財源をみてプレミアム商品券(地域通貨)を

財源をみてプレミアム商品券(地域通貨)を

定額給付金用プレミアム商品券、129自治体で発行予定
「総務省は30日、総額2兆円規模の定額給付金にあわせて、129市区町村(34都道府県)で地元の商工関係団体などが、給付金の金額に10~20%を上積みした「プレミアム付き商品券」の発行を予定していると発表した。地元の商店街などで使用できる商品券を発行することで、給付金を貯蓄や借金返済ではなく、実際に消費に充ててもらい地域振興につなげる狙いがある。 定額給付金は1人あたり1万2000円で、65歳以上と18歳以下には2万円が支給される。商品券は給付金の額に1000円~2000円程度を上積みし、給付金の額以上の買い物ができるようにする。給付金を受け取った住民が市役所や商工関係団体などで商品券を購入する。上積み分の財源は、市区町村や商工関係団体が折半するなどして負担する。 都道府県別で最も多いのは、北海道の20市町村。総務省によると、大半の市区町村では10%の上積みだが、鳥取市では20%を上積する。(2009年1月30日21時29分  読売新聞)」プレミアム商品券とは何か
福井県池田町で67%割り増し商品券発行

馬鹿げている。自治体は自民党の発想と同じだ。問題はその財源だ

>上積み分の財源は、市区町村や商工関係団体が折半するなどして負担する

=お金をばらまきますがその分あとで消費税でもらいます
=この地域の商品券は1割も安くなんでも買えます。その分はあとで住民税でもらいます。

各自治体は計300兆円もの借金を抱えている。この自治体商品券のための財源は地方債になるだろう。国は国債700兆円、すべて利子がつくのだ。
そうなると、一体誰が儲かり、誰がもっと困るのか?金貸しが儲かり、住民が困るだろう。だから、一回しかできない。

だが、その財源と税などの循環をしっかりすれば、この地域通貨(商品券)発想はすばらしいのだ。

昨日、地域通貨の政府紙幣を発行したらどうか?という内容を徒然草で書いた。

私たちは地域通貨や政府紙幣は今ある1500兆円の日銀発行券に対抗して
  新しい通貨
を発行するということを忘れてはいないか?!

 それは今の日銀券はもう古いから、新しい日本内の地域通貨(商品券)または世界内の地域通貨(政府紙幣)に全部換えようではないかということではないのか?

 だったら、基準を新貨幣にして、日銀券を旧貨幣にすべきではないのか?

 古い貨幣の価値を減らし、新しい貨幣の価値を増やす。その発行益を国民や住民に等しく配分する。そして、その配分をばらまきではなく、経済的格差をなくすための配分をする。

つまり表にするとこうだ。

日銀券 政府紙幣・地域通貨 毎年更新する通貨
旧貨幣 新貨幣 新新貨幣
価値
 0.9~0.67
交換
価値
 1
交換
価値
1.1
通用期間なし
(死んだ金)
通用期間あり
(生きた金)
通用期間
(生まれ変わる金)
金利が付く
債券の額は
貨幣の量の
10倍に増殖経済格差拡大
配分
金利0
債券の量は
貨幣と同額量
再配分
金利0
債券の量は
貨幣と同額量
主目的
投資目的
主目的
景気拡大
主目的変更可
福祉目的
複雑な税収
システム
消費税増額

物価上げ対策
税収の一本化
新貨幣の発行益
  税収の一本化
組織の効率化
新貨幣の発行益
による再配分
発行額
1500兆円
税収
86兆円
発行額
2兆円
税収
2000億円
発行額
1500兆円
税収
150兆円

→詳細は徒然草

つまり、プレミアム商品券は財源を日銀券にしており、将来も日銀券にしている。そのために、その金融商品は最終的に債券の金利をもらう投資銀行にもっていかれてしまう。金持ちをさらに金持ちにさせてしまい、彼らの貯蓄を殖やすだけである。住民にすれば地方債を増やすだけの結果に終わる。
それを後押しするのが日銀である。日銀は投資銀行に債権さえあればそれを全部現金にしてくれる。

もし世界が100人の村だったら、6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍

この原理はモノを投げたときの放物線を天地逆にして思い浮かべればいい。金利の複利計算の図のようになるからだ。

それに、日銀券は永遠に死なない絶対者神になっている。
100兆円をもったリーマンさんが死んでも、100兆円の現金も債券は死なないのだ。永遠に生きていく絶対権力者である金の神になっている。
人の命が寿命100年があるように、どんなお金も通用期間が1年というようにすれば、お金の神に支配されることなく、人間の手足となって、人を助けてくれるだろう。

金利がゼロということは?

1年後に
市場金利を年利プラス100%にすれば
(公定歩合は逆でマイナス100%)
現金1500兆円→債券3000兆円
物価は2倍のインフレ

市場金利を年利マイナス100%にすれば
(公定歩合は逆でプラス100%)
現金1500兆円→債券0円
物価は半額でデフレ

金利を年利プラスマイナス0にすれば
(公定歩合も0%)
現金1500兆円→債券1500兆円になる。
物価は同額で安定

物価の法則:
国民総生産額<貨幣(現金+債券)の総額(インフレ)
国民総生産額>貨幣(現金+債券)の総額(デフレ)
国民総生産額=貨幣(現金+債券)の総額(安定)
    
つまり、世界がこぞって公定歩合をプラス1%にしても、デフレは解消されない。

 中央銀行の公定歩合をマイナスにするか、政府紙幣などの地域通貨を独自に発行して、
世の中に現金と債券を増やすか
また、
 失業者を増やし、事業を縮小して、国民総生産高を減らすか
しないと、デフレの金融恐慌は解決できない

カテゴリー: お金って何だ | 財源をみてプレミアム商品券(地域通貨)を はコメントを受け付けていません

金融大恐慌の原因

1929年の世界全体の金融大恐慌は「金本位制」から起こった 

と言われている。

この原理は簡単だ。

金1g=1$=1円 

金の量で、貨幣の金額を世界中で決めた。もちろん固定相場である。
地球上の金の量は限られているから、その金を各国が取り合う戦争が行われた。
そうして、一番多く金を持ったアメリカが世界の指導者になった。
でも、世界で生産される商品の量だけの金の量が必要になるが、そんなことは不可能である。

世界の生産量に対して極端にお金が少なければ、極端なデフレになって、金融大恐慌が起きた。

では2008年の世界の金融大恐慌は何であろうか?

この原理も簡単だ。

世界のお金の量は各国の中央銀行が自由に決める。そのため、各国は変動相場制にする。

例えば、
国内生産量に合わせて、

アメリカは100兆ドルの紙幣を刷る 日本は10兆円の紙幣を刷る。ドルと円の交換(為替)はその日の互いの物価の変動で決める。

しかし、世界が戦争をする場合、たくさんの武器を生産しなければならない。武器を生産の分だけ紙幣を刷るのである。
そうして戦争したら、武器はどんどん消滅し、生産する人間はどんどん死んでいくけれど、印刷したお金の金額だけはけして死なないで残る。

となると、
国内生産量の比べて貨幣の量は莫大に大きくなるから、超インフレになってしまうので、コーヒー一杯1000万円という価格になる。
そこで、その印刷した紙幣はすべて燃やし、新貨幣を作る。

そして、政府がいくらでも貨幣を印刷できないように、独自に中央銀行を作ってそこに全部管理させた。

そして、国内の貨幣量を現金の印刷ではなく、金利で高低で決めた。

例えば、

現金10兆円を倍の20兆円にするためには、金利を100%にすればよいようにした。

現金10兆円+債権10兆円=20兆円

これはちょっとわかりづらいが、原理は簡単だ。

AがBに10兆円を年単利100%で借りたら、1年後AはCに10兆円を借りて、Aからもらった現金!0兆円と併せてBに10兆円の現金と10兆円のCの債権を渡せばよい。これで、現金20兆円の商取引がされたことになる。

もっと簡単にいうと、

私たちが1日に使う現金は財布にある1万円以内ですむはずだ。それ以外に数億円必要な商いはクレジットカードや銀行のキャッシュカードや電子マネーで処置できるということである。現金以外にやりとりするのは電子マネーは債権の数字の流通ですむからである。

この債権の基本は現金の貸し借りで発生し、その金利で債権の量を決めることができる。

戦争するために必要な莫大な金は、紙幣を印刷せずに、国債を発行するだけでOKである。そして、大量の武器と人間が消滅した場合は、その国債分をさらに金利をつけて長期国債にして凍結し、超インフレにならないようにできる。

中央銀行は現金の量を増減をするのではなく、債権の金額の量の増減が主要な働きになった。
金利を高くすれば債権の金額が増し、電子マネーの量を増やす。
 金利を低くすれば債権の金額が減り、電子マネーの量は減る。

しかし債権=お金の増減ができるのは、お金の貸借とその売買をする投資銀行と投資家である。中央銀行はその債権発行に必要なお金を印刷するだけの下請け屋になった。銀行が現金を1兆円くださいといえば、金利の公定歩合1%という約束債権で1兆円を増刷するのである。

でも、中央銀行が銀行に貸した金額を全額現金返済をせまることはできない。もし、そうしたら、銀行も国も破産してしまう。ちょうど、預金者すべてが銀行からお金を引き出したら、その銀行は潰れてしまうようなものである。中央銀行はいわば市中投資銀行の預金者のような立場にすぎない。

そのため、
投資銀行が世の中の出回るお金の増減をするのである。貸すお金の金利を高くすればその分のお金が増え、貸すお金の金利を低くすればその分お金が減ることになる。

 中央銀行はいわば低金利で借りられる仕入れ先であり、それを高金利で貸し出してその差額でお金の量を多くする。それはすべて債権である。そのため、貨幣は商品の価格とは別個に貨幣の貸し借りで、貨幣が増産されていくことになる。

 そのため、物価があがるのは生産量の比べて、債権貨幣が増えたときであり、物価が下がるのは債権貨幣がへった場合である。

今回の金融恐慌はサブプライムローンの債権を中心にその債権が不良債権化した結果、投資銀行リーマンブラザーズが倒産し、その債権が数百兆円消失したことになる。その結果、生産量に比べて、債権貨幣の量が極端に減ったために、貨幣の量が足りなくなり、大きなデフレが生じたのである。

 2008年の世界の金融大恐慌の原因は金利本位制である。

 1929年の金融恐慌は金本位制から脱却した国の順番に回復した。
 今回の2008年の金融恐慌は金利本位制からの脱却(ゼロ金利政策)した国順に回復するだろう。

 もっとも、投資銀行が中央銀行の誘導にのればの話だが?
 それに国が金利つまり債権貨幣の発行権があれば可能だが?

カテゴリー: お金って何だ | 金融大恐慌の原因 はコメントを受け付けていません

常に二つの相反する姿が在る

自宅の窓から見える風景で、川の水面が凍っている。この水は東京の多摩川に流れていく。

 毎日、経済学のある面を勉強したり、考えたりしている。そんな自分にびっくりする。昔の自分にはまったく想像できないことだった。お金にはまったくのほど無頓着だったからだ。ゲゼルの言い分と同じで、お金に関する学問なんかは、科学や宗教のような学問に比べて、あまり重要でないと思っていた。

 それは自分がお金に困った経験がなかったからかもしれない。事業はうまくいかなくても、それで全財産を失うほどの失敗はしたことがない。親の資産を受け継いだことで、どれほど生活が楽になったことだろう。逆に、親の資産が負の遺産だとしたら、子供はどれほど苦労することか、想像できてしまう。

 子供のころ、なんでも金金という親に反発したことがある。また、高度成長時代の金でなんでも押し通す姿に、へきれきした記憶もある。受験戦争のまっただなか、世相が「愛は金で買えない」ということがテーマで、たくさんのドラマや映画が作られた。

 先日、学園闘争ふきあれる東大をテレヂで娘とみていた。そのとき、私は「ああ、なつかしい風景だなあ!」とつい叫んでしまったら、娘がびっくりしてしまった。「なんで、あんなことをしたの?」という問いに、「なんでかなあ??・・・・青春の世の中に対する反発かなあ・・・ただそれだけだったような感じがする」と答えた。私はちょうど高校生のとき、その母校の講堂でなにやら叫んだ記憶があるからだ。そして、そのころの学校教育のあり方そのものに反発して、校長室にどなりこんだこともあった。

 基本的にこのころは、世界が二分され、冷たい戦争のまっただなかだった。闘争の主流は革マル派といって、マルクス革命だったように思う。そのため、資本論は学生のバイブルだったが、その難解さに、最初の1ページでつまづいた学生も多かった。私もその一人だ。

 下の娘もあと2ヶ月余りで高校生になり、姉と住むので、私はここで一人暮らしになる。この村は一人暮らしの老人が多い。私はそんな仲間入りになったのかもしれない。村人に、必ず聞かれるのが「娘のところに引っ越しするのか?」である。私は残るというと、みな不思議そうな顔をする。

 こうした二つの選択肢はどんな場面でもあるようだ。すべての行為と判断を煮詰めてしまうと、「生きるか、死ぬか どっちにするの?」という問いになる。両者は常に相反する事象である。この相矛盾する両者は生きているすべてに適応されている。

 貨幣システムにおいては、「実体経済と金融経済」、ベーシックインカムにおいては「労働と所得」、人間については「心と身体」である。世界においては「戦争と平和」である。モラルにおいては「善と悪」である。学問においては「宗教と科学」である。

 それらのどちらもとっても、完全な片方は存在しないし、存在できない、それはその両者ははっきりと分離できないということである。その両者を白と黒の色で表せば、その境界線は灰色になって混ざってしまうのである。そのため、両者のはっきりとした区分ができないため、それを明暗のような暗さ明るさの数値で表すしかできなくなる。

 しかも、その明るさの度合いは、それが相手によって、みな適切な度合いが違ってくる。オリンピックなどのスポーツは戦争の度合いが多い方がよく、実際の国際紛争には平和の度合いが多いほうがよいようなものである。

 貨幣は「モノとサービスを交換するためにお金」と「お金でお金を増やすお金」の両面がある。両者は生と死の性質の違いがあるほど矛盾するのに、一緒になって使われている。これが多くの経済的社会問題を引き起こしている。今回の金融危機は「お金がお金を生み出す投資の問題」だったのに、それが、「需要と供給の問題」にまで発展しまっている。

 それを解決させようと政策がされるが、その政策があまりにも原始的な技術のようなものが多いように思われる。たくさんの経済学者がいるのに、どうして、その政策が有効だとはっきりと国民の一人でも説明できない内容になってしまうのだろう。

 みんなお金を使っているのに、そのお金のことに対する知識や法律を知らない。お金は多くのパソコンや家電のような複雑な機械ではないのだから、もっと簡単に理解できてもよさそうなものだが、それが経済学というものに変化するだけで尻込みしていまう。ちょうど、マルクスの資本論を読まねば経済学が理解できないように。

 私だって、大学の経済学の教科書なんかはまったく読む気が起きない。そこで、興味がわくものしか、読まないことにしている。それもやっと3冊しか読んでいない。しゃくにさわったので、放送大学に入学して経済学を勉強しようと思って、その放送の一つを聴講しても、まったくつまらないので、ばかばかしくなる。自分なりに勉強するしかやる気がおきないのだ。これはきっと教育方針にかなり問題があるのではなかろうか。上の娘が学校の授業にまったく興味もわかなく、勉強しなくなるのも実にうなづける。だから、テレビで、「もっとも受けたくなる授業」という人気番組が生まれるのだろう。

 ともあれ、コツコツと自分なりに経済学を勉強していくしかない。それにしても、同じ興味をもつ人とのコミュニケーションは実に勉強を楽しくさせてくれる。mixiさまさまだ。そこで、少しでも話すと、いろいろなアイデアが出てくる。今回は「神様ポイント」なるものを考案できた。

 お金よりももっと価値のある神様ポイントである。

詳しくは徒然草に書いた。

http://sasaduka.com/gonta/zuisou01.htm

「お金を獲得する自由競争」と、「お金を等しく配分する税」とは相矛盾するので、その両者とも納得させる「新しい愛のお金」が「神様ポイント」がどうしても必要になったからだ。

人間は横の等しい関係と、縦の上下関係の両方がある。人を公平にするのは税と社会保障であり、人を上下関係にするのは能力と社会貢献度である。 神様を設定すると人の上下関係や理性や競争が生まれる。 人間らしさを設定すると平等と平和が生まれる。

 そこで、現在の貨幣に二面性に合わせて、人間らしさである平等の配分を現金(実体経済)とし、上下関係・高低配分を債権(金融経済)を神様ポイントにすれば、人をなんとか納得できそうに思える。

 人は自分という名を持つ神様の性質と、命という他と一体の自他・・人間らしさの性質を両方もっているからだ。それを一つのお金ではどうしても表現できないし、使いこなせないので、お金の使い道に合わせた二つのお金を作ることしか、両者を調和させる技術が生まれないように思える。

 そこで、お金を人間にたとえれば、

身体に当たるお金が現金(国で印刷された銀行券)

心の当たるお金が信用証券(お金の貸し借りや売買で生じる証券・金融資産)

に分けて流通させ、その両者の交換率は、ケースバイケースで、その関係者でなされればいいだろう。

金持ちから貧乏人にお金を回す仕組み・・・その税による公平な配分を主に現金で行い、その公平さが難しい部分を、新しいお金(神様ポイント)で調整をとれば、なんとか、労働と所得を区別をして、その両者を調和させることができる。

 それにしても、こうした経済学を考察すればするほど、高度の発展した科学技術に比べて、経済学はあまりに原始的な学問に思えてならない。宗教における原始宗教みたいなまじないや占いの技術みたいなものにみえる。今の総理の発言も、そのまじないや占いみたいなものにみえてならない。

 

 

 

 

カテゴリー: お金って何だ, 徒然草 | 常に二つの相反する姿が在る はコメントを受け付けていません

労働と収入(お金)を区別せよ

ベーシック・インカムの主旨を読んで驚愕した。

それは労働と収入を関連づけるところに問題があるという指摘である。

私はこれまで理想としては、「働いただけの収入は得られるべき」という思いこみをしていた。

昔から、「働かざる者は食うべからず」という倫理観が厳然とある。この倫理観が根底からくつがえされたのだ。

そして、長年の疑問だった、「どうしてこんなに働いているのに最低の生活費さえ、世間は与えてくれないのだろうか?」

という疑問が解決された瞬間でもあった。

また、世の中に対して必要なよいことをするボランティアはどうして世間も政府もお金を出してくれないのだろうか?

その疑問も解決された指摘なのである。

それに、長年、便利屋をし、それを、時間交換の会のwebにして、労働と収入の公平さと、その交換を実現しようとしたが、まったくうまくいかなかった。

その原因がはじめて理解できた感じがする。

この労働と収入は関係ないという視点は、貨幣自体にもみられるのである。

それがモノとサービスを交換する実体経済と、お金がお金を生み出す金融経済とは調和できないし、それらは別な経済であり、それを関連づけるところに多くの問題ができてしまったという指定と同じ観点がベーシック・インカムの主旨である。

これは今までの固定観念がぶちこわされた衝撃だった。

ヒロタカズマさんが私に教えてくれたベーシック・インカムの衝撃と同じものだったように思う。

最近、お金がない友人が株の売買に手を出した。それがどうにも不思議でならなかった。

不景気のときほどギャンブルがはやるというのは本当のような気がする。

でも、今その疑問がとけてきた。今では老人や主婦や学生にも、株やFXで少ないお金でお金を儲けようとしていることも理解できてきた。

まともに働けない環境、いやまともに働けたとしても、最低の生活費が確保できないからだ。そのため、お金でお金を稼ぐことが唯一生活を支えることができると思ったからだろうと想像できた。

それに、毎月莫大な収入がある人は、まともに働いてそれだけの収入が得られるのではない。そのほとんどの収入源はお金でお金を生み出す金融経済からである。

ベーシック・インカムがどれほど有効化を調べるには社会保障の先進国である北欧の一人当たりのGDP(国内総生産高)の上位を独占していることからもわかるはずだ。

こうしたデータからも、労働(生産)と収入が一致していないことを教えてくれる。

無償の奉仕がどうして可能なのかもまた理解できることになった。

地域通貨を進めようとする原点は、無償のボランティアではなく、有償のボランティア(NPO法人化)であることの方が有効だと思われた。

しかし、実際は無償のボランティアの方が地域通貨よりもはるかに活動的なのである。こうした矛盾をも解決できる、基本的観念こそ、労働と収入を分離して考えるベーシック・インカムの社会保障理念である。

カテゴリー: お金って何だ | 労働と収入(お金)を区別せよ はコメントを受け付けていません

夢は真実に裏付けされたものならば100%実現する

 「夢は必ず実現する」

ということが言われる。でも、それが100%ではないことはいうまでもない。しかし、100%信じていいよという意味の応援するメッセージである。

 最近、ダイットをしていながら、気がついたことがある。

「初心を忘れず、初心を毎日貫けば、必ずその結果が出る」

 実は、ダイエットが停滞し、リバウンドしてくるときは、初心「食事は1膳でお代わりしない!」を忘れて、お代わりしていたときえある。でも、もう一度奮起して、初心にもどり、「食事を1膳」にしたら、やはり、体重が減り始めた。

 しかし、それは「一食一膳を実行したら、ダイエットができた」という経験がうらうちされているから可能であったからだ。もし、初心が誤信だったら、けして実現しないという結果になる。

 「夢は必ず実現する」という夢には条件が必要である。

「夢は真実に裏付けされたものならば100%実現する」

 その夢がよいことであれ、わるいことであれ、実現してしまうことになる。もちろん、それは真実に裏付けされた実践をし、初心を忘れず、初心を貫徹した場合である。

 では、今の貨幣システムの初心(夢)はどうだったのだろうか?

 お金の貸借に必ず金利をつけるという初心は、日本銀行が紙幣を印刷し、それを金融機関に貸し出すときから、金利をつけている。それが、市場に出回り、その金利はいわば安く仕入れて、高い金利で売るという商売のようにしている。しかも、国がその金融機関から借りる国債にも金利が必ずつけられる。それが国民にまねされ、最後はサラ金や高利貸しのように高い金利で商売されている。

 最終的に借金をした人は多重債務になって、借金のために借金を繰り返すことになる。そして、借金は借金でふくれあがり、破産することになる。これは単に個人的な多重債務者のことではない、国や地方もまた、この借金地獄に陥っている。先日夕張市が破産した。日本だって、国債と地方債合わせて1000兆円の借金がある。その利息だけでも、毎年数兆円もの税金が必要になっている。それが返済できる金額ではないことも、また、返済計画もないことはあきらかな事実である。

 その返済計画をだし、実践しようとしたのが大阪府知事の橋本さんである。でも、それが多くの議員からも府民からも反対がされて、実現は難しい。大阪府の借金が3兆円もあるというのだから、これはどうあがいても返済できる額ではない。

 そんな借金地獄に陥っているのは、世界の経済を引っ張っているアメリカである。ここ数ヶ月で、アメリカの国債は数倍にふくれあがった。そうなれば、世界的未曾有な経済危機になるのは当然のことだろう。

 国や地方が多重債務者のようになったのだから、どんなに働いても働いても、借金をかえせる見込みはない、それは働くのを放棄させるには十分な理由である。失業者が増え、多くの会社が倒産するのはそのためだといってもいい。彼らを救う国や地方がまた借金して彼らを救おうとするのが景気対策であるから、どだい無理な話である。

 多重債務者が生き残る道は法的に許された破産宣告しかない。それは国や地方でも同じことである。すべての借金をチャラにしてもらって、新たなゼロからの再出発しか生き残る道はない。

 こうした貨幣システムを構築する初心は何だったのだろう?

「このお金を貸すから、この元手にしてもっとお金を儲けて返してくれ。頑張ってな!」

というのが、初心であり、いわば金貸しの慈悲心であった。借金した方はその借金返済だけでなく、自分の生活費そして、その金利を返済しようと必死に働き、経済は活発に動き出す。

 つまり、金利をつけてお金を国民に貸し出すことは、「より働き、より生産し、より生活向上し、豊かな経済社会の実現」が夢であり初心であった。

 そして、その初心を100年貫いたので、その結果が出た。人々はより働き、より生活が向上し、より豊かな経済社会が実現した。でも、その結果は表向きはそうだが、その裏は多重債務者としての国と地方の顔であり、また、無理な拡大再生産をした結果、多くの環境問題、世界の人々の経済格差拡大をも生み出した。

 このことは、初心の夢が真実にうらづけされていない夢だったからである。より働き→より環境破壊、より生活向上→より経済格差拡大、より豊かな社会→平和より戦争 という真実社会を生み出したのである。

 つまり、他人よりもっと働き、もっと生産し、もっと豊かになろうという夢は真実から逸脱した夢であったために、実現できなかったのである。しかも、その無理な夢を後押しした、貨幣システムが金利をつけて貸し出すこと自体、お金がお金を生み出すという盲信と錯覚をふくれあがらせてしまったのである。

 もし、1万円札を机の上においてそのままにしたら、それが自然に金利が付いて、1万円札が2万円にはならないのは真実である。それがたとえ、商売に使われても、財布の中の金が増えることはありえないことである。増えることはないが、それが災害で燃えたり、なくしたりすることはあるので、減ることだけがある。

 科学的真実からいえば、印刷された貨幣はそれ自体ではけして増えることはない。しかし、時間がたつと、それは紙であるので、必ず劣化し、書かれた数字も見えなくなり、最後は必ず消滅する。

 金利をつけてそのお金を増やして返してもらうこと自体が無理なことである。しかも、お金を貸して返すこと自体無理なことである。金利ゼロにしたとしても、AさんからBさんにその1万円札がわたり、それがCさんに・・・Dさんに・・・というように、まわり、Aさんに奇跡的にその1万円札がもどってきたときには、Aさんから直接の返済ではなく、Zさんからの無利子で、借りたお金になるというのが貨幣の真実である。

 つまり、お金の貸借というのはお金を社会全体にめぐらせるという意味であり、貸したお金は貸した相手から返済されるという約束でなく、お金を誰かに貸したら、誰かにお金を貸してもらえるという暗黙の約束みたいなものである。

  これが貨幣の科学的真実である。その真実にのっとって、豊かな経済社会を築こうとするなら、100%実現する。

国や社会がこの100年間むやみやたらと戦争し、環境破壊し、経済混乱させたのは、こうした貨幣の科学的根拠なしに、築き上げた盲信と幻想と錯覚と誤解から生まれた結果である。

 そのため、

「夢は真実に裏付けされたものならば100%実現する」

 ことを実践するなら、

「必要なだけ働き、必要なだけ生産し、世界全体の平均的な豊かさを私は実現しよう」

とし、金利はゼロは当然であり、お金を貸せば必ずその分のお金は借りられるという保証を政府がつけたら、この夢は100%実現する。 

カテゴリー: 徒然草 | 夢は真実に裏付けされたものならば100%実現する はコメントを受け付けていません