うということだ。金融商品はあくまで商品なので、その値段が上がり下がりする。その値段をつける数字がお金であることだ。

  お金のシステムからいくと、債権は幻想にすぎないが、この幻想が夢を生み、その夢が宝くじのように、商品化できる。

 私たちは何に一番お金を使うかというと、幻想にほとんど費やしている感じがする。映画やドラマのヒットはまさに幻想を売るようなものだ。幻想の正体は我々の心である。しかも、ものの価値を決めるのはこの心である。

 どんな商品も人の心を表している。そのため、商品に価格が付けられる。

 人のあらゆる問題は心から生まれる。この心を静めたり、解決する力は理性である。

例えば、愛する人が亡くなった場合は深い悲しみが訪れるが、その心を静めるのは「すべて生きている者は死ぬ定めをもっており、自分のいずれ死を迎える」という事実を知らしめる理性である。

 常に変動する商品価格はまさに人の心の数値を表している。この心の数値の変動が激しい場合、それを治めることができるのは理性的事実である。この理性こそお金そのもののシステムである。

 お金が自然の事実を元にしたシステムは減価する貨幣であるが、人のつきることのない欲求である心を元にしたのは、現在の現在の腐らない貨幣である

 そのため、心を心で制しようとした場合法の権力による強制をするしかなくなる。それが税や金利や返済である。税金(心の強制)は個別に商品やサービスに付加せざるをえなくなるが、減価する貨幣(理性)は全体の心を静めることができるので、税金そのものを必要としないし、まして、個別に徴収する必要もない。

 以前、減価しない現在のお金を元にしたシステムで循環させようとした場合、すべての固定・流動資産に一律課税する金持ち税を提案したが、それはけっこう面倒くさいものである。そのときの資産価格が変動するため、把握するのが大変だし、海外の資産までは課税しにくいので、そこに法の抜け穴ができる。

 それは、株や不動産や債権はお金ではなく商品であるため、価格がランダムに変動している。しかし、減価する貨幣は変動率が一定している。つまり、すべての商品に税金をかけて、流通させるためには、お金そのものを減価させるだけでよいことになり、そこに法の抜け穴が生まれない。

 税金で人は憤慨するが、自然の姿には憤慨はしないで、癒される。

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土地と金

 今、土地と家を買おうか、借りようか迷っている。

というのも、借りたい家が売り物件だからだ。そこで、借りる交渉をすることに決めた。

私自身の収入の多くは不動産からきて、労働からの収入はわずかだ。その比率は3:1である。

もし、不動産収入がなかったら、とても家族は食べていけない。もし、お金が労働の対価としてだけ与えられるとしたら、今の時代は生きていけない人が多いだろうと思う。

 お金のシステムを考える上で、不動産をどのように扱ったらいいのかが、今一歩よくわからないでいる。

というのは、お金を食料とすれば、お金を単に分配券にすればいいだけだが、お金を土地とすれば、分配券というわけにはいかないのである。もし、地球を地球人類65億分の1に分配しても、それはまったく意味をなさない、土地は都会にいくほど高価になり、過疎にいくほど廉価になるので、面積で分配するわけにはいかないのである。

 国と国の違いは地形にあるのではなく、人と人の縄張りの違いである。動物の縄張り争いとそう変わらない。この縄張りというのは所有権の争いでもある。お金が所有権であれば、北方領土だって、お金で解決できるはずだが、それができないのは、土地はお金では買えないという意味になる。

 そのため、土地の問題は人と人のコミュニケーションの問題だと思われる。都会の土地が高いのはコミュニケーションが大きいから高くなるのではなかろうか。

 私は今過疎地に住んでいるが、もっとも大きな問題は近隣とのコミュニケーションの問題になっている。そこが住みやすいか、働きやすいかは近隣とのコミュニケーションがいいかわるいかで決定されてしまうように思えるからだ。

 お金とは何か?といった場合、それは言葉・手紙・約束・契約といったものになると思ったことがあるが、それはむしろ、土地に対していえることのように思える。

 お金とは価値を表す数字であるから、土地の値段はコミュニケーションの力の大小になるといえるかもしれない。

 と同時に、土地とは生きるものたちのコミュニケーション環境であるといえるだろう。

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CO2とゴミと資本とギャンブル、それら削減

 今もっとも深刻な環境問題はCO2による温暖化であろう。

よく考えてみると、CO2(二酸化炭素)は排気量が多すぎて、空気中のゴミと同じになっている。

経済が発展すると、大地や川や海にゴミを大量に捨てるように、空気中にもゴミ(CO2)を捨ててしまっている。

 これは経済がゴミを地球に捨ててはいけないという人類絶滅への警告である。

環境問題は一国だけの問題でなく人類の生命存続の問題である。そのため、各国の問題よりも優先する問題になっている。

それは「環境問題は一国の努力では解決できない問題でもある」ともいえる。

 環境問題を発生させる原因は経済問題からである。

 経済問題を発生させる原因はお金の問題からである。

そのため、環境問題におけるゴミ相関図はこうなる。

 CO2削減=ゴミ削減=資本削減=ギャンブル削減

 CO2そのものはゴミではない、地球の生命体に必要な量以上のCO2がゴミになる。

 資本そのものも汚いものではない、人類全体の存続に必要な量以上の資本が腐敗させる。

 地球を買える以上のお金を印刷したり、

 地球の未来を買えるような借金したりすると、

それらは金儲け的ギャンブル行為になって、

 経済金融そのものを破壊させてしまう。

 お金に書かれてある数字が何を意味するものか、問いかける必要がある。

私の仲間たちが一生懸命、地域通貨とベーシック・インカム革命をしようとしている。

でも、それは常に、ローカルで、一国でもいいから実現しょうとしている。

だが、環境問題が地球問題である以上、お金の問題もまた地球問題である。

CO2削減を日本だけ頑張っても、無駄な徒労に終わるように、お金の問題は世界全体の問題でとらえないと、無駄な努力で終わってしまう。

それは、日本海の海岸に流れ着く中国や韓国のゴミをいくら日本のボランティアが清掃しても、その根本原因は解決されないのと同じである。

今や、日本の衣食住は世界各国から輸入され、また日本の生産物は世界各国に輸出されている。

それらの商品の交換をするお金はもはや一国の日本円だけでは通用できない現状である。

それは、具体的にいうとこういうことだ。

ベーシック・インカムを日本人全員に毎月お金を配るという観点ではなく、地球にともに生きるせめて飢餓で亡くなる人たち全員に毎月お金を配るという観点でなければ、無駄な徒労に終わるということである。

人類あっての一個人である。

このままいくと、絶滅品種の1つが人類になるかもしれない。

でも、、先日の「モンテンルパの夜は更けて」ドラマのように、大きな全体を見据えたはま子の自分のできることをすることが奇跡の力を人々に奮い起こすことができる。

ボトムアップは自分のできることをすることである。

 

 

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ごみゼロにする植木鉢

うちのベランダの生ゴミ処理機

 使わないバーベキュー炭火器を植木鉢にしただけの生ゴミ処理機である。

 軒先のあるうちのキッチンそばのベランダに置いた。ここに、もう3ヶ月の生ゴミが1家族分の生ゴミを捨てても、すべて消え去って、ゴミゼロが今も実現できている。

そのため、うちのゴミの内訳はその量(重さではなく大きさ)の順位は

1,その他のプラスチック・・・・10

2.ペットボトル・・・・5

3.ミックス紙・・・2

4.カン、ビン、ガラス陶器、不燃物・・・1 

5.燃やせる汚れ物ゴミ・・・1

6.紙パック・・・1

7.生ゴミ・・・・0

 である。そのため、週に1回火曜のその他のプラスチックゴミがメインになる。

 生ゴミの処理は実に簡単で楽しい作業である。それは野菜を作るような土づくりと同じで、たくさんの生ゴミが悪臭もなく消え去り、それが肥料に変身する楽しみになっている。もっとも私は野菜を作っていないので、単に生ゴミが消える楽しみだけなのだが、毎回、調理したあと、すぐに、この植木鉢にシャベルで穴を掘り、そこに生ゴミを入れ、土をかぶせ、充分に土をこねるだけである。

♪ お金のシステムもゴミゼロの自然循環に

 このごみゼロの自然循環はお金の循環にも応用できるものである。いや、応用できるというより、お金の循環は自然循環にしなくてはならない。

 生活の基本は食事であり、その食事から出るゴミは自然にもどす。それが自然循環である。お金もまた、お米やパンと同じく、食べたら、消える。料理したあとのゴミは元の土に戻すように、お金の価値も消える。それが、お金が自然と人間と調和できる基本条件である。

 お金が価値が一定期間で消え去る期限循環システムが、人類が生き続ける上で必須のお金の条件である。

 それはまた、お金が永遠不滅の神のような絶対権力を基盤にしてはならないということである。

 人の命には寿命あっての価値があるように、お金も命の寿命と同じく通用期間のあるお金にすることで、人類が互いに助け合える命をつなぐことができる。

 永遠不滅の数字を基盤にしたお金の貸し借りシステムは即廃止することがこれからの地球環境と人類の安定生存には必要なことである。

 今のお金はゲーム感覚で人の命を奪い合うようなギャンブルになっている。お金を不滅にしてしまったために、もっとも大事な人の命がもっとも低い価値観になってしまっている。自然の価値は命が一番価値があり、その次に命から生まれる商品であり、商品から生まれるお金という道具は一番低いものである。

 人は、自分で作ったお金という道具に支配され、管理され、命をそこにあずけている。こんな馬鹿げたシステムは即やめて、人の命がもっとも価値にあるとした、商品とそのお金にチェンジする必要がある。

 その方法はこのごみゼロにする植木鉢に生ゴミを捨てるように簡単にできる。商品に賞味期間があるように、お金に通用期間をつけるだけで、税金はゼロ、環境問題ゼロにできるのである。

 ものごとには原因があるから結果がある。どんな病気もその原因を除去すれば100%治るのである。

 今のお金の病気の原因は、増え続けるゴミのような不滅の数字である。これを逆に消え去るゴミのような生きた数字にするだけで、お金からくるほとんどの問題は解決できるのである。

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