道端の美味い雑草を食べた

夕時になると 近くのフルーツ公園に

散歩して 富士を景色に 珈琲飲む

富士景色に珈琲1

帰りに 玄関横に、花言葉 不屈の心がよく似合う

雑草「タネツケバナ種漬花」がドサッと咲いている

タネツケバナ1

根元から茎ごともぎ取り、水洗いし、切り分ける

タネツケバナ2

半煮だちして、水気を絞り、

硬い茎を除き、葉と花のお浸しを作る

タネツケバナ3

道端の タネツケバナの お浸しに

オカカに醤油を注し 卵かけご飯に メンダイコと 珈琲で頂く 晩御飯

味は ほとんどホウレン草のお浸しと変わらない。

誰かに、ホウレン草として出しても、通じるものだ。

こんなに 雑草をおいしく食べたのは 始めてかもしれない。

 

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日本を一家族とみると・・?

◆公私とは

私の生死は人類からみれば一個の命の生まれ変わりである。

それは 私の死は新たな私の生となることだ。

人類は一個の私からみれば公であり、公からみれば私が生まれ変わるとするならば

逆も真なりで

私からみれば公も生まれ変わり、公の死は新たな公の生となる。

つまり、

公は鏡に映った私である。

私がなければ公もなく、公がなければ私もない。

私は実存しているが、

公は虚像であり、見える姿は左右逆である。

◆公とは

公とは人間の私が集まった社会、国、世界であり、

目的を共有する似たもの同志の集まりでもあるが、一個の私のようには実存していないが、

鏡に映った私の虚像として見ることができる。

公としての国を私のような一家族としても見ることで、国の現状を理解しやすくなる。

◆日本の家計簿を私のレベルで見ると・・平成28年2月財務省資料から・

平成28家計だと1

これを私の家計レベルにすると

平成28家計我が家レベル1

これは実質経済の一般会計からみた家計だが、もっと大きな金額である金融経済である特別会計をみてみると、

歳入と歳出のバランスシートが同額でなくなるという可笑しな数字になり、また、どう考えるかによって、その数字が大きく変るので、まさに、幻想的な会計の世界である。

そこで、平成26年度の歳入と歳出の決算した、一般会計と特別会計でその大まかな姿が見えてくる。

一般会計26年度決算書

特別会計26年度決算書

一般会計と特別会計を合わせた歳出がほぼ全体像がでている。

27一般会計と特別会計合算1

これと、一般会計の歳出と比較しながら見てみると

平成28歳出1

我が家の家計が月30万だとすると、別に45万円で、貯金や借金をして、株式や外国為替でお金のやり取りをし、その収支を合計で75万円でやっていることになる。

公は鏡の中の私なので、左右が逆であり、歳入と歳出は実際は逆になる。

国債の中身をみてみると、

国債内訳1

90%は国内の日本国民から借りているので

公という政府に国民である私は貸している立場であるといえる。

社会保障費を出している政府は国民に年金や医療を受けている私のような国民にとっては受け取っているので、歳入になる。

債券を株式にするだけで、企業は借金で苦しむことなく、思い切った事業ができるようになる。

国も、国債を株券にして上場して売買できるようにすれば、

国民にたいして増税することなく、

政府も借金で苦しむことなく、

今までの税収の多くを国債返済に回すことなく、社会保障費に回すことで、

すぐに解決できる会計内容にみえる。

つまり、国債は国民の投資先にし、国民がその株主になることで、

政府の仕事を監視し、政府大臣をも首にすることもできる権利を持つことができるようにすることだ。

いわば、日本政府を日本株式会社化(日本法人)にすることで、初めて、国民が株主となるような日本株式会社となり、経営できる民主主義が実現できるようになるだろう。

 

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To be,or not to be は I do, or I don’t ? 問題だ!

シェイクスピア ハムレット 第三幕第一場

 

ハムレットは父の復讐をするか、しないか?と迷う。

戦って死ぬか、戦わず生きるか?

名誉ある戦死をするか。耐え忍び生きるのか?

武士ならば、

戦わずして生きるよりも、戦って死ね!

人の道ならば

どんな無様でもいいから、死ぬな!生きろ!

こういう迷いは

アメリカに攻められた日本の兵隊や民間人が迷った。

民間人の場合は、敵の辱めを受けるくらいなら自殺しろ!

兵隊なら、降参するくらいなら、自害せよ!

というのが 武士道である。

ハムレットもそうだが、歴史を反省すると

敵に降参して、どんな屈辱をも我慢して生きる道を選んだことの選んだ人の道の方が、より良かったと思える。

 

To be は、I am, You are, He is, She is すべてを含んだ

私の存在、あなたの存在、彼の彼女の存在すべてを含んだ存在そのもののことで、人としての存在である。

このセリフには

I , me: You , you : He, him : She , her  という言葉は一つもない

あるのは

We , us : 我々は(主語)と我々に(目的語)という言葉だけである。

つまり、私の心も、私の肉体も、 聴衆者のあなたの心身も、敵という彼の心身も、オフィリアという彼女の心身も

みなWe と Us という我々の肉体(存在)と我々の心(魂)ということになり、

To be は We are.  to us. 我々が  我々に

not to be は We are not,  not to us  我々でない者が  我々でない者に

ということで、ハムレットは

自分が生きるか死ぬかの選択において迷い

我々が生きるか、死ぬかの選択として、考察し、決断している。

 

ちなみに、我々の主語Weと目的語Usは・・・

我々の身体と心がどちらか、先か、後か?という問いであるから、

これは 鶏の卵が先か、親が先かというという哲学的命題でもある。

これは科学的にDNA解析から、決着しており、親が先で、子が後である。

我々の親は我々の肉体であり、我々の子は我々の心(魂)である。

ハムレットは我々の肉体が我々の心に、問いかけているのであり、

そこで、問題になっているのは、我々の肉体という生死のことである。

我々の心と魂は死なないので、その生死は関係ないからだ。

 

「板垣死すとも自由は死なず」

という名言もそうでしょう。

板垣という肉体は死んでも、板垣が求めてやまなかった自由という心は死なないとおいう意味である。

 

人の生死という問題は、一個人の体の生死の問題であり、

我々全体の肉体ではなく、また個々人の心と魂の問題ではない。

 

つまり、

To be, or not to be  という問題は

To do, or not to do という問題なのである。

しかも それは

I do, or , I don’t   という問題である。

ハムレットの悩みの核心は

父の復讐を 私はするのか、しないか? だけなのである。

復讐をしたとしても、ハムレットは死ぬとは限らないし、

復讐しなくても、ハムレットは殺されるかもしれないということでもある。

それは 生死の問題を悩むとき大事なのは

私は何をするのか、しないのか?

私はどう生きるのか?であり、

「生きるとは何だ?」ではなく「私はどう生きるか?」が核心である。

 

そして、そこに在る先の問題は二つあり、

一つは主語である私の肉体が、

目的語である私の心であり、魂であり、理想である魂に向かって 何を具体的にするかである。

 

二つ目は

敵も味方もなく、私もあなたもなく、彼も彼女もない、

人として 我々という一体感で、考え、行動していくことである、

その場合、必ず、

我々のそれぞれ別々の肉体が、

我々の目的であり目標である、理想や夢(共通の心と魂)に向かって

どう行動していくかが大切である。

我々といった場合、個々人には生死があっても、

我々という人類には生死はなく、生き続けることだけがあるのだ。

 

→参照:ハムレット To be, or not to be, that is the question.

いったいどうしたらよいのか 問題はそこだ
荒れ狂う運命の矢先を
心で受けて耐え忍ぶのがよいのか
それとも敢然と立ち上がり寄せ来る苦難を跳ね除けて
終わらせるべきなのか? 死ぬことは眠ること
それ以上ではない 眠ってしまえば
心の痛みも肉体に付きまとう苦しみも
終わらせることができる
これこそ願ってもないことではないか
死ぬことは眠ることにほかならない
眠ることは多分夢を見ることだ そこにつまづきがある
この世のわずらいから開放されたあとで
死の眠りの中に待っているものはどんな夢か
それを思うと誰もが躊躇する
だから苦しい人生をいつまでも長引かせるのだ
でなければ誰が我慢するものか
世間から浴びせられる鞭や侮り 圧制や権力者の不正
愛を引き裂かれる悲痛 裁判の引き伸ばし
役人どもの横柄さ 立派な人物がつまらぬものからこうむる
屈辱といったことを誰が我慢するものか
短剣の一突きでこれらのすべてから開放されるというのに
こんな重荷を背負い続けて
汗水たらしながら耐え忍ぶのも
死後に待っているものが恐ろしいからなのだ
死後の世界のことは誰にもわからぬ
そこから戻ったものがいないからだ
その不安が人間の決断を鈍らせ
未知の世界よりもいま生きている世界の不正を耐え忍ばせるのだ
余計な心配が人間を臆病にさせ
もって生まれた決断力も
未来への不安を前にして色あせるのだ
こうして壮大な志も
正しい道からそらされて
実現されるということがないのだ (第三幕第一場)
HAMLET
To be, or not to be: that is the question:
Whether ‘tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them? To die: to sleep;
No more; and by a sleep to say we end
The heart-ache and the thousand natural shocks
That flesh is heir to, ‘tis a consummation
Devoutly to be wish’d. To die, to sleep;
To sleep: perchance to dream: ay, there’s the rub;
For in that sleep of death what dreams may come
When we have shuffled off this mortal coil,
Must give us pause: there’s the respect
That makes calamity of so long life;
For who would bear the whips and scorns of time,
The oppressor’s wrong, the proud man’s contumely,
The pangs of despised love, the law’s delay,
The insolence of office and the spurns
That patient merit of the unworthy takes,
When he himself might his quietus make
With a bare bodkin? who would fardels bear,
To grunt and sweat under a weary life,
But that the dread of something after death,
The undiscover’d country from whose bourn
No traveller returns, puzzles the will
And makes us rather bear those ills we have
Than fly to others that we know not of?
Thus conscience does make cowards of us all;
And thus the native hue of resolution
Is sicklied o’er with the pale cast of thought,
And enterprises of great pith and moment
With this regard their currents turn awry,
And lose the name of action.–

 

 

 

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一事が万時、万事が一時

一事が万時、万事が一時

一時の我慢は一生の幸せ

一時の楽しみは一生の苦しみ

ダイエットにも原発事故も金融恐慌も

ハイリッヒの法則が成り立つ!

一時が万事1

これを時系列にすると・・・

メタボリックドミノ理論になる

ドミノ理論1

今の戦争被害は

「やられればやり返す」・・・目には目を歯には歯を(ハムラビ法典

「やられる前にやっちまえ」・・・・先制攻撃・過剰防衛

アメリカがイラクを先制攻撃してから、今のシリア難民が急増した

戦争ドミノ1

こうしたドミノ犯罪を防止するには

戦争ドミノ防止論1jpg

アメリカの銃社会は 常に不安社会における過剰防衛(=生成攻撃)のために武器(原水爆含む)所有を認めたためにおこる犯罪ドミノである、もし日本のように防衛のための武器所有を認めなければ、犯罪戦争連鎖はくい止めることができる。

日本がアメリカの真珠湾への先制攻撃

アメリカが日本の反撃のトドメの広島長崎原爆投下

そのドミノを防止するには

「アメリカ 権利章典 修正第2条(人民の武装権)

規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」

を日本の銃刀法に替えることが必要であろう

「日本 銃刀法

法令に基づき職務のため所持する場合などを除き、原則として銃砲・刀剣類の所持は禁じられる」

銃刀所持の禁止

 

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キャッシュレスと移民を含めたベイシックインカム時代が来る

世界一キャッシュレスな国はスエーデンだ。

http://bcove.me/g37oxneo

ホームレスも、スマホで電子決済をするから驚きである。

500ユーロ紙幣廃止、時間の問題

500ユーロ札(現1€=124円で62,000円)は犯罪に利用されやすいだけでなく、欧州ではマイナス金利が銀行預金にも普及しだして、現金を持っていた方がより価値が高くなるということもあるだろう。

ともあれ、高額紙幣が出る時はハイパーインフレで、高額紙幣が廃止されるのは超デフレといっていいだろう。

超デフレ→マイナス金利→高額紙幣廃止→現金廃止→キャッシュレス時代

という流れは紙幣がほとんど電子マネーとして流通している現在の流れとしては当然の未来であろう。

高額紙幣が犯罪に使われるというのは電子マネーのビットコインも同じである。

世界で最も大きな犯罪は戦争である。戦争を逃れてたくさんの難民がスエーデンにもやってきた。不況に悩む欧州にはその支援の資金繰りはダブルパンチである。

 

スウェーデンは移民政策で経済破綻の危機

移民保証が負担となり、住民に通常の公共サービスが提供できないと多くの市町村は訴え、財政破綻の危機にある市町村が増加し、移民援護税2%も検討されている。

売上高よりも、粗利益よりも、経費を差し引いた純利益が大事なように、

収入が大きく見込めず、経費が大きくなった場合は、経費の合理化をする道が一番である。

 

紙幣を廃止して、電子マネー化

税金徴収と、負の税金(ベイシックマネー最低生活保障)の自動化

先日アイデアを出した

全銀システム1

中央銀行のマイナス金利による 移民や住民に関係なく、すべての国民にベイシックインカムをして、

解決への道筋が出てくると思えるのである。

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