ゴリラ便が伝えたもの

争いや戦争は単にコミュニケーション技術の問題にすぎないことに気が付いた。

戦争から平和への道とは お互いに理解しあうためのコミュニケーションである。

いかに、人に気持ちを伝えるか? それは単に言葉だけでは難しい。

37年前の1981年ごろに、私はゴリラの恰好をして、プレゼントを渡し、メッセージを伝えるというアイデア商売をした。

それはまさに、「お祝いの気持ち」を相手にどう伝えるか? でコミュニケーション技法の一つである。

どんな手段で、気持ちを伝えるかということも、どんな話し方で真意を伝えるかにもかかわってくる。

1.ゴリラ便001 大阪毎日放送 ワイドユー

2.ゴリラ便002 ぴったしカンカン

3.ゴリラ便003 おはよう日本 最前線

4.ゴリラ便004 面白Q

5.ゴリラ便005 FNN

結婚式の取材だった。ニュースで取り上げられるとはびっくりだ。実際の仕事はなく、当日、FNNが結婚式場で申込して、やらせてもらったというものだ。テレビの力はすごいと感じた日である。

6.ゴリラ便006 うけてます ザ・ゴリラ便

いろいろな珍商売を紹介するもの

7.ゴリラ便007 女の60分

タレントの泉アキがやってくれた。実に面白く、番組の面白さは一番だった。

8.ゴリラ便008 チャレンジャー

なんと 本場のロサンジェルスまで行ってしまった。

9.ゴリラ便009 NHKニュース

10.ゴリラ便010 アルタ前 強烈なスタッフも出てくる。

11.ゴリラ便011 便利屋の実態

悪用する者が出てきて社会問題にもなった

12.ゴリラ便012 キングコング イベント

我らの仲間がみんな出てくる。

13.ゴリラ便013 キャッチ アップ

音楽と映像と合わせたセンスある番組である。

ここで、はじめてテレビでヌード便が取り上げられた。

14.ゴリラ便014 11pm ヌード便

15.ゴリラ便015 吾輩の父母なんでもや/笹塚十号通り商店街

ゴリラは絶滅危惧種に指定されている。

ゴリラが長く人々に人気がある理由が今もなお不思議である。

パンダも人気だが、どちらも絶滅危惧種である。人が保護しないかぎり、絶滅するだろう。

ゴリラもパンダも、人が絶滅に陥れ、保護、復活させもしている。

今世界は多様性を受け入れるかどうかの選択に攻められている。

多様性は人で言えば、一人一人の個性尊重である。個性において、優劣上下の差別はない、それぞれがオンリーワンであり、ナンバーワンである。

多様性を受け入れないと、優劣上下が発生し、そこに闘争と誤解という問題が生じる。

多様性を受け入れると、平等尊重が生まれ、そこに平和と理解が実現する。

コミュニケーションはまさに多様性を受け入れから始まり、そこから理解と平和で終わり、

また、新たなコミュニケーションにより、新たな多様性が生まれ、さらなる理解と平和が広がっていき、

終わることのない 生き死にまた生きる 喜怒哀楽を伴う理解と平和が深く浸透していく。

 

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みんな違ってみんな善い・・その道がきっとある

白人至上主義の理論は一見、「みんな違ってみんな善い」という思想だと勘違いしてしまうが、

これは 「群盲象を語る」における1人の盲人が自分の偏った主張が一番正しく、他は間違いだという主張である。

以前の思想と違うのは、それぞれの主張を認め、それぞれは喧嘩また戦争しないで、別々に暮らして、無駄な対話や交流などしなく、真実など求めなくていいものだ。

実際の白人至上主義団体の行動はどうかというと、

まさに、昔のきさくな田舎の親父さんという感じである。

それは

「みんな違ってみんな悪い」という性悪説である。

今、どう考えても、

この日本が北朝鮮とアメリカの武力戦争に巻き込まれてしまうという危険があるというのに

ほとんど そういう話題がないというのが不思議でならない。

平和を論じることが まるで反社会的な運動みたいな雰囲気である。

米国の国民意識調査で、75%が北朝鮮と戦争になるというのに 日本の平和ボケはかなりのものである。

昨年の11月におきた 朝鮮と韓国の国境で、北朝鮮兵が韓国に命懸けで亡命したことは

今年の北朝鮮がどうなるかを占う面で大きい。

どうあがいても、今の北朝鮮は崩壊へと向かっている。

このまま核ミサイルを成功させて、大国と肩を並べることなどできないだろう。

それはイスラム国の運命と同じような最後のあがきをしている感じである。

今年がその終わりをつげる年になるだろう。

できたら、崩壊後、最高の隣人になれるような仲になれるかもしれない。

米中が密約をかわしたらしいというのは、情勢からみると、納得がいきそうな判断である。

もし、「みんな違ってみんな善い」という意識に立てば、

血を一滴も流さずに、平和への時代へと移行できる道ができるはずだ。

鍵は金正恩の意識変化だろう。

そのきっかけを作ればいいだけなのだが

それが、ひょっとしたら、国境警備兵の亡命かもしれない。

またはトランプであるかもしれない。

とはいえ、時代は確実に平和へと舵をとったことは確かである。

「みんな違ってみんな善い」とは みんな平等で、違いだって、どんぐりの背比べみたいなもので、

そんな些細な違いを十分楽しめるのが、平和への道だろうと思える。

 

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敵が消え失せて味方だけになった

徳島大の授業を二つしてからというもの、

自分自身の中が大きく変化していった。

なんと教えていたら、自分が教えられて、自分自身の意識が変化しだしたのだ。

私が教えていたのは

「みんな違ってみんな善い」

それだけに要約することができる。

上記の絵の目隠しした専門博士たちは、みんなの中の1人1人のものの考え方、個性である。

私も、その専門博士とおなじ 目隠しした盲人の1人であり、特有な考え方と個性を持っている。

1人1人の見解は、それぞれの経験と知識と欲求によって、総合判断された正しい結論である。それを否定することはできなく、できることは、100%肯定することなのである。

なぜなら、70億人同志の見解も個性も、同格としての人間と認めるならば、お互いに100%認め合うことしかできないからである。

お互いに認め合うということは、「みんな違ってみんな良い」といことである。

「みんな違ってみんな善い」の反対は、

「みんな違ってみんな悪い」であるが、その反対意識は、単に自分の意識を狭めただけにすぎない。

自分だけが正しく、他の70億人が間違っているという主張を繰り返す人である。

「象は槍」「象はへび」「象は木」「象は壁」「象は綱」「象は団扇」と主張する人たちで、他人の主張はみな

間違っており、自分だけが真理を語り、自分だけが正しいという狭い了見を強引に主張するだけでなく、洗脳、教育、しいては、反対意見の者は殺してしまう。

つまり、

自分の意識の範囲が自分だけの狭さなのか、

自分の意識の範囲が自分以外の広さなのか、

自分の意識が狭いと、「みんな違ってみんな悪い」となり、

自分の意識が広いと、「みんな違ってみんな善い」となる。

なにが善いか? なにが悪いか? という判断の違いは、単に自分の意識の広狭にすぎないことが解る。

学生に教えて、その学生の態度から教えられて、

私の心の中にあった「自分の意見とは真逆の意見の持ち主である敵たち」がいつの間にか、消え失せていることに気が付いた。

そして、むしろ、自分とは真逆の意見や行動の人たちは、

私にとっては、反面教師であり、私の意見を支え、発展させてくれる人たちであり、

自分の意見や本質を明確にしてくれる鏡のような存在でもあり、

また、自分の意見を広く伝えてくれる人である。

 

つまり、今まで敵対心を持っていたが、それが、消え失せ、仲間意識に変貌していっている。

それはちょうど将棋にように、敵の駒を取った時、その駒を使って、別な敵を攻める味方の駒に変身するようなものである。

敵の駒ととった状態というのは、敵の意見や意識を十分理解して受け入れたときの心の状態をいう。

敵を打つとは敵を理解する

ということなのである。

徳島の帰路に三人徹夜で討論した時に気付いたことがあった。

田舎の隣人意識、伝統的な結や自治体の組織やその圧力、伝統的やり方に、私は長年苦しめられていた。

そして、今の田舎暮らしにおいては、そうした堅苦しい付き合いからのがれ、脱退し、自由きままに過ごしている。

その伝統的な田舎の風習・慣習・考え方は、まさに隣国との国際関係と似ており、そうした問題の解決法は同じであるように思えてきた。

「象は槍」「象はへび」「象は木」「象は壁」「象は綱」「象は団扇」と主張する人たちは、伝統的な風習と同じであるともいえ、それを否定して 闘うのも野暮なことである。

「郷に入っては郷に従え」

というのが、もっとも、うまく生き抜く方法であるが、

「郷に入っては郷に従えない」場合

は、その郷に風習が時代遅れ、消えゆく運命の遺産のようなものであった場合である。

私は実際になんどもそういう場面に出くわし、その郷から脱退せざるをえなくなった。

それでも、なにかしらの関係を維持せざるをえないのが現状であるから、その場合、意識を大きく広げて、

田舎のローカル意識を 地球規模のグローバル意識に広げ、そして、世界の田舎同志を結び付けることで、互いの伝統文化スポーツ・風習・祭りなどの違いを楽しむことで、徐々に、伝統的風習もグローバル化し、外の人も受け入れやすい環境になってくる。

それは 

「象は槍」「象はへび」「象は木」「象は壁」「象は綱」「象は団扇」と主張する世界の田舎もんが、真実の象をあぶりだす理解へとつながっていく、国際交流なのである

これが、戦争から平和へとつなぐ、真実への道筋なのであろう。

 

 

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学ぶということ(意外と知らない)

Think Global, Act Local, Live True to Oneself.

大きく学び、具体的に行動し、自分らしく生きる

90分授業の予習として、30分の授業動画を作成していた。

長い復習動画より 短い予習動画の方が始めての人は 話のあらすじを知った方が解りやすいだろう。

 

徳島大の二つの授業には今年6月に続いて、12月も参加できた。
話す学生がどんな人でどんな状態であるかを前もって教授から知らされていたが、実際はかなり違っていたので、現場では大きく変更した。

1.勘違い

・私の話が学生みなが始めてだった
・前期の学生は後期になると3分の2になっていた
・学生全員が後部座席二列に並び、話を聞く姿勢がなかった
・単に出席し、単位をとることが目的で、全然別なことを考えていた

2.学ぶということがどういうことか

・それから話さないと、馬の耳に念仏 豆腐にかすがい である。
・先生の方に、教授・指導するのではなく、共に学ぶ姿勢が必要。
・ソクラテスの教えることは産婆術であることから始めないと無理。

3.学習・対話・討論基本をまず共有する必要

・社会人同士の学習会にあっては、発表・対話と討論の基礎を共有しないと 空しい集まりになる。
・特に著名人を呼んだり、権威のある人の話を優先するのは 偏見と洗脳に陥る。
・授業も社会人学習会も ともに学ぶという共通意識がなければ無意味なものである。
・参加者は予習・復習は最低限必要なことである。

 

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THINK GLOBAL, ACT LOCAL, LIVE TRUE to ONESELF .2017/12/21

2017年12月21日 徳島大で、午前中 ボランティアリーダーと語る地域社会の授業で、その報告をうけ、それに対する返答として、動画を作成した。

1.ボランティアリーダーと語る地域社会の授業

2017年12月21日徳島大のボランティアリーダーと語る地域社会における授業の感想を受けての返答をする

特にテンセグリティについて

 

2.THINK GLOBAL,ACT LOCAL,LIVE TRUE to ONESELF

3..硬いピラミッドと柔らかいテンセグリティ

 

 

4.お金って何だ? 奪い合うお金と分かち合うお金の違いを麻雀ゲームから紐解く

5..分かちあうお金と奪い合うお金のバランス

6.自信を持って生きるということ

7.みんな違ってみんないい

シェア 仕事・お金・問題 する道へ 方向転換

8.どう生きるか

午後に、グローバル社会における生産環境論

9.食品の安全と危険をどう判断するか?

10.群盲象を評す

11.ピーア・ランニング(仲間学習)学ぶということはどういうことか

真実の安全を知るにはどうしたらいいのか?

12.食の安全をどう探っていくか? ピーアランニング学び舎における道

13.古代麦から品種改良・遺伝子組み換え・ゲノム編集を考える

知足庵の再スタート

偏った健康と自然の会からバランスのよい健康と自然の会へ
権威を超えた同等の学び舎で、真実を共に探っていく

14.本当の経営と偽の経営

15.トップダウンの分業は潰れ、ボトムアップの分業は無限発展する

 

当初、この内容を90分の中で、凝縮、また割愛して、話す練習をしたが、それでは、実際において、ほとんど通じないことがわかった。もっと、一つに絞らないと、伝えきれないということがわかってきた。

だが、

授業がおわり、学生の疑問や感想がわかってから、また、時間の制限もなく、今では動画で、あとで学生にまた、同僚の社会人にも伝えることができる。

そんな時代のネットまたSNSによる学習ができる環境を利用したいと思う。

こんな長い動画をほとんどの学生は聞く人はいないだろう。

でも、それは学生がのち、もっと知りたいと思ったら、10年後50年後でも興味を持っても、この動画はいつでも聴くことができる。(ネットを閉鎖しない限り)

ともあれ、

私が若者への命のバトンとして、

とにかく、自信をもって、自遊に、面白おかしく 生き急がず、のんびり、気楽に生きていってほしい

その願いだけである。

2017年12月29日 岡部 康平 山梨市の自宅にて

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