月別アーカイブ: 2012年7月

智恵が満ちあふれている

 「愛が世界に満ちている」とはいうが、それは自分が恋しているときに、世界が愛に満ちあふれているように感じることだ。  しかし、「智恵が世界に満ちあふれている」と観じられた時は、どんな事象をみても、それが自然の営みであり、 … 続きを読む

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食と人間

 もし食料がわずかだったら、人間はその食料を奪い合うだろう。  もし食料が適度にあったら、人間はその食料を分け合うだろう。  もし食料が有り余るほどあったら、人間は食料を別な目的のために奪い合うだろう。  東京のアパート … 続きを読む

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テレビからネット時代に変わったなあ

 先日16日、「脱原発」を訴える大規模な市民集会「さようなら原発10万人集会」が開かれ、17万人集まったが、それがまったくテレビ報道されない時代に入った。これほどの人数が集まったデモ集会はソ連の崩壊の前の歴史的事件にも匹 … 続きを読む

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二者択一ということ

 もし世界が生と死のように、二者の世界しかなかったら、次の方式が成り立つ。  それが生きていないならば、それは死んでいる。  それが死んでいるならば、それは生きている。  不生=死 不死=生 である。  犯罪が無罪か有罪 … 続きを読む

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何故雑草は強いのか

 麦わらの上に出た芽の多くは稲ではなく、雑草だったことにショックを覚えた。稲は麦わらの下で小さく発芽しているか、種のままでいた。  このままいけば、稲は昨年のように、収穫しても、雑草の方が稲より多く、しかも、貧弱な実しか … 続きを読む

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