「頑張れ日本」ではなく「ピンチをチャンスに日本」だ

田中優さんの講演はまさにピンチをチャンスに、原子力から自然エネルギーにするチャンスがきた。今回の災いを将来の福にする絶好の時期がきたのである。

動画 田中優さんの講演

 原子力が安いという放送はまっかな嘘である。それはまさに現代のお金のトリックにもどづいている、複利の借金のような計算である。実際、今回の事故がそれを証明したようなものである。

 私は、福島原発事故が起きる1ヶ月前に、「山口県の上関町原発計画中止を求める署名」を、家族でしたばかりだった。そして、すべての原発廃棄の必要性を「愚智は欲望の裏表」で書いた。

 しかし、その時はほとんどの人は原発の危険性には無関心だった。国をあげて原発推進派が主流をなしていたからだ。

 しかし、不幸なこの原発事故が起きたことで、将来もっと大きな事故と苦悩の大きさに比べれば、ほんの小さなかすり傷のように感じるのである。

 今はテレビ中心に、まるで戦時中のような「頑張れ日本」のような雰囲気である。それが戦争に勝てというような戦争信奉と同じで、戦争放棄ではない。原発推進のための頑張れであってはならない。まず、原発を廃止して、新しい自然エネルギーを作ることに頑張れに転換しなければならない。

 そのためには「頑張れ日本」ではなく、「ピンチをチャンスに日本」である。

 いまが、世界の災いを転じて福となる絶好のチャンス到来なのである。エネルギーだけでなく、お金の仕組みに対しても同様の大きく人類が将来に向かって、カジを転換するときがきたのである。

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復興費を新しいお金のシステムに

 今、私の住むところは最小の9人の地域組合がある。東京でいえば笹塚の上北町会のようなものである。その組長が今回の東北関東大震災の義援金を集めにきた。一件1000円以上ということだったが、単純計算してみた。復興費は1兆円以上が最低必要だ。国民を1億人として、1人10000円は必要である。

 どういう形で義援金を送ろうと考えていたが、この地元組織の活動が最も優れていると思えたのである。義援金だけでなく、物資援助もできる。それは地元の社会福祉事務所で県と連携して地元で集められている。

 それに、この組合は公民館を持っていて、避難者も受け入れられるのである。ボランティア組織も山梨では発達していて、テントの救護所をすぐに現地に作った姿をテレビ放送でみてびっくりした。

 これは日本中が、「1人はみんなのために、みんなは1人のために one for all, all for one」が全国自治体ですでにできあがっているのだ。

 こうした復興の流れから新しい日本の国づくりをしたいものである。今回は原発事故という世界的な災難にあって、今後どうしていいのかを大前さんが講演していた。

原発事故処理には一番わかりやすかった。ただ、経済復興における考え方は疑問である。むしろ、復興国債費100兆円の日銀引き受けの方が、日本再生のチャンスになるだろう。

大前さんの話の前提が「原発推進」であって、「原発廃棄」ではないため、現状は理解できるが、根本的解決策は示されていない。

 10万年も放射能が出続ける、放射性廃棄物が捨てるところがどこにもないという、現実に即した解決策が今必要であり、その前提は「核と原発廃棄」でなくてはならない。

 大前さんの話は使用済み燃料を再処理するために、青森の六ヶ所村に船で運ぶというが、そこは最終処分場ではない。

 日本で唯一最終処分場に名乗りをあげたのが、今回の原発事故があった福島県楢葉町である。奇しくも今回の福島の第一原発事故後は最終処分場になるしかないと、以前から決められていたような気持ちになってしまう。

 現在、3と4号機に延々と海水を流し込んで冷やしているが、電源が復活しても、その貯蔵庫に亀裂があれば、水は循環して冷やすことはできない。そのため、使用済み燃料が冷えるまで5年間海水を流し込んで冷やすしかなくなる。

 しかし、これは空に放射能入り水蒸気を放出するかわりに、海に放射能入り海水を流出することとかわりがない。海の魚などの海産物は一切口にすることはできなくなる。

 そのため、福島第一原発をそのまま最終放射能処分場にするしか放射能漏れを止める手段はない。それには、使用済み燃料を放射能が漏れない原子炉の中にもどすしかないだろう。

 そして、5年後冷えたら、原子炉そのものを、放射能が二度と漏れないように、汚染された建屋の残骸とともに、放射能を通さない、鉛やタングステンや鉄鋼で、原子炉そのものを覆ってしまうしかないだろう。

 そして、「二度と原発は作らないという誓いの像」を鋼鉄で作り、世界に、「核と原発の即廃棄へのメッセージ」をするしかないと思えるのである。

 また、地震津波災害の復興だが、大前さんは復興は必要ではない、新しい建設が必要として、被害があったところはみな公園にして住めなくすることを提案している。それも私は賛成であるが、ただ、被災地で残った建物はすべて再生して残すことが、未来の津波対策に必要なことであると思う。

 次に、消費税をあげて復興費にあてるという発想はいただけない。「みんなじゃかじゃか、うまいもの食べて、その一部(消費税)を復興費にあてれば、いいではないか」という発言にはがっかりした。

 被害のなかった沖縄県の人が、被災の方々に何ができるでしょうか?という質問があったとき、視聴者が答えた。「電気や食事を節約して、その節約した分を義援金で送ったらどうでしょうか?」

 これが、本来の復興費なのである。自分が贅沢して、その一部を可哀想な人に寄付しようなんて発想は傲慢きわまりない態度である。管政権が消費税を福祉税にするとは、そういう意味なのである

 国民が被災者と同じ痛みわけすることが、本当の復興であり、日本再生への道だからである。

 地元の小さな組織の自分ができる義援金や物資を集めて、被災者に送る寄付のような税金が必要なのである。

 しかし、こうした集められ被災者の使われたお金は最終的にどこにいくか知っているだろうか?

 また、日銀が100兆円の復興費を出しても、そのお金は最終的にどこに集められるか知っているだろうか?

 それが、中央銀行システムであり、すべては投資銀行や投資家に集まり、それが金が金を生み出す金儲け手段になっていくのである。

 彼らは金儲けしか考えていない。日本の為替が一時1ドル70円台にいった。そして、日本の株も今が買い時というだけである。世界の金のほとんどは100人の村のたった6人のアメリカ人が持つことになるというのがその証である。

 この義援金や日銀の復興国債費を最終的に投資家にもっていかれないように、また、持続的に長年にわたって被災者や生活困窮者にお金を回す方法がある

 それが期限通貨である。人が生きる上でもっとも必要な水や食料や薬にはみな消費期限が書かれている。今のお金だけが無限に貯蓄されていくのである。まさに、放射能物質のような金である。

 それを防止するには、お金に消費期限を設けることで、生活物価を跳ね上げる投資家に金が回らないようにするのである。

 例えば、復興費を10年に渡って総額100兆円必要だとすると、日銀発行の復興金が使用できる期限を1年に限れば、毎年10兆円の期限通貨を新規発行することで足りる、しかも、10年以上新規発行しても、ハイパーインフレはおこさない。

 なぜなら、発行した10兆円は1年後は使えなくなるから、10兆円の税金を投資家から自動徴集したことと同じだからである。

 消費税とか、所得税とかいちいちよけいな計算や脱税や徴集なんかしなくてもいいのだ。税務署の仕事も楽になり、そして、公務員の給与も少なくなるので、それが税金の節約になるからだ。

 つまり、核と原発の終焉は期限のない金の終焉なのである。自然の生き物はみな寿命をもっている、人は100年だ。しかし、放射能物質も今のお金も寿命を持っていない。それは人を支配し、人を死に至る道具である。100年の寿命を全うできる人はいったいどのくらいいるだろうか? 病気と飢餓で死んでいくのがほとんだだろう。放射能は病気を、金は飢餓を生み出す。

 そんなものを作っては未来の人類に恥ずかしいことである。今ここで、核と原発と無期限通貨を廃棄して、新しい命育むエネルギーと、命ある期限通貨の発行をしようではないか。

 2011年3月11日 ここから、世界は自然環境保全と命の金の新しい取り組みが始まる。 

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福島第一原発は負の世界遺産

 負の世界遺産として有名なのが、奴隷に家があるゴレ島である。アレックス・ヘイリー原作「ルーツ」がTVドラマ化され、夜中夢中になってみた記憶がある。黒人奴隷少年「クンタ・キンテ」が祖国アフリカで売られ、アメリカに連れられ、そして、その子孫が奴隷解放されるまでのドラマである。

 アメリカの裏の歴史がよくわかるドラマだった。

 負の世界遺産として日本は核兵器の悲惨さを示す「原爆ドーム」がある。奇しくも、今回の東北関東大震災の地震・津波・原発事故の悲惨さを象徴とするものとして、福島第一原発が選択されるかもしれない。

 核兵器廃絶だけでなく、原子力発電の廃絶の祈りをする世界の基点になるように思えるのである。自然の災害が人知のはるか上にあって、予想のできない証であったのが、東北関東大地震である。100年もかけて、地震の津波対策をしていた地域でもまったく無力だったという未曾有の災害だった。

 これから、悲惨さから立ち上がり復興させるのだが、今までのまったく同じ繰り返しをしてはならないと思えるのである。もう二度と同じ失敗を繰り返さないという気力が必要だと思う。

 「災い転じて福となす」「ピンチはチャンス」

この気持ちが一番復興には必要である。それが希望になる。亡くなった方は二度ともどってこない。もう二度と同じ災害で死なせないという生き残った人たちが決起することである。

 福島原発を再稼働することは、同じ過ちを繰り返すことになる。また、町が全滅した姿をもとのように建設することは同じ災害を受けて、同じ失敗を受ける。10mの防波堤のはるか上の25mの津波が押し寄せたからである。今後、もっと大きな津波があるかもしれないのが自然の驚異である。

 被災者を助けようとして、それがうまく機能できなかい体験を将来の災害があったときの教訓にすることが復興である。

 100年に1度の金融危機があり、今もその余震の不景気が続いている。それは今まで通りのお金のシステムを繰り返してはならない教訓である。

 今回の被災者を助ける「モノ」「サービス」「お金」「情報」の流れを、しっかり把握し、これからの世界の生活経済復興の教訓にして、新しいお金とサービスのシステムが構築することが真の復興である。

 今回、水・食料・衣料・エネルギー・情報・住まいがもっとも必要だった。それらはみな無料にすることが被災者を救済することに欠かせない。これは、今後、政府が国民の社会保障の基本になる。それがベーシックインカムにつながってくるだろう。

 その金額は全国の募金が必要である。また、日銀が復興歳費として100兆円お金を発行することも必要だったように、現在の中央銀行システムを新しく、日銀が直接貸し出すモノにする方向性が必要になることも示している。

 また、日本の震災において、為替が大きく変化したが、それが投機マネーがいかに経済復興を困難にするかも示している。投機マネーに影響されない為替を新しい制度を作ることも必要である。

 私の住む山梨にも被災者が137人すでに公営住宅に避難している。知り合いを頼って住む人も多く、特に福島県民が多いようである。そのような支援システムが全国各地で行われている。そうすれば、数十万人の被災者を現地でなく、全国で助けられる。

 それは、日頃から、各地の助け合いのような山梨と福島というような交流関係ができていると、情報と支援がしやすい。こうした救済システムは新しい社会のシステム作りになることが復興だと思えるのである。

 福島第一原発は負の世界遺産となり、次の新しい世界、自然と人間の新しい環境建設の原動力になれるように期待する。

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何かホッとする自分がいる

 一体、日本はどうなってしまうのだろう?
 大地震と原発事故、世界は北アフリカの政変よりも注目している。特に、原発事故は世界の開発の方向性に待ったをかけるだろう。
 日本がどうこれを乗り越えるかで、世界の方向がまた決まってくる。地震なれした日本人はその地震を甘くみていた感じがする。私自身、こうなるとはまったく予想がつかなかった。未来は誰も予想以上の何かが起こると思った方がいいだろう。

 ただ、こんな災害があるのは悲しい一方、今計画停電でこの文章を書いているが、その停電でさえ、ホッとする感情がある。

 何か人間本来の姿にもどれたような感じがするのだ。

 原発事故だって、そうである。核廃棄物が安全になるまでの10万年までの人類の未来を憂えていた矢先のことで、やっと、この事故で、馬鹿げた原発をやめる方向に世界がいってくれるかもしれないという安堵感がでてきたからだ。

 大地震だって、そうだ。人はあまりにも金を求めすぎて、人々が協力することを忘れていたからだ。被災者を救おうとする気持ちが世界中から集まり、そして、各国、各地域が争うことなく、一致団結して、無料でボランティアする姿はとてもこころよい気持ちになれる。

 こうしたやさしさがあまりになかったからだ。多くの命が失われたが、その命は人をもっともっとやさしくしてくれる力になってくれる。これが本来の人間の姿なんだ。

 癌になった人がよくいうには、「始めて何が大切だったか知ってよかった」と。それも大地震や原発事故で、何がもっとも大事かということが世界中で知ることができたのではなかろうか。

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助け合うためのお金

 東北関東大地震があってから、ずっと、ツイッターとテレビの情報にくいついていた。その間に、mixiの「あげますコミュ」のイベントとして「お金のいらない日」で、何人か賛同者と参加者がおられたが、まったく、連絡がなく、すっかり消されてしまった。

 そこで、痛感したのだが、やはり新しいことは自分でまずコミュをたてないとダメだと。

 今回の被災者にとって、必要なものはみな無料になったと思えるのである。そのため、この大地震の日こそ、お金のいらない日でないかと思えたのである。

 日銀だって、数十兆円も印刷して、配りだした。それは被災者を救うためのお金だからだ。娘の大学のボランチィア部で、震災募金を甲府駅前でやったら、25万円集まったという。阪神大震災の時は、「ボラティア元年」だったが、今回の東北関東大震災は「お金のいらない元年」になるのではないだろうか。

 今回の大地震は揺れの被害よりも、津波の被害、そして、放射能漏れの被害が大きなものとなっている。世界の視点はもっぱら、日本の原発事故の行方にある。

 そして、世界は原発推進派と反対派に2つに分かれることになってきた。それは、原発建設の町の推進派と反対派がまっぷたつに分かれるようなものである。世界が共産主義社会と自由主義社会と分かれたように、今後、原発推進主義と原発反対主義に分かれるのではないだろうか。

 私はもちろん自然主義者であるから、原発反対主義である。今回の震災も100年以上の視野をもつ必要性がある。経済もまた100年以上の視野が必要だ。まして、原発においては、放射能廃棄物の安全になる期間に10万年の視野が必要になる。

 今回の原発事故の特徴は原子炉を停止後におきただけでなく、3ヶ月前に使用済み燃料からの爆発がおきたことである。それはまさに、どこにも捨てられない放射能廃棄物処理をもっとも注目しなければならないということだと思えるのである。

 私は山梨県民であるが、知事が「原発推進派」であることを始めて知って驚いた。私は逆の「原発反対派」であるから、彼を選んだことを悔いた。今後、選挙する場合、第一条件を「原発反対派」かどうかで選ぶようにしたいと思う。政党もまた同じである。それは世界の選挙の方向になるように思う。

 また、経済危機と大地震災害から、お金がもっとも使われなくてはならないものが何かを教えてくれている。それが「助け合うためのお金」である。

 もともと、お金は「助け合うため」であったが、いつしか、「自分の欲望をかなえるため」になってしまった。自分とは自分の肉体のことであるから、人間の寿命の期間である80年がいいところだ。しかし、自分の寿命以上の未来の子供達のことを考えた、100年以上、1000年の規模で、それが持続する社会を作る必要がでてきたのである。

 今回、水と食料とエネルギーがもっとも大事になってきた。そして、もし、それらを買い占めると、被災者にそれが届かなくなることも指摘されている。そのように、お金も貯蓄しすぎると、被災者にお金が回らなくなるのである。

 もし、被災者に水・食料・エネルギーが回るようにするには、自分が必要最小限だけ確保して、それ以外は貯蓄しないようにすることである。

 「お金のいらない日」というのは、いわば、自分が必要にないものをすべて無料で他に人にあげるということになるのではないだろうか。

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