己を知る

男はつらいよ 第16作 葛飾立志編

寅さん、偉そうな坊さんに教えを問う。

「何のために学問するの?」

「自分を知ることじゃ。士曰わく、『朝(あした)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり』

山田洋次が「己を知る」ことと「悟り」を連想させたのはきっと故事百選にある

「士は己を知る為に死す」

史記刺客伝 「士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者のために容つくる、今、智伯は我を知る」

(立派な男子であれば、自分の真価をよく知ってくれて、認めてくれた人のためなら死んでもよいと思うものだ。女性は、自分がそばにいると喜んでくれるような人がいれば、その人のためにお化粧をするものだ)

学問と恋愛の何たるかを知る 寅さんだった。

老人になると、一体今まで何をしてきたのだろうか? また余生を何に捧げようかと迷うものだが・・

「自分を知る」とはいわば「自分は何のために生まれてきたか?」ってことだ!

それがどうやら 『BIコイン』の発案ではないかと思えるようになってきた。

昨年からのダイエット挑戦にしても、便利屋30年の失敗やいろいろな信心の失敗の50有余年の人生

これたは競争金銭に対して それを調整できるような分かち合い金銭『BIコイン』を発想することのような気がするのだ。

それ以外のことは『BIコイン』のための準備や雑務にすぎなかったのではないだろうか。

BIコインはどの国でも、どの地域でも インターネット環境さえあれば、発行 流通 税収できることだ。

その発行額は瓦理論をもってきて、世界の総生産額の20%で充分だ。

しかも それは単にシステムであって、その原資である金や現金や債券は必要がない。

自分たちが持っている20%を世界中の人間とともに生きられるように分かち合いしようという意志だけで可能である。

ネット社会は世界を大きく変革できる。もう世界中で戦争や内乱や差別などしなくていい社会へと容易に変革できる。

武器で脅して金銭をうばえるので、金銭より武器のが強いといえるし、金銭で武器が買えるから武器より金銭のが強いともいえそうな矛盾論争だが、

武器も金銭も 所詮それらを使う者の道具にすぎない。

戦う意志なき者には武器は無用だし

分かち合う意志ある者には金儲けも損得勘定する金銭は無用なものだ

武器や金銭よりも それを使う人の意志が強い!

 

 

 

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BIコインと併用で がっちり安定平和生活を実現しよう

友人が毎日朝9時に株価の変動をみている。それはまるで最優先の仕事のようで、一分でも大きく変動するので 下がりかけたらすぐに持ち株を売らないと大損するという。

現代にあって、株価と外為の変動は毎日のニュースであり、それが経済生活の指標にまでなっている。

だが、こうした株式や外国通貨の価値が毎日コロコロと変わるのは 持っている現金紙幣に書かれている数字が常に同じではなく コロコロと変動していることと同じである。

なぜなら 株式も外国通貨も現金紙幣に両替することができるからだ。

貨幣の由来は物々交換を容易にするために考案されたシステムである。

それは商品の量を測る秤のようなもので、交換したい商品の価値を貨幣という秤で測定して決め、同価値の商品と交換できるというシステムである。

その場合、商品の需要と供給によって その時と場の商品価格は変動するが、貨幣そのものは価格を表す数字であり、それもその時とその場で、変動してしまったら、価格は決定できなくなってしまい 商品交換は成立できず 経済は混乱してしまう。

いわば、商品価値を計る貨幣という秤が壊れてしまった状態で、物品の売買も流通もサービスもストップしてしまい、生活困難になるようなものである。

外国通貨はその国の現金貨幣であり、その国にとっては商品価格を決める秤であるので変動してしまうと混乱するが、その通貨以外の国にとっては変動して困る場合は、その国の商品の輸出入がある場合だ。日本でも輸入石油や小麦の値段また、車の輸出価格が大きく変動すれば生活が混乱するが、輸出入のない国内商品においては困ることはない。

一体どうして商品価値の秤である貨幣がまるで商品と同じように売買され、その価格が変動してしまったのだろうか?

それは株式が企業債券の一種であるように、貨幣の貸し借りができ、貸し出しや返済が順調にいくように利息がつけられたため、そうした債券がその返済信用度によって、その価格が上がり下がりするようになったためだ。

国際通貨も 国債の発行とその売買できることで、それは貨幣が内外で 利息付きの貸し借りが行われるために、その返済信用度によって貨幣価格が変動するようになった。

「悪貨は良貨を駆逐する」と言われるように、債券が現金よりも流通したような形が今である。

今後信用度によって、その価格がコロコロと変動する債券貨幣(貸し借りできる貨幣)に変わって 信用度が高く ほとんど変動しない貨幣が必要になってくることは間違いないだろう。

それはベイシックインカム電子通貨(ビットコインと対照的にした呼び名BIコインと呼ぼう)であろう。

BIコインを貸し借り信用度100%にするには、たとえ貸し借りができたとしても、確実に100%返済されるようにすれば、利息を付ける必要もないので、その価格は変動しない。

貨幣制度がなかった時代 原始部落のように その日に収穫したものは全員で公平に仲良く分けることで、部落全員の平和と安定した生活をしていた。貨幣制度は競争によって経済は大きく発展したが貧富の差は大きくなり、それが戦争という悲惨な結果を生んでしまう弊害もある。

日本でも戦争や災害時には貨幣よりも食品配給券が国民みんな平等に与えられて 生活を守った。

貨幣は物々交換を便利にするためだけでなく、国民すべての命を守る平等な衣食住ができる配給券が必要不可欠である。

この憲法に保障された基本的人権である、健康で文化的生活できる権利として、国民すべて平等に暮らせる衣食住配給券としてのBIコインは平和時であっても、必要不可欠である。BIコインがあった方がむしろ余計な戦争もしなくてすむので 他国へ侵略する必要もなくなる。

BIコインが国民すべて平等に配給されれば 貸し借りする必要のなくなるし、それを奪い合うこともしないだろう。それは生きるのに最低必要な衣食住配給券なので、それを使ってギャンブルしたり投資したりすることもない。

この国民すべて平等に与えられる配給券BIコインは 貨幣制度がなかった平和な部落が行っていた今日の収穫をみんな平等に分かち合う分配券のようなものであるので、 商品交換 債券 ギャンブル投資ゲームの道具としての貨幣通貨とは違うものである。

この発行と回収は以前書いた「ベイシックインカムとその税とその電子マネー」で、毎月すべての国民の銀行預金口座にBIコインが降り込まれる。衣食住に使った企業などに集まり預金されたBIコインは翌月すべて回収され、そこで働く人も働かない人もみな平等にまた個々人の口座に配給預金される。

今流通している貨幣と併用して流通することで、基本的生活はBIコインで、それ以上の楽しい生活は現貨幣で 平和と安定生活を調整できるようにすればいいだろう。

 

 

 

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生き抜く知恵が命のバトンだ

日本人が最も愛する桜の木はソメイヨシノである。

世界中にある数百万本のソメイヨシノは同じ遺伝子をもったクローンである。

ソメイヨシノは花を咲かすが実を結む種はできない。それはメンデルの法則の確率で種ができない品種が生まれる。種ができなければ子孫はできないというわけではないことを証明しているようなものだ。

聖書の創世記で

「アダムの肋骨から女を造った。男の名はアダム、女の名はイヴ」

というように、人だって、ソメイヨシノのように 自分の枝を切って、それを接ぎ木か挿し木して 子孫を増やすことだってある。命のバトンは結婚して子孫を増やすことだけではない、原始の生物のようなアメーバーだって 自己分裂して子孫を増やすことだってできるのだから。

実際人間だって 技術的にもクローン人間を造ることだってできるが その運命はソメイヨシノのように 人に愛され 人による接ぎ木されなければ そのクローンは滅亡するだろう。

今年65歳になる。そろそろ命のバトンを子ども達に渡していかなくてはならない。

私の財産のほとんどは親の財産を引き受けただけのものであり、自分が造った財産はほとんどない。

私が子ども達に伝える命のバトンは一体何だろうか?

私が得た財産といえるものは、64年間この世を生き抜いた力 それは生き抜く知恵と信念ではないだろうか。

不動産や金銭のような財産は親子や親戚で受け継がれるが、環境に合わせた生命の進化してこの世を強く生き抜く力はその知恵と信念は親子に関係なく、次の世代へと引き継がれ 命はバトンされていく。

人類の歴史において、知恵は学問であり、信念は宗教や思想であり、それらは教育や慣習で引き継がれ、命のバトンがされていく。

ソメイヨシノが接ぎ木でかくも世界中で繁栄できるのは その生命力の強さである。近くに大きなしだれ桜があり、それを接ぎ木で増やそうとしてもできない。

今の世界の環境にあった学問や宗教や思想でないと、それらは衰退して消えていくだろう。特に核や原発のような技術は環境を破壊しても環境に適応しないので消えゆくだろう。

人類が生物界において繁栄できたのは環境に合わせた進化ができたからだ。

今の環境に合った新しい学問と宗教や思想をたった一人の人が見いだしても、それが人に愛されたら 命のバトンとしてソメイヨシノのように世界に広がり花を咲かせることができるだろう。

 

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人の為に

人の為と書いて「偽り」である。

人への思いやりは 自分と他人は同じであるとして行動することだと教えられてきた。

だが、特に恋愛や友情において、その信条を実行すると えらいしっぺ返しに合うことが多い。

昨年の正月に 人の為に日本世界の為に「脱原発に残りの人生を使ってみよう」として、脱原発に一歩前進できそうな都知事選の元首相コンビを応援したが、あえなく撃沈し、また選挙運動したことで友人との仲もギクシャクしてしまい、傷つき、もう二度と表向きには活動せず、陰で自分なりにできることをすることに大きく転換した。

それがダイエットだった。ダイエットは自分に対して自分が行動できるので、努力しただけの結果をえることができ、それが生きている充実感へとなっている。

このダイエット挑戦から 必要は発明の母だけでなく、知恵の泉であると経験的に教えられた。

「人の為に」にすることは「最低限生きるのに必要なことだけ」の要望を共有すればいい。

必要以上のことは「自分の為だけ」に生きる楽しみにして、人に対してもつ気持ちも、その自由を尊重して 余計なおせっかいはしない方が無難であり、むしろその方が他人との共同生活がうまくいくようだ。

スチーブジョブズは 世の中の需要よりも自分の好きなデザインのiPhoneを優先した結果 それが世界変革させたのも そういう真実があったように思える。

一週間かかって倉庫が完成した。

 

 

倉庫造った

この倉庫は生きる上で最低限必要なことではないし、家族のためにしたことでもない、昨年の大雪でビニールハウスが倒壊してしまい、もう二度と雪で倒壊しないような倉庫兼作業場を造った。それは自分の好きなデザインと構造で楽しみながら造った。

 

学生運動の盛んな時代 社会主義がいいのか 自由主義がいいのか迷っていたが

やっとこの64歳にして 相反して矛盾した概念の止揚が実現した。それは私の瓦理論にも通じることだが 自由は8 社会共有は2 にして、国の屋根を瓦で覆えば 国民は雨に打たれず仲良く生活できる。

 

この社会共有は必要最低限の生活保障であるベイシックインカムであり、それだけの社会主義が一番であり、政治もそれ以上のことをする必要もないし、むしろ必要以上のことをしないで 民営化させて自由に競争させた方が快適な国造りができるだろう。

税金で海外に兵隊を送るなんて言語道断だ。むしろ、海外の災害や避難民への救援部隊を送るだけでいい。集団自衛権など余計なおせっかいであり、それはむしろ戦争に巻き込まれるしっぺ返しにあうのが落ちである。

 

 

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この世は奇跡の連続故に奇跡を求める

人はついギャンブルに夢中になり、勝っては嬉しくなりまたギャンブル、負けると悔しくなり またギャンブルする。

この心の習性から ギャンブルから抜け出せなくなり、ギャンブルなしでは生き甲斐も生きる気力もなくなってしまう依存症に陥ってしまう。

古今東西の人類に、このギャンブルの習性があり、それがどこから来るのか? 探っていくと、

自我が生まれる奇跡にあるようだ。

この世に生まれ出る人はみなそれぞれ奇跡の確立で存在し、消えていく。古今東西にわたって まったく同じ人間が生まれ死ぬことはなく、その確立は人類の歴史にわたって生まれ出て亡くなっていった個人の数だけではなく、未来に生まれ出て亡くなっていく個人の数を合わせても、その無限の数ほどの中で たった一人の自我が生まれるのは奇跡中の奇跡でもある。

人類が生物界に誕生するのは進化の産物である。その進化がどのようにされてきたのか? それを探っていくと、

過酷な状況に遭遇した時に、なんとか生き残ろうとする生命力が突然の進化をもたらす。それを環境の適応能力ともいえて、他の生物と違った選択と進化で 人類が生まれてきた。

こうした進化の環境適応能力はいわば「ピンチをチャンスにする」能力すなわち知恵でもある。この「ピンチをチャンスにする知恵」は必ずあり得るもので、それも一つの道だけでなく、多種多様の生物が生まれ出た進化の数ほどあるようだ。

未来が100%見えることはありえないように、ピンチは100%ピンチであることはない。そこに数パーセントのチャンスが隠されていることは確かな真実であり、その進化へのチャンスを狙って夢見るのが生命力の本源ともいえよう。

人はなぜギャンブルに夢中になるのか?

ギャンブルは少ない確率の世界である。確立が少なければ少ないほど奇跡と呼ばれる。

そもそも自我そのものが奇跡の産物であるから、奇跡を求めるギャンブルもまた奇跡の人の習性にもなってしまうのだろう。

ただ、ギャンブルは金銭をたくさん得ることを目的としているが、そのおもしろさは金銭を得ることにあるのではなく、少ない確率に挑むゲームそのものにあるといえよう。この奇跡を求めるゲームは他にもたくさんあり、宗教による救いも、新技術や新発見新発明だって同じだ。それらはみなより進化を求める生命力の本源にあるといえよう。

 

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