時空を超えて今僕はここに居る・その3

モンゴルの大学で、ズーム(スカイプのようなテレビ会議ソフト)による

日本とモンゴルを中継をするのに、私の友人である源吾郎さんを大橋教授に紹介した。

モンゴルに公演12階、ごみ拾い6回の大道芸人である。

30歳ころ、私と源吾郎さんとで、日本大道芸協会みたいのを作ろうと、原宿の歩行者天国で集まるギリヤーク尼崎さんを交えて、ワイワイ マルセ太郎の女弟子コンビ エンジェルも参加して やっていた。

私は芸人でなく、ただのゴリラメッセンジャーのプレゼント配達人であるためか、どうにもそこでやっていく自信がなく、また、便利屋やゴリラ便の方が忙しく、協会は彼一人で続ける格好になった。

テレビで活躍できる芸人はほんのわずかであって、万が一の割合で 出てこられるが、それも長く出られるのも万が一の割合であり、非常に笑いの世界は競争率が激しく、ほんの些細な才能と運の差で、天国と地獄の差が生まれる。それは有名無名だけでなく、経済的格差も万が一の差ができる。

モンゴルでは市会議員でかつ電子技術者のセンザイさんは67歳、クリ医師も67歳、源吾郎さんも私と同じ67歳である。

昨年2017年の2月の毎日新聞に

 紙芝居
デビュー45年・源吾朗さん、「和の心」込め 2度のがん乗り越え、台東であす公演 /東京

電話ではただ病気していて昨年はモンゴルに行けなかったといっていたが、今初めてネットで調べて解った。

ズームによるモンゴル公演が実現しなかったのは

源吾朗さんが、パソコン音痴で、すべて奥さんが手伝ってもらわないと難しく、パソコン類はスマホしかもっていない。また、モンゴルでは日本語で、日本語を学んでいる小中高生相手に自作の紙芝居 スーホーの白い馬を演じていた。

大学では英語もほとんど通じない、まして日本語も通じないので無理だろうと思えたのである。

また、大病を患っている、源吾朗さんはボランティアする余裕がなく、ギャラなしでは「飯も食わせず仕事させ」状態になるのは会話中にヒシヒシを感じられた。

それで、私は大橋教授に無理だと報告して、ブーム実験は中止になったのである。

源吾郎さんの活動を調べてみた

源吾郎ブログ(更新されていない)

東京演芸協会

体験ジャパン

 

35年前当時から、必死で大物大道芸人になろうという悲壮感が漂っていた。

その頑張りまた病気との闘いも合わせての笑いには余裕がなく、その内情を知っている私には涙さえ出てきてしまう。

 

そういう悲壮感ただよう笑いを続けるのは 何も源吾朗さんだけでない、この同じ67歳の私も また同じ67歳の友人の多くが、そんな頑張りと余裕のない悲壮感を漂わせながら なんとか笑い 生きているという現実と心通うところがある。

才能と運 その剃刀の刃ほどの差で、見かけ上は天と地の差があるが、

意外と、その実は 無名であることの自由さの 幸せを感じているのである。

ただ悲壮感は経済的や病気などがあった場合はつい表に出てしまうが、そうでないと、本当に天真爛漫な67歳なのである。

携帯電話で話しているとき、

どうもギャラガ出て、モンゴルに招待してくれると勘違いしているらしく、

「源吾朗さん、ボランティアですよ!」

「そうなの。。ちょっと期待しちゃってさあ・・・アハハハハ」

 

芸で売れない=劣等感に苛む=貧乏忍耐=笑って自分をごまかし

それは芸だけでなく、それぞれの専門の道でも、そうだろう。

ただ、売れる売れないはほんの些細な着眼点とタイミングのズレがあるだけの気がする。

恋で アバタもエクボ

人気や慣れで、下手な芸も上手い芸に見え

 

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時空を超えて今僕はここに居る・その2

フランス人のジュリアンが 43年前パリで 10日も居候させてもらった友人を探してくれた。

当時のメモには

PLOUQIN  GERARD

JUST 2463

11,PLACE D’ITTALIE PARIS 13, FRANCE

であるが、フェイスブックなどの検索では出てこない。フランス人の感覚で、名前はどうやら

G’erard Poussin

Facebookではただ一つ似ている人物の写真があったが、それだけで、基本情報は何一つない。連絡をとっても返事など期待できないだろう。

 

ジュリアンに最初に提示された印象が深く、ジェラだと思ったが、何か目のニヒルな症状が違っている。

若い時のジェラの家族は

ジェラは

次にジュリアンが提示したG’erard Poussinは

 

ここのリンクにログインして、連絡はとれそうである。

現在71歳の写真は

彼の若い時のアルバムを探してみると、

なんともなく似ているが・・??

どうも、後者の方がより近い感じで、その経歴が・・

現在:Pierre Mendes-Franceグルノーブル大学臨床心理学教授

出逢った時は私が24歳であったが、彼は私の世話は妹にまかせっぱなしで、いつもどこかに出かけていた。

何をやっているのか?と 慣れない英語で聞いたのだが・・当時 どうにも英語が話せなく、言われてもよく解らない。フランスでは英語はほとんど通じないこともあり、ジェラとの会話はほとんど ボディランゲージだった気がする。

ただ唯一、彼が日本の漫画に興味を持っていたことは記憶しており、それが当時1974年の彼の経歴と重なってくる、

「彼は(最初のアニメーション映画で頭角を穴の注意 – 1970年  大佐Zabu 1970  ワンダーランドでAlphonを 1972 –  ヒックスの夜、1977 –  テオベラ交換の世界を、1979年。彼の映画の二人は、彼が多くの新聞のために働いパリ(原-キリ、亜鉛、チャーリー毎月、エコーサバンナに移行することでカンヌ短編映画祭1971)で、漫画にありました、Le Nouvel Observateur、解放)」

また、彼と知り合ったのはフランスの西海岸のユースホステルである。当時の有名人がユースホステルに泊まり、私を自宅に招待するだろうか?

さりとて、PLOUQIN  GERARD = G’erard Poussin であると、ジュリアンの感性が合っているかもどうかも分からない。

ともあれ、

私は今43年前のフランスで、お世話になった人を探している。

それはカミユとジュリアンが帰国後、すぐに結婚式をあげる。

そこに私は招待されたのだが、今年のボルネオ学会に集中していることで、他に手が付かないし、

フランスを再度訪問するには、まず PLOUQIN  GERARD = G’erard Poussin 氏を訪ねてでないと どこにもいけないほど、その恩義を感じているからだ。

それを知ってか、ジュリアンは必死に彼の行方を捜してくれた。

それは私がこう言ったからだろう。

「カミユとジュリアンをお世話したのはたった三日だよ。僕はフランスで二週間も三食付き、部屋付き、自然動物園などの観光も、またパリ国際空港までの送りもそうだし、後、数年たって、会社の知人を彼に紹介し、お世話にもなった。

日本人の私の心より、フランス人の彼の心の方がもっともっと大きいよ」

ともあれ、

確認したくても・・それだけでも、かなりの勇気がいて ドキドキもんである。

それをするにも 数日 数週間の 心の準備がいるのである。

 

 

 

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時空を超えて今僕はここに居る・その1

50年の時を経て

 

ここ一年半の奇跡のような毎日は

新宿高校時代の親友に50年ぶりに出逢ったことから始まった。

ひ弱なクリが柔道部に入ってきて、隣にちょこんと正座し、たった一言僕にこう問いかけた時からだ。

「何のために生きるのかなあ?」

共に65歳になったとき 残りの人生の目標を

現役便利や引退の僕は 「健康であることが最後の仕事」

現役続行の医師・病院経営者のクリは 「健康と自然」目的に活動するための徳島の古民家を買った。

その古民家の名を「知足庵」とし、

徳島大総合科学部 大橋教授が徳島大学生・留学生・地元社会人を中心に、毎月のイベントを企画リードしてる。

大橋教授は来年2019年3月で65歳の定年退職するので、知足庵の活動はあと一年で終わる。

大橋教授の目的は「海外のコミュニケーション・健康・自然」である。

大学退職後の活動のために 滋賀に知足庵の二倍も大きい古民家を買った。

僕もクリも、大橋教授の目的に引き釣られて、残りの人生目的が三つに広がっていった。

「海外交流・健康・自然」である。

そのため、一人暮らしの我が家も畑付き中古民家なので、

同じ目的のために提供すると大橋教授はえらく喜んでくれた。どうやら、そうした畑付き古民家を海外にも作りたく、そのネットワークを模索しているらしい。

大学退職後なので、それはNGO団体として 活動するのがもっともスムーズにいくと思える。

大橋大学引退最後のイベントが今年9月のボルネオにおける

持続可能な農業」をテーマとしたマレーシア(徳島大とのコラボになりそうな)学会である。

 

出逢い

 

だが、

大橋教授の目指すNGO「海外交流・健康・自然」団体には大きな問題点がある。

知足庵を買ったクリは自分が考案した「足の骨間筋療法」そして、クリ医師を助けるMさんも「笑い文字」の普及目的が中心であり、

モンゴルの旅においても、その大橋教授がめざす国際交流目的をほとんど理解できず、自分の目的遂行に忙しく、全体の調和や進行を妨げていた事実も把握できていない。

私はただ親友のクリ医師が開催する「健康と自然の会」の一人の参加者にすぎないし、そのスタッフでもない。

大橋・クリ・Mの三人で始めた知足庵の「健康と自然の会」の成立メンバー(知足庵を旅館にする人もいたが旅館業が無理と解りほとんど顔を出さない)の目的がバラバラで、自然分解寸前である。

私自身の目的はこの一年半で大きく変わり、大橋教授が目指すNGO「海外交流・健康・自然」団体設立と活動になってきているが、残念だが 足の骨間筋療法にも、笑顔文字にも ほとんど興味がわかない。

もし、その狭い目的に、大きな目的を無理やり組み込もうとすれば 狭い穴に、大きなボルトをねじ込めようとするもので、無駄な徒労で疲れ果ててしまうだろう。

それは今後私が、大橋教授が企画運営する知足庵や海外交流イベントに参加して助けることができても、

親友のクリ医師やそのスタッフM女子の活動を助けることができないばかりか、

どんな些細な手助けも二人にとっては邪魔なお節介になってしまうだろう。

どんなイベントもその参加者も、その大きな目的を共有しないと うまく進まないし、成功も、そこからの幸せも生まれない。

 

そして・・・・

 

 

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諦めが肝心 DO GIVE UP は恋心に通じ

前回、「Never give up」という主張と反対の「諦めが肝心 Do give up」を今回は主張したい。

特に 恋愛における片思いには 必要なエッセンスである。

私の67年の人生はずっと片思いの連続であったが、特に、初恋の中学2年生の同級生への片思いは10年以上続き、相手からは一言の返事がもらえなかった。

それは青春のトラウマとなり、そうした片思いがサモア人との結婚にいたっても、離婚するという結果をもたらした。

60歳もすぎると、もうそんな片思いも まして相愛など ありえないと、残りの人生を諦めていた。

だが、突然なんと相手が19歳の女の子に片思いしたのである。

寅さんのように その恋の病にとりつかれ、会いたい気持ちをどうにも抑えきれなくなってしまった。

この長い67年間の生涯で、片思いが持続成立するには その恋が「無償の愛」であり、「相手の幸福だけを求める」ことを悟っていた。だが、実際はそんな聖人や高僧のようにはなれなく、ごくありふれた凡人のような望みをもち、「有償の愛」「相愛」を夢想し、いかに会えるかの策を捻るものである。

そうした片思いの辛さとどうにも抑えられない激情を

相手もそうした片思いを経験したのだろう、それを理解して ラインにおける長いラブレターを出し続けることだけを許してくれていた。

片思いというのは 本当の相手を恋するのではなく、自分が創造した相手を自分が求める姿にした幻想に恋することであり、自分の恋愛に恋するような、自己中心な自己愛であり、実にエゴイスティックな行為なのである。

それを十分わかり、相手に相当な迷惑をかけることが解っての片思いで、それは 病人が医者にその痛みを取り去ってもらうように嘆願する行為であり、

しかも、困ったことに、その医者は 片思いをする相手でなければならないという まるで負のスパイラルにはまり込むような また、恋愛依存症のような症状を呈する。

そうしたとき、相手からの一言の返事は特効薬のように恋の苦痛から解放してくれるが、それが一冊の長編小説をかくようなラブレターを毎日書き続けるが、一週間も一言も返事がないと、相手の異変に気が付く。

「返事はいらない」と言って書いてきたラブレターだったが、本当にこのままラブレターを書いていいものか? もう相手も迷惑の限界を超えているのではないか?

そこで、相手の本心を聞き出す妙案が浮かぶ。

このまま長文のラブレターを書いていいものか、返事がなければ「書いてはダメ」というメッセージだと理解すると、最後のラブレターを送った。

すると、すぐに 長いラブレターを読んでたみたいで、その具体的内容にもふれて

「交通違反! 本当に迷惑!」

これは 片思いの病から解放させてくる特効薬になった。

本音で 互いにぶつかりあえば、そこに新たな道が開かれると悟った瞬間でもある。

通常、それを失恋というが、それは相愛があってはじめて成立できる失恋であり、

片思いには失恋はない。

片思いの病から、解放された実にすがすがしい 晴れた気分であり、

初めて会ったときに、リセットされたような こんな人に会えたことの喜びが滲みだしてくる。

それは 自分ができることはすべてやりつくした感があり、その結果が失恋のようであっても、そこに大きな幸福感と満足感に包まれてくる。

10代の初恋の無言の片思いのトラウマから、67歳になって初めて解放された自遊を満喫できた瞬間でもある。

多くの友人の青春時代のトラウマで 死ぬまで一生涯苦しむ姿を見てきている。それは他人でも、友人でも、何もできなく、ただ見守ってあげるしかない。

私は10代はずっと精神病に苦しめられ、そして、宗教の狂信妄信にも、また 喫煙やパチンコやメタボのような依存症にもさいなまれ、そこから脱出してきた。

今回 まさか青春のトラウマだった片思い病からの脱却ができた幸福はひとこと、「生きてきてよかった。あきらめて自殺しなくてよかった」という感慨にふけっている。

==========

ここからは 私の得意分野である哲学的思考に入っていく。

仏教でいう愛とは執着のことであり、キリスト教の愛とは仏教では慈悲である。

苦(煩悩)の原因には108ある

眼・鼻・耳・舌・身・意(六根)

×苦・楽・不苦楽(三種)

×貧・不貧(二種)

×過去・現在・未来(3位)

=合計百八苦

〔出典〕大智度論
〔例〕「百八のうち五六十嫁のこと」(古川柳)

これら108の苦はみな一つの欲望に留まろうとする執着から起きる。

恋愛の対象を一人に絞り、その一人にこだわると 恋の病(苦悩)は無限に増大していく。

それは終わりなき愛欲望列車である。

一つの欲望にこだわり執着したとき、自他破壊が起きる。その末路は相手を殺して自分も自殺するか、ともに自殺するかである。それが一つのアラーの神への信愛であっても同じで、それは自爆テロとしての末路が待っている。

仏教の愛は一つの愛であり、それにこだわる執着でありそれは一神教でもあり、仏教の慈悲は多くの愛であり、それぞれの愛に特別こだわることなく、博愛することで多神教でもある。

欲望の負のスパイラルから抜け出すには 知足つまり足るを知って、小さな幸せで満足することである。

片思いも、知足のように、知愛つまり愛を知って、小さな慈悲のような愛で満足することで その苦しみから解放され、楽になる。

自分の愛や自分の欲望には「Never give up]は通用しないばかりか、逆効果、負にスパイラルの増大、憎悪増大になってくる。自他の愛や自他の欲望や夢や希望は 自然に合う限りにおいて、「Never give up]は通用する。

自分の愛や自分の欲望には「諦めが肝心 Do give up]だけが通用し、知足、小さな幸せ、小さな親切で 自然な友愛のような関係が持続する。

ーーーー

実際問題、片思いに理想的な無償の愛の適応は難しく、そういう愛する人に出会えただけで満足するような片思いは友愛となって持続する。

また、その小さな幸せと満足ができにくい場合、その自分の愛を徹底的に分析・発展させて、その極限にまでいたらせることでも、友愛という形で持続可能になる。

片思いであれ、相愛であれ、その愛は相手の幸福・相手が本当に望むことを助けたいという心である。

もし、相手が片思いする自分を嫌い遠ざけたいと願うならば、その願いをかなえることは容易なことであり、それは自分しかできないことである。そこで、相手の気持ちとの一体感が実現し、ようやく同じ気持ちで ともに生きていくことができるようになる。

それは失恋ではなく、本当に相手を愛すると必然的に相手と同じ気持ちになってくることで、なんら問題はなくなり、恋愛執着地獄からの解放がされることになる。

今回、私は後者のとことん愛しつくした時の境地を味合わせていただいた。それがまさか、初めて相手に巡り合った時の状態にリセットされたような感覚になろうとは この世の摩訶不思議な体験を そう今日も明日も、誰にも予想しないことが起きている。

この感覚は 「Never give up]を自分の持てるすべてで突入すると、そこは「諦めが肝心 Do give up]に到達するのである。

それは弁証法における正反合のような相対的感情がアウフヘーベン止揚するようなものである。

この感覚はいわば地球の磁場の男がN極、女がS極のようなものになり、

地球の真ん中では 男女(N局S局)は引き合い一体になっているが、それが離れていくと、反発するように地球の遠くの方に飛ばされるが 遠く円周を描くようにして、また引き合いつながっていく。

 

地球が回るのは時の流れである。

恋愛する男女が反対方向に歩きだすと、それはいつしか地球を一周して また巡り合い、新しい形の恋愛が始まるような関係ともいえる。

 

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Never Give Up

モンゴルの旅のフィナーレに相応しい事件があった。

カミユとジュリアンを皷川温泉から自宅に帰ろうとするとき、

カーナビが示す道順と違うルートの西関東自動車道路に入り込んでしまい、

その出口で、一時停止せず、徐行したことで、ネズミ捕りのように暗闇に隠れていたパトカーに追いかけられ、

一時停止違反の切符を切られそうになったことだ。

昨日も カミユとジュリアンを乗せて 花影の湯から自宅に帰る同じ間違いのルートだった。

今度こそ間違えないように注意していても、やはり間違えて西関東自動車道路に入り込み、大きく行き過ぎてしまって、Uターンせざるをえなかった。

西関東自動車道路は高速道路みたいなもので、Uターンも途中下車もできないので、一度入り込むと修正がきかない。

私の方向音痴は異常に高く、それは中国・モンゴルだけでなく、地元のなんども通っている道でも迷路にはまり込むのである。

カミユとジュリアンを連れて慣れた山登りをしても、やはり山道を間違い、とにかく尾根にでようと、ジュリアンの案内で、やっと本道にもどれたが、それまで2時間くらい迷ってしまったのである。

警察が追いかけてきて、止まれという指示を出す。

だが、自分がどこで一時停止をしなかったのか?

どうにも理解できないので、そんな看板も覚えていない。

とにかく、それがどの一時停止の看板なのか? その警察に教えてもらうように、現場検証をすることになった。

 

それで 西関東自動車道路の出口で、前日 間違って、甲府からの出口だと勘違いし、右折しないよう、左右を確認しながら まったく車の通行がないことを確認 そして徐行して左折した。

その時、左右の車と風景を確認しようと集中していたため、一時停止の看板を見損なったことに気が付いた。

まして、行き止まりで、しかも夜、甲府からの右折車は頻繁に通るが、皷川温泉から万力ランプに降りる車は一時間の警察の問答に中でも、私の車一台だけだった。

どうやら、甲府から万力ランプに降りる右折車の一時停止違反を取り締まっていたようで、

私を取り締まり中も、一台の暴走族が一時停止もせず、警察をあざ笑うように、プ~カプ~カと連呼し、徐行して右折し、同じように続く車も一時停止せず徐行して通り過ぎたが、警察は私に一時停止違反の切符をとることに忙しく、私が、どうして あの二台を取り締まらないのか?と聞いても、お前が先だ!といって、その理由を延々と説明する。いわば屁理屈である。

 

私は10年無違反のゴールド免許である。人一番、安全運転には気を遣い、やっとゴールド免許を手にしたばかりである。それで、一時停止で2点のマイナスをひかれると、次のゴールド免許は取り消されてしまう。ゴールド免許だと、更新手続きが楽で、しかも保険料も安くなる。

 

しかも、フランスの友人二人が、日本の警察の取り締まりがどういうものか?観察している。もし、私がここで、一時停止違反の切符を切られたら、フランス人が日本の警察の印象を悪くみてしまう。

私は、残りの人生で、若い人たちに命のバトンをすることに集中している。フランス人である若い20代のカミユとジュリアンに対しても、これまでの67年間で得た最も大切な精神

「Never Give Up」そして、

「いかに社会を健全に変えるか?」

「いかに世界を 平和・自然・健康 へと向かわしめるか?」

「世界や社会に対して 自分ができることをしていくことで世界と社会は確実に変わる!」

「Don!t win, don!t lose!  Never kill, never be killed!」

「Live true to oneself!」

を、伝えようとした。そして、それは見事に二人に伝わったのである。

警察官の上司と若い警察官の態度は好対照であり、警察の威信をかけた上から目線の上司に対して、市民目線の若い警察官であった。

まず、私は二人の警察官にこう問うた。

「なぜ 一時停止違反を取り締まるのか、その目的は何か? 警察の本当の目的は何か?」

「市民の安全」

「そうですね。市民の安全ですよね。でも、この一時停止違反を単に注意勧告を口頭ですまし、二点減点し、次のゴール後免許を取り消させるような違反切符を切るのはただの 良心的な市民に対する虐めにすぎないのではないか?

先ほどの一時停止をあざ笑う悪心的暴走族の違反を目の前で逃す。強い者には何もせす、弱い者には法律をたてに従わさせる、そんな虐めをして恥ずかしいのは思わないのか?」

若い警察官はむきになって屁理屈を延々の延べ出す。その上司は警察の威信をかけて私を従わせようとやっきになっている」

上司警官は切符を切り始めた。

「ハイ、一時停止違反切符。ここにサインして!」

「いや、しません。一時停止違反をしたことは認めますが、その取り締まりについては 市民の安全という目的にあわせて、それは単に口頭による注意勧告が妥当とあると判断するからです」

「では、サインしない理由が取り締まりに不満があるということでいいのですね」

そして、不満理由を 上司は長い長文で書き始めた。あまり長いので、繰り返すが、ばかばかしくなったので、そのまま待っているカミユとジュリアンのところに戻り、帰ろうとした。

そして、免許証の返却を要求したが、返してくれない。

「もし、そのまま車を運転すると 免許証無携帯で 捕まえますよ」

「(あきれてものが言えなかった) もう、免許証はいらないよ、君にあげるから! 免許証無携帯で捕まえるならどうぞ」

すると、上司警官は私を車に乗らせないように体で制止する。

「君に、私の自由を奪う権利はないよ。どきたまえ!」

「いや、ダメだ」

力づくで、制止しようとするので、このままいくと、それこそ、どちらかが先に暴力をふるうか その判断がせめられたので、私が平和的に降りた。

そして、最後まで上司警官の取り締まり不満理由調書を読み上げるまで我慢した。

「では それで間違いないですね」

「(内容が欠けていたが面倒くさいので)それでいいですよ」

「では ここにサインして!」

「サインはしませんよ!」

「?????」

「いいですか? 私はこの一時停止違反に対して 口頭による注意勧告が妥当であると主張しているのですよ。

それをどうして、口頭でなく、文書にして、法律を駆使して より問題を面倒にし、本来の目的である 市民の安全から遠ざかることをするのですか?

もし、警察が私の車を停めて 注意勧告をするだけですましていたら、こんなに真っ暗い夜中に、フランスの友人をまたせず、一時間もの無駄な法律問答をする必要も、また、今後、それに対して延々と裁判を続けていく作業をしなくてよいのですよ」

それで、困り果てた上司警官は携帯電話で、さらなる上司に相談をした。

すると、見逃すよう指示を受けたらしく、態度が急変した。

黙って、上司警官は私の免許証を返し、若い警察官はしきりに、私にあやまり、また 待たせていたカミユとジュリアンにも「すいません」を連呼していた。

そして、私はカミユにこういった。

「強い者、権力を持つものには戦いが必要だが、弱い者、社会に押しつぶされそうな者には戦いではなく、平和が必要だと思う」

ジュリアンは空手三段で20年続けている。日本に来たのは日本の武士道をさらに学ぶためであった。だからこそ、特に、私は日本の武士道には二つの道があり、相手の命を奪う道と、相手の命を救う道がある。この両者をバランスよく習得するよう、受動整復・息が止まったときの、気合による回復術があることも教えた。

この警察とのやりとりはカミユとジュリアンにとっては強烈な印象をもったらしく、

それを絵にして、私がWINしたこと。

 

カミユには自分自身には二人の自分がいることを教えた。

True to oneself

Lie to oneself

この両者はいつも葛藤している。その葛藤で本当の自分が嘘の自分に克ことを 克己という。

 

この虐めのような警察官に対して、けして従わず、そして、「面倒くさがる嘘の自分」と戦い、「本当の自分」が勝利したことを讃えてくれ、それを絵にしてくれた。

カミユから私との思いでをプレゼントしてくれた。一生の宝物だ。

私の似顔絵の肩に、 WIN と描いてあるのは それだとカミユは笑って示してくれた。

 

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